ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

岸本斉史・NARUTO-ナルト-外伝「渦の中のつむじ風」感想 その2(ジャンプ33号)

‥冒頭、岩隠れのハン老紫「ワシらとやり合うなら九尾の人柱力を連れて来るんだな」って言ってるけど・・ 《九尾の人柱力が木ノ葉に居る》ことは、どうやら公然の秘密‥というより《誰でも知ってる周知の事実》っぽいですね。

 

 本編の中盤ぐらいまで《九尾は人の邪気が淀んで自然発生する天災のようなもの》と言われていたんです。 自来也でさえかつてはそう考えていた‥という事になっていた。  だけどそのうち《初代火影・柱間が尾獣を大国に分配してパワーバランスをとり、互いに抑止力としてきた》という話が出てきて、辻褄があわなくなってくる‥ 

《あれ?九尾の人柱力が木ノ葉に居ることは周知の事実だったのか?》と‥ まぁ連載が長くなると多少「修正」が入って設定が変わるのはよくある事。 だけどこの点に関しては いまひとつハッキリしてなかったんですよね・・だから今回でスッキリしました。 

 ‥というのもね、それによって「クシナがまわりからどんな目で見られていたのか」が違ってくるんじゃないかと思ったんです。 里の人々、仲間たちもみんな「クシナは九尾の人柱力」「だから封印の外に出られない」って知っていたのかな‥?って。 

 もし知っていたなら、クシナの目の前で「外に出る任務の話」や「任務が終わったらどこかに遊びに行こう」みたいな話をするのは酷だなぁ‥ってね。 辛かったね、クシナ。

 

今回はナルト外伝「渦の中のつむじ風」から、クシナのことを中心に。

 

 クシナって強気だし、泣き言を言ったりしそうもない。 アカデミーの頃も、いじめっ子を逆にボコボコにして「赤い血潮のハバネロなんてすさまじい「通り名」が付いたぐらいだから、他人の前で弱音は吐かなかったんだと思う。

 それでも他人の前で涙を見せたら「負け」と思って、一人で堪えていたんじゃないのかな・・ そういうところは、ナルトと似てるのかもしれない(あ、いや‥クシナがナルトに似てるんじゃなくて、ナルトがクシナに似ているんだけど)。 ナルトも「一人でブランコの紐を握りしめながら 孤独にじっと耐えていた」なんて事がありましたからね‥。

 

 ミナトがクシナに感じてた「強さ」ってのは、実際の《ボコボコにしちゃう》強さだけじゃなくて、 泣き言を言わない強さ‥ 誰よりも大変な目に遭って苦労してきたのに その運命に負けてない抗おうとする強さだったんじゃないかと思った。 だからこそ余計に《守りたい》って思ったのかな。

 

 渦の国出身のクシナは「立派な赤い髪」に目をつけられて、次の「九尾の器」として木ノ葉に連れてこられた。  

 

《また同じ夢‥ そしてまたいつもの風景》

《‥いつもの見張り役2人》

 

 同じ九尾の人柱力でも、ナルトは特に制限は無かったけど‥ クシナは「封印」の中で生活させられていたんですね。 「結界」から出られない生活、人柱力として「うずまき一族」として運命の渦から出られなかったクシナの生活は、鳥かごの中の鳥というか‥「虫かごの中の蝶」状態。 外に出たいと窓辺でバタバタしていた蝶を外に出してやったクシナ‥ 

 

 「うずまき一族の封印の中に閉じ込められていた」クシナだけど、それでも彼女にとって「うずまき一族の封印術」は外の世界に出る鍵でもあったと思うんです。 

クシナがミナトに「うずまき一族の封印術」を教えるのは、二人の「会う口実」にもなっていたのだから。  

 

「今日もビシバシいくってばね!」

「うずまき一族の封印術はまだまだたくさんあるから 

これからも‥」

 

 クシナ、すごく嬉しそう‥! 

 《これからも―――》たくさんあるから、たくさんミナトに会える。 

 

「封印術」は、クシナがミナトに会うための大切な術だったんだ。 

クシナが自分で「外」に出る為の術だったのだ。

 

 クシナが教えていた「封印術」・・四象封印屍鬼封尽も、元はうずまき一族の封印術だった。 木ノ葉の里のはずれに「うずまき一族の納面堂」というのがあったけど、そこには死神の面を含めてたくさんの面がズラリと並んでいた‥ちょっと不気味だったけどね(コミックス65巻に出てくる)。

 

ちなみに「封印術」のことなのですが。

 

 「封印」っていうと、屍鬼封尽もそうだけど ちょっと不気味なイメージもある。 「封じられる」って恐怖を感じる‥  だけど実は「優しい術」なんじゃないかとも思っています。 だって「解」できるのだから。

 

 ま、「屍鬼封尽の“解”」方法については あの大蛇丸も散々苦労して見つけたらしいけど・・ それでも「解」したことで、封印されていた「腕」も「歴代火影の魂」も「九尾の陰チャクラ」も取り返すことができた。 

 とりあえず一度は閉じ込めちゃうけど、開けようとする意志さえあれば《開けて外に出せる》っていうのが「封印術」。 

 相手を倒すとか消すんじゃなくてとりあえず閉じ込めるだけ。 

 

 だから相手に「封印術」を使うってのは、本当に憎くて‥とかじゃなくて「悪いけど今はおとなしくしててちょうだいね」的な優しさも感じちゃうんですよね。 イタチが大蛇丸を「封印」したのも、情けというか優しさのような気もするんです。 そういやイタチがカブトにかけた「イザナミ」は、無限ループにかけながら「自分を見つける手伝いをしてやる」優しい術だった‥

 

 つまり、封印術は《いつか開ける為の術》と言えるのかもしれない。 うずまき一族のクシナは「封印が得意」なら、「解」するのもきっと得意なはず。

 

ちなみに「うずまき一族」とは・・小さな島国・渦の国「渦潮隠れの里」に暮らしていた封印術を得意とする赤い髪の一族。 長寿で生命力に長け、千手一族ともつながりがあったらしいんですよね。 長門と香燐も、赤い髪をした「生命力に溢れた」うずまき一族だった。 

 香燐はサスケに腕を噛ませて回復させてあげてましたよね‥ だから「たとえ突き刺したりしても」香燐は大丈夫だと‥サスケはじゅうぶん分かっていて、あの時(ダンゾウ戦のあと)香燐を刺したんだと思います。 香燐が「付いてこないように」‥もう自分と関わることが無いようにと。 そうじゃないと、絶対に香燐はサスケに付いてきちゃうから。 あ、話が逸れちゃったけど‥ 

 

 クシナと同じ「うずまき一族」の 前任の九尾の人柱力・ミト(初代火影の妻)の話によれば、うずまき一族とは

 

《自然界の渦巻く気流と同調し 生命力と封印術に長けた忍として名を馳せた一族》

《その力を戦争の糧にされ 溺れ 私たちの存在自体がその渦に封印されようとしている‥》

 

 渦の国の「渦潮隠れの里」出身一族だから、渦といえば「海の渦」を考えていたけれど、渦巻く気流と同調する一族だったとは‥ ここでうまい具合に「つむじ風」と関わってきた‥!

 

 そしてミトは、幼いクシナに「螺旋階段」を見せていた‥

 

「これは螺旋‥螺旋階段」

渦巻きは平面‥変わらぬ絵です ですが螺旋は立体

「同じようにぐるぐる回っているようでも 少しずつ階が変わり 景色も変わっていく

「私たちは渦の中かもしれませんが 自ら登ろうとすれば “愛”を見つけられるはずです」

「そうすればきっと 渦も螺旋になりましょう

 

螺旋階段をあがった先にあったのは、歴代火影の火影岩‥「初代火影の火影岩」だった‥ ミトの器に「九尾より先に入っていた愛」だった。

 

 そういや木ノ葉って 円筒型の建物をよく見るけど、螺旋階段の建物も結構あるのかなぁ‥(個人的に螺旋階段って大好きです)。  ひたすら同じように歩き続ける感じだけど、だんだん高くなっていく‥ クシナ達が登った螺旋階段は、まさに巻き貝のような大きな「螺旋」ですね。 ヴァチカン美術館の有名な「大きな螺旋階段」にどこか似てるなぁ‥ だいぶ前、ヴァチカンの大きなドーム屋根の中にある階段を上ったことがあるんだけど、めちゃくちゃ狭い屋根内部の階段を上っていくと建物の頂上に出られて・・あのとき見た風景は一生忘れられない感動の風景だった‥と思い出した‥ クシナも感動したんじゃないかな。  

 ミトさん、いいこと教えてくれてたんだなぁ‥(さすがあの柱間の妻って感じ。落ち着いて堂々しっかりとした、器の大きな ちょっとやそっとでは動じない人だったんだろうなと。うずまき一族の女性は強いな‥)

 

 そしてそこに、ミナトの「つむじ」の話が入ってきた。 つむじ風とは、らせん状に吹き上げる風のこと。 

 

まさかナルトと自来也の螺旋丸修行で出てきた「つむじ」の話が、ここに‥「つむじ風」「螺旋」「平面じゃなくて立体に」「違う景色に」に見事につながるとは思わなかった…

 

ミナトの「螺旋丸」(まだこの時は「光輪冷菓発起旋毛自来也双式ノ丸」)は、チャクラを練り込んだ強力な「つむじ風玉」みたいなもんですね。 ミナトの「つむじ風」が、螺旋の風でクシナを上まで登らせてくれた‥《渦の中のつむじ風》。

 

 窓から飛び立った蝶は、つむじ風に乗って上まで飛んでいった‥ 

 

 クシナがそこで見つけた風景は「微笑むミナト」だった。 火影岩に並ぶミナトの笑顔‥ クシナが自分で見つけた“愛”だった。  「螺旋丸」の名前には、クシナが運命に抗いながら自分で「違う景色を見ようとして」飛び立った意志と、ミナトのクシナへの愛が詰まっていた‥

 

 クシナはミナトのために「封印術」を教えて、ミナトはクシナのために「螺旋丸」を作った。 それはお互いのため二人のためだったけど、いずれそれはナルトのための術になっていく。 螺旋丸は「ナルトの一番大切な術」となり、「封印術」のおかげでナルトは九喇嘛と出会えたし、さらに封印式に各々のチャクラを封じることで ミナトとクシナは「大きくなったナルト」に会うことが出来たのだ。 

 そう思うと、やっぱり「術」ってのは戦う道具、傷つける道具でもあるけれど‥それ以上に「人と人をつなぐ」もの、「想いをつなぐもの」なんだと思う。

 

 それに、どんな過酷な運命だって、自分で何もしないで諦めちゃいけない‥ 

 

《捕まった鳥だってな‥ 賢くなりゃ自分の口ばしで籠のフタ開けようとすんだ また自由に空を飛びたいと 諦めずにな》

 

不知火ゲンマのあの言葉を思い出す・・(あ、ちなみにゲンマの誕生日は7月17日。 おめでとうございました)。  このお話では《閉じ込められた蝶も 賢くなりゃ自分の羽でつむじ風に乗って高く飛ぼうとすんだ また違う景色を見たいと 諦めずにな》‥的な感じかな‥

 

 「外伝」ではあるけれど、やっぱりそこに在るのはNARUTO-ナルト-不変の「メッセージ」だった‥ 

 

 

☆まだ続けます‥次回は九喇嘛の事や自来也、渦のことをもう少し。

 

☆長駄文、読んでくださって感謝。

 

(ナルト好きブログ! 2023/07/19)

 

☆直接関係ないけど、関連過去記事(ゲンマの話を出したから)↓

konohanogenin.hatenablog.com