ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- №616:忍び舞う者たち 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ08号)  その2

NARUTO №616:忍び舞う者たち  その2

(その1の続きです)
 
・シカク達の微笑み
 
シカクといのいちの「最期の言葉」ですが、“これから死にます”的な露骨な表現は避けてたんですね、さすがに・・・。 「生きてててめーが指揮を取れ(シカク)(これはホントは「執れ」だと思うんだが)って言い方もカッコいいし、「本部はこれから消える(いのいち)なんて表現も、いのを気遣ったのかマイルド表現。 
もっとも、それだけで《本部が十尾の尾獣玉のターゲットになった》ことを誰もが察知したわけですが、ナルトだけはよくお分かりでなかった・・ ってのは、単純にいわゆる「理解力」が欠如してるせいだったのかなぁ・・・?いや、意外とナルトは勘が鋭いし、本部は本当にどこかに「消えたのかも」って思ってます、時空間に(しつこい・・かな)。 ど~もシカク達が本当に死んでしまったようには思えなくって(もっともシカク達自身が何か策を講じて自ら「消えた」可能性も無い訳では無い)。
 
限られた時間だったわけですが、その中でシカク、いの親子の間で大切な「想い」が渡されていたんですね。 親父として面と向き合ってやれたのは将棋ぐらいだったと言ったシカクに、
 
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「充分だ オヤジの・・背中 見て育ったからよ」。
 
コレ、シカマル本当によく言った!と思うんです。  
 
親父さんとしては、もう最高に嬉しいでしょうねぇ・・息子にこんなこと言われたら、父親冥利に尽きるってモンでしょうし、これならいつ死んでも思い残すことなさそう(これから「消える」わけだけど)。
でもこんな言葉、もしかしたら「面と向かっていたら」照れ臭くって言えなかったんじゃないか?とも思うんですが、とはいえ・・・突然で辛かっただろうに、こんな最高の言葉を言ってあげたのは、シカマルの優しさであり、オヤジさんへの最高の愛情表現だと思います。別れの時には、後悔のないように、照れ臭かろうが《一番伝えたい感謝の言葉》を伝えるべきだと思うんです。・・そうじゃないと一生後悔しちゃうこともあるだろうから。
 
そして「背中を見る」・・つまり同じ方向を見て、同じものを見て、真似をすることで子や弟子は知らず知らずのうちに成長する。 オヤジとか師の背中ってのは、そういうものなのかもしれません。
カカシもよく「四代目火影の背中」を思い出してますが、ミナトはあまり手取り足取り指導するタイプじゃなかった印象があるんですよね(カカシの千鳥開発も知らなかったし)、だけど教え子ってのは「守ってくれる背中」を見て成長していくもんなんですね。 
カカシは、《だらしない先生ですまない》とサクラに謝っていましたが、そんなことはない・・・第七班の教え子達だって、カカシの背中から沢山学んでくれていた・・・ っと、これは後述します。
 
そして、いのいちが伝えた「想い」。 
 
心転身とか心乱身とか、他人の心を乗っ取っちゃったり心をのぞき見する術を駆使するお花屋さん兼業の山中家ですが、一番大事にしているのが家紋の萩の花言葉「想い」・・・・・さすが「心」を扱う山中一族、かな。
でも同じ萩の花言葉でも、いのは《前向きな恋》を大切にしてて(これはアスマにも言われたし)、だけどいのいちは《父さんが何より誇りに思うのは お前の友に対する・・・“想い”だ》とさりげなく「友」を強調してて、《大切なのは恋の方じゃないよ》と釘を刺したのか?これは“女の子のお父さん”の本音だったりして・・・ってのは冗談ですが、「想い」ってのは、相手のことを「心で」考える事・・・頭で考えるんじゃなくって「心」。 いのが心を扱う術をここまで駆使できるようになったのも、「想う」事ができるからなのかも(いのは もうこれで大物相手に3回も心転身成功させてますし、同期の中でも一番と言っていいぐらいの活躍してますよね)。
 
でも・・・最期の最後でシカクが言い遺したことが、「母ちゃんに見つかったらマズい木箱の中身」だったとは(笑・・各自自由に想像かな)。 そして、それまで「了解済み」のシカマルって・・・アレ?シカマルも木箱をチェック済みなんだ(笑) 出来た息子さんをお持ちで、ホント幸せ者ですなぁ、シカク。
おかげで深刻モードが吹っ飛んでますが、彼らはすっかり成長した子供達に全く思い残すことも無く、自分達の想いが確実に伝わってる事に満ち足りて・・・
 
笑顔で「消えた」のでしょう。うん・・・「何処かに消えた」。
 
《オレ達はいつも お前達の中に居る 忘れんなよ!》
 
「いる」ではなく「居る」・・・例の如くですが、この場合は「生きている」の意味です。
 
うん、わかる・・・・私も亡くなった父はいつも心ン中に居ると思ってます。 母から「何も残せなかったことを(父が)残念そうに言ってた」と聞いた時、ナルトが言ってた(・・・もっと大切なもん もらってっからよ)って言葉がスッと頭に浮かびました。 親子の在り方ってそういうものなのかもしれない・・なんて、NARUTOを読んでると感じることがある・・。
 
微笑んで「消えていった」いのいちと、シカク。 だけど・・・全てが彼らみたいに最後に想いを伝え合えるわけじゃあないし、託せるわけでも無いだろうし、死に様を守れなかった人もいっぱいいると思うんです。 想いが断ち切られ、つなげられなかった時・・・それは傷が呪いのように残り、心の中に「居る」とは思えなくなってしまうんじゃないだろうか。
 
リンの最期は、大好きなカカシに「心」を貫かれた死(まだ真相は謎だけど)・・・・それを目撃したオビトにしてみれば、彼女の想いが「繋げられた」とは感じられないと思うんですよね。だけど・・・あの時のカカシの千鳥は、リンの「想い」を大切に生かすための「仲間を守るための千鳥」だったのではないか、とも思えるんです(現時点ではということですが)。 カカシがサスケに《千鳥は仲間を守るための力》と強調してたのが、どーも気になる。
 
穢土転再不斬戦で、カカシは《再不斬達の死に様を守ることも、オレの守るべきもんの1つ》と言っていましたが、リンの死に様だって、カカシが守ってきたモノの1つなのかもしれない・・・と思うんです。 カカシはリンの《最期の言葉》を知っているだろうし、リンから《何かを託されていた》のかもしれない。 もし、それが明かされることになれば・・・リンの想いはオビトにも繋がるんじゃないかと思うんですが、ただし、カカシがそれを簡単に口にしないのには、何か深い訳があるのかもしれない・・とも思っています。
 
・マダラさんの微笑み
 
ヒナタの九尾チャクラで強化された八卦空掌をみて、「小娘がナルトの力を受けてずいぶんと強くなったな・・・」と微笑んでいるマダラ。・・・って、マダラさん微笑んでるし(笑
 
さらに・・・奈良一族が強化された影縛りで十尾さえ縛ってしまったのを見て「次々くるな・・・ 今度は奈良のしばりの術」・・・と今度はまぁ穏やかな菩薩のような表情で見守り、すっかりご満悦のマダラさん。 影効果、つまり「恐怖による支配」顔で腕組みして見下ろしてた、あの猛獣「マダラ」と同一人物とは思えない。あらら・・・これが素なのかな、もしかしたら。
 
マダラが本来求めていたモノ。
 
それは、彼が今、目の前に見ているような忍達の姿だったのではないかとも思うんです。 何があっても心が折れることなく、諦めず次の手を考え、ぶつかってきて・・・そしてマダラを超えようとしていってくれる子孫達の姿。 特に未来を担う若い世代が、己を超えようと懸命にぶつかってくる姿・・・それこそマダラがずーっと子孫達に求めてきたモノじゃないかと思うんです。 オビトによるマダラの過去回想を見ても、マダラは「絶対諦めねェど根性」タイプだと思うんですが、マダラの「曲げねェど根性」の意志は受け入れられず、子孫後輩たちは妥協して、諦めていったんじゃないだろうか。・・・そしてマダラ自身も、諦めざるを得なかったんだろうか。
 
「引き継がれるものがあるとすれば憎しみだけだ」なんて可愛くない事を言ってたのは、本音は「自分の“想い”を引き継いでほしかった」ってことですよね。 柱間の子孫である綱手を見下して悲観したり、自分の子孫であるオビトのことも「下っ端」なんて呼んだり、カブトに「あの偽マダラが計画通りに事を運ぶつもりがあるのかどうか」といわれ揺れたのも、マダラは託す側の「空しさ」をイヤってほど知っていたからだと思うんです。
でも・・・その「下っ端」オビトが、かつての自分(マダラ)が諦めたことをもう一度やってみせ、それに対して今の子らは十分すぎるほどの「答え」を出してくる。 かつてマダラが望み、だけど得ることができなかった「答え」を。 「まさか」の展開に、マダラは・・・目を細めているように見えるんです。
 
マダラはオビトにかつての自分を重ね《今度こそもしかしたら》という希望を持ち始めているような気がします。そして「無限月読」の文字も、少しずつ消えかかっているのではないか・・・・というかマダラ自身、無限月読が最善とは思ってなかったんじゃないかと思うんです。 今のオビトがやってるみたいに《脅しをかけておいて忍達の本気の奮起を促したかったのではないか》とも、思ったりで・・・「無限月読」は、最終的な手段ってとこじゃないんだろうか。
 
そしてオビトは、今の光景を意図的に爺ちゃんに見せようとしているんではないかと思うんです。マダラが《本当に求めているもの》が何なのか・・・オビトには、それがよく分かっていたでしょうから。 
カブトが言った通り、確かにオビトは「マダラのシナリオ通り」に事は運んでないのかもしれません。だけど、それはマダラを“裏切ってる”訳じゃあ無いと思うんです。 
オビトは「かつての、己を捨てる前のマダラが望んでいたこと・・・・つまり“本来のマダラの計画”」を行っているんじゃないだろうか・・・? かつてのマダラが、若かった頃のオオノキと無サマにやったようなことを・・・オビトはナルト達に行い、マダラが「本当に見たかったモノ」を見せようとしてるんじゃないかとも思えるんです。
 
そして、今の忍達がここまでの「答え」を出せているのは けして偶然では無いわけで、長い時間をかけて忍達を事実上導いてきたオビトの「計画」があったから・・・と私は思うのです。
勿論、オビトにとってそれは最終目的ではないだろうし、自分が十尾の人柱力になって忍達の相手を引き受ける覚悟なのだろうと考えてます(私個人の思うところでは、ということですが)。 
オビトがマダラ爺ちゃんを輪廻天生するつもりが無かったのは、本来マダラが引き受ける筈だった「全世界を敵に回す悪役」を自分が引き受けるつもりなんじゃないかと思うんです。 
 
マダラとオビト・・・彼らは「十尾の人柱力」になって力を独占したいと思うタイプには見えないんです。互いに大悪役(憎まれ役)は“オレが”引き受けると思ってるんじゃないでしょうか。 だから、マダラがオビトを陥れたとか、オビトがマダラを裏切るとかではなく・・・ あの爺ちゃん&孫、口先でこそあんな事を言い合ってるけど、ホントは互いを想い、思い遣っているんじゃないかと思っちゃうんですよね。  
 
そして、かつてのマダラがオオノキや無サマ達にやったこと・・・そして今オビトが忍連合にやってる事。
それらも「忍」への愛情の示し方だと思うんです。 これが、自己犠牲がお家芸ともいえる《うちは流》の、まことに素直じゃない“愛情の示し方”なんじゃないだろうか・・・・?
 
ストレートな愛の伝え方をする《分かりやすい千手側》とは違って、《うちは一族》の愛情の伝え方、彼らの心理は「理解」しがたいものはあるんだけれど。
 
 
(すみません、その3・・ラストに続きます)