NARUTO №616:忍び舞う者たち その3
(その2の続きです、これでラストです・・・長文すみません)。
(ガイ) 「リーよ・・・ 我らがネジの想いを捨てぬかぎり ネジは我々の中で繋がり生きている・・・!」
(オビト) 「・・・・・・ お前らにいいことを教えてやる・・・」
「その繋がりが今のオレを作ったのだ それは強い呪いでもあることを知っておけ・・・!!」
ガイが「教え子」の死にどう反応するのかと思ってたんですが・・・彼は毅然としてますねぇ、号泣するリーのためなのだろうか。嬉し涙は人目を憚ることなく流す人だけど、悲しい涙は見せないのだろうか・・・うーん。
オビトが言う「呪い」。
614話の雑考で、『仲間を大切にしない奴は・・・それ以上のクズだ』というオビトの言葉は、リンを守れなかったカカシとオビト双方にとって 呪印(呪い)のように重くのしかかっていたのではないか?と書いたのですが・・・
でも《カカシにとってオビトのあの言葉は、本当に呪印のようになっていたのか?》と、その後もずっと考えてました。
カカシが慰霊碑前で己を戒めている姿は、傍から見たら、一人で重荷を背負い、過去の呪いから解放されずにいる姿に見えたと思うんです。 それにペイン戦で一度死んだ時だって、「リンを守れなかったオレだ・・お前との約束を破ってばっかりだが・・・ 許してくれ」と言っていたぐらいだし、カカシはず~っと己の責任と罪の意識の重さに「堪えて」きた人だと思ってたんです。 だから、こっちのほうが居た堪れなくなっちゃって、(早くオビトに再会して直接話をして、お互いに気持ちを楽にしちゃいなよ~!)なんて思ってたんです。
オビトだって、カカシが毎日のように慰霊碑やお墓に懺悔に来ているのは辛かったと思うんです、自分が託したモノ、託した約束のせいで カカシが一生苦しむことになっちゃったのだから。まさに思いを繋ぐ作業である託す、託されることが、オビトにとっては「呪いの鎖」になっていたのかもしれません。《託す側も、託される側も虚しいだけ》だと・・(そして、思いを繋ぐ呪いに縛られているのは、マダラさんも・・)。
だけど615話のヒナタの言葉を読んでいくうちに、カカシにとっての慰霊碑参りと墓参りとは《大切な仲間の想いと言葉を忘れないように繋いでいく作業》、つまり、彼らを《生かし続ける作業》だったのではないかと思えてきました。 カカシが慰霊碑通いをしていたのは後ろ向きな事ばっかりじゃなく、逃げずに己と向き合うため、そしてその“傷”を忘れないためだったんですね。 そして・・・「仲間は絶対に殺させやしなーいよ(ニコっ)」のあの言葉も、あの笑顔も。
「ナルト・・・・」
「オレが言ったんだよな お前に・・・ 「仲間は絶対に殺させやしない」と 」
「アレはな・・・ オレ自身に言い聞かせた戒めでもあるんだ」
「・・・オレは今まで多くの仲間を守れなかった」
「だから今度こそ仲間を守ると口にする・・・ だがその度に仲間を守れなかった事実を見つめ直すことになる」
「その“傷”と・・・一生向き合っていくことになるんだ・・・」
カカシは、リンだけじゃない・・・多くの仲間を守れなかった。
ナルトは、仲間一人救えねェ奴が火影になんかなれるかよ、なんて言ってたけど、火影候補にもなったカカシは現実に・・・多くの仲間を守れなかった。だからって・・カカシはダメな奴なんかじゃない。
カカシが言う「仲間達の死に様を守る事」とは、彼らの死に様を心にずっと残し、毎日見つめ直し続けるってことだったんだろうか。 カカシが派手に遅刻するのは、戦いが続く限り・・・カカシが「守れなかった仲間」の数、そしてカカシが向き合っていく「命の数」も増えていき、己を戒める時間も長くなってしまうからなのだろうか。
でも、カカシはそれを「重荷として堪えてきた」のではなく、「1つ1つ大切に繋いできた」んだろうか。
かつて・・・波の国でカカシの「仲間は絶対にころさせやしないよ」の言葉を聞いた時、ナルトは素直に《カッコいい》と思ったかもしれません。だけど今になって、あの言葉の本当の意味、そしてカカシの「想い」も知って・・・ナルトは、カカシ先生の《本当の意味でのカッコよさ》を初めて知ったんじゃないだろうか。
本来なら、誰だって忘れてしまいたい、見たくない、過去の自分の失敗・・・永遠に癒えることなんてない傷。
それと毎日、毎回自ら向き合う。 逃げないで《バカだった自分》と正直に向き合って、それを受け入れる。
イタチは、生前《本当の自分を見つめ直し認める事ができなかった》と言っていたけれど、カカシはそれを毎日毎日やってきた・・・・それって、古傷を抉りだしてワザと「癒えない傷」にしてるようなモノだから、ホントにホントにしんどい事だと思うんです。だけど、カカシはそれでも・・・・己を見つめ続けてきた。なかなかできる事じゃないと思うんです。
慰霊碑に佇む「落ちぶれた英雄」の姿を晒すとか、空々しくも聞こえる「仲間は絶対に守る」という言葉を口にするなんてのは、けしてカッコイイことじゃない。 だけど、そんな「どこか情けなく見えたカカシ」とは、実は・・・一生傷と向き合う覚悟を決めた、強靭な意志の持ち主だったのだと思います。そして、それが・・・「いつも遅刻してくる、やる気が無い顔した先生」の真実の姿なのかもしれない。
NARUTOが始まってもう十数年・・・やっと明かされつつある、本当の「カカシ」の素顔・・・
カカシの言葉に、横に並んだナルトが言葉を重ねていく・・・・
「だから忍び耐える者・・・ 忍者なんだろ オレ達は」
「忘れさせてなんかくれねーよ」
「・・・そもそも その傷が 仲間がここで生きてるってことじゃねーのかよ・・・」
「夢の中で自分が傷つかねーよーに作った仲間なんて本物じゃねェ・・・ それって本物の仲間を消すってことだろ・・」
「呪いだろーが何だろーが」
「オレは本当のネジをここに置いておきてェ!!」
ナルトがカカシの言葉に「重ねた」のは、おっと・・・カカシの見せ場を奪ったと言うなかれ。それは、ナルトもカカシの想いをちゃんと受け取って、そして“繋いだ”ってことだと思うんです。
そして、ナルトがカカシの想いを「理解」できたのは、カカシ先生の「背中」からカカシの想いを学び取っていたからじゃないだろうか。
いつだってナルトにとっちゃ、カカシ先生の背中は必ず守ってくれる盾。口先だけなんかじゃあない・・・頼もしい、そして優しい背中に見えていたと思うんです。 たくさんの想いを心に繋ぎ、己と向き合ってきたカカシの背中から、ナルトは沢山のモノを知らず知らずのうちに受け取っていたんじゃないだろうか。男は・・・背中で語るんだなぁ(笑
そして・・・カカシが“傷”と向き合う行為は、忍び「耐える」もの・・・
雑考その1で書いちゃいましたが、「忍び堪える」と「忍び耐える」は似て非なるモノ・・・
ナルトがカカシの言葉に重ねて「忍び耐える者」と言ったのは、カカシの生き様が「堪える」・・・つまり仲間を守れなかった罪悪感の“重さに忍び堪える”のではなく、 「忍び耐える」・・・つまり『守れなかった仲間の想いをずっと切らさず、つなげ続ける、“忍び耐える”』だと理解できたからなのだろう、と思います。
次の世代であるナルトに、自来也とカカシの想い両方が繋がっていった・・・ってことなんじゃないだろうか。
「忍び堪える」忍の生き様・・・これは自来也だけじゃなく、今までの多くの忍達の生き様でもあったと思うんです。 だけどそれは時に「堪え難い重さ」となり、忍達を縛る呪印の鎖にもなっていたかもしれません。
でもカカシ、そしてナルトへと未来に繋がれ、想いを繋げる「忍び耐える」生き様に変わっていくのでしょうか。 それは・・・忍達が解き放たれ、大空に舞いあがる事を意味するような気がします。
忍び堪える時代から、忍び耐え、さらに「忍び舞う」時代へと。
忍達が本当の意味で古い忍システムの「呪い」をぶっ潰して解放され、心を取戻し・・・ネジが望んだように、大空に高く舞い上がるようになれる時は、あともう少し・・・でしょうか。
☆長駄文、読んでくださって感謝 (長くなっちゃってすみません)。
☆カカシが向き合ってきた「心の傷」だけど・・・
傷は《仲間を守れなかった悲しい記憶》だけじゃあないハズなんですよね。カカシの左顔に一生残る傷、そしてオビトの右顔に一生残る傷、それらはお互い命懸けで守りあった、言葉を行動で証明した「勲章」・・・でも、それを2人とも忘れちゃいないか?と思うんです。互いに心の傷を共有し、体の傷も共有する・・・その傷が、2人の想いも繋いでくれるはずだと思っているんですけどね。
☆オビトの過去回想が終わるまでの間、ずーっと続いていた“岩がゴゴゴ・・・と上がっていく背景”は、神無毘橋のあの日の逆再生しているかのようでした。 そして今度の背景は第二幕・・・“木遁の挿し木が突き刺さる、あの日の地獄”・・・次の舞台に転換しています。2人が「心の傷」に向き合い、あの日断ち切ったつながりを、再び取り戻す時も・・・もう少しでしょうか。
☆どうでもいいんだけど・・・カカシのベストの傷、描かれないことが多いなぁ・・・ 「かすり傷程度」のエックス斬りだった、ということかな;
(ナルト好きブログ! 2013/01/21)