ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 665:今のオレは 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ13号) その2

NARUTO 665:今のオレは その2

 
(その1の続きです)
 
「アンタに話がある」と言って、オビトは一体何をマダラに話すのかと思えばいきなり…
 
 
『アンタにとって… オレは何だ?』
 
 
うぐっ…いきなり、単刀直入な言葉っすね…。
 
こんなセリフ、男女間や親子間だったらドロドロしそうですが(笑)…
オビトのことだから“選りすぐって”この言葉を使ってきたんじゃないかと思うんですよね…これがマダラにとって「突っつかれたくない核心に触れる言葉」であり、マダラの腑をグイッと引っ張り出す「切り口」として一番効果的なのかもしれない。
 
マダラとオビトの《繋がり》とは何なのか…マダラにとってオビトとは何なのか。
 
 このあと、マダラはひたすら《オレにとってお前はマダラ(の一人)でしかない》的な内容を繰り返していきますが、本当はマダラという人物は「他人を信じられない人ではない(どっちかというと人をすぐ信じてしまって騙される)」のかもしれないし、「他人を利用する事に心を痛めない人ではない」ことを、オビトは分かってるんじゃないだろうか…だからこそ、爺ちゃんと「本音の語り合い」をしようと決意したのではないか…と思います。
 
 にしても、オビトの《相手の本心に迫るようなストレートな質問》は、ナルトみたいと言いますか…本来のオビトらしさ溢れる言葉です。まるで、鉄の国国境でのナルト(サスケに「話がある」と言って向き合ったナルト)を連想させるし、それに波の国でのナルト…再不斬に「お前にとって白は何だったんだ」と詰め寄ったナルトを思い出します。
 忍と言えども、最後まで捨てられない大切なものは「繋がり」なのだと…(オビトだって結局はそうだったわけだし)、オビトはマダラにも《一番大切だったもの》を思い出してもらいたいんじゃないだろうか?
  
で、マダラは何と答えたのか…
 
「クク…冗談はよせ 今さらくだらない事を聴くな」
 
《クク…》とあざ笑ったり、《冗談》と言ったり、《くだらない》と言ったり…こんな短いセリフの中で、いきなり3つも大袈裟な《否定》を入れて「却下」する…(※《今さら》も否定的な言葉だから、4つですね)、 つまりそれだけ「ドキッとした」って事、内心「かなり焦った」って事じゃないか?と思うんですよね。だって、もし本当に何とも思わなかったら、「はぁ…?」程度の反応だと思いますから…
 
 そして、ちょっと違和感あったのが《聴くな》の漢字が使われている事でして、フツーここは《聞くな》でいいと思うんです。もしかしたら「単なる間違い」でコミックスで訂正されちゃうかもしれませんが、一応現時点では意図的に「聴く」が使われていると解釈して読んでみます(今週もマダラのセリフ内の「つくる」にちゃんと「造る(創るじゃなくて)」が使われている事を考えると、意図的に「聴く」が使われていると思いたいのですがね…)。
「聞く」と「聴く」ではかなり表現されるものが異なってきますが(国語の作文的には「聞く」を使わないと×がつけられちゃいそうですが)、正直ここは「聴く」のほうが断然面白いと思います。
 
 もし「聞く」だったら…「聞」の文字には「分からない事を質問する」という意味が含まれるらしいので、ま…いわゆる普通の質問ですよね。オビトは「分からないから」マダラに聞いてみた、マダラのほうは「そんなくだらん質問するな」といった感じでしょうか。
でも、もし「聴く」だったら…「聴」の文字には「まっすぐな心で耳を突き出しよくきく」という意味があるらしいので、オビトは「真っ直ぐな心で単刀直入に…マダラに答えを求めてきた」、そしてマダラは「そんな事を正面から真っ直ぐぶつけてくるんじゃねェ」という動揺があった…という意味にも受け取れると思うんです。
 
 もちろん、読者は「漢字で読むことが出来る特典付き」ですが、このセリフを「耳で音として聞いているだけ」の当のオビトやここに居る人達には「漢字の違いは伝わってない」…ようするにマダラが「聴くな」を使った心理は読者だけが知ることが出来る訳でして…「聴く」には《こっそりと》マダラの本心が忍ばせてある可能性は高いと思うのです。
 
 つまり…「オビトが正面から真っ直ぐ突っ込んできた」とマダラは感じていて、そしてマダラは「正面からその問いに向き合いたくない」といった心理があるんじゃないか…(と推測)。だから、「聴く」のほうが断然面白いと私は思うのです(コミックスで訂正されない事を願うけど)。
 
 
そしてマダラは…
 
「お前はオレにとって他でもない」
 
「マダラだ」
 
「この世界を否定する存在がマダラだ」
 
「その思想を胸に行動し無限月読の計画を担う者は全てマダラでしかない」
 
 
《~しかない》って…これまたマダラ流の「かわし方」ですよね。
 
少し前、綱手に「繋がり」の話を持ち出された時、マダラは「弟が死んで残ったものはオレの両眼の瞳力“しかない”」と言ってましたっけ綱手は憤慨してましたけど)。 
《~しかない》でバッサリ話を終わらせるやり方は、「触れられたくない腑の部分から逃げる方法」じゃないかと思うんです。それが、マダラ式「因果を断ち切る方法」なのでしょうか。
 
「まぁいい…」が本当は「全然まぁよくない」であるように…
「~しかない」も、本当は「~しかない訳はない」…じゃないだろうか。
 
このあと長々続くマダラ爺の語りは(スイッチ入っちゃったじゃないか;)マダラが自分自身を納得させるための語りでもあるんじゃないかと思います(おかげで「チャクラ」の話とか説明して貰えて有難いのですが)。
オビトも、じじいの「スイッチ入った長い話」を止めずに聞いていますが、それは「ちゃんと向き合う」為なのかもしれません。マダラと向き合う為であり、そして「オビト自身の本心」とも向き合う為に。
 
 
そして《その思想を胸に行動し無限月読の計画を担う者は全てマダラ》の部分なんですが…
 
今まで《複数のマダラを名乗る人物》が登場していますよね…マダラ本人、オビト、鬼鮫が出会った人物、イタチが出会った人物等々…何が何やらで「マダラって何だってばよ」状態でしたが、今回の《その思想を胸に行動し無限月読の計画を担う者は全てマダラ》はその謎を解く「ヒント」じゃないかと思います。
 
 「マダラという名」について思ったことを、少し前の「天の配剤」記事で述べたのですが(一部抜粋)…「マダラ、曼陀羅、悟りの境地…宇宙を超えるような存在としての名前《マダラ》。 神の名前としての《マダラ》が、もはや「その名が力」として独り歩きしている感もあります。《マダラ》とは神の別名であるかのように…」そんなイメージなんです。 月の眼計画を担う者はすべて「マダラ」ならば…「マダラ」とは、己を犠牲にして世界を救う「救世主」ということなのかもしれません。 「救世主」と書いてメシアではなくて「マダラ」と読むという感じかな…やっぱりマダラの誕生日が《12月24日》なのは意味深いと思わずにいられません。
 
 そして、しばしばNARUTOに登場する「名前の意味するものの大切さ」というテーマ…マダラの場合は、自分の名前の意味するものにちょっと「こだわり過ぎじゃないか」とも思っちゃうんですよね。 
 その役割を果たすことが使命であるとこだわり過ぎて、もはやマダラ自身が「自分は本当は誰なのか」忘れかかっているんじゃないだろうか…? うちはマダラとは《木ノ葉の忍で、うちはタジマの息子で、イズナの兄ちゃんで柱間の友達で、オビトやサスケのご先祖》ってことを。
 
 
(そして、マダラとの過去を思い出す中で、“この世界を否定する存在がマダラだ“の言葉にリンを思い浮かべるオビト)
 
オビトにとってのリンは、ナルトにとっての両親みたいなものなんだなぁと改めて思います。ナルトにとって両親は「二つの太陽」であるように、オビトにとってリンは「この世界の希望」…
「マダラ」がこの世界を否定する存在なら、「リン」はこの世界を肯定する存在。
 オビトは「マダラの言葉」を思い出しながら「オビトとしての本当の気持ち」を確かめていってるんだろうか…そして今のオビトは「リンの意志」を大切にし、素直に自分の気持ちに従おうとしているんじゃないだろうか。
 
そして、マダラは「お前に全てを任せ先を歩かせてやった」とか「オレが示してやった道」とか言っていますけど、オビトはナルトが言っていた《火影ってのは痛ェーのガマンして皆の前を歩いてる奴のことだ》と比較して聞いていたんだろうか。 実際には、オビトは彼なりの「険しい道」を先頭になって歩いてきたと思うんです。…ズタズタぼろぼろになりながら、何度も死にかけながら。
でも、マダラはオビトの苦労を「無駄な寄り道」だと思ってるのかもしれないですね…その「過程」が大切だったということに、マダラはまだ気づいていない…。
 
 
「お前は目的達成の為にマダラとして天寿を全うするハズだった」
 
 
しかし「天寿」とは…「天」を使うところが相変わらず「マダラらしい」。
 
天寿って言えば《天から授けられた寿命、定命》…つまり「マダラの計画の為に命を捧げる事」だって、天から授けられた命を立派に全うする事だとマダラは言いたいのでしょうか。
 信心深いマダラは本気で、それが「天の意志」であり、「オビトの為でもある」と考えようとしているのではないかと思います。「考えている」んじゃなくって「考えようとしている」…。 
 オビトを自分の計画の為の「使い捨てのコマ」として使うことも「オビトの天寿」なのだと…マダラは自分自身を納得させようとしてるんじゃないだろうか。
そしてイズナの死、イズナの犠牲でさえも「天の意志を為すために仕方なかった」のだと…マダラは自分に言い聞かせてきたんじゃないだろうか(おそらく、それがイズナの意志でもあったのでしょうが)。
 マダラは、弟の死も「天の意志」「天寿」という言葉で己を納得させようとしたのかもしれませんが、でも…マダラは今もイズナの死を受け入れられずにいるんじゃないかと思います。 
 
 少し前の66巻637話、オビトが十尾の人柱力になる直前…マダラがオビトに「輪廻天生を使わせようとした時」(この時マダラは失敗したけど)、マダラは独り言を言ってましたよね…
 
オビト… お前はオレをよみがえらせるために手懐けておいた予備だと。
 
これ…マダラは《オレにとってオビトとは何だ?》という問いに自答していたんだと思います。自分に「言い聞かせるように」…
 そして、そんな冷たい事を言いながらも、あの時マダラが心の中で思い出していたのは…
 
(じいちゃんが助けてくれたのか… ありがとう)という、子供オビトの純粋な笑顔でした。 
 
「よりによって」あんな時に思い浮かべているぐらいですから…マダラにとって、あの時の「オビトの笑顔と、ありがとうの言葉」は、よほど大切な思い出なんですよね。 そして「こんな時によりによって」思い出してしまう…心が痛んでしまうから、《オレにとってオビトは計画の為の予備にすぎん》と必死に自分に言い聞かせていたんじゃないかな…。
だから…本当は「マダラにとってオビトとは」目に入れても痛くないぐらいの可愛い「子孫」なんだと思います。
 
 マダラは本当は「繋がり」を断ち切れないでいる…この世の因果をすべて断ち切れずにいる、つまりこの世界を否定する《救世主》には なりきれていないんじゃないだろうか。 マダラは「イズナの兄ちゃん」であることも、「オビトの爺ちゃん」であることも、忘れられないのだと思います…「本当は」。
 
 
オビトには、それが分かっているからこそ…あえて《アンタにとってオレは何だ?》…と“聴いた”のではないでしょうか。マダラの「腑」を引きずり出す為に… 
 
 
  
 
 
 
☆その3まで続きます(チャクラの事、マダラVSオビト、ミナト達のことなど)…長文すみません。
 
 
 
 『アンタにとって… オレは何だ?』←ここだけ「二重線の吹き出し」の理由が今一つ私には分からなかったんですが…分かる方、教えて頂けると有難いです