ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

「お前なんか」と「こんなワシ」

「 お前なんか」と「こんなワシ」

  この前、45巻416話「ド根性忍伝」を読み返していたのだけど、その中の「ナルトと自来也の思い出」話に、じーーーんときてしまった・・  
 
 416話というと、自来也が亡くなってまだ間もない頃で ナルトは妙木山で仙人修行をしていた頃。 いよいよぺインが木ノ葉に侵攻しようとしている時で、これから長~い戦争編に突入しようという頃なんですね。「ド根性忍伝」を読みながら、ナルトは自来也との思い出を回想していくのですが、その中で自来也の言葉は ナルトにすご~く大切なことを伝えてくれていたのです。 

 《全部出来なくても、何かできることがあればいい》ということ・・ それに《一人で成す必要はなく、出来なければ誰かに託せばいい》ということも。 これらは戦争編の中で大切なテーマになっていきますが、この大切な節目に、自来也はちゃんと語りかけてくれていたんですねぇ。 そして、それだけじゃなくて、もっと大切なことも・・・


 で・・その回想ですが、おそらく自来也と修行の旅に出たばかりの頃のことでしょうか、まだナルトもどこか子供っぽい。 サスケに「お前なんかにオレの気持ちは分からない」と言われたと・・・珍しく沈んだ表情をしている。

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で、自来也は「何か」を感じていたようだった・・・

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 そして、ナルトに「エロ仙人と大蛇丸も昔友達だったんだろ?」と聞かれた自来也は、「ワシもお前と同じだ・・・ あいつに何も分かってないと一喝されてのォ・・・ その通りあいつのことを何も分かってやれんかったのかもしれん」と答え、そして
 「だがのォ・・こんなワシでもこの忍の世に憎しみがはびこっているのは分かる」と答える。


  「こんなワシ」・・・つまり「友大蛇丸のことを何も分かってやれなかった、ダメで残念なワシ」。 

 だいたい、「こんな」の後にワシとかオレとかの一人称が続く場合ってのは、自虐的な意味合いがあると思う(こんな自分でもよかったら・・とかね)。 自来也の「こんなワシ」にも、自分を情けないと思う気持ちがいっぱい詰まってる。
 自来也もナルトも、友達のことを分かってやれなくて、止めることが出来なかった・・・だからナルトが「お前なんか」ならば、自来也「こんなワシ」。 世間から《自来也様》と様付けで呼ばれるレジェンド忍であろうと、自来也にとってワシは「こんなワシ」。

 大蛇丸とのことを考える時、自来也もちょっとしんみりする。 だけど、今はナルトに前を見てもらわなくちゃいけないから、一緒にしんみりする訳にもいかないんですよね。 戒めの気持ちは《こんな》の三文字だけにギュっと押し込んで、「こんなワシでも」と前を向く。 落ち込んでばっかりいないで、こんなワシ「でも」分かることがあるのだと・・・失敗をバネにして、「ワシでも」とそこから立ち上がって諦めない。 これこそ、“諦めないド根性”ですもんね。


 (そしてこのあと、自来也は自分の想いをナルトに伝えていく・・・)


「その憎しみをどうにかしたいとは思っとるんだが どうしたらいいのかワシにもまだ分からん・・・」
「だがいつかは・・ 人が本当の意味で理解し合える時代が来るとワシは信じとる!」

「なんか難しいってばよ」

「答が見つからんかった時は その答をお前に託すとしようかのォ!」

「オッス‼エロ仙人の頼みならしかたねーってばよ」

「ヌァハハハ‼」

「何? 何で笑うんだってばよ!?」

(416話より)


 これ、一度はいい感じで話が終わりそうだったのに、ナルトが急に冷静になって「何で笑うんだってばよ」って話を戻してるのが ちょっとおもしろい。 
 いつものナルトだったら、たぶん「笑顔」で引き受けたところで話を終わらせてると思うんですよね(サクラちゃんの前で「サスケはぜってーオレが連れて帰る!」とナイスガイポーズで決めたように)。 ナルトって、誰かを笑顔にする為だったら、それが無理難題だったとしても 笑顔で引き受けちゃう。 
 だけど この時はこれで終わらせなかった・・  だって、ナルトのほうこそ分からなくて困ってるのに、逆に託されちゃっても「困るってばよ」ってのもあっただろうし・・ それに何といっても、ナルトも「ナルトの気持ちがわかってくれる」自来也の前だからこそ、無理にカッコつけずに素直になれたんだろうなぁ・・とも思います。

 しかし、これに続く自来也の言葉が、ナルトを今度こそ「本当の笑顔」へと変えてくれるのです。


「お前の笑顔には救われるようじゃ」

 この言葉に、ナルトは「へへ・・」とちょっと照れくさそうにする。

 ナルトの「具体的な何か」が、確実に誰かを救っている・・・これは嬉しかったんじゃないかな。 

 これまで 他の誰かを笑顔にしたくて「笑顔」を作ってきたナルトだけれど、その笑顔は本当に誰かを救えていたのか・・本当はちょっと自信がなかったのかもしれない。

 でも、自来也は「ナルトの笑顔に救われる」と言ってくれた。 
 ナルトの笑顔が自来也を救っていた。
 

さらに、自来也はこう続ける・・・

「お前を弟子にしてよかったわい!」

「そ・・・そっかぁ!?」

 これでもう、ナルトは完全に「心からの笑顔」になってます。すご~く嬉しそうな、照れくさそうな笑顔に。

「お前を弟子にしてよかった」というのは、「お前が居てくれてよかった」ということ。 これ、この時のナルトに一番必要な言葉だったんじゃないのかな。
 
   サスケの「お前なんかにオレの気持ちは分からない」の中で、ナルトにとって辛かったのは「お前なんか」の「なんか」だったんじゃないかと思う。  せめてこれがお前にオレの気持ちは分からない」だったらまだしも・・・お前なんか」ですもん。 なんだかなぁ、分かる分からないの問題以前に、友達としての存在そのものを否定されちゃってる。 ナルトの存在そのものが無意味になっちゃってる・・。

 だけど、自来也は「お前を弟子にしてよかったわい」と言ってくれた。ナルトの存在そのものを受け入れ、ナルトが居てくれて嬉しいと言ってくれた。 存在感の薄っぺらさに、心がどこかに飛んでっちゃいそうだったナルトに・・どっしりと愛情を注いで、ここに居ていいんだと言ってくれた。

 自来也は、ナルトの表情を見て・・そしてサスケに言われたという言葉を聞いて、ナルトが今一番苦しんでいるのが何なのか気づいたんじゃないだろうか。 ナルト本人は「分からないと言われた」ことが辛いと考えてるみたいだったけど、本当はこっちのほう・・「なんか」で苦しんでいるのだと、自来也は感じたのかもしれない。 自来也自身も、己の「友達としての存在感の無さ」に苦しんできたのかもしれないから・・・

 だからこそ、ナルトにちゃんと伝えておきたかったんじゃないかと思います。
 
たとえ「お前なんか」と言われても、「こんなワシでも」分かることがあるのだと。  そして・・

たとえ「お前なんか」と言われても、その存在に救われる人が居るのだということを。



  
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「お前を弟子にしてよかったわい!」


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「そ・・・そっかぁ!?」








☆長駄文、読んでくださって感謝。

☆久々の雑考記事。 今は岸本先生新作をひたすら楽しみにしております。
☆雑な模写ですみません、とりあえず参考として・・・;ぜひコミックス等で本物の絵をご確認ください;





(ナルト好きブログ!   2019/02/12)