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「知りたい」願望を利用するテクニック (マダラの場合)・・605話雑考つけ加え

「知りたい」願望を利用するテクニック (マダラの場合)・・605話雑考つけ加え

 
人間ってのは目覚めた時、真っ先に確認するのが《ここはどこ?》。 
いつも目覚める自分のベッドの中だったらいいんだけど、もし目覚めた時いつもと違う光景があったら かなり焦ります。人間にとって、今自分が「どこ」にいるのかってことは、かなり重要だと思うんです。初めて行く場所では現在位置と目的地の関係ってのをナビか地図なんかで把握して確認しなくちゃ落ち着かなかったり。
 
 
「ここ…は…?」
 
 
601話で語られた、神無毘橋の「続き」。 
神無毘橋の戦いのあと、目覚めたカカシとオビト・・・この2人が真っ先に確認したのも《ここは…?》ってことだった。
 
カカシは、場所はともかくとして・・そこにはミナト先生とリンがいた。 カカシの《ここは…?》の問いは、「自分の居場所」であるミナト班という安心できる答えで満たされた。だけど・・オビトの《ここは…?》の問いに答えたのは、得体の知れないジジぃの

「あの世との狭間だ… うちはの者よ…」
 
・・という、訳わかんない答えだった。 
 
あの世との狭間って…いきなり難しすぎて、分からないっての; おバカな私なんて、マダラのこの答えにすっかり踊らされて「は?もしや時空間」なんて頓珍漢な妄想を展開しちゃったけど・・オビトだって訳分からなかったと思う。少なくとも・・まだ、あの時は。
 
そして、次の「オレ…どこにいたんだ?」というオビトの「過去形の問い」にだけ、マダラ爺ちゃんは「オレの作った地下通路に倒れていた…」と答えてくれるんです、だけど…結局“地名”は言ってない。 
これじゃ、分かったような分からないよーな;具体的には何も分からない。
 
で、そのあと長々とマダラのジジイ語りが続くのだけど、オビトはタイミングを見計らってまた質問している。
 
「で・・・」
「ここはどの辺なんだ?」
 
年寄りってのは、話がどんどん逸れて本題を忘れちゃうってことをオビトはよ~く心得てるんですよね。さすが、木ノ葉のジジババなら全員知ってるだけあって、年寄りの扱いは上手い・・・ 話の途中、適当なところで話を「戻す」コツをよく分かってるんです。
だけどマダラにその手は通用しない・・・ 逆に「お前が傷ついたからこそ代わりに助かったものがいる… 違うか?」なんて鋭い事を言って、オビトのほうが話に引きずり込まれてしまう。で・・結局オビトが一番知りたかった《ここはどこだ?》という問いの答えは、得られないまま。
 
マダラ爺ちゃんは、徹底してオビトに“地名”を語らない。
 
オビトが一番知りたかったのは、具体的地名なんですよね、地名を知ることでココが木ノ葉からどのぐらい離れてるか分かるのだから。 ・・なのに爺ちゃんは一切答えてくんない。
別にこれ・・意地悪でもなく、ボケてるからでもなく、意図的だったと思っています。そしてマダラさん上手いな・・と思わされるのです。 あとになって、なぜマダラが「ここはどこなのか」教えなかったのか「具体的地名」を出さなかったのかオビトも分かるわけですが・・この時点では、マダラの意図なんて気付くハズもない。
 
マダラ爺ちゃんは、なぜ「ここはどこなのか」教えてくれなかったのか。
 
オビトは長いリハビリ期間中、具体的にここはドコなのか知らされないままで、ずっと悶々としてたと思うんですよ。 爺ぃはオネムだし、白ゼツグルグルコンビはず~っとあの調子だろうし、まともな答えは返ってきそうにない。 (というか彼らは、マダラから口止めされてたんだと思います)。
 
「ここはどこ」なのか知りたいという思いは、出口を塞がれて軟禁状態にされることで余計に強くなるだろうし、白ゼツとグルグルが「バカカシとリン」の話を出してきてオビトの望郷の念を刺激する。
さらにさらにオビトの「ここはどこかを知りたい思い」だけが大きくなり、答えが知らされないまま、ただ時間だけが過ぎていく・・・
 
「知りたいことがどんどん増えるわね…それはいいことよ 人は知りたいという欲望から逃れられない」
 
・・・これは大蛇丸がカブチョに言った言葉ですが、人間ってのは『知りたい』という欲求は大きいんですよね。そして、大蛇丸はカブチョ少年の純粋な「知りたい」という欲求をうま~く利用していく。
 
オビトの「知りたい」という欲求を上手く利用したのはマダラ爺も同じだと思うんです。
 
「ここはどこか知りたい」ってのも、自分の居場所を確かめたいという人間の基本的な欲求だと思うし・・隔離された部屋の中にいればなおさらのこと、「知りたい」思いは募っていく。
 
ここはどこなのか知りたい。
早く外に出て、ここがどこなのか確かめたい。 
教えてもらえないなら自分の眼で見て確認したい。
…一日も早く「リンとバカカシが待つ木ノ葉」に帰るために。
 
《オビトにここはどこだか知りたい思いを募らせておく・・そして自分で答えを確かめさせる》。
 
それこそがマダラ爺ィの狙いだったと思うんです。「答え」は自分自身で見つけさせないと、ダメなんだと思うんです・・・与えられた答えなんてのは、すぐに「違うんじゃないか?」と疑い始める。だけど自分で見て感じて悟った答えってのは、確信に至る。 それは長い間、同胞や下っ端(子孫)に裏切られ続けたマダラが経験で覚えた『やり方』なんじゃないかと思うんです、だからマダラ爺ちゃんはオビトの「知りたい」欲求を高めておいて、自分で答えを見つけさせようとしたのだと思うんです。・・・「ここだけが別世界で、一歩外の世界は地獄だ」っていう答えを。
 
そして、《ここはどこだ》という答えを得られないまま…オビトはついに外に出る日を迎えるわけです。
・・とは言っても、結局オビトは自分がドコに居たのか分からないまま、そして向かう先も具体的地名を知らされないまま、ただ「ぐるぐるナビ」にお任せ状態。 オビトは現在位置が分からないまま進んでいったんですよね、早くリンを助けたい、カカシを助けたいというそれだけの思いでいっぱいで…。
だけど、やっと辿り着いて自分の眼で見たものは… とてもじゃないが認められないものだった。

「ここは…一体…どこだ?」
 
オビトはふと、あの問いに戻るんです…最初に目覚めた時に抱いた疑問に。
そういえば、自分はどこにいるのか分からないままだった…
 
はじめは「この場所」だけが地獄なのかと思ったんだろうけど…(おそらく)木ノ葉の額あてを見てしまった時に、オビトは衝撃を受けたと思うんです、自分の本当の居場所である「帰る場所である木ノ葉」でさえ地獄だった、と分かってしまった・・。 つまり、現実世界全体が地獄だったということ・・・
 
だから、ここは~隠れの里だとか~半島のン丁目なんていう地名、つまり「場所の名前」なんてのも全く意味が無い… 全部“地獄”であることに変わりは無いのだから。
 
この世界に存在する以上「どこにいるか」なんてことは関係ない。 
どこにいようと、答えは1つしかない・・・地獄だってこと。
「地名」なんて、もはや意味が無い。・・・だから、マダラ爺は「地名」など答えなかったのだ。
 
この時、オビトは「ここはどこなんだ?」という“地名を訊ねる質問”が いかに無意味だったか気付いたんじゃないだろうか。 そして、マダラが言っていた「あの世との狭間」という意味も分かったんじゃないだろうか。
抽象的な表現としか思えなかったあの言葉こそ、実は「明確な具体的な答えだった」ということに。
 
この現実世界に在りながら、隔絶されたあの空間だけが「地獄ではない」・・・
生と死の存在する世界の外に居るといわれる外道が鎮座するあの場所だけが「地獄では無い」ということ…
現実こそ地獄なら、たしかにマダラ爺がいた場所は「あの世との狭間」だった…。
 
こうして、目覚めた時に最初に浮かんだ《ここは…?》の答え、あれだけ知りたかった答えを、ようやくオビトは自分の手で得たことになる・・・
 
 
マダラ爺が《オビト自身に見つけさせたかった答え》・・・
 
「そうか・・・ オレは・・・ 地獄に居る」、という答えに。
 
長い時間をかけ、自分の眼で見て、感じ、そして辿り着いてしまったのだろうか… 
マダラ爺の「知りたい願望を利用するテクニックに乗せられた・・とは思わないまま・・・
 
 
 
 
 
 
☆長駄文読んでくださって、感謝。