観てきましたよ・・・!
ライブスペクタクルNARUTO-ナルト-~忍界大戦、開戦~
(2022年10月18日、天王洲銀河劇場)
いや、今回も圧倒的にリアルなリアルなNARUTO世界に浸らせてもらいました。
今回のお話はコミックス53~64巻。 忍界大戦が始まって ナルト達がマダラ・オビト、十尾に立ち向かう決意を新たにして・・ さらにサスケは大蛇丸をこれから復活させて「全てを知る者たち」に会う決意をするところまで。 いよいよ話も大詰め、クライマックスですね。
つ、つまり。
このあたりといえばアレ、涙無くしては読めなかった「イタチとサスケの再会」、さらにはあのセリフが出てまいります(あえて書かないけど)。
役者ファンにとっても原作ファンにとっても、感動のあの場面がついに…です。 それだけじゃなく、
ナルトがついにクシナ母ちゃんに会って、九尾事件の「あの日」の真相も分かって両親の愛情を知る場面もある。 それでもって「ナルトと九喇嘛の初共闘」もあれば、さらには本マダラが登場して、仮面男の正体も判明する・・・いや怒涛の展開です。
それにこのあたりは各種「真相」判明ラッシュに伏線回収ラッシュもありまして、謎だったモノや真相が次々と明かされてまいります。 いやぁ〜53~64巻のあたりって内容が実に濃ゆい。
とにかく戦争編は登場人物も非常に多いし、それぞれの物語がけっこう詳しく展開する。 そのぶん面白いんだけど、これを「3時間弱の舞台」で全てやるわけにもいかない。 あれもこれもとやったらゴチャゴチャになりそうだけど、そこは上手く省ける部分は大胆に削り、《ナルトと両親》《サスケとイタチ》に焦点をしっかり絞ってありました。 その部分はしっかり時間をとって、セリフを歌に乗せてゆっくり語りかけながらね。
一方でこの場面は省略されなかった・・
《ナルトが穢土天イタチと再会して、イタチの眼に反応してナルトから「烏」が出てくる。 そして瞳術「別天神(ことあまつかみ)」が発動されて、イタチは穢土転生の操りから解かれる》・・という58巻のくだり。
これは、2作目の「ライブスペクタクルNARUTO~暁の調べ~」で《イタチがナルトに「力」を渡す(烏が口から入る)場面》が出てきていたんですよね。 なので、原作を読まずとも「あの時のアレはこういうことだったのか!」とちゃんと腑に落ちるようにちゃんと回収されておりました。 ま、今回は「別天神」や「イザナミ」などの術説明はさら〜っと簡単にされておりましたが、アレは難解ですよね… ま、ナルト風に説明すれば「すべての上をいく、すげー最強幻術だってばよ!」「よくわかんねーけど、ありのままの自分を受け止めてやれば解けるらしいってばよ!」になりますかね…。 それはさておき。
ま、舞台ってのはそれぞれの楽しみ方があると思うんですが、原作ファンとしては「あの部分どうやって演出するのかな」とか「そろそろアレがくるぞ」とかワクワクしながら観るのが楽しみでもあります。
で・・個人的にいいなぁと思ったのは、仮面男の正体が判明していく過程で《岩がゴゴゴ・・と地表から空中へと浮かび上がっていく》絵が映し出されたところ。
原作の描写にもあるのですが、いかにも岸本先生風というかNARUTOらしいというか、かなり好きな描写なんです。
この段階では まだ「仮面男=オビト」とは分かっていないのですが、オビトはかつて「岩に埋もれて死んだはず」とされていた。 だから 岩が「空へと上がっていく」ことで、過去の封印が解かれて「オビトが現れる」ことを予言していたんですよね。
そして・・なんといっても舞台の醍醐味は何と言っても《リアルなキャラクター達》。
主演のナルト役・中尾暢樹さん、サスケ役・佐藤流司さんをはじめ皆さん本当にキャラクターをよく研究しておられる。 サスケ役の佐藤さんは1作目からサスケを演じてるだけあって「指を鳴らした瞬間にサスケになれる」のだとか(パンフレットによると)・・
前回は 雲隠れのエービー兄弟(北村圭吾さん、小柳心さん)のあまりのリアルさに 他の記憶が飛んじゃうほど衝撃だった(あのキャラは再現不可能だろうと思っていたのでね)・・いや、あの二人を再現できるとはね; 今回もこの二人は大活躍で、ビーのラップも炸裂してましたよ。
で、今回初登場となった主なキャラは、クシナ、マイト・ガイ、うちはマダラ、人柱力たちだったんですが・・
クシナ役の小嶋紗里さんはとにかく歌が上手い。
(歌といえばカブト役の矢田悠祐さんも素晴らしかった)
ガイ先生もリアル過ぎるほどリアル。 エービー兄弟も相当濃いけど、初めてガイ先生を見たお客さんは「もっと濃ゆいのが出てきたってばよー!」と驚いたかも・・・
そしてついに登場したうちはマダラ。
マダラといえば、NARUTO“敵キャラ”の中では抜群の存在感を誇るキャラですよね。 大蛇丸もそれなりの存在感だったけど、終盤イメージが《ガラッ》とかわっちゃいましたからねぇ・・・ その点、マダラはいわゆる王道な悪役、敵役の代表格と言えましょうか(ま、彼も終盤では印象が変わっちゃうのですがね)。
中村誠治郎さん演じるマダラは《高いところで腕組みしたマダラ立ち》でさっそうと登場してくれました。 あの威圧感、存在感・・うん、原作そのままの再現度!
どの登場人物も衣装が素晴らしいし、 メイクの素晴らしさもあって ビジュアルはもう完璧と言っていいほど 原作の絵にそっくりでした。 加えて、役者さんが「いかにそのキャラらしく」演じるかもありますが、中でも「似てる」と印象付けられるのが「決めポーズ」なんですよね。 原作やアニメでもよく使われてる「お馴染みのポーズ」を随所で歌舞伎の見得のように決めてるので より「らしく」感じる。
なんといっても、それぞれの決めポーズには《そのキャラの性格やら想い、過去》などが詰まっている。
たとえばマダラや綱手、我愛羅に共通するポーズに「腕組み姿」があるんですが、これおんなじ「腕組み」でもそれぞれ全然違う。 同じ立ち方、同じポーズなのに、そこから「受ける印象」が不思議と違ってくるのです。
たとえば、綱手。 大湖せしるさん演じる綱手は とにかく美しくてカッコよくて、回を重ねるごとにますます「綱手」になっておられる・・ そしてその腕組みは「任せときな!」的な懐の深さを感じさせると言いましょうか、自信にあふれてしっかり「先」を見る視線。 虚勢ではなく「多くの苦しみを乗り越えた先」にある貫禄なんですよね。 堂々としてるのに、表情がおおらかで優しい。
途中、リスクが高い「転送装置」で戦場に駆け付けるシーンも出てくるのですが、綱手はまったく動じてない。 火影になって以降の綱手は 肝の据わり方が半端ないですが、これはまさに祖父である初代火影・柱間から受け継いだ遺伝子。 綱手の腕組みは若い世代を「守る」意志の表れであり、里の母としての深く大きなどーんとした「愛」の表れ。 大湖せしるさんの綱手からも しっかりそれが伝わってまいりました。
我愛羅の腕組み姿は「過去と現在」で大きく意味が変化しております。 かつては「排他的」であったり「自分だけを抱えて愛する」象徴の腕組みだったのが、その後は「里の人々を抱えて守る」腕組みに変化していきます。
我愛羅って、顔の表情をあまり変えないから ちょっとした仕草や腕、手の動きに想いが表れるんですよね。 我愛羅の腕組みは《この腕に里を抱き繋がりを守る》意志の表れであり、その腕の中で「皆から受け取った愛の温もり」を感じ、その腕の中に「皆に手渡したい愛」がある(と思ってる)。
一方で、マダラの腕組みはひたすら「威嚇、恐怖、威圧」。
必ず高いところに陣取って、威圧的に見下ろすんです。 もうそれだけで「恐怖」と言えましょうか。 しかし 本来は愛情深くてお人好しで神経質なマダラだから、あの威嚇的なポーズは自らを「演出」していたんじゃないかと思っています。
マダラは「天性のカリスマ性と器の大きさを持った柱間」にそうとう劣等感を抱いていたと思うから、意識的に柱間とは真逆なやり方を選んだんじゃないかと思うんです。 高いところから腕組みして見下ろしてマウントとれば、いかにも怖そうで強そうに見えますからね・・舞台でも見事にその「威圧感、存在感」は再現されておりました。
マダラ役の中村誠治郎さんは《マダラたちのバックボーンも透けて見えるような、ただ悪役ぶってるやつにならない様に大事に演じていきたい》とのこと(パンフレットから)。 同じ立ち方でも腕組みでも、役者さんは「そのキャラの過去や想いを徹底して理解して」つくっておられる。 そうじゃなければ、こんなにもリアルには感じられないんだろうな・・なんて思ったりしてね。いや、本当に圧倒されました。
そして、舞台で見ると 読むのとはまた違って 新鮮にストレートに話が伝わってくる。 で、今更ではありますがあらためてイタチは凄いことをやってくれたんだなぁ…とつくづく思いました。ホント今さらではあるんだけどね。 サスケに愛を伝えただけじゃなく、どれだけたくさんの人たちを救っただろう…
穢土転生の術を解除して敵の戦力を半減させただけでなく、多くの魂を救い、カブトを救って、あとこれはイタチ本人が意図していたかは不明ではあるけど 結果として大蛇丸まで救っちゃった。 大蛇丸はこのあと大きく生き方を変えますが、明らかにイタチの影響を受けまくりですからね。
それに、もちろんナルトに与えた影響も計り知れないわけでして・・ あの時、イタチが《火影になった者が皆から認められるんじゃない、皆に認められた者が火影になるんだ》《仲間を忘れるな》と伝えてくれなかったら、確かにナルトもマダラ化してたかもしれない。 カブトがイタチを穢土転生してくれてホント良かったよ…というべきかな。
直接 表に出るわけじゃないけれど…結局この戦争を勝利に導いたのはイタチと自来也だったと思う。 カブト側ではイタチが、そしてマダラ・オビト側では自来也。
ナルト達は十尾の力の前に追い込まれていきますが、最後に「辛いことがあっても諦めない」と立ち向かう決意をします。 そして《だから忍び耐える者・・忍者なんだろオレ達は》のナルトのセリフで、今回はフィナーレを迎えました。
以前、自来也は言っていた・・《忍者とは忍び堪える者のことなんだよ》とね。 で、ナルトは師匠の意志を受け継いで決戦に臨んだ。 だけど、ナルトが言ったのは自来也とはちょっと違っていた。
ナルトが言っているのは「忍び耐える」。 だけど、自来也が言うのは「忍び堪える」なんですね。 「たえる」の漢字がナルトと自来也では違うんです。 そこに少し変化がある。
「堪」の文字にはこらえる、踏ん張って我慢して支えるという意味がありまして、自来也や過去の忍達の生き様はまさにこれでした。 だけどナルトが言う「耐える」(耐)はちょっと意味が違っていて、細い糸のようにしなやかにつないで続けていくという意味がある。 「つながり」を大切にし、想いをつないでいく・・それがナルト達が出した「答え」だったのです。
NARUTOも終盤になってくると 過去の人達から想いを受け継ぎ、それを継承しながら「より良いものに変えていく」というテーマが次々出てまいります。 「大切な人の死を乗り越える」ためには、恨んで復讐するんじゃなくて、遺された想いや意志を心の中で大切にする。 だけど ただ「そのまま」受け継ぐだけじゃなくて、先人の失敗からも学んで「柔軟に変えていく」。 それでこそより良いカタチになって世界を変えていけるのだと・・ナルトはここで「答え」に到達するんですね。
あっちの戦場ではイタチの想いが世界を動かし、こっちの戦場では自来也の想いが世界を変えようとしていく・・ そして、ここまで直走りに走ってきたナルトとサスケは いったんここで立ち止まる。 ちゃんと言葉で愛と真実を伝えてもらった二人は、まわりの声に耳を傾け「考える」。 そして、それぞれが辿りついた「答え」を引っ提げ、いよいよラストへと突き進む・・
さて、次こそラストですね!(たぶん)
(再演もあるのかな・・?)
★ぐだぐだ長駄文読んでくださって、感謝。
☆舞台についての詳細は・・(公式サイト)
★関連過去記事です
☆「ゴゴゴ・・」と岩が上がっていく描写について
☆「耐え忍ぶ」について(616話、連載当時の感想)
☆腕組みについて(我愛羅)
☆マダラの腕組みについて
(ナルト好きブログ! 2022/10/28)