ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 693:ここでまた 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ44号) その4

NARUTO 693:ここでまた その4 

 (“オレはイタチの言葉ではなく生き様から全てを悟った”と言っていたサスケ…)
 
ナルトがイタチの事を「お前の兄ちゃん」なんて言ったのには、何だかほっこりさせられたというか、微笑ましかったなぁ…ってのは置いといて…
 
感想もその4までいっちゃいまして、遅くなりすみません。今までのは人物の表情とかの雑考だったのですが、今回はちょっと「裏考察」っぽい内容です… 独断と偏見に満ちている事を予めお断りを… でもこの愚の骨頂もこのブログの個性と…寛容にそして適当に流しながらお付き合いいただけたらすごく有難いです。
 
《イタチの言葉》ってのは、とにかく私には難解過ぎて…私は「イタチの言葉」をそれこそ道標のようにしてNARUTOを読んできたので、おかげで散々道に迷いました(笑う…しかない)。 穢土転イタチの言葉はシンプルで「そのまま」素直に受け取っておりますが、とにかく生前の「本音を見せなかった頃のイタチの言葉」は独特な言い回しでホント分かり難い。  
読者である自分はともかく…サスケは実際に「イタチの言葉」に振り回されて生きてきたわけですから、《驚愕のイタチの真実》を知った時の《ショック》は如何ばかりかと… 今まで信じてきた「イタチの言葉」は音を立てて崩れ、サスケは「イタチの事を全然分かっていなかった」と知らされたんですから。だから…穢土転イタチと再会するまでのサスケの最大の苦しみは《兄ちゃんは結局何を言いたかったのかオレは全然分かんねーよ!》って事だったと思うんです(口調は違うでしょうが)。 
 だから穢土転イタチに再会したサスケは、いきなりイタチを質問攻めにしてますよね。 「聞きたいことが山のようにある!」って… それもゴモットモだと思いましたもん…。
 
 散々「イタチの言葉」に散々振り回され、強引に導かれてきたサスケですから…「イタチの言葉ではなく生き様(行動)」からイタチの想いを受け取ろうと考えても不思議はないと思うんです。 ナルトや柱間のように「思っている事をストレートに伝えられる人」って、忍の中ではどっちかと言うと少数派で、上手く伝えられない人は多い…特に「うちは」は思ってる事とは違う事を意図的に言う傾向があるし、「言葉ではなく生き様」から読み取る方が、確かに分かりやすい。
 
…《イタチの生き様》ですが、最後にイタチは「言葉ではなく」記憶を映像化して、サスケに「そのまま」見せてましたよね。そして知った《イタチの生き様》…サスケにとって《誰よりも耐え忍んだ》イタチの生き様が、木ノ葉では「裏切り者」扱いにされ侮辱されている事は、耐え難い苦しみなんじゃないだろうか…
 
サスケにとっての「革命」はイタチの「名誉を回復」でもあるんじゃないか…とも思うんですが、だとしても…いくらサスケが「言葉でイタチの真実を語っても」誰も信じないだろうし、誰も耳を貸さないですよね。 もしサスケがイタチの名誉を回復する手段があるとしたら…それは《サスケもイタチの生き様を踏襲する》って事なんじゃないだろうか…と思ったりします。 世間がどう言おうと、イタチと同じ様な生き様を見せる事はサスケにとって「イタチの生き様を肯定する」事になるんじゃないだろうか…? たとえ世間から「イタチ」は認められなくっても、サスケが「イタチを認める」… 
 
でも、万が一そうだとしてもですが…イタチはそれを望んではいないと思います。サスケには、もっと違う方法で「イタチの生き様」を肯定して欲しいし、やはり全員が「イタチの生き様」を知るべきではないか…と思うんです。でもどうやって…かは予想できない…。
 
いずれにしてもイタチが最後にサスケに伝えた真実、《シスイとイタチ、里とイタチ、両親とイタチ》…里と大切な者を守る為に“影”を背負ったイタチの生き様…あの「記憶(記録=真実)」が今後重要になってくるのは間違いないだろう…と思います。あの映像を見終わった後のサスケの驚いたような表情… 
 
シスイ、里、うちは一族…そして忘れちゃならないのが…
 
《マダラ》です。
 
あの「記憶」の中でも登場した、仮面の「マダラ」…
 
 
・マダラは《生きている》…
 
 まずは当の「うちはマダラ」本人ですが、今週も「横たわるマダラ」として描かれてましたよね。 体の向きが変わってたのは単純にサスケが「地爆天星」を使ったから動いちゃったんでしょうが…でも相変わらず「魂が昇っていく描写」は無いままです。
 まだマダラの「魂」は肉体の中に在るって事なのか…それとも「肉体」がここに在るって事は、これから先「何者か」がマダラの肉体を“器”として利用する可能性もあるんじゃないか…なんて思います。 意味もなく「マダラの肉体」がちょこちょこ描かれてるとは思えませぬ。
 
「マダラは生きている…」「マダラが死んだというのはお前の思い込みだ」と言ったのはイタチですが(42巻サスケとの闘いで)、私も「マダラは生きている」と思います。…といっても、このマダラの事ではなく…いわゆるイタチが言うところの《マダラ》です。要するにイタチが会っていた、例の「十尾模様」あるいは「羽衣一族の家紋」みたいな仮面をつけた、ロン毛のマダラ…草履をはいて刀をさしたマダラの事です。
 
《イタチが、うちは事件直前に会っていたあのマダラ…》 
 
イタチの記憶の画から判断すると、あのロン毛が居た場所は「マダラの墓」のように見えるので、あのロン毛は「マダラがダミーで墓に置いていた影分身マダラ」のようにも見えるのですが、その「中身(魂)」については、誰だかさっぱり分かりません…。重要だと思うのは、その外見ではなくって‥「中身(魂)」のほうです。
 
で…今までイタチは度々サスケに《マダラという存在》について語っているんですよね。それこそ「しつこい」ぐらいに。
 
最初は、うちは事件の時…「お前が開眼すればオレを含め万華鏡写輪眼を扱う者は三人になる」という表現で「もう一人のうちは(マダラ)」の存在を仄めかし…
次に、サスケの闘いでマダラについて語り「マダラは生きている…マダラが死んでるというのはお前の勝手な思い込みだ」と伝え… 最後に「記憶映像」の中でもわざわざ「ロン毛マダラ」を登場させている… 
合計3回、節目節目でイタチは必ず《マダラ》の存在をサスケに伝えるのを忘れてない。…これが《重要じゃない》わけがない。
 
 
( ちなみに私はあのロン毛着物仮面は「オビトじゃない」という前提で語っておりますが…これはもう私的には「断言」しておきます(断言癖ご容赦)。 なにせあの「マダラ」は、オビトがまだ「木ノ葉のオビト」だった頃から血霧を操っていたのですから…)。
  
・「運命に選ばれた二人」
 
 
(ドドドド…と轟音が響き渡る谷に、遂に降り立つナルトとサスケ…)
 
 
鉄の国でトビが言っていた《お前達二人は運命に選ばれた次の二人になるだろう》そして《いやオレがお前にサスケをぶつける》…そしてサスケに《うちはの存在を証明させる》という“予言”は、見事に「実現」してしまった…という事になりますね。
 
でも…《オレがお前にサスケをぶつける》…って…この「オレ」って誰なのさ??と私は思っておるのです。 単純に「オビト」なのか、それとも…
 
「ロン毛のマダラ」も謎ですが「トビ」もまだ謎です(グルグル…と言ってもいいのかな)。
 
確かにオビトも鋭い洞察眼を持っていたし「なぜか」色々な知識を持っていた人物ですが、でももし本当にオビト自身が「そこまで知っていて、そこまで予感していた」となれば、それはかなり驚くべき話で…正直言うとオビト自身がそこまで…とは思えないんです。「オレ」とは、それこそ六道仙人レベルに「永く在り続けてきた」存在じゃないだろうかと思ってしまう… (もちろんトビの「器」はオビトでしょうが…「何者か」の精神(チャクラ)の同居は十分あり得る世界です)。
 
いずれにせよ、私はあの「鉄の国」の宿屋にナルトを訪ねた時の「トビ」あの時のナルトとのやり取りを「重要視」しております。 あの時、ナルトを見つめていた「トビ」とは…あの写輪眼に宿るチャクラは誰のものだったのか… オビトのほかに何者かが「居た」のではないかと思えてなりません。
 
そしてこの二人の闘いは、《妙木山のガマ丸(大蝦蟇仙人)のお告げ》にも出てきた「運命の定め」…《お前は目に力を宿した少年と戦うことになる》という定め。 ようするにナルトとサスケの闘いは「運命(神)が選び、運命(神)が定めた」闘い…神が仕向けた戦い、神の御業とでも言いましょうか。
  
で…私が気になるのは、ガマ丸が《夢を見たタイミング》なんです。
 
ナルトが突然妙木山に呼ばれて「ナルトちゃんにもこれから大じじ様の予言が出る」と言われたのは…ナルトが「鉄の国から帰った直後」のことです。
つまり…ガマ丸(大蝦蟇仙人)が夢を見たのは《トビがナルトと面会した直後》…トビが「ナルトに興味ができた」とやってきて、「お前達は次の二人になる」「オレがお前をサスケにぶつける」と言った《直後》なんです。偶然…とは思い難い。
 
で…あの鉄の国のトビは、こんなことを言ってた…
 
「ペイン長門を裏切らせたのは何なのか… ナルト… お前に興味が出来た」
 
何だかな…このセリフ、そしてこの発想…今回(693話)でハゴロモが言っていた事にそっくりなんです。カカシの「なぜナルトに可能性を見い出したのです?」という質問に、ハゴロモは…
 
うずまきナルト…あの子は憎しみの塊になってしまった九喇嘛を救い友となった男だ…」「ナルトに任せてみるとしよう…」と… 
 
ナルトは《痛み(ペイン)となってしまった長門を救い変えた男》…だから「トビ(グルグルと言っちゃっていいのかな…)」はナルトに興味を持って、そして会いに来て…面会を経て《ナルトを次の運命に選ばれた二人》に定め、サスケとぶつける事を「決めた」っぽいんですよね。ハゴロモが「九喇嘛を変えた男ナルト」を見込んで「託した」経緯となんか似ている…
 
私は、ガマ丸の見る夢とは「神の見る夢(運命)を見る事が出来る=だからその予言は外れない」のではないかと思っているのですが…だとしたら「トビ」とは…「神」なのかも…とか…
 
すみません、いつものように発想が飛んでしまいますが、でもあの「鉄の国でのトビの発言」はもう4年以上ずーっと気になり続け、私にとっては「大課題」のようになっておりますんで…まぁ笑って許してください。だけど《気になる!》と断言しておきます…
 
そして、要するにどういう事かといいますと、この「ナルトとサスケの闘い」には、多くの人々(者々)の「思惑」やら「雑念」やら「念願」が絡み合っており、彼ら(?)はこの闘いに各々の想いを「賭け」て見ているのではないか…と思うのです(何処かから)。 
 
もはやここまで来ると「無限月読は何だったのか」とも思ってしまいますが、「マダラ」も「トビ」もオビトもハゴロモも…結局は「この闘い」を最重要視していたのではないかと思ってしまうのです。 
 
いずれにせよ、カギを握るハズの《マダラ》の正体を知るマダラ本人、イタチ、オビトは結局何も語らずで逝ってしまいましたし、《グルグル》の正体についてもオビトも何も語らずじまい。おそらくハゴロモは知っているでしょうが…そして大蛇丸も「気づいている」と思われるのですが… 
いずれ、その絡み合った糸が解れる時…すべての「謎」も解けてくるのでしょう…と期待します。
 
 
4年前の、ナルトとサスケの終末の谷の闘いを見ていたのは「ゼツ」…
 
「フフン…面白イ事ニナッテ来タダロ?」 
 
 
そしてサスケがイタチと闘う事になった時、終末の谷で呟いていたのは「トビ」
 
「いい流れだ… あとは…」
 
 
ナルトとサスケの闘いに、どれだけの勝手な「思惑」やら「期待」が乗っけられていようが、「運命」とやらに定められていようが…ナルトとサスケには「彼ら自身の」闘いをしてもらいたいと願います。 運命を定めるのも変えるのも、歴史を創るのも変えるのも、そろそろ「神」の御手に頼るのではなく、人間自身で…《自分達でちゃんと決められるんだ》という事を見せてやってほしいと思います。
 
それが忍達の「親離れ」って事なのかも…なんて思います…
 
 
《今度は憎しみが愛情へと変わるのを願いながら…》
 
 
 
 
 
☆今回はいつも以上の長駄文、耐え忍び付き合ってくださった方…本当にありがとうございます(感謝
 
 
 
 
 
 
☆コメント欄のオープンも遅くなり申し訳ありません…次週も遅くなるようでしたら検討します。