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NARUTO-ナルト- 601:オビトとマダラ 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ42号) その3

NARUTO 601:オビトとマダラ その3

(雑考その2の続きです、)
 
「オレが八尾と九尾をやる オビト お前はこいつらをやれ」と空高く飛びあがったマダラ(飛べるの?この人・・)。
やっぱり、そう来るよね・・・。マダラVS八尾九尾、オビトVSカカシ&ガイ・・・
 
「・・・・・・・」
 
オビト、ちらっと舞い上がったマダラに目をやってますね。
ん~・・やっぱりオビトは「ナルトとビー」が心配なんじゃないだろうか、あのちょっと心配そうに「・・・・」とマダラを見上げた眼は、マダラが何をしでかすのか気にしている眼に見えます。それにオビトは「時間」も気になっているのかもしれない。
 
「オビト・・・ お前に何があったんだ・・・? どうしてあんな奴と・・・!?」
 
(カカシ、もうずいぶんと冷静になってる気がします。全てはマダラに出会ったせいだと考えてるんじゃないだろうか)
 
 
そして。
 
オビトも《封印してきた過去》を思い出し始める・・・これ、オビトが少しずつ心を開きつつある兆候・・かな)。
神無毘橋の戦いのあと・・・オビトはどうやって助かって、どうやってマダラと出会ったのか。
 
(意識を取り戻すオビト・・)
 
《オレは 死んだ・・・・のか?》
 
(うっすら「右の」写輪眼をあける)
 
《!》
 
『・・・・・・ ここ・・・は・・・・・?』
 
 
『あの世との狭間だ・・・  ・・・・うちはの者よ・・・』
 
 
暗闇の中で痛々しく右半身包帯だらけで横たわるオビト。・・・これまた、見ていて辛いような絵です(包帯を縫ってあるのは、角都のひじき糸にも見えるんだけどなぁ・・・)
 
むむ?「あの世とこの世の狭間」にオビトが「居る」ってことですか。 
しかも魂では無い「実体」なのかな?それとも・・・
 
私は今まで、マダラは死んだ後「魂」はあの世との狭間=時空間=サクモが居た場所で輪廻天生される時を待っていたと考えていたんです(先週もそんな雑考を書いてしまったばかり)。でも今週号を読んで「この世とあの世の狭間」とは何か・・・もう少し考える必要が出てきた気がします; 
 
もしマダラとオビトが居る『この世とあの世の狭間』サクモがたき火をしていたような場所ならば、通常は「魂」しか入れない世界なのだと思います(サクモもカカシも、あの空間に入っていたのは「魂」。)  そしてあれは精神世界というより「実際にそういう場所がある」とも考えています。
 
サクモがカカシと別れる時「これで安心して行ける 母さんにやっと会えるよ・・」と言っていた事を考えると、サクモはあの「狭間」で、二十数年もの長い間「あの世に行かず」にずーっとカカシを待っていたことになります。現世に強い未練と執着があれば、「あの世との狭間」で数十年いる事ができる・・・・というのが「サクモ」という伏線で示されているわけです。
そしてあの場所に滞在していたカカシの魂が、廻天生によって「復活できた」こと・・これもまた伏線と思ってます。 つまりマダラさんも死後、あの世との狭間「輪廻天生」出来る場所にずーっと居たのかもしれない、と。
 
「神無毘橋の戦い」・・・時代的にはこれは約18年前、九尾事件の一年半前です(オビトが13歳の桜が散る季節)。
 
マダラは輪廻眼を開眼したのは“死の少し前”と言っていたわけで、遅くても長門が輪廻眼を得た頃(30年位前)には死んだと思えるんです。 なので・・どう考えてもオビトが会った当時のマダラは現実世界的には「死んでいたハズ」だと思うんです。
 
 しかし世間的には死んでいるけど・・・「あの世との狭間」で在り続ける、それはあるのかもしれません。
 
『マダラは今もその瞳力と共に在り続けている…』 (イタチ、386話の言葉)
 
あのイタチの言葉は、マダラは「存在を現世からは消した(死んだ)」ものの、あの世にはいかずに「狭間に在り続けていた」という意味だったんだろうか。
 
だけど通常「あの世との狭間」は魂しか入れないはずで、「実体」が入ることはないと思えるんですよね。
でも、この包帯だらけのオビトは「実体」に見えるんですが、それともあれは精神体で実体は現世に在るのか・・、(その場合は、現世で誰かマダラと別人がオビトを治療したことになる)、正直この絵だけでは判断し難い。
 
もしこのオビトも魂ならば、あの世に行きかけてここまで来た・・というのは分かるのですが、もしあのオビトが実体なら、どうやってここに来たんだろう。
 
当初は、神無毘橋で土遁・裂土天掌で崩れた土砂に埋もれ行く中で、オビトは《もっと皆と居たかったなぁ》という思いから(愛情に目覚め)万華鏡を開眼し、神威の時空間に瀕死の状態で逃げ込んで九死に一生を得たのではないか、と思っていたのですが・・もし「神威の空間」がカカシが言うようにプライベートスペースで、共有していないのなら、オビトが自分の瞳術で「マダラのいる空間」に入れるわけはない・・・。ならば、マダラが狭間から瞳術で オビトを「自らの空間に救出」したのだろうか・・・?
もし、狭間では霊体は生前どおりの眼を持ち 使う事ができたのだとしたら。「今もその瞳力と共に在り続けている」…ならば可能かもしれない、と。
 
そして・・・オビトは「マダラの神威空間」に居たヨタヨタの?困っているマダラ爺さんに会ったのだろうか・・。
 
「神無毘」・・・神の棲まう場所。 草隠れのあの戦場付近は、外伝を見ると草木が巨大化しているんですよね。巨大なしいたけ森、巨大な竹林・・・まるで「妙木山」、仙人の里のように自然エネルギーに満ちた地。
 
(マダラ爺さんは、時が満ちたら魂を「白ゼツでチャクラコピーして作った全盛期の肉体」に戻してもらって復活・・を企んでいたのではないかと、おバカな私の頭ではそんな事ぐらいしか思いつきません。
もしそういう方法が可能なら、それこそ「うちは事件」で死んだ一族の魂を「あの世との狭間」にズズッと吸って 各々のチャクラも保存していれば(眼を保管していれば可能かな)、輪廻天生で一族復活も可能かも・・・なんてさらにおバカな考えに至ります。)
 
そして魂となったマダラは、あの世に行かず狭間でずーっと協力者になり得る「時空間瞳術の眼=神威を持つこ者」が現れるのを待っていたんじゃないだろうか・・・?それが、オビトだった・・・。
 
マダラが死んだのが30年以上前だとしたら、マダラが60~70歳ぐらいまでには「死んでいる」ことになります。
だけど、そのわりにはこのマダラさん、ちょっと老けすぎなんですよね。
あのチャクラ旺盛なマダラさんがダンゾウ以上に老けるとは思えず、これはどうみても80歳以上・・・死んでなお、リアルに年取り続けた姿に見えます。
 
でも、同じように「あの世との狭間」に死後二十数年居続けたサクモさんも かなりリアルに老けてたんですよね、どう見ても50代・・・ 実際にサクモが亡くなったのは今のカカシと大差ない年齢と思われるので(“オレもお前も母さんほどじゃないが早死にした”とサクモが言っていたので)そのわりには老けてます。 「あの世に行く前の狭間」ならば、その霊体はたとえ死んでいても 現世と同じように年取るの「かも」しれません。
なんだかなぁ・・・46,48巻の「カカシとサクモが居た、狭間の世界=輪廻天生がまだ間に合う場所」、あれも伏線描写のような気がしてならないのです。
 
そこでやっぱり気になってくるのは、しつこく「シスイ」・・・・シスイの最期についてイタチは「死んだ」とも言っていますが「己の存在を消した」と言っている。 この表現がど~しても気になり、シスイも時空間で「在り続けている」のではないか、とも思えます。勿論、彼がマダラサイドについているとは思えず、彼は時空間の中から別の目的があって時を待っているのだろうか・・・などと考えてます(イタチは知っているんじゃないかな・・)。 
オビトが「約束」してるのが「兄弟のシスイ」だったりしたら、ちょっち面白いなぁ・・なんて、これは妄想域なのでこの辺に止めるとして・・
 
オビトの右半身、右顔、そして左腕の半分・・・痛々しい包帯姿ですが、こうやって「自動回復能力がある」白ゼツ素材で治療されたんですね。
 
(九尾事件の時の仮面がオビトならば)、左腕からは“ズリュッ”と白ゼツ素材と「ボタタ・・・」と鮮血の両方落ちていたのは、こういう状況だったのかと納得・・・です。 そして胴体も、ミナトがクナイを刺した所から血が流れてたのはちょうど生身のあたりだったんでしょうか。 で、螺旋丸が当たった背中は白ゼツ素材、天照が着火したりナルトの螺旋丸が当たった右肩は白ゼツ・・・。
 
・・・・しかし助けられたとはいえ、包帯だらけにされて、実験体のように白ゼツ素材を使われたオビトの体は見ていて辛すぎますね・・。いずれにせよ、この状態ではオビトはしばらく動けそうにもないし、リンに何かあったとしてもオビト自身はどうにも出来なかったのでしょう。
 
《どうしてあんな奴と・・》と言わずにいられなかったカカシ。
 
たしかに・・カカシにとってはマダラは《あんな奴》かもしれませんが、オビトにはただの《あんな奴》ではないのかもしれません。 
 
なにしろオビトは人の心を読む洞察眼は誰よりも鋭いですから、マダラの誰にも見せない「心の奥底」を、オビトだけは見抜いていたんじゃないかと思うんです。野蛮で憎しみの塊っぽいマダラさんの心の奥底に在る「寂しさやら悲しみ、愛情」まで、オビトには「見えちゃっていた」んじゃないだろうか。
オビトが「あんな奴」に協力したいきさつには、これまたオビトの「優しすぎる、他人の心を読め過ぎる」性格が影響してるんじゃないだろうか・・なんて思えるのです。
 
 
 
・・・・・そして今週、一番『震え』がきた描写はコレです。「外伝」とのリンク描写。
 
 
前回600話でも「岩のゴゴゴ・・という音」で「現実世界の戦場」と「回想世界の神無毘」をリンクさせた描写がなんとも切なかったんですが、今回の「リンク」は・・・さらに、切ない。 
 
601話、最後の部分・・・
 
《オレは 死んだ…のか?》 
 
(オビト、うっすら「右の」写輪眼をあける)

《!》
 
『…… ここ…は……?』
 
 
『あの世との狭間だ…  …うちはの者よ…』 (老人)
 
 
 
・・・そして「外伝最終話(244話)」。気を失っていたカカシが目覚めた時・・・・
 

《オレは… 死んだのか…》 (カカシ)
 
(うっすら「左の」写輪眼をあける)
 
 
『ここは・・・?』
 
 
『ん・・・気がついたみたいだね・・』 (ミナト)
 
 
神無毘橋の戦い後、同じような刻に・・・・カカシとオビト、二人は目覚めていたんですね。
外伝では「カカシの左眼が目覚めてみた世界」、そして・・・今度は「オビトの右眼が目覚めてみた世界」・・
目覚めた時、「同じ眼」がみた世界は、右と左ではあまりにも違うものだった・・・。
 
こうして神無毘橋の「2人の英雄」は、全く違う運命を辿っていくことになったんですね・・・
 
同じ「眼」は、1つは現実世界の光と闇を。
そしてもう1つは異世界の闇を。 
 
 
 
9/15、カカシの誕生日。 大変な誕生日になったものだな・・ 
いや、この戦いもカカシが「本来のカカシ」に戻るためのものだから・・・「木ノ葉の気高き白き猛獣・白い牙のカカシ」に。そしてオビトも誰でもない男から、誇り高き「うちはオビト」に。
だから・・・この2人がこうやって出会えたことは本当に重要なものだと思っています。
 
なにより・・オビト(眼)とカカシ(獣)の和解が サスケ(眼)とナルト(獣)の和解、そして共闘につながっていく。第2部は、カカシがナルトを、オビトがサスケをそれぞれ育てた物語といえるのかもしれません。 
そして・・オビトとカカシ、「眼と獣」本来の二人の姿での本当の共闘を見せてほしいと願っています。
 
 
やっぱり、オビトを「戻せる」のは・・・・カカシしか、いない。
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
☆関連過去記事(参考まで)
 
トビの時空間忍術とその異空間   (←かなりの古記事ですが)
 
 
 
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