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NARUTO55巻コミックス感想 その3 デイダラと血継限界

NARUTO55巻から その3・・・デイダラと血継限界

さて・・・GWに入りますが、5月5日こどもの日はデイダラの誕生日でもあります。 去年の5月5日もデイダラのことを書いたのですが(→一瞬の昇華)、今回は55巻から デイダラのこのセリフ。  
 
 
「ふざけんじゃねーぞ!
旦那ァ!こんな奴らの口車に乗せられてんじゃねェーぞ!うん!
芸術は一瞬の輝き!芸術は爆発なのだァ!!」 
 
・・・これは55巻第519話「尾獣玉」から、サソリが昇天しそうになった時にデイダラがわめいた言葉です。
なんだかなぁ~この時のデイダラ、相当感情的になっていたというか、焦っていたというか。 
デイダラは、カンクロウがサソリに言った事も気に食わなかったみたいだし、それに「あの」サソリが あまりにもアッサリとカンクロウの言葉を受け入れて昇天しちゃったことも「ありえない」ことだったんじゃないだろうか。
 
「あの」サソリの旦那の「まさか」の反応。
 
孤高の芸術家だと思ってたサソリが、よりによって同郷の後輩・カンクロウの手を握るような真似をした・・・それって、デイダラにとっては「裏切られたような」気持ちになったんじゃないだろうか。 
 
デイダラにとってのサソリ
 
デイダラは、サソリのことを《同じ物造りとして旦那…アンタは尊敬する》と言っていた・・。アッサリと「天才傀儡師」としての名誉や里での人間関係を断った(ように見えた)サソリのクールな態度は、デイダラの「理想の芸術家像」であって、デイダラの「お手本」でもあったと思うんです。
デイダラは岩隠れでの『土影を頂点としたコテコテした人間関係』の中にいたようだし、土影はデイダラの芸術を認めようとしなかったみたいだし・・・デイダラはそれらに反発して里を抜けたのだとしたら、サソリの世俗を断ち切ったような姿勢は まさに「お手本」のように見えたのだと思います。
だからカンクロウが何と言おうと、サソリの旦那にはいつものように「くだらねェ」と言ってもらいたかったんじゃないかな。 
 
「お手本」サソリの気持ちが揺れてしまったら、デイダラも自分の信念が揺らいでしまう。永遠に受け継がれていくつながりなんて、くだらねェ・・・・そう思ってきたはずなのに。
だから必死に自分の「信念」を叫ばずにはいられなかったんじゃないだろうか、《芸術は一瞬の輝き!芸術は爆発なのだァ~!!》と。 
  
デイダラの岩隠れ時代はどんな忍だったのか?ということが54~55巻あたりの話で 少しずつ分かってきました。 ・・・・赤ツチ黒ツチとも親しそうだったし、土影はデイダラを孫のような扱いをしているから 土影はデイダラの師なのかもしれませんが・・・ 
 
でも、この2人。 「お前は昔から遠距離でこそこそ逃げ回って戦う!ワシはそこが好かん!」なんて土影は言ってるし、一方でデイダラ「今度(倒すの)はオレの芸術をバカにしくさった じじいお前だ、うん」なんて言っているし。
仲がいいんだか悪いんだか分からない2人・・・デイダラは本気で土影をウザいと思っているかもしれませんが、土影がデイダラに厳しいのはそれだけ期待していたから(かわいいから)なんでしょうけどね。
 
デイダラが土影のことをウザいと思っているのは、口うるさいからとか 芸術を理解しようとしなかったからとか・・・それらもあると思いますが、「血継限界」の問題もあったんじゃないかと思います。
 
 
デイダラと血継限界
 
デイダラの術は『爆遁』という血継限界だったことが最近になって判明したわけですが、最近まで(というか生前)デイダラは一言も「オイラは血継限界を持ってる」とは言ってなかったんですよね。 あれだけプライドが高くて自信たっぷりなデイダラが己の血継限界を自慢しないなんて意外なんですが、これにはワケがありそうです。
 
だいたいデイダラは、うちは兄弟の写輪眼に対して極端に嫌悪を顕わにしてましたよね。
 
『血統に恵まれただけの 勘違いヤローが』 とか言って。
 
デイダラがこんな言い方をしたのは 「優秀な」血継限界をアピールするかのような「写輪眼」に、強烈に反感というかイラッとするものがあったのかもしれません。 そして、サスケの写輪眼に「イタチの写輪眼の記憶」を重ねた時、デイダラは必死に自分に言い聞かせてます。
 
《オイラの方が上だ・・・負けるハズがねェ! あんな・・・あんな・・・・》
 
「オイラの方が上」と思ったのは、オイラだって血継限界は持ってるんだぞ~という気持ちもあったのかもしれませんが(写輪眼がなんだ!みたいな)。 それでも、《あんな・・・あんな・・・》の先、言葉に詰まってしまったのは、写輪眼という『優秀で、かつ高級な』血継限界には勝てない現実をわかっていたからでしょうか。 血継限界にもいろいろあるわけで・・・デイダラはど~も自分の血継限界「爆遁」に自信が無かったんじゃないかという気がします。
 
《優秀な血継限界》に対するデイダラのコンプレックスの「根源」・・・それって土影にあるのかもしれないですよね、54巻でデイダラが言っていた言葉・・・
 
『なめんなよ じじい!! てめーの塵遁と オレ様の爆遁どっちが芸術か・・・』
 
またもや最後は言葉に詰まちゃってますが; 
ん~デイダラの爆遁も オオノキの「血継淘汰」塵遁相手では分が悪いような気もします;なんといっても血継限界の上を行く「血継淘汰」ですから。 
デイダラにしてみれば、土影こそ《血統に恵まれただけの勘違いヤロー》ってことなのかもしれません。
 
血継限界という選ばれた血統に生まれながら、さらに優秀な血継限界にはけして勝てない・・・そんなジレンマの中で、デイダラが考えたのが「爆遁をアートに昇華する」ことだったのでしょうか。 これなら、土影の塵遁にも負けない。 土影に認められたい一心で開発したのかもしれません。
 
・・・でも、土影はデイダラの「芸術に昇華した爆遁」を認めようとはしなかった。 これはデイダラにとって辛い事だったのかも。 デイダラが、最後にCOというド派手な自爆を選んだのも 遠くの里まで自分の芸術を認めさせたかったからなのかな。・・・ 
 
う~ん・・・。デイダラもサソリも、本当は自分を認めてもらいたいんだろうし、誰かとつながっていたい。 結局は人間の弱さを抱える「霧の中を迷ってきた自分の行き先も決められないごろつき(例のイタチのセリフ)」だったのかもしれません。  プライドの高い2人だけど、「本当は孤独が怖い」2人が寄り添っていたのかも・・。
 
でも、古いタイプの忍が多い暁の忍としては デイダラはちょっと異種の「新しい時代の忍」のような気がします。従来の形式に拘らない、自由で開放的で、変幻自在なスタイル。
長門やトビもデイダラのことは高く評価してた・・・・っていうのは ただ彼が優秀な忍だったからというだけじゃなく、彼は新しい時代に通用する忍だったからじゃないだろうか?
 
ん~、デイダラは最後は昇天するのでしょうか。 
彼みたいな新時代を感じさせてくれる忍は、昇天や封印ではなく・・・なんとか「復活」という結果にはならないかなぁ~なんて思ったりもします。
 
 
☆駄文読んでくださって有難うございます。