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NARUTO-ナルト- 648:忍の夢・・・!! 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ44号) その3

NARUTO 648:忍の夢・・・!! その3

その2の続きです・・

「五影会談」回想で、いくつかの疑問が解消されましたが、たとえば砂隠れの「守鶴」。守鶴は古くから砂隠れの寺で封印されていたらしいから、それで「老僧の生霊」伝説なんてのが生まれたのでしょうか。それに砂隠れは大国の1つだってのに、なぜ一尾(守鶴)しか所持していなかったのか?という点も疑問だったんです。 それは、既に一尾を所持していたから「尾獣を追加で買う」事より、土地とお金を貰う選択をしたという事でしたか・・・なるほど、「尾獣を扱うことの困難さ」をよーく知っているからこその、賢明で、したたかな選択とでもいいましょうか。
 
「賢明で、したたか」と言えば、さすがに木ノ葉も無条件で尾獣を渡したわけじゃあなかったんですね。
 
「尾獣はバランスを考え分配するが全て買い取っていただく」 (扉)
「…タダでも」 (柱)
「黙れ!!」 (扉)
(しゅ~~~ん) (柱)
 
しかし、相変わらずの兄弟漫才は「ほのぼの」としちゃいます。だけど、この「ほのぼの」会話も、考えてみりゃ結構「酷い」事言ってるんですよね・・・尾獣達を「タダ」だとか「買い取ってもらう」とか・・尾獣を「取引の道具」としてしか扱ってない。ま、当時は「仕方なかった」とはいえ、だから九喇嘛も(つい数時間前まで)「人間達が語ることは皆同じ」なんて思ってたんですよね。 
この戦争で、忍達はやっとお互いに「本当の理解」に近付きつつあるけれど、「尾獣と人間」の理解は・・・まだまだ「これから」かな。
 
(第一回五影会談で、柱間が頭を垂れて語った言葉・・)

《今まで確かに我々は上手くいかない事だらけだった…我ら各々同胞や一族を守る為にやってきた事だ…致し方ない時もあったかもしれぬ》
《そして今日…五国の協定が上手くいったとしても…それがどこまで続くかも守られるかも正直分からぬ》
 
《だが…オレはいつか…いつの日かこれから先…国は関係なく忍が皆協力し合い助け合い…心が一つとなる日が来ると夢見ている》
 
《それがオレの思う…先の夢》
 
・・これは作者から全読者への熱い熱いメッセージでもあるんでしょうね・・
特に「これから先」を担う、「全ての」中2の皆さんへの・・。
 
《今日はその夢への第一歩にしていただきたいのだ…!どうか!どうか!どうか!どうか!》
 
五影会談のテーブルに着いた初代五影達が「即、目に見える形で入手できる成果(見返り)」にこだわる一方で、柱間だけは「今は目に見えない、先への投資」を呼びかけたんですね。
 
柱間はマダラを失った後、マダラが語っていた「先の夢」についてず~っと考え続けていたんじゃないだろうか・・・その結果、導き出した答えが「今」の為ではなく「先」の為の第一歩を作る「五影会談」だったのかもしれません。
「どうか!どうか!」と、カッコ悪くてもバカに思われても、なりふり構わず先のために、子孫達の時代に繋がる第一歩を踏み出す為に「嘆願する」。そこには『まだ見ぬ孫達(子孫)』への愛情がギッシリと感じられるんです。 
 
65巻625話「本当の夢」、マダラの「相子劇場」の時に・・柱間は最期の言葉として「まだ見ぬ孫達に賭けて誓え」という表現を使っていましたよね。 
それに孫の綱手のことを「果てしなく甘やかした」というぐらい「未来=先」に〝賭ける〟ことが出来、そして「子供達」を愛した人・・・
 
一方で、マダラは他人に自分の背中を預けられないし「後ろに立たれたくない」。つまり全部自分の見えるところに置いて、全部自分でやらないと気が済まないし、安心できない。 もっとも、それは他人不信、子孫不信だからという理由以上に、責任感が強すぎて「愛情深く、世話好きで、神経質だから」全部自分でやらないと気が済まないから・・なんじゃないだろうか。
子孫(オビト)のことを「下っ端」と呼び、柱間の子孫(綱手)のことも見下すような態度を取ったのも、すべて「柱間とオレ以外ではダメ」だと思いこんでいたからでしょうか。・・・
あれだけの瞳力があり、未来に生じる「本末転倒」さえ見据えながら、目に見えるものしか信じることが出来なかった・・・そこに唯一マダラの瞳力の「限界」を感じてしまうんです。
 
昔、柱間とマダラは水切りで「願掛け」していたけれど、柱間の場合は「願掛け」じゃなくて「願〝賭け〟だったのかもしれません。 
ギャンブル好きだった柱間は、先(未来)や、まだ見ぬ孫(子孫)達に「賭ける」ことも出来てしまう。 これ、とてもじゃないけど慎重で神経質なマダラには、出来そうにない(笑)
 
そもそも九体中八体の尾獣を持っていた当時の木ノ葉の「圧倒的な戦力」を考えたら、他四里を従属させる事だって可能だったのに・・・柱間が選んだのは「今」の為ではなく「先」の為の選択でした。 それも「保証」などない「賭け」のような、夢の第一歩のための選択。 
その点マダラは、孫(曾孫あたり?)のオビトをあまり信じられず、黒ゼツという監視をつけたり黒棒を体内に仕込んだりと、とにかく「慎重」。
 
そのマダラさん・・柱間の「仙人の力を貰う」と言ってましたけど、先週コメント欄でお話ししながら、マダラはオビトの体を乗っ取ろうとしてるのか・・なんて考えてたのです。が、今週は左手から「黒棒」を出して(本体)柱間を突こうとしてますね・・これで柱間の仙人の力を「貰う」事が出来るんだろうか。
 
それでちょっと気になったのは、時空間内でオビトがカカシの体を同じように黒棒で「突いていた」こと。 なぜいきなり黒棒を出したんだ?というのが気になっていたのですが、これから人柱力になろうとする直前に「カカシの力」でも貰う必要が何かあったんだろうか。
 
とはいえ、カカシは「仙人の力」など持って無いハズだし、千手一族でもない。
ただ唯一カカシに残る「謎」があるとしたら、カカシはあれだけ万華鏡写輪眼を多用していても「視力低下しない」という点なんです。これ、ず~っと前から気になっていて色々と考えてきたんですが、移植した眼だから「事実上の永遠の万華鏡」並みになっているんだろうか・・とも思いましたが、それなら「カカシとオビト、2人のチャクラが合わさった模様の眼」になっていそうなものだし・・・よって行きついた推論は「カカシの血統」が六道仙人次男の流れを濃く受け継ぐ一族である「可能性」ぐらいでした。
カカシが黒棒攻撃を受けた「理由」は他に有るかもしれませんが、マダラとオビト、同じような事を同じようなタイミングで「対となる相手」にしている・・という点があまりに似ていたので『ちょいと気になった』・・という話。
 
 
「どうか!」
 
「頼む!!我らの愛すべき子供達よ!!」
 (柱)
 
忍達にも、ようやく「初代達の想い」が伝わったでしょうか・・柱間の言葉は、過去の偉人からの「上からの」命令ではなく、親が子を想うような言葉であること・・ そして先人たちと忍達を繋ぐ「しばり」は、呪印のようなものでもなく、鎖のようなモノでも無く、長い時間をかけて「紡がれてきた」愛情だったのだと。 柱間(達)と忍(達)をつなぎとめているのは、堅苦しい縛りではなく、感情、想い、愛情なんだと。
 
イタチがサスケに「お前をずっと愛している」と言ったのと同じような、柱間の「愛すべき子供達」という言葉。 
忍達はみんな、先人たちに「愛されている」・・・親が子供に与えるような無条件な甘い愛情で、存在を認め、愛すべき子供と言ってくれる。 やっと忍達は「誰かor何か依存」ではない、「自分らしいそれぞれの基準」を持った個なのだと・・・自分の意志で立つことが出来たかもしれません。
 
柱間の事を「過去のお偉いさん」ぐらいにしか考えられなかった忍達も、今では「オレ達を愛してくれてる、お爺ちゃん」みたいに思えてるでしょうか。
五影達も到着したし、何だか・・この戦場に人が集まってくるたびに愛情も満ちてくる。絶望のフィールドが、少しずつ希望色に、染まってくる。
 
平然と大きな声で「愛」を語る柱間兄者を見つめる扉間は・・・きっと《相変わらずバカで甘くキレイ事を大声で口にする》と呆れているんじゃないかな(もちろん「いい意味で!」)。 そして、そんな大馬鹿な兄貴を心から愛おしく、誇らしく思ってるんじゃないでしょうか。《忍は感情をコントロールすべき》だと考えていた「泣かない忍」扉間の目元も・・ちょっとウルウルしてませんか? 
 
扉間が「ナルトと柱間兄者」を重ねて思っていた「バカで甘い」、だけど・・・
 
《だが・・なぜだか皆に好かれ・・頼りたくなる》。
 
この「なぜだか」の力と、ナルトの「不思議な」力というのは同じなんだと思います。人を惹きつける『柱間とナルトの魅力』が「なぜだか」とか「不思議」と言われてしまうのは、それがあまりにも「忍世界の模範となる基準」から外れているからだと思うんですよね(他里の長の前で簡単にこうべを垂れたり・・とかね)。
だけど、その「基準から外れたところ」こそが人を惹きつける・・・
 
つまり、本当は皆が「基準」には無いものを「求めてる」。 
 
忍世界の模範的基準には無いモノ・・・それは掟で禁じられてきた「感情(心)」なんじゃないだろうか。
平然と大声で「キレイ事」を言ったり、泣いたり、頼み込んだり。そして・・「愛」を語ったり。本当は…忍達は、それらを取り戻したかったんじゃないだろうか。
 

「今こそ我ら忍の痛みから苦悩から挫折から…」
「紡いで見せてくれ!! 我ら忍の――――」

「本当の夢を!!」
 
 
忍達は苦悩し失敗してばかりだったけど、そこから得たモノは絶望じゃなくって「先に紡ぐ夢」、叶える為の「夢」・・・だいたい何の痛みや苦悩も無しにかなう夢なんて、大した夢じゃあないですもんね。
 
で・・また例によって「漢字の話」を出して申し訳ないのですが、「紡ぐ」に託された想い・・・「紡ぐ」とは糸を撚り合せて、繋いで長く長く続けていくことですが、れこそ616話の感想(※1)で触れた「忍び耐える」に繋がる答えでもあると思うのです。
 
616話の感想で「忍び堪える」〝堪える〟は「重さ、重圧にたえる」ことだけど、「忍び耐える」耐える〟はしなやかに一本の長い糸(本来はヒゲを指す)のように繋いでいくことを意味する・・「たえる」と言っても「耐える」は「我慢する」よりも「繋ぐ」事を意味する、という話を出しました(あくまでも「私個人の解釈」に過ぎませんが)。
 
忍達はただ苦悩や挫折に「堪える」だけではなかった・・・
 
「痛み」という糸は、「愛情」という糸と撚り合わせられ、ちゃんと紡がれ繋がれて「耐えて」きたのだと思います。
 
チャクラの実を神から貰ってから、人間は失敗もし挫折もしたけれど、学んできた事もあるのだと・・忍も「本当の夢」を実現することが出来るのだと・・・忍達は「忍の夢」をちゃんと「神」に示さなくてはならないんじゃないだろうか。
そしていずれは、チャクラや尾獣をくれた「神」に、忍は「ありがとう」と・・言うべきじゃないかとも思うのですがね・・。今のところ「神樹」は連合の「敵」でもあるわけで、敵に向かって「ありがとう」なんて、それこそ「大バカしかやりゃしないわ!」ってとこでしょうが、でもそういう「常識では計れない」発想こそ『先』を作っていくんじゃないだろうか(なんて思うのです)。
 
 
そして・・
今週の柱間の言葉は全て、岸本先生からのメッセージだと感じました。
岸本先生・・ぜひ最高の感動のクライマックスを描いてください!
(と・・辺境の地からエールを送ってみる)
 
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
 
☆ナルトとサスケVSオビトの結果が気になる・・鉄の国で「お前達は(マダラと柱間の次に)運命に選ばれた二人」なんて言ってたんだから・・本当は誰よりも2人に期待している「ハズ」。 
 
☆サスケの呪印模様の十字型、ナルトの封印の◎印。
で、ナルトの九喇嘛×仙人モードの眼は十字型・・
ならサスケの「高み〈鷹〉の眼」は◎になって、「2人とも逆」になるんじゃないか・・なんて妄想中です。
 
 

 
(ナルト好きブログ!2013/09/30)