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NARUTO-ナルト- 625:本当の夢 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ18号) その2 「千手扉間」

NARUTO 625:本当の夢 その2 

(その1の続きです)、
 
そして先週は「飛雷神斬り」を見せてくれた「扉間」なんですが・・・「こんな所で何油売ってる!」なんて、兄者を叱りつけて・・相変わらずですなぁ。
 
「扉間か・・・」と振り返ったマダラですが「この時」のマダラの表情見ると意外と穏やかなんですね。 本来なら扉間はイズナの仇のハズなんですが、この時のマダラの眼に『憎しみ』は感じられないんです。扉間は柱間が命がけで守った弟だし、マダラも自分の弟みたいに思い始めていたんじゃないだろうか、少なくとも『この瞬間まで』は。 
 
だけど、次の瞬間・・・一転するんですね。 扉間は、険しい顔でマダラを睨んでいた(イケメンなんですけどねぇ・・)。
 
マダラは写輪眼こそ使ってませんでしたが、お得意の洞察眼で扉間の心を全て見通してしまったんじゃないかと思うんです、扉間の心に在る『うちはへの、強烈な不信や憎しみ』(そして、すぐにマダラも険しい表情を見せるわけですが)。 マダラが「里の未来に、うちはの道は無い」と確信したのは『扉間と目を交し合ったこの時』だったんじゃないだろうか。

その後、扉間と二人になった柱間は、案の定「マダラを火影にするという案」を、扉間に「何を勝手なことを!」と一喝されてしまう(兄者、貫禄ねェ~・・)。 そして民主的な運営」のために 火の国と民意を聞いたうえで火影を決定すると言われてしまう・・・ う~ん確かに扉間の言うことは筋が通ってるんですよね。 
 
だけど、扉間本人は、次期火影(ヒルゼン)」を独断で即決しているじゃないか・・と、ツッコンでもいいですか?
 
『そして・・うちはマダラが長に選ばれることはまず無い 皆分かってる・・里をつくった立役者は兄者の方だと・・ それはうちはの者達まで言ってる事だ』とも言ってるので、勝算アリと見込んだうえでの「民主主義選択」なんですよね。 扉間さん、策士よのぉ・・・。 『体裁よく、自分達に都合がいい方向に持っていく』扉間の才能は、実に大したモンです。そうやって「うちは一族の警務隊」をつくって隔離に成功したんですな・・・。 もちろん、彼の「手腕」が木ノ葉隠れを大きくし安定させたのは言うまでもない・・・それが「正解だったのかどうか」は疑問としても。

「兄者はうちはの噂を知らないのか?」
「奴らの瞳力は憎しみの強い者ほど強く顕れる  …写輪眼がそうだ」
「何をしでかすか分からぬ連中だ」

う~ん「噂」ですかぃそこ!  確かに感情の揺れに応じて「チャクラに変化」が生じ、それが『チャクラの影響を受けやすい眼』に影響したのが写輪眼・万華鏡写輪眼なんでしょうが、それは「憎しみのせい」かどうかは疑わしい上、「何をしでかすか分からん連中」ってのは、もはや「思い込み」の領域としか言いようがない。
 
あれだけインテリな扉間であっても、「噂」による思い込みの洗脳を受ければ、偏った考えのまま結論に至ってしまう。 そして意外と「感情的な判断」を下している事に気づいていない・・ やはりそこは「マダラが突きつけた魔の選択肢」もトラウマの1つになってるんだろうか・・・“全く何を言い出すか分からん連中だ”と。
 
扉間が言う《うちは一族の瞳力は、憎しみが強い者ほど強く顕れる》という「噂」を根拠にした考えですが、イタチ、マダラ、オビト、サスケ、シスイを見る限り《愛情が深い者ほど瞳力が強く顕れる》と考えたほうが適切なんじゃないだろうか。 
かつてイタチは、「お前の器を確かめるため」と幼いサスケを観察していましたが、それはサスケの「愛情の器」がどれほど深いか・・つまり将来どれだけの瞳力を得られるかを量っていたのかと思うんです。そして、マダラがオビトを選んだ理由も、「愛情の器の大きさを量ってのこと」じゃないかとも思えるんです。 
 
ただしうちは一族の「愛情」の発現は分かりやすいとは限らず、しばしば「自己犠牲」という形で示されるので、それが「憎しみ」と間違われやすいのも事実なんですよね。。イタチが一族抹殺任務をこなしたのも「己の器を確かめるため」・・・己の愛情の器を試したんじゃないだろうか。「自己犠牲」という究極の愛情を示せるかどうかと・・・己にそう言い聞かせていたんじゃないだろうか。

うちは一族は「憎しみにとらわれている」とか、「悪に憑かれている」というのは、偏見・思い込みによる発想であって、物事は受け取り方次第、受け取る側次第。 
うちはと千手の事だって、扉間は「元来二つの一族は敵同士だった」と言うし(619話で)、同じことをオビトは「もともとうちはと千手は一つだ」と言うし(510話で)・・・敵同士ととるのか、一つと取るのかで解釈は全然違ってきてしまう。
 
マダラがくれた“魔の選択肢”だって、柱間は「情が深い」と受け取って「ありがとう」と言えたわけで、これも受け取る側の「受け取り方次第」・・・そしてマダラの心を「理解」していたからこそ、柱間はそう解釈出来たわけですよね。 扉間が、うちはの事を全て悪い方向に解釈してしまうのも「よく知らないから」だと思うんです。 理解せずに「噂」を信じ、噂をもとにした「思い込みレンズ」を通して見た「うちは一族」は、悪に憑かれた一族だった・・というわけで。
 
だから、うちはの愛情も「憎しみ」に見えてしまうんだろうし、うちはの「自己犠牲的な行動」を 闇落ち行動と受け取ってしまう・・・。 「思い込みレンズ」は、相手への誤解による「憎しみ」で染まってしまうこともある・・・扉間の目には、憎しみ色に染まったレンズが付いちゃってるような気がします。 だから、マダラの行動が全て「悪」だとか「闇」に見えてしまうんじゃないだろうか・・・
「憎しみ色」に染まってるのは、マダラではなくて本当は「扉間自身のレンズ」なのかもしれません。 そしてこれは勿論、扉間に限った話ではなく、全ての忍に言える事なんじゃないだろうか・・・?
 
(外で「ミシ」という音を聞き、外に誰か居たんじゃないかと窓を開け、扉間に何か感知しなかったのか尋ねる柱間・・)

「イヤ・・・今はチャクラを練ってない・・・ 話をそらすな兄者!」

(外に落ちていた「穴の開いた葉」を柱間が拾うと、葉はパラッと千切れてしまう)

『扉間の感知能力』なんですが、今まで分かっているのは 例の「地面に指をついてビリビリと電気信号を受け取る」タイプのもの(ミナトや白ゼツと同じもの)・・・そして「チャクラを練ることで」感知できるものとあるようで、何もしないで「自動的に」感知できる訳では無さそうです。 そういえば、穢土転扉間も「マダラが復活している」と言われるまで「マダラのチャクラ」を感知していなかったし、大蛇丸の中の「柱間細胞」も言われるまで感知していなかったですね。 
この時も「チャクラを練ってないから感知できなかった」ような事を言っていますが、もしチャクラを練っていたとしても「実は感知できなかった」可能性もあるのではないか・・・(と、そんな気もしないではない)。
 
落ちていた「葉」は、この前マダラが持ってた葉っぱと同じみたいですし、そこで話を聞いていたのは「マダラ」だと柱間は考えたようで、確かにそう考えるのが当然だとは思うんです。 「もし」マダラだとしたら、瞬身でこの場を去ったのか・・・それとも時空間忍術で去ったのか(未だにマダラ「神威使用」の可能性も捨てられず・・)。 

でも本当は そこには「誰も居なかった」んじゃないか・・・もしかしたら、居たのは「葉っぱに宿っていた霊的な存在」だったりしないだろうか・・・?
 
それがイズナの魂なのか、あるいは戻るべき「器」を探していた『1つ目の十尾(天目一箇神)の精神』だったとか・・・。 「万が一」ですが、そこに居たのが十尾の精神だったとしたら感知はできない・・とくに十尾は自然エネルギーで元々感知不能なのだから。
 
なんだか気になるんですよね・・・「あの葉っぱ」(今の時点では想像でしかありませんが)
 
「神=十尾」は、本来の姿に戻れる時をず~っと待っていたんじゃないだろうか。 「器」である体を月に封印され、居どころを失った十尾の精神は、やっと「運命に選ばれた2人」柱間とマダラに期待をしてたのかもしれません。 しかし、今回もダメそうだと失望し、マダラを「無限月読=本当の夢」への道と導こうとしたんじゃないだろうか・・・?
 
それがのちの「グルグル」なのかどうか・・・こればっかりは、マダラの回想を待たないと「真相」は分かりそうもありませんな・・・
 
 
 
(その3、うちはの石碑とマダラに続けます・・ 長文そして遅くなることお許しください。 
夜以降アップするかと思います・・・コメント欄は、最後のページに設けさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます・・・「ゲストブック」 「自由に語り場」 等は開いています)。