ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 690:忍者の…!! 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ40号) その1

NARUTO 690:忍者の…!! その1

 
スゥー… 
 
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何故だ
……!!!??
 
《なぜ》に加えて、その後に続く《……》の沈黙、そして《!》と《?》が幾つも積み重ねられた《何故》。
 
封印される刹那の《またしても》と《何故だ》は、再び絶望の淵へと落とされるカグヤの深い嘆きに聞こえて…とてもじゃないが、これで《めでたしめでたし》とは言い難い。 今までナルトがしてきた「闘い」とは、こんな「戦い」じゃあなかったはず…でしょ?
 
でも、ナルトは嬉しそうな顔で「封印終了!!これでめでたしめでたしだってばよ!!」なんて言ってるし、サスケでさえ「終わったな」なんて言い、サクラもやっと安心した顔を見せている…。 
第七班が見事なチームワークを見せてくれた事はとても嬉しいのだが、これで「終わり」と幕引きを図る事に、正直なところ私は素直には喜べない…この仮の「解決」は、本当の意味の解決とはほど遠いと言わざるを得ないです。
 
何だかなぁ…カグヤと黒を封印し終わった時のナルトの表情(ジャンプ66頁)が、終末の谷で『マダラを後ろから貫いた時の柱間』(65巻)の表情と被って見えるんです…
 
でも、一番よく「分からない」のはハゴロモなんですよね。ラストに、彼は「よくぞ世界を救ってくれた」とニコッと微笑みさえ見せてるんですが…えっ、爺ちゃんホントにこれでいいのか? と思ってしまった…
本来なら、今回のお話は《スッキリ後味さわやか》な「いい話」のハズなのに、何故だか読んだ後に「後味の悪さ」が残ってしまった…このモヤモヤな違和感は、一体何なんだろう?
 
 
・ 《六道 地爆天星》
 
ナルトとサスケが《コクン》と頷き合って施したのは、《六道 地爆天星》。
 
ナルトの右手に預けられた陽(日)と、サスケの左手に預けられた陰(月)の力が合わさって、カグヤの額にある神樹の眼が《スゥー…ズン》と左右から扉を閉じるように封じられると、カグヤの体から出た十尾の中から尾獣達が出され、ウサギ婆と十尾の抜け殻(外道魔像)は地爆天星の「核」となり、大地から吸い上げられた岩石で封印されていきますが… 
間際でウサギ婆が「ウッ…」と吐き出したのは「マダラ」でした。
 
マダラ…どうやらご無事なようで。
 
ウサギ婆がマダラを吐き出したのは、制御できなくなったせいなのか、あるいは…前の封印の間際にカグヤが「黒を生み落した」というのも、これと同じような事だったんだろうか。
 
ところで「地爆天星」…登場するのはこれで4回目ですね。
 
はじめはペイン長門が《かつて六道仙人が月を作った術》として披露し、九尾化したナルトを封印しようとして… 
その後、穢土転長門が再び使ってきましたが、その時はこの術が「核」に強力に吸い付けられる術である事が確認され、しかしこの強力な術にも「穴」がある事をイタチが教えてくれましたよね。
さらに無限月読開始直前に、六道マダラが地爆天星を使った攻撃をしてきましたっけ。
 
過去3回にも及ぶ六道の「地爆天星」の描写…いずれも《驚異的な威力》を示すものではありましたが、同時に地爆天星には《意外な脆さもある》という事も描かれておりました。
 仙人化したナルトは地爆天星を打ち破って出てきたし、ナルト・ビー・イタチの共闘でも地爆天星を打ち砕き… マダラの多数の地爆天星もナルトとサスケはあっさりと対処していた。イタチは「どんな術にも穴がある」と言っていましたが、地爆天星は案外と「もろい」…かつてのマダラだって、六道仙人が地爆天星で封印した外道魔像を「口寄せ」で出しちゃいましたもんね。
 
たとえ今回のナルト×サスケの地爆天星が強力であったとしても、それが絶対とは思えない…今までの地爆天星の描写を見る限り、かなり不安が残ります。
 
 
(こうなっては仕方ない… また次の母復活へ向け…)  (黒)
 
今回の母復活の為にも、黒はとんでもない「永い」時間をかけて待っていたハズですが、なのに「仕方ない」とか「次」なんて言えちゃうとは… その「次」が何百年先なのか千年後なのか分からないというのに。 とにかく“時”に対する感覚が、人間とは全く違うのでしょう。 ン百年ン千年かけるに価する「壮大な計画」とは…黒が言うところの「母」とは“本当は”何なのだろう…。
 
 
以下ちょっと長いですが、ナルトと黒の会話から…
 
「そういや…お前 親離れしたくねーんだったな」
「!!」 「き…貴様…!!」
 
「今までずっと陰に隠れてコソコソしてたお前の事だって 見のがしゃしねーよ!!」
 
「お前など…‼ ただオレの創った忍の歴史の一部! 
お前の様なガキにオレは――」
 
「……」 
「忍の… 歴史つーのは… いろんな忍者の生き様と…死に様だ!!」
 
「!!?」
 
「親離れもできねェーガキ一人が カン違いしてんじゃねーってばよ!!!」
 
(ナルト、黒をブッ飛ばして地爆天星に封印する…)
 
 
・まずは、ナルトが言った《忍者の生き様と…死に様》ですが。
 
今までの忍は「死に様」だけだったのに、ナルトが「生き様」も加えてくれた事は素直に嬉しいし、ナルトだけじゃなく他の忍達も「己の生き様」を肯定できるようになった事…これは忍の意識改革の上で「大きな変化」が起きている証拠でもあると思います。
 
リンがオビトの「遠回り人生」を「よく頑張った」と労ったように…ナルトは忍達の「迷ったり悩んだり、失敗して遠回りした生き様」を「かっけー」と思ってる。ナルトが思い浮かべている忍達は、悩みながらも懸命に生き、己を貫いて死んでいった、歴史を創った「かっけー忍達」…
 
黒は自分でシナリオを作り、コマである忍に演じさせ、それを録画し「忍の歴史」という作品を撮った映画監督になったつもりなんだろうか。でも、それはナルトが言うように黒の大いなるカン違いだし、そして「驕った」行為ですよね。
「忍達の歴史」は、誰かに筋書きを決めてもらうモノでもないし、誰かの指示通りに生きて作っていくものでもない。自分達で考えて、自分で答えを出していくことで創られる…忍自身で創るものです。
 
でも一方で、忍達の多くは「誰かに筋書きを決めてもらって、その通りに生きてきた」のも事実なんですよね・・例えば「うちはの石碑」。
 
黒が「うちはの石碑」を嘘で書き換えたのが事実だとして、それをうちは一族が「信じてそのまま行動に移した」のだとしたら…黒が行った事は許しがたい事ですが、それを盲目的に信じた忍も、もはや己の基準を無くし「何かに頼りっぱなし」という“親離れできてない子供状態”にあった事になります(うちは一族が、そこまで『愚か』だったとは、あまり思えないのですがね…)。
 
 
・「親離れもできねェーガキ」について。
 
黒の「道標」を嘘で書き換えて騙し、一本道に誘い込やり方は「イタチがサスケにやった方法と同じ」でもあるように…今まで忍達が「親心」で子供達を守るためにやってきた事でもあります。 
「親」が子供の為に「道案内」を遺したのは「子を想う気持ち」からでしょうが、それが「過保護、子離れできてない親」を生み出し、創られた掟やら恩賞などの「道案内」が忍達に「己」を失くさせ、己を見失わせる結果になっていったのは皮肉なものです。
 
黒が「嘘で道標を書き換えつつ自分のシナリオに導こうとした」のも、忍達を「ガキ扱い」していたからですよね。忍は自分では何も決められない、己の価値観を持ってない…忍達は己を肯定できず、己の基準というものを持ってない…そこに問題があったんだと思います。 『掟と勲章』が象徴するように「誰か上の人が決めてくれないと」行動できない忍とは…「親離れできてない子供」ってことでもある。
 
ナルトは、「カグヤにべったりな黒」の事を《親離れもできねェーガキ》と称しましたが、今までの忍達だってそうだったのかもしれません…。
 
「掟や勲章」に物事の良し悪しの判断基準を委ねるのもそうだけど、「チャクラ」に過度に依存してきたという点に於いても、忍はチャクラの祖(カグヤあるいは神樹)という「親」に頼り過ぎてきたのかもしれない。
この戦争は忍達が「祖」から親離れし、そして「祖」が子離れするための闘いでもあるような気がします。
 
 
・「お前の事だって 見のがしゃしねーよ!!」について…
 
そして「黒」のやっている事を見ていると「忍世界の闇」…汚い部分、脆弱な部分そのもののようにも見えるんです。 
いつまでも「親(のような存在)」にベッタリ依存し頼り、親離れできなくて…
自分にとって都合のいいシナリオを進める為に道標を書き直し、その「基準」を忍達に与え強要し…
そして忍を使い捨ての道具に利用して、要らなくなれば口汚く罵り、見捨てる… 
 
黒がオビトにやった事も、木ノ葉の忍達がイタチにやった事と同じ…今まで忍達が当たり前のようにやってきた事です。 
 「黒」が何者であるかは、この際置いといて…ナルト達と向かっていた「黒」という存在は、鏡に映った忍達自身の「黒い部分」にも喩えられるんじゃないだろうか。
…それだけに、ナルトがそれに気付き「今までずっと陰に隠れてコソコソしてたお前(忍の闇)」「見逃さない」と言ったこと…そこは重要なポイントだったんじゃないかと思います。
 
…だけど、課題はそこから先の対処。
 
せっかく見逃さなかった黒のことや、災厄であるカグヤを「封印しちゃう」という対処は、ナルトにはして欲しくなかった対処でもあります…これでは今までの影達がやってきた事と同じになってしまいますから。
 
でも…ナルトは柱間の「里創設」の話も知らないし、過去の影達がそういった闇に「蓋をしてきた」過去も知りません。 サスケとは「違うルート」でここまで辿り着いたナルトは、この戦争が始まるまで殆ど「里の埋もれた闇の部分」は知らずにいたし、元火影達の話も聞いていない。 それだけに…ナルトは「里の闇」についてどう対処するのかという新しい課題を「試されて」いるんじゃないだろうか。
 
今までは、かつての影達も出せなかった「意外性の答え」を見せてくれたナルトでしたが…ここにきて「今までの影達と同じ」答えを見せ始めている…それで私は「今週のナルト」に戸惑いを感じてしまったのかもしれません。

オビトが言っていた《お前にはまだまだ多くの苦しみがあるだろう》の言葉通り…たしかに「歴代の火影を超える」道は、そう平坦ではなさそう…。
 
…そして、特に気になったのがこの描写なんですが…
 
(カグヤを封印した後、サスケはカカシとサクラの元に戻ってきますが、カカシが「ナルトはどうした!?」と尋ねるとサスケは…)
 
「やり残してる事を片付けてくると一人離れた」
 
…と言うんですね。
 
ナルトが言うところの「やり残してる事」とは「黒の始末をする」という事なんですが…問題はその言い方なんです。 「片づけ」「一人でやる」と言ったこと… そしてサスケに具体的に「何をしに行くのか」の説明さえナルトはしていない(と思われる)こと。
この行動は「一人でマダラと戦い、マダラと決着をつけた柱間」とも似てますが、あと…私が思い出したのは、この場面…
 
 38巻角都戦の終わり、まだ「角都の息がある」事を悟ったカカシが、一人で角都の始末をしに行くんですが、いのが「カカシ先生は?」と尋ねるとヤマトが「後始末…」とだけ言うんですね。
 
ヤマトは「カカシが何をしに行ったのか」は承知してますが、あえて「闇を知らない」ナルト世代に「具体的な説明」はしていない…(いのが「察した」かどうかは分かりませんが)。
でもこの時、ナルト達に黙って「後始末」をササッと済ませようとしたカカシとヤマトの「手慣れた感じ」に、《ザ・暗部》のプロフェッショナルな仕事ぶりを感じたんです。 カカシとヤマトは自分達で「忍の闇」を背負い、ナルト達世代には、なるべくそういった「闇」は見せないようにする…それが重たーい場面でもあったんです。
 
で…今回ナルトの「一人でやり残したことをしに行った」行動と、その直後サクラのところには「何事もなかったかのように」笑顔で戻ってきた事に、あの時の「カカシ」を連想してしまったんですよね。
 
ナルトが、忍の闇である「黒」を「見逃さない」と言ったのは、「闇」の部分もちゃんと見る事が出来るようになった…という事だと思うんです。
だけど…それを「一人で片付けようとしたり」、さらに「封印」してしまう…それはかつてのカカシ、かつての柱間、そして暗部など大人が子供達を守るために行ってきた事と同じなんです。 このままでは、ナルトはかつての柱間のように「一人で陰を背負う」状態になってしまうのではないかとちょっと不安になりました。
 
「封印完了」とか「終わったな」と言ってるナルトとサスケ…これで本当に「終わり」だと思ってるんだろうか? 
 
敵を「封印」して終わりなんて、今までのナルト「らしくない」のに…なぜナルトは、今回はこれで「終わり」なんて思ってしまったんだろうか?
それは…戦った相手が「カグヤ」とか「黒」だからだったのかもしれない(と思います)。
 
以前の雑考でも述べたとおり、私はこのカグヤ戦…正直「面白くない」と思ってました。その理由はただの「戦い」にしかなってないという理由…今迄みたいな心のぶつかり合いの「闘い」じゃなくって「戦い」でしかないこと…。 
「敵を封印せよ」という命令に従い、戦う相手の事を知るわけでもなく、相手の「心」と向き合うことなく、力VS力で押し合って力でねじ伏せて「封印」(ふたをする)して「任務完了」…だから面白くなかったんです。
 
結果として「世界を救った」功績は大きいかもしれないし「敵のスケールも大きい」かもしれないが、やってる作業は「今までの忍の虚しい戦い」と何ら変わりありません。
 
今まで相手が「誰」なのかにこだわってきたナルトが、今回は「カグヤが何者なのか」最低限の情報しか与えられなかった事も、大きく影響しているのかもしれません。かぐやがどこから来たのか?とかナルトが質問しても、仙人は「どうでもいいことだ」と言ってあまり語ろうとはしませんでしたから。普段のナルトだったら「どうでもよくねーってばよ」とツッコんだかもしれませんが、なにしろ相手が「六道仙人」ですからねぇ… 
ナルトは珍しくそこで引っ込み、「封印しろ」と言われればそのまま疑問にも思わず「封印」…そこで完了してしまった。
 
カグヤの「母の想い」なんてお構いなしに…カグヤの「何故」に答える事も無しに…。
 
今までのナルトの闘い…相手が「誰」であるかにこだわり、相手が敵である前に「人間」であることにこだわり、自分との共通する部分を探し、共感してきた。 
相手の「心」にこだわったのは「ナルトだから」というのもあったけど、それ以上に今までナルトが闘ってきた「相手」が、忍としては珍しく「心」をぶつけてきた相手だったから…というのもあったと思います。
 
再不斬と白も、我愛羅も、長門も、オビトも…ナルトに真正面から「忍道」やら「生き様」「忍とは」という問題をぶつけてきた。 そしてナルトに問いかけてきた相手なんですよね… 敵が「戦い」じゃなくて「闘い」を挑んできた相手だった事…それがナルトを成長させてきましたが、これは…忍世界では「珍しい敵達」だった事は否めません。 多くの忍は、ただ命令に従って何も疑問に思わず、イザとなれば「己を無くして戦うだけ」…そして命令に従って、それを倒すだけだった。
 
今まで数多くの「不毛な戦い」も経験してきたカカシは、再不斬と白との闘いで久しぶりに「闘い」を体験したのではないかと思いますが、穢土転された再不斬・白との戦いは、ただの「戦い」でしかなかった… 心を失い「道具化された」彼らを封印するだけという虚しい「戦い」…だから…カカシは《もう!こんな戦いは無しにしよう》と言っていたんだと思います(524話で)。 
 
今回のカグヤの封印は、結果としては「暫定的に世界を救う」成果は出せるかもしれないけど、まさに「こんな戦い」であって、ナルトは(白ゼツ戦以外では)はじめて、こういう「戦い」を経験したんじゃないのかな。 
つまり…敵次第では、ナルトだって「今までの忍世界通りの戦い」をして「歴代火影と同じような対処」をして終わりにしてしまう・・ということなのかもしれません・・
 
 
 
今回は、ナルトにとって「新たな」課題が続出なんじゃないだろうか…!!?
 
 
 
(その2へ続けます… たぶん夜あたりに更新すると思います)