ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO ナルト 第538話:詰問 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ23号)

NARUTO538:詰問

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この絵は今週のジャンプではなくて233話、終末の谷で ナルトとサスケが精神世界で握手した絵です。 
過去記事と「自由に語り場19」にも載せている絵なんですが この握手、指二本ずつで何とも中途半端な握手なんですよね。
普通、握手ってのは「右手どうし」あるいは「左手どうし」じゃないと出来ないものなんですが、ナルトとサスケみたいに「右手と左手」だと こんな感じで指を結ぶしかないのかなぁ~、と。
 
でもあれは握手では無くて『和解の印』という、仲間である意思を示す忍組手の「挨拶」なんだそうな。
終末の谷で、千鳥と螺旋丸で《拳を交した》2人が 精神世界で交わしたあの指は、紛れもない「和解の印」だった。 
 
あれは2人の本心だったのか、未来の暗示だったのか・・。
 
あの時、「一流の忍なら拳を交しただけで相手の心が読めちまう」とサスケは言ったけど、ナルトには《なぜサスケがこんなになっちまったのか?》全然サスケの気持ちが分からなかったんですよね。
だから、あの時見たと思った「和解の印」がホンモノだったのか、ナルトには自信が無くて・・・それで、あの日の「和解の印」を確かめたくて、信じたくって、ナルトはサスケの事をずーっと追ってきたのかもしれない。 
 
・さて、戦場へ急ぐビーとナルト。 そこに突然話しかけてきた九尾・・・
 
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(九尾、さらに可愛くなってるw)
 
以前は隙あらばナルトの精神を乗っ取ろうとした九尾だけど、なんか今回の九尾は違いますね~・・・
言ってることも、なんだかとってもマトモだし。
 
『お前の中にずっと居てお前をずっと見てきたが・・・ナルト お前はいつも甘い』
 
「ずっと」を2連発して強調するほど、九尾はナルトと「ず~っと一緒」感が強いみたいですね、
ナルトに向けられてきた周囲の冷たい目は、九尾へ向けられた憎しみの眼差しでもあったし・・・・その時ナルトが感じた孤独や憎しみを、九尾も一緒に感じてきたのかもしれない。 
九尾は、本当はナルトと気持ちを共有していたんじゃないかな。
 
「なんならワシの力を・・・」と九尾が水を向けても、ナルトは一切耳を傾けようとしない・・・ナルトの予想以上の決意に 九尾は思わず「・・・・・・」と驚いたようですが、九尾も「長いこと世の中を見てきた者」として言いたいこともいっぱいありそうですね。 忍達が繰り返してきた憎しみの連鎖を イヤってほど見てきたのでしょうから。。
 
『全て自分で受け止められると本気でそう思っているのか?』
 
九尾の問いは かつて自来也長門がナルトに問うたことと同じだし、考え方はトビとも同じような気がする・・・。
 
『サスケもお前がどうにかできた事があったのか?』 
『あの日だ・・・そうだあの日からお前は気付いていたハズだ』
 
あの日って、アカデミーでナルトとサスケが「初めて拳を交した日」のことです。 あの日から、九尾もナルトも気づいていたんですね、サスケが憎しみに囚われていることに。(というか、九尾は随分と前からサスケを意識していたんですね。ナルトとサスケが次の柱間とマダラになるって事も分かっていたんだろうな・・)
 
・対立の印
 
終末の谷のマダラと柱間の像は二人とも片手印をしてますが、あれも「対立の印」という 戦う意思を示す忍組手の「礼」なのだとか(で、決着の後は「和解の印」をするのが礼儀らしい。)
 
マダラと柱間の像は長い間「対立」したまま・・・2人の間を川が隔て、「和解の印」を出来ないでいるんですね。
おそらく六道兄弟も同じように向かい合ったまま和解の印は出来ず・・・・そしてそれぞれの家系は何世代にも渡って和解できないまま 時だけが流れてきたのでしょうか。
 
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(サスケとナルトの、対立の印。 そのまんま終末の谷のマダラと柱間ですね;)
 
終末の谷の像、柱間は右手で、マダラは左手で「対立の印」を組んでいます。
ナルトの「あの日」の回想では、イルカ先生が『ちゃんと利き手で組手前の対立の印をしろ!』って言ってるんですが、じゃあ、左手で対立の印をしているサスケは左利き?
むむっ・・・・サスケって、お箸も鉛筆も右手だし、手裏剣ホルスターも右足についているので右利きだと考えて、過去記事で「サスケは右利き」前提での考察をしてしまいました(謝
 
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上の絵はシカマルとチョウジの「和解の印」ですが、シカマルも左手を差し出しているけど彼も右利きなんですよね(鉛筆と将棋を指す手は右)。  ん~どっちなのぉ、岸本先生w (サスケが左利きでも問題は無いけれど、気になる点があるので この話はまた後日)
 
・で、和解の印のこと
 
和解の印は、「対立の印」をそのまま差し出した「指2本を結ぶ」握手ですが、実はこの和解の印は「右手どうし」でも「左手どうし」でも普通に出来るし、「右手と左手」でも可能な握手なんですね。 (普通の握手は、右手どうし、あるいは左手どうしじゃないと出来ない)。
 
いずれ、ナルトとサスケが「右手の螺旋丸」と「左手の千鳥」でぶつけ合って・・・今度こそ「和解の印」を結べると思っていますが、でも・・・・
超個人的な願望としては、最終的には2人には「手をつないで同じ方向を向いて」欲しいんです。。 
そして「左手の千鳥」と「右手の螺旋丸」は 『2人が同じ方向を向いて手をつなぐためのモノ』なんじゃないかとも思ったりしてます。(※)
 
・お前はどこまで見えている
 
拳を最初に交したあの日、サスケはナルトをジッと見つめて ナルトの中の「何か」を見てる。
 
《この目 いつものオレを見る皆の目・・・イヤ・・それよりもっと強えェ・・・けど・・・オレを見てねェ・・・》
 
確かに、サスケの目はナルトを全然見てねェ~ですね。 焦点はナルトの瞳のもっと奥、ナルトに潜む『巨大な闇』だけを見てる。
474話、五影会談帰りの我愛羅「サスケはお前を見ようとはしていない」と語った時、ナルトは凄くドキッとしていたんです。 もしかしたらあの時ナルトは 「あの日」を思い出したのかもしれません、ナルトを見ようとせず ナルトの奥にある「闇」しか見ていなかった、あの日のサスケを。 
 
でも、まだこの時のサスケの目にはナルトの内に在るものが何だかはわかっていないし、ナルト自身もまだ九尾の事が分かってなかったんですよね。
終末の谷でサスケが「一流の忍なら拳を交しただけで相手の心が読めちまう」なんて言っていたのは、ナルトの中のモノが見えれば「一流の忍になれた目安」だと、考えていたのかな・・・。
 
そして308話、大蛇丸のアジトでナルトに再会したサスケは ついにナルトの中の九尾を見て《今なら見える・・・これがお前の未知の力だったか》と『時が満ちた』ことを悟ったのかもしれません。
でも、結局は「お前の眼はイタチの真実を何1つ見抜けてはいなかった」とトビに言われ、サスケは自分の眼を「閉じてしまう」わけですが・・・・
 
それとあの日、サスケがナルトを殴らないで拳を止めたのは ナルトの中の闇に自分を感じたからでしょうか。
以前、ナルトも我愛羅の一尾・守鶴の目を見た時に《何て寂しい目だってばよ・・・こいつもオレと同じだ》と思ってハッとしたことがありました。 
彼らが抱えていた憎しみ、それは長門が言っていたような《どこにぶつけていいか分からない憎しみ》だったんじゃないだろうか。・・・・
 
「憎しみを消す事なんてできない」と九尾に散々言われても、ナルトは全く動じないんですよね。 
この自信は、どっから来るんだろう?  真実の滝で「憎しみの自分」を受け入れられたから・・・かな。
憎しみを消そうと思って戦っても、相手も同じことしてきてキリが無かった。 だけど消すんじゃなくて 抱きしめたら憎しみは『愛情』を思い出す・・・。 そういえば、夜叉丸も我愛羅に言っていたっけ。 心の傷を治すのは「愛情」です、と。
 
九尾の純正チャクラって、懐中電灯代わりになるぐらい闇を照らすし、植物を再生させるほど光に満ちてるし、なんだか『あったかい』。 つまり尾獣とは、本来は憎しみじゃなくて「愛情の塊」じゃないかと思うんですよね。
世界全体に蔓延る巨大な憎しみを受け入れるには やっぱり九尾という「巨大な愛情の塊」とコンビを組むしかないんじゃないかな? ナルトはその点どう思っているのか・・・
 
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『自分が決めた事に疑問を持ったら終わりだ! サスケは何とかして見せるし 戦争だってどうにかして見せる!!』
 
何とかしてどうにかするって・・・・w きわめて漠然とした答えだけど、これって3年前に自来也に言ったのと ほとんど同じかも。
 
《賢いってのがそういうことなら・・オレは一生バカでいい・・》
《一人でもっとスゲー術あみ出して サスケはぜってー助ける! そんでそんで暁だってぶっ飛ばす!!》
 
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でも、自信たっぷりの「迷いが無いまなざし」は 今もあの時も同じですね; 
で、あの時自来也 《バカはバカでも大バカだったら何とかなるかもな》と 思えてしまった。
・・・バカはバカでも大バカなら「何とかなる」w う~ん、それが意外と九尾との和解や 全ての解決のカギになるんじゃないだろうか? 
戦いでも、いつも土壇場で「意外性の忍者」らしい発想で何とかしてどうにかしてきたナルトですから。
 
実は、今週号の回想部分、キバとシノの「ひじょ~にくだらない会話」の中に重要なヒントが隠されてます・・・。
 
ナルトがサスケに向けて言ったおバカ発言 『このクソ・・・イヤ・・・むしろうんこカチカチのビチビチヤロー!バーカバーカ』のあとで・・・
 
キバ:『あ~あ頭ワリーな 文句すらまともに言えてねよアイツ・・・』
シノ:『便秘なのか下痢なのかどっちかハッキリしてほしいな・・・なぜなら・・』
キバ:『だから さっきから こまけーよ』
 
しょ~もないガキンチョな会話なんですけど;でも、キバの言ってる事は今週の答えになってるような気がするんですよねw 
キバの言う通り、ナルトの言ってる事は「頭ワリ―」し、まともなことは言えてない。 普通ならシノのように『どっちかハッキリしてほしいな…・』と思ってもしかたない・・・もっと具体的に言えよ!と。
自来也に問われた時も、ペイン長門に問われた時も、今九尾に「詰問」されても、ナルトの答えは具体的じゃあないし、賢い答えでもないんですよね。 なにせ『何とかして どうにかする』ですから・・・・
 
普通に賢い人達ってのは「具体策」を思いつけないと諦めてしまうもんですが、大バカは細かい事にはこだわらず、諦めない。 シノみたいに細かいことにこだわり過ぎるのは、キバが言うように「こまけーよ!」なのかもしれません。 ナルトのブレない自信が「本当に何とかなるかもしれない」と仲間や敵の考えを変えていく・・・結局はこれが世界を変えていく力になっていくような気がします。 
 
だから『こまけ~こと』にこだわって何もしない「賢いバカども」のほうが「甘い」んであって、純粋な「大バカ」のほうが世界を変えられるじゃないだろうか?
 
なんだかなぁ・・ ナルトとサスケが再び終末の谷で闘う時も、そう遠くはなさそうですね。
 
 
☆九尾チャクラって発光するんですね サスケの中の巨大な闇も、永遠の夜も照らす力になりそうですが。
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
(※)過去記事、書庫「千鳥と雷切の考察」の「サスケはなぜ左手で千鳥を発動するのか?」にて別記・・・・参考まで