“マダラ立ち”とマダラの「英雄(ヒーロー)願望」について・・ちょっと。
《マダラ立ちの基本・・・腕を組んで、足を肩幅以上に開いて 背筋を伸ばして見下ろす・・・》
601話の雑考では「マダラの立ち方」について再度(再々度?)触れたのですが、以前「我愛羅の腕組みについて」も考えたことがあるんです。 我愛羅の記事を書いた当時、まだ「本マダラ」は登場していなかったので、腕組みキャラといえば「我愛羅と我愛羅父さま」だったんですよね。
人と向かい合う時、「腕組みをする」ということは握手の拒否であり、受け入れの拒否・・・そして「己しか信じられない」という意味だと思うんです。そして、今のマダラも まさにそういう状況かな・・とね(もっとも、彼はオビトだけは信じているようですが)。マダラの「力を誇示し相手を威圧するような姿勢」は、相手に己の力を認めさせて従わせたい願望の強さの顕れだろうと思うんです。
601話で、長門の裏切りを知ったマダラが呟いた《どいつもこいつも・・・》。
強大な力を手にしながら、マダラは火影にも選ばれなかったし 一族にすら背を向けられた・・ちょっと気の毒な人でもあります。
無敵の力を得ても、誰も自分についてきてくれない・・・孤独な実力者の心は満たされることが無かったんじゃないかな。マダラが本当に求めている事は、相手を倒し死なせることではなく「己の力を認めさせること、そして従わせること」だと思うんです。 強引に自分の計画を受け入れさせること。
マダラほどの実力があれば、敵を力で圧倒することは簡単なわけですが、でも心まで従わせ「相手に己を認めさせる」事は、なかなか難しい。
かつてマダラがオオノキと無サマと闘った時、マダラが彼らの命まで奪わなかったのは・・目的が「倒す」ことではなく あくまで『自分を認めさせる』ことだったからだと思うんですよね。
そして、マダラが「無限大チャクラと不死の体である穢土転生」よりも「輪廻天生」にこだわったのも・・マダラが求めているのが単純な「強さ」ではなく、自分の「実力」を周囲に認めさせることだからじゃないだろうか。
でも、そう考えた場合・・・マダラは本当に「五影達に勝った」と言えるんだろうか?
マダラが時間をかけて力を小出しにしながら「力の差」を見せつけていったのも、五影が降伏するのを待っていたからだと思うんです。 でも切り札「完成体須佐能乎」を出したというのに、それでもオオノキは「それでもやるんじゃ!」と諦めなかった・・・つまりオオノキは屈伏しようとしなかったし、マダラの力を認めようとしなかった。あの時点でマダラは事実上「負け」たような気がします。
「あっちの戦場」から「こっちの戦場」に来たマダラは、堂々と「マダラ立ち」してみせた。 だけど、あれで意外と「自信が無い」のかもしれません。 マダラには、正直なところ柱間のような天然のカリスマ性はない。 それはマダラ自身がよく分かってる・・ だから柱間とは違うやり方で、強引に「平和な世界」を造ろうとしている。
高いところに陣取るのも、「下から見上げる顔」は怖く見えるから。 これはヤマトが「恐怖による支配」と称して、ナルト達を威嚇するのに使った手と同じです。
だから高いところに陣取る。 そうやって腕組んで、見下ろすことで威嚇効果が圧倒的に上昇する。 そうやってマダラは己を演出する・・・そうしなきゃならないのだ。
心の奥底では、演出無しでも「器の大きさやカリスマ性」が滲み出る柱間に強烈なコンプレックスがあるに違いない。
そういえば、マダラ立ち・・ナルトもやったことあるんですよね。 例えば中忍試験で「カッコよく、遅れてやってきたヒーロー気分になった時」。
「悪いなサスケ・・・合言葉は・・・忘れちまったぜ!」
ナルトにとって、あの立ち方は「ヒーロー立ち」なんですよね。ヒーローの決めポーズ。
そして、これ・・オビトもやってますね。第599話オビトの過去話、中忍試験でガイと対戦した時のオビト。「すっかりヒーロー気分になってるガイ」に負けまいとして、「腕を組んでマダラ立ち風」をしている・・。つまりあの立ち方は、本来ならマダラ立ちというよりは「ヒーロー立ち」と言った方がいいのかもしれません。だけど表情は違う。 威圧ではなく「大丈夫だオレに任せろ」的な表情。 安心を与える表情なんですよね。
もしかしたらマダラも・・本当は(純粋に)「ヒーロー」になりたい願望があるんじゃないだろうか・・なんて思っています。 マダラにとっての英雄とは、誰からも「強い」とその力を認められ、全てを従えることができる実力者。 そして世界を救う「救世主」。
だけどやっぱりマダラは顔がいかついから、どうしたって「恐怖による支配」になってしまう。 もしかしたら、本人はそこまで「恐怖」とは思っていなかったりするのかも・・・・
☆長駄文、読んでくださって感謝。
※関連過去記事;我愛羅の腕組みスタイルについて