「呪い」からの解放について、思うこと・・・ (616話雑考追加)
616話のカラー絵の満月も綺麗だけど、今日も月を見上げながら帰ってきました。やっぱり冬の夜空は美しい・・・。 月の光って控えめだけど、優しくって心がすーっと癒される感じ。 NARUTO世界の月は 十尾を封印するためのモノだけど、十尾は世界の闇を照らしてきたのかなぁ・・。
さて・・・オビトも言っていた《呪い》ってことなのですが。
ネジの呪印は消え、アンコの呪印も消えて、カブトの《大蛇チャクラ》も抜かれて消えて。
この戦争は、全ての者達や魂たちが呪いや縛りから解放され、尾獣も解放され、全ての者達が本来の自分を見つけ戻っていく戦争じゃないかと思ってます。解放戦争とでもいうのかな・・。
今、“暁”アジトで柱間細胞の中に突っ込まれているヤマトだって、戦争が終わる頃には《柱間成分》がすっかり抜けてちゃっているんじゃないのかなぁ・・なんて思っているのですがね。
でも、体に刻まれた呪印とか他人の成分とか。 そういうモノは《消す》ことが出来るけど、心に刻まれた呪印・・心の傷ってのは、なかなか消せるモンじゃあないと思うんです。 だから、オビトが言う「その繋がりが今のオレを作ったのだ それは強い呪いでもあることを知っておけ・・・!!」というのも、わかる気がする。
ミナトがナルトに言った事・・・
「大切なものを救おうとすることで戦いが生まれ 愛が存在し続ける限り同時に憎しみが生まれ 憎しみに忍が利用される」
「この忍のシステムがある限り 憎しみというバケモノはまた新たなペインを生み出していく」
「この世に忍のシステムがある限り 平和な秩序はないのかもしれない」。
これって《つながりは呪いにもなる》というオビトが言ってる事と同じだと思うんです。愛情があればこそ、心に深い傷を負い、繋がりを大切にすればこそ、憎しみが呪いとなってしまう。
ナルトは「想いを繋げる」という答えを出したけど、サスケは「イタチの弟だからこそ、イタチが里を守ろうとも・・・オレは必ず里を潰す」という、ナルトとは逆の答えを出してますよね。 ナルトが言う「死んだ仲間の想いを繋げる」ってのも分かるし、サスケの「イタチを大切に思うからこそ、イタチを犠牲にした里が許せない」という気持ちもわかる。 う~ん、心の傷とどう向き合って行ったらいいのだろう・・・?
「つながり」ともなるし、「呪い」ともなる「心の傷」。
で・・・今日はアニナルを見てたんですが(地域によって放送内容が違いますが)今回は我愛羅と父様の話で、私はあの夜叉丸の言葉が大好きでして・・・
《ただ一つ心の傷を癒せるものがあります ただこれは厄介な薬で他人からしかもらう事ができません》
《愛情です》・・・
これ、心の傷を「治せるもの、消せるもの」と言わずに「癒せるもの」と言ってるところがいいと思うんです。
愛情だって心の傷を消したり治せるわけじゃない。 過去の悲しい出来事を変えることは出来ないんだし、無かったことには出来ない。だけど…癒すことなら、出来る。
カカシが言っていた、心の傷と向き合う事・・・一生治る事のない傷を、毎日のように見つめ直し、痛みを感じること。 これってかなりハードな事で、人によっては傷と向き合ううちに「憎しみ」が生まれ、復讐になってしまうこともある。だけど、カカシが毎日あれだけの「傷」と向き合いながら、それが「呪い」とならなかったのは何故なんだろう。 大切な仲間を死に追い込んだモノに憎しみや復讐の気持ちを持たなかったのは、なぜだろう。
あれだけ心の傷を掘り返して嘗め尽くすような事をやっていて、なぜ心の傷を《大切なつながり》として守ってこれたんだろう。
それは・・・周囲の愛情があったからなんだろうか。 カカシは家族もいなかったし孤独に見えるけど、それでも(はじめは)ミナトがいたし、ガイがいて・・そして同期達があんなに沢山いたんですよね。 彼らがカカシの事を心配し支えてきたんじゃないだろうか・・・。ガイがカカシを見るまなざしなんて、実に愛情に溢れてまくっているし(って、変な意味じゃなくって。要するに友情)。
サスケも、イタチに再会したことで愛情を貰って・・既に傷は「呪い」ではなくなってると思うんです。でもマダラとかオビトの心を癒してくれる人はいなかったのかなぁ。 オビトにもあれだけ同期がいるんだから・・と思うんですけどねぇ。
やはり夜叉丸が言ったように、心の傷を「癒す」ことができるのは・・・愛情だけ。
いつまでも仲間とのつながりを忘れない為の「傷」。 それを治す(消す)のではなくって・・・癒すための「愛情」。どちらも大切なもの、必要なものなのかもしれない・・・。
☆駄文読んでくださって感謝。
(ナルト好きブログ! 2013/01/24)