NARUTO 657:うちはマダラ、参る 3
(その2の続きです)
そして、この後の「マダラとサスケ」のやりとり(駆け引き)が実に面白いんです。マダラの「相手の心理を利用するテクニック」を見ていると、やはり遺物と砂利の「差」はあるんですよね。
「それこそこちらのチャンスだ」
「これで確実に殺して あの世に送り返す事ができる」
「穢土転生のままが良かったと… 悔やみながら逝け!」(サスケ)
サスケの「悔やみながら逝け!」なんですけど、サスケって決着をつける時に「口上」のようなセリフをよく言いますよね。 大蛇丸にも「反吐が出る」等々、軽蔑する言葉を長々と語っていたし、イタチにも《雷鳴と共に散れ》とか…そしてマダラに対しては《悔やみながら逝け》。
ナルトが「決着をつける」時は、自分の想いをストレートに叫んでぶつけることが多いですよね、「~~~だぁぁ!」みたいに。それは「螺旋丸」という術が相手に飛び込んで行って「直にぶつかっていく術」だからこそなのかもしれません。が・・サスケの場合は「斬りつける(突く)」攻撃、つまり《バッサリ》攻撃が主体の「非情にならなければ」出来ないような攻撃法。本来サスケという子は性格的に「優しい」ところがありますから、非情になりきるためにも「冷酷な口上」が必要なのかもしれません。
だいたい、今までサスケが「憎しみにとらわれたような言葉」を語った時ってのは、無理してでも「非情にならねばならない」時でした(大蛇丸やイタチとの戦いの時、カカシと再会した時、香燐を置いていかねばならなかった時など)。
だからサスケが「冷たい口上」を言う時というのは「なかなか非情になりきれず、戸惑いを感じている」時・・・心のどこかに「揺れ」がある証拠だと思うのです。
つまり、サスケがマダラに「悔やみながら逝け」なんて言ったのも、いや「言わなければならなかった」のも、(たとえ旧時代の遺物とはいえ)同じうちは一族であるうちはマダラを「斬る」ことに、サスケはなんらかの「心の痛み」を”無意識に“感じていたんじゃないだろうか。
そしてマダラは、サスケのそんな「小さな心の揺れ、痛み」すら見抜いていたと思えるのです・・・
(マダラはサスケの刀を腕で受け、しっかりと握り、眼をつむったまま語る・・)
「・・・!」
「感じるぞ…その万華鏡は……直巴(ちょくともえ)」
「道理でいい動きをする」
「オレの輪廻眼が帰って来るまでの間… お前の眼をいただくのもいいかもしれんな」
ワザとサスケの刀を受け止めてますねマダラ・・。そして「ここから」が巧いのです。サスケの《心の揺らし》に入っていく・・見事に揺らしていく。
おそらく、マダラはサスケの「必死な攻撃」と「必死な口上」に、既に「揺れ」を感じ取っていたと思うのですが、それを実にうまく利用してくる。
《直巴》という気になるワードをちらつかせる事で・・
その「直巴」なんですが・・まだ説明がないので推測でしかありませんが、「巴」とは写輪眼の勾玉模様、そして「直」という言葉は「まっすぐ、曲がってない」という意味だから、「直巴」とは(そのまま解釈すれば)『本来曲線を描いている写輪眼の勾玉(巴)模様が「直線」になっている事』を指すのでしょうか(もちろん「直」には直系などの意味もあり、単純に紋様を指すとは限りませんが)。
サスケの今の万華鏡写輪眼の真ん中にある本来の「巴」は、手裏剣のような真っ直ぐな直線になってますが、これの事なのかな(イタチの万華鏡模様が真っ直ぐになったもの)。
だとしたら《直巴》の万華鏡といえば、イズナ、シスイ、オビトの万華鏡写輪眼・・・これらはいずれも巴部分か「直線」になっているので 《直巴》にあたるのでしょうか。で・・イタチ、マダラの万華鏡は曲線型なので《直巴》ではないという事になるのかもしれません(曲巴?)マダラよりもイズナの眼の方が優れてたのかな・・
そして本来「直巴」ではなかったイタチの眼も、サスケという新しい宿主を得たことで「直巴」となったという事になる・・・イタチはそうなることを分かっていたのかな。
なぜ「直巴」のほうが「動きがいい=よく見える眼」なのか理由は不明ですが、たとえばサスケの万華鏡もイタチの眼を得た後で動体視力が格段にアップしてます。
例えば五影会談時、サスケの万華鏡はまだ雷影のスピードにさえついていきませんでしたが(天照をかわされ、後ろにいた侍に炎がついてしまった)、イタチの眼を得た後(「直巴」になった後)、十尾の人柱力オビトの超高速スピードさえ眼で追う事が出来ていた・・・すさまじいほどの「動体視力」、それが 《直巴》の能力。
マダラが「道理で・・」といった所以なのかもしれません。
そして、優れた動体視力・・それこそ、うちはの高み「鷹の目」なのかもしれません(かも、という話)。
それを聞いたサスケの「表情」ですが、さっきまでの「覚悟を決めた」険しい顔じゃなくなってるんですよね。一瞬とはいえ、表情が柔らかくなってる…それはおそらく「直巴」という言葉を聞いたからだと思うんです。
もしサスケにとって「直巴」という言葉が初めてだったとしたら、自分の眼は「特別」なのか・・そして「直巴」とは何なのか、いろいろな疑問が頭を駆け巡ったのかもしれません。初耳だとしたら・・気になりますよね、当然。
その「道理」を知りたくもなる。
このあとマダラは「殺すには惜しい眼」だとか「同じうちはの生き残りとしてオレと組む気はないか?」なんて言ってきますが、それを聞くサスケの表情が、これまた「きょとんとしたような」ちょっと驚いたような、とにかく敵意を向けた顔じゃあないんです。 それはマダラが「スカウトしてきた」ことへの驚きというよりは、「うちはの頂点を極めた″眼"が、サスケの眼を高評価してきたこと」への驚きだったんじゃないだろうか・・・そしてサスケだって、正直それは悪い気はしなかったかもしれない。まさかの「マダラからの高評価」・・・しかも「直巴」という気になる言葉。
サスケはすぐ我に返って「勘違いするな お前は死んだ人間だ」と言い放ちますが、マダラは「まあいい… どのみちお前に残された時間は少ないぞ」と(また《まあいい…》を言いましたな、マダラさん)。
今回の《まあいい…》は、サスケに仕掛けた「揺さぶり」が巧くいったという「手応えあり」の自信からの言葉だったかもしれません。
「同朋」を斬ることに多少なりとも迷いを持つサスケに、サスケの眼を高く評価したうえで「直巴」という気になる言葉をちらつかせ、マダラはサスケの心を「揺さぶった」んじゃないだろうか(と思うのです)。人間、やっぱり《知りたい願望》からは逃れられない・・・
たとえマダラに対して「オレが決着を」という強い決意を持っていたとしても、サスケはマダラから《直巴の万華鏡の秘密》を聞き出すまでは「殺せない」・・・
そして「知りたければ」マダラのそばにいる必要も出てくる。
「まあいい」なのは、これだけ餌をまいておけば、結局サスケは「こちら側に来る」という計算がマダラにはあるのかもしれません。
まさに「知りたい願望を利用したテクニック」・・
「知りたい願望を利用したテクニック」といえば、大蛇丸がカブトをスカウトした時にも使った手段ですが、マダラも過去にオビトに対してこのテクニックを使っているのです(※過去記事「マダラの知りたい願望を利用したテクニック」)…
「ここはどこ?」という少年オビトの質問に、マダラ爺は一切答えない。そしてマダラはオビトの「ここはどこなのか」知りたい願望を散々募らせておき、最終的に「ここは地獄だ」という結論に導いて手なずけたのです。
そして、今度はサスケの「知りたい願望」をくすぐっている…
さらに「火遁・灰塵隠れの術」で姿を消し、サスケの前から立ち去る・・・おそらく次はサスケのほうから来るのを待つつもりなのでしょう。こういうところも、なかなか「狡猾にして巧い」と思わされるのです。さすがは「遺物」・・・
(その4へ続けます、黒ゼツ(黒十尾?)とマダラ、そしてオビトとグルグル(白十尾?)のことなど・・)