ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 642:突破口 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ37/38合併号) その1(神が見る夢?)

NARUTO 642:突破口 その1 (神が見る夢?)

(猛暑やら豪雨やら・・各地で十尾が暴れてるんじゃないかと思うようなお天気が続いたりしてますが、皆様のところは大丈夫でしたでしょうか。 最近はコメントのお返事も出来たりできなかったり、ご迷惑おかけしております。 しばらく事情によりこんな調子かもしれませんが、記事は続けてまいります。 ご心配下さった皆様、本当にありがとうございます)。
 
今回は「合併号」、つまり次は2週先ということで時間もありますんで・・内容的にもじっくり行きたいと思うトコロありで、前半後半に分けてアップしていきたいと思います(本日は前半の2記事を)。 いつもより(さらに)長文となってしまいますが、なにとぞ宜しくお付き合い下さい。
 
さて先週は、ナルトとサスケが(個人的には念願の)手を合わせての共闘、“灼遁・光輪疾風漆黒矢零式”を成功させてくれたんですが、ナルトの「よっしゃあ…!!」の余裕ポーズに対して、サスケはハァハァと息が荒くなってる。 《同じチャクラ比で合わせる》といっても、ナルトは九喇嘛のチャクラを借りてるし、そもそも肉体の千手系《獣系》。 獣のナルトにチャクラ比を合わせるんだから、サスケがハァハァになってしまうのも仕方ない、さすけねぇ(って、コレ使い方合ってるのかな;)。
 
しかし、やっぱりオビトは「無傷」。
 
 
・《オビトという「神」に選ばれた存在》
 
いつもオビトをガードしている黒玉は引き離したものの、十尾の衣がオビトを《シュウウ…》と守る。
 
イメージ 1
 
黒炎を掻き分けて《ブォジュジュ》っと十尾衣に守られながら出てきたオビト(ブォジュジュって・・ちょっと音痴っぽい独特なキッシーの擬音語も面白いんですよね、これが) この姿は「あの時のオビト」に似てると思うんです、《もう一度君の居る世界を創ろう》と言っていた時のオビトの姿と。
 
 (↓これ・・・63巻606話)、
 
イメージ 2
 
 
 
606話の雑考では、この時のオビトはプチ十尾って書きましたが、プチ十尾であり「プチ六道仙人」だったのかも。
 
 
そして、黒炎の中から出てきて《スウー・・・》っと立つオビト(ジャンプ127頁右上)の画、この画も前にどっかで見たことがあるような気がしたんですが、63巻603話(107頁左上)のオビトに似てると思うんです。 マダラのアジトでリハビリに励んでいた頃、ベットの上で片足でバランスをとり、左手に枝を乗せている少年オビトの画に。 
 
今の「十尾の人柱力オビト」の姿は、マダラに拾われた直後の少年オビトの姿に そっくりなんですよね。 上半身裸で、下半身は破れたズボンをはいて素足(イケメンの上半身裸が流行りらしいけど・・ってゴラ)、何だか・・あの時のオビトの姿に作者が意図的に「戻してる」感じもするんです。 
オビトの面割れの時にも《岩が舞い上がっていく光景》描写で、神無毘橋で岩に埋もれたオビトの「時が巻き戻されるような」効果が使われていましたけど、それと何処か共通するようなモノを感じます。
 
そして、あの頃からオビトの運命は“今”に導かれていたと思うんです。 いきなり木遁を使いこなしてグルグルを驚かせ《マダラが君を選んだ理由が分かった》と言わせたりしたのも、オビトも「特別に選ばれた一人」だったからじゃないかと思うんです。 《マダラがオビトを選んだ》というよりは、《運命(神)がオビトを選び》、マダラはそれを「知った」のではないだろうか、と。
 
そして毎度言ってる感じしますが、あえて、また強調しちゃいます・・・
『神無毘(かんなび)』という“神が隠れ住まう神域”を意味する場所・・・27巻「カカシ外伝」を読まれる時には是非確認していただきたいのですが、あの地は「妙木山」のように巨大キノコや巨大竹、巨大樹が生えていて、まるで、そこだけ《別世界のような》場所なんです。 オビトが岩に埋もれた神無毘という場所は、まさに神が棲む場所・・・自然エネルギーが満ちた特別な不思議な場所なんです。そこで、オビトが「何者かに岩をすり抜けさせてもらって」助けられた事・・・つまり「選ばれた事」、それも「神の仕業」と思えるのです。
 
マダラがオビトを助け、六道の術と陰陽遁まで教えたのは、ただ自分の「コマとして使う為」だったというよりは、オビトの「素質」を知った上でオビトを手懐け、コントロール(制御)するつもりだったのではないだろうか(とも思う)・・・
 
 
・《神がみる「夢」?》
 
「オレが夢で想像してる自分よりスゲーカンペキな奴だってばよ!」  (ナルト)
「…まさに夢のような力を手にしたってことだね…」 (ミナト)
 
《夢で想像してる自分》とか《夢のような力》とか。 
 
そういえば、カブトは柱間の力を《おとぎ話》に喩えていましたっけ。 自来也は六道仙人のことを《神話のような話》と言い、カカシは《ただの神話のハズだ》と言っていた・・・六道仙人レベルの力は、まさに作り話レベルの「完璧な夢のような力」。  ならば、ナルト達忍が扱う“忍術”とは、完璧ではないレベルの「夢のような力」とも言えないだろうか? 
 
“忍術”は六道仙人が創り出したといいますが、本来忍術とは、六道仙人が生み出した“夢の力”なのかもしれません。 全ての祖・十尾の力を利用し「夢(想像)を具現化して」創造したのが忍術なんじゃないだろうか。 つまり、忍達は六道仙人が創り出した「夢の力」に今までずーっと依存してきたとは考えられないだろうか。 
 
もし仮にそうだとしたらですが、忍達は《夢に全てを依存する》無限月読を否定しようとしているわけですが、その否定は「忍術そのものの否定」につながってしまうんじゃないだろうか・・とも思うんです。
 
“夢”といって、まず思い浮かぶのは“大蝦蟇仙人の夢(予言)”。
 
自来也が大蝦蟇仙人に「大じじ様の予言…今までハズレたことは?」と聞くと、「無いのォ…」とジジ様は答えていましたけど(376話で)、大じじ様の予言(夢)がハズれない理由は「大じじ様が何でも未来を当てる超能力者」だからではなく、別にあるのではないか…。
 
そもそも大蝦蟇仙人とは何者ぞ?という問題もありますが、大じじ様が見る「夢」とは「本当の神が見ている夢」なんじゃないだろうか?とも思ったりするんです。 説明しづらいですが、大じじ様は《神様が見る夢を知る能力があるんじゃないか》とでもいいましょうか。 そして神の見る夢(想像)は、そのまま神の御業により《夢を具現化する陰陽遁》で現実化するのではないだろうか。・・・だから、当たるんじゃないのかイザナギのように意図的に創られるのだから「当たる・・その通りに現実化する」)。推論の1つとして、という話ですが。
 
で、長門のあの言葉がずっと気になってて仕方ないのです。
 
《本といい…お前といい…誰かが全て…仕組んだ事のように…思える…イヤ…これこそが…本当の神の仕業なのか…》 (449話)。
 
これは長門最期の言葉ですが、これは「真実を言い当てた言葉」じゃないかと考えております。 
 
自来也が本を書くようになる事、ナルトという予言の子の出現、自来也の選択、そしてナルトとビーの出会い等、大じじ様の見る「夢」は全て具現化されていってるんですよね。 これらは全て、長門が言ったように「本当の神が仕組んだ事」、本当の神が自分の夢を「具現化する術」で実現していってるのではないか・・とも思えてしまうんです。 “道案内”のようにして、自分の夢をところどころで現実とし、忍世界を「導いている」のではないだろうか、と。
 
イタチが「道案内の立札を嘘と瞳力で書き換えたように」・・・神も忍達を一本道に誘い込むために「夢を具現化して」現実を書き換えてきたんじゃないだろうか、と。
 
オビトは ナルトとサスケの事を“(マダラと柱間の次に)運命に選ばれた二人”という表現をしていましたが、その“運命”とは本当の神の事なんじゃないだろうか・・という話を過去記事で書いたことがあるんですが、やはりNARUTOの世界に「本当の神」は存在するんじゃないかと思うんです。 そして忍達に「関わってきた」のでは・・?
 
「夢」というともう1つ・・・63巻でオビトがマダラのお家(アジト)でリハビリ中、マダラが外道魔像とチューブで繋がったまま「おねむ」(居眠り)してたことがありましたよね。 あの時、マダラはいったい何をしてたのかずっと気になっているのですが、あの時マダラも「夢」を見ていたんだろうか・・・外道魔像(神)とつながりながら夢を共有してたのか・・・そこでマダラは「神」の夢を知ったのか、あるいは「夢の具現化」を行っていたんだろうか? マダラがオビトの未来を読むことが出来、忍世界の未来を「予見」できたのも、大蝦蟇仙人のように「神の夢」に触れたからなのではないか・・とも思ったりします。
 
そして“忍術”が「夢」の力、夢の産物であると仮定したらですが、同じように陰陽遁で創られた尾獣達、そして仙里を守る動物達も 想像で創造された“夢の産物”、いわば彼等は“夢の世界の住人”なんじゃないだろうか(あくまで仮説)。 だとしたら・・・もしこのまま、忍達が「夢の否定」に突っ走るのなら、それは同時に忍術だけでなく尾獣達も「否定」することにもなってしまうような気がするんです。
 
九喇嘛達もそれは知っていて、それでも「黙って」ナルト達に力を貸そうとしてるんじゃないだろうか・・・九喇嘛達が「あまり余計な事を言わない」のも、彼らはナルト達に何かを隠しているように思えるんです(悪い意味では無くって)
 
そして、再び気になってしまうんです・・・いつも例に出している、あのイタチの言葉が。
 
「人は誰もが己の知識や認識に頼り縛られ生きている それを現実という名で呼んでな」
「しかし知識や認識とは曖昧なモノだ その現実は幻かもしれない」
 
イタチも「神の仕業」を知っていたんだろうか?
 
サスケが「オレの写輪眼は幻術を見抜く!」という度に、イタチは「強気な物言いだ」と言って《まだまだお前の眼は幻を見破れない》と言いたげでしたよね。 61巻でイタチがサスケに語った「幻術で塗り替えられた道案内」の話も、あれは「ヒント」だったんじゃないだろうか・・・?
 
穢土転イタチの言葉、イタチの記憶、さらに究極の万華鏡で読んだ「うちはの石碑」の内容から、サスケは今のこの忍世界が、神の「夢(幻)」によって塗り替えられた道標で導かれている事を知ったんじゃないだろうか。 もし万が一、忍達が既に「夢」に頼って生きているのだとしたら、それを「断ち切らなければ」ならないとサスケは感じているんじゃないだろうか。 だから「尾獣」も忍達の手で消すべき「夢」だと考えているの「かも」しれません。
 
サスケがナルトに事情を説明もせず、一人で「過去を切ろうとしている」のは、ナルトが尾獣達を守ろうとしている気持ちが分かるからこそなんじゃないだろうか。 ナルトの気持ちを考えればこそ、ナルトには「真実」が言えないのではないか・・・サスケって、そういう優しいところがある子だと思いますから。
 
今週のサスケを見ていると、特に活躍はないようにも見えるんです。 《獣系(肉体系=千手系》の皆さんのヒラメキとパワーに圧倒されちゃって、何も手を出せず、何も言えず状態にも見える・・・ 
だけど、ただ圧倒されてるわけでは無く、サスケは《重要な事に気付いていて》、今は1つ1つ状況を確認するように観察しているように見えるんです。 それを感じさせる描写は、この後出てまいりますが、それについてはこの続き「その2」でちょいと触れたいと思います。
 
 
サスケの今の眼は、ようやく「全ての幻を見抜く」ようになったのではないか・・・・
 
 
(「前半その2」に続けます・・・)