ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

BORUTO-ボルト- -NARUTO NEXT GENERATIONS- 第9話「まるでお前は」感想

BORUTO-ボルト- -NARUTO NEXT GENERATIONS- 第9話「まるでお前は」感想




(・・・この・・・重み・・・!!・・・ここまでするのに・・・)

(・・・一体・・・どれだけの・・・)


ナルト父ちゃんが添えた手で、どんどん大きくなってくボルトの螺旋丸・・


  そして、螺旋丸の大きさを 「チャクラの重さ」ではなく、「ここまでの経験の重み」と感じたボルト・・




・ボルトの螺旋丸

 


さて、ボルトが最初に投げた小さな螺旋丸は、一度消えた後 見事に「目標(モモシキの肩)」を直撃しましたね。 
この攻撃を見て、NARUTO596話「トビの肩を直撃したナルトの螺旋丸」を思い出しちゃった・・  あの時は、ナルトの螺旋丸が「消えて」(カカシが神威で飛ばして)時空間内のトビの肩に当たったんだけど・・ボルトの螺旋丸の「消える」仕組みはどうなってんだろう? 

サスケの解説によれば「チャクラの性質の変化」(風遁)によって投げられるらしいけれど、「消える」の仕組みはまだハッキリとは分からない。
ボルト本人は「消えるやつしかまだできねー」なんて照れてたけれど、その「消える」ってのが十分凄い。 個人的願望を言えば、ボルトには「ミナトじいちゃん譲りの時空間の能力」も持ってて欲しいんだけどなぁ…
いずれにせよ、「消せる」ってとこにボルトの無限の可能性を感じてしまう。

そして、ボルト二回目の螺旋丸・・・


・ボルトが感じた「重み」

ちっちゃな螺旋丸は、ナルトによって「添えられた手」で みるみるうちに大きくなっていく… ボルトは驚いて、ナルトは微笑んで…ここの描写は10ページも使って描かれてる。

そして、ボルトの目には涙が(ここんとこ、いいですねぇ…!)

前までのボルトだったら、この螺旋丸の大きさを「重さ」を受け取って、「父ちゃんと自分の力の差」を感じていただろうけど…今のボルトは螺旋丸の「重み(重さじゃなくて)」を感じて、それを「経験の差」と受け取れる。

螺旋丸の「重み」からは、父ちゃんが歩いてきた道の険しさが伝わってきたんだろうし… 父ちゃんの手の「あたたかさ」からは、父ちゃんが出会った人々から受け取った「愛」が伝わってきたんじゃないのかな。


ナルトの今まで…《自来也との修行、最初の螺旋丸、ネジの想い、父ちゃんとの共闘、サスケとの闘い》…これらがボルトに「見えた」わけじゃないだろうけど、それでも《大切なこと》は伝わっている。 細けー事や理屈は分かんなくても、十分に伝わっている。 サスケがボルトをここへ連れてきた本当の理由は、コレだったんだろうな… 言葉で説明するより「実感」するのが一番だから。

ボルトのあどけない瞳にじわ~っと溢れた涙(こういう描写、こっちも胸が熱くなる)・・それに、ボルトを見つめるナルト父ちゃんの優しい笑顔が、とってもあったかいんですよねぇ。 あの屈託のない《ニッ》という笑顔も、子供の時から変わらない。
ナルトの「人懐っこい微笑み」には、全てを包みこんじゃうようなおおらかさがあって…これがナルトの「不思議な力」になってきた(こういう「力」は、敵のモモシキには無いですもんね)。

言葉では上手く伝えられない口ベタな父ちゃんだけど、この微笑みと温もりがあれば もう十分。 ボルトは「父ちゃん」を感じることが出来たんじゃないかな・・そして「つながりの実感」も。


・そしていよいよ「主役交代」

今回(というかこの話全体)を締めくくる、サスケ師匠の言葉《忍の本質は変わらない・・・時代がどう変わろうとも》。(NARUTO)699話のラストでサスケが出した「忍とは何か」の答え、「それができるまで耐え忍んでいく」・・そのの言葉どおり、サスケ達は「次世代に意志をつないで」託した。 前の戦争で親世代がしてくれたように、ナルトもサスケも最後はサポートにまわって「主役」を次世代に譲りましたねぇ・・・ 

かつて、自来也が《ワシらの役目は次の世代のために手本となり手助けをすること そのためなら笑って命を懸ける それが年寄りの格好良さというものだろーのォ》と言ってましたが、ナルトとサスケも「自来也先生みたいなカッケ―大人になった」という事なのかな(見てますか?自来也先生)? 

この螺旋丸が決まった瞬間に完全に「主役」もスイッチしたような気がする・・(ちょっとしんみりもする)。 と同時に《時代がどう変わろうとも》の言葉は、これからボルト達が生きてく時代は《ナルト達のものとは大きく変わっていく》ことを予言してるのかな・・・


・《まるでナルト》、だけど《ボルトだからこそ》


そして、《まるでナルトだよ お前は ボルト》…負けず嫌いなところは父ちゃん譲りで《まるでナルト》なボルト。  だけど、それ以外のところの多くは《ボルトだからこそ》。

「投げて消える螺旋丸」にしても、ボルトは「自分でもどうやってんだか分かンなくて」と言ってたけど、理屈をすっ飛ばして「勘で何となく出来てしまう」ところも《まるでナルト》。  「理屈をすっ飛ばせてしまう」ってことは「理屈にしばられずに本質を見極める」ってことでもあり、それはナルトの「弱点」でもあり、とてつもない「長所、強さ」でもあった・・ 

で、ボルトの場合は、ナルト以上にスゴイことまで《自分でもどうやってんだか分かンないけど》やってのけてしまう・・・

それは、持って生まれた器用さや要領の良さのせいもあるだろうけれど、ナルト以上に「理屈にしばられず、本質を見極める」事が出来るってことなのかもしれない。《螺旋丸の大きさ》を「チャクラの質量の差=重さ」では無く、「経験の質量の差=重み」と感じる事ができた・・・これが何よりそれを証明してるような気がする。

《まるでナルト》な負けず嫌い(ウスラトンカチ)なところと、ナルト以上の《ボルトだからこそ》の超天然「理屈とばし」スタイルが、新しい時代に新しい答えを見つけていってくれるに違いない・・

《時代がどう変わろうとも》。


(という事で次回は新展開なのかな・・??)




☆長駄文、読んでくださって感謝。






☆「消える」方法といえば、師匠のサスケも「消える」・・今回も投げた刀と自分を入れ替えてましたね(輪廻眼の能力で「入れ替える」わけだけど)。 

ジャンプの後書き(作者のひと言)で右京先生がFF15のことを書いておられたけど、サスケの刀投げを見ると(FF15の)ノクティスの空間移動を連想する・・というかアレは「飛雷神」だなぁ。




☆「理屈を飛び越える」関連で、ある人物雑考を近いうちに・・と思ってます。




☆ナルト好きブログ! (ときどきボルト好きブログ!)  2017/01/30