ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 640:やっとだよ 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ35号) その2

NARUTO 640:やっとだよ ②

(その①の続きです)
 
「まるで蛇じゃな」・・・ニョロニョロと胴体を伸ばす十オビを、落ち着いて観察するガマ吉・・・ガマ吉って、まだ「おやつくれーや」とか言ってた小さい頃から、意外と冷静に(少々親父クサく)観察するタイプでもありましたっけ。 しかしニョロニョロの十オビの体、やはり大蛇丸の体(あるいは仙人化カブト)と似てますねぇ・・。 九尾化ナルトと戦った時(33巻)の大蛇丸の『体の使い方』が 十オビに似ている例については、先週(639話)雑考で触れましたので略しますが、あの時の大蛇丸は「尾獣と闘う六道仙人」の気持ちを体感していたんだなぁ・・と思うと、やはり「楽しかった」んでしょうね、アレは(笑)
そして「やっぱりこの体(幻幽丸の体)じゃ拒絶反応が出てしまう・・」とか言ってましたけど、サスケの体と眼ならば『六道仙人の力』にも適応できると大蛇丸は考えていたんですよね。 今の大蛇丸は、自分でその高みを手にするのはやめて「サスケくんの風」に期待してるみたいですが、サスケが「六道仙人の力」を手にして「救世主」になることも大蛇丸は期待しているんだろうか・・・?
 
 
そして、十オビの放つ黒チャクラ玉(仮称)ですが・・・尾獣玉や十尾玉にも似てますが、地面にあたった時の「削れ方」が違うんですよね。 確かに当たる「衝撃」はあるけれど、当たった瞬間に《ヒュウウウウン》と黒玉が周囲を「吸い込む」んですよね・・で「無」にする。
 
 
先週の時点では、あの力は神威的に時空間に消すのか、あるいはブラックホール的に飲み込む感じなのか・・と書いていたのですが、あれが「消している」のなら「神威玉」とも言うべき対象物を時空間に飛ばすモノなのでしょうし(本来、神威は十尾の力であり、神威の時空間は十尾のスペースであると個人的には考えていますので)、あるいはヒルゼンが分析したように『塵のようにする』塵遁をさらに進めたモノならば、消すというより圧縮し「無にする」モノなのかもしれません。
 
「大きすぎる十尾の力にオビトの意識がどうにかへばり付いてるだけで・・・まるでコントロールできていない!」
 
(今度こそ螺旋閃光超輪舞吼参式をやる!)
 
「スキを作るからカンパツ入れずにお前達のコンビ技を叩きこむんだよ!」
 
螺旋閃光(長すぎるっ、以下略っ!)、“今度こそ”と言ってるけど、ミナトは息子の前で自慢の術を「披露したかった」ってのも(実は)あるんじゃないだろうか(笑) 
ミナトにしては「螺旋丸」ってシンプルな名前を付けたモノだと思いましたが、そういえば「螺旋丸」ってのは、性質変化をつけることが前提だった術・・・本当は、もっととんでもない「長い立派な名前」を付ける予定だったんでしょうね(はぁ・・)。 ミナトだったら、十尾にも「立派な長い名前」を付けてあげられるかも。
 
6本の飛雷神クナイを投げつけてますが、これは瞬時に6カ所から螺旋丸を撃ち込むようなモノなのでしょうか?
 
「・・・リン ・・・・・・」  (オビト)
 
《ピクン》 「・・・・・・・」  (ミナト)
 
「ぐあぁあぁあぁ・・・」 「リ・・・」 「・・・ン・・・」
 
自分の名前もミナトの事も忘れかけながらも、それでも「リン」だけは覚えてる(忘れるものか、と思ってる)んですねぇ・・オビトは。 ミナトはピクンとしていますが、オビトは十尾の力に必死に抗っていることを、感じているのでしょうか・・・そして目の前に居るのは「十尾の人柱力」ではなく、あのリンが大好きだった「オビト」なのだと・・ミナトは改めて感じているのかもしれません。
 
そして、ミナトが思い出す、オビトの言葉・・・
 
《もちろんオレは火影になんぜ》
《そしたら…》
 
《女にかまけてる時間なんてねーんだよ! だろ?先生》
 
子供オビトはかわいらしい大らかな笑顔を見せてますけど、どこか「頑張っちゃってる笑顔」。 リンの前で火影になる話をして、リンに励ましてもらった時の満面の笑み(599話に出てくる)とは違う・・・それでも「いつか自分だって」という夢を持っていた《かつてのオビト》は、ミナトにとって大切な「自分の意志を継いでくれる者」だったんじゃないでしょうか。 オビトにとってミナトが「特別大切な存在」だったように、ミナトにとってのオビトも「大切な、かわいい教え子」・・・
 
この後、ミナトは「いくよ!!」「オビト!」と言って飛び込んでいきますが、それは敵としてではなく、師として、あくまで十尾ではなく「オビト」に向き合うのだと・・・自分にとって、お前は「オビト」なのだと必死で呼びかけているんでしょうか。 
 
十尾に飲み込まれそうになった、オビトの左眼に浮かぶ「涙」・・・
 
ミナトを見ても「オマエ・・ダレ?」になってしまう十オビだけど、でも「涙」は、そこに「オビトが居る」証拠だと思うんです。 オビトってのは、特別「泣き虫忍者」だった・・・敵が怖くて泣いちゃったり、カカシがオビトを守るために怪我した時にも泣いていたり。 ちょっとこわがりで感情豊かな泣き虫は、本来なら「忍」には向いてない・・・
この戦争が始まってからの2日間(まだ2日目)・・・いろいろな「涙」がありましたけど、もっともっと、忍達は涙を流してもいいんじゃないかとも思ってしまうんです。 忍達が思いっきり涙を解放できた時こそ、本当の意味で忍達が己を縛っていたものから解放される時なのかもしれません。・・・
 
 
(そして、オビトの精神世界)・・・
 
十尾に全身縛られ(まるでクシナの中で縛りつけられていた九喇嘛みたい)、体を一部分ずつ十尾に引きちぎられていく度に、ぐあああ・・・と声をあげ、歯を食いしばるオビト・・・
 
もう見てられないぐらい過酷というか、壮絶過ぎます。 右手がちぎられ、左手がもがれ、胴体が引きちぎられ、顔が裂かれ・・・・ この前、カカシの雷切で穴が空けられた後に黒棒がグサグサと体を突き抜けた時もかなり凄惨でしたが、オビトは肉体的にも精神的にもこんな過酷な拷問としか思えないような状況に自ら飛び込んでいくなんて・・・もうこれ、「ありえない」と思ってしまうんですが、でも、リンとカカシを守るために自分の命を迷いなく差し出したり、カカシに(うちは一族としては命以上に大切な)左眼をプレゼントしたり、遅刻して自分の評価を下げてでも「報酬は飴玉1つだけ」のジジババ助けをしていたオビトなら「あり得る」のかもしれません。
 
ナルトが九喇嘛と「チャクラの綱引き」をした時、九喇嘛の大きすぎる憎しみにナルトは自分を失いかけましたけど、オビトの相手は九喇嘛よりはるかに巨大な力を持つ「十尾」ですからねぇ・・・十尾の闇の部分に意識を乗っ取られないように自分の意識を保つなんて、とても普通の精神力じゃありえないです。 
でもオビトが十尾に抗えたのは、オビトの心の「穴」には、しっかりと「ミナト班」への愛があったから・・・そしてミナト先生や仲間から貰った愛があったから、仲間を今でも「信じている」からなのかもしれません。 
かつて、ナルトはサスケとのつながりを守ろうとすることについて、《たとえバラバラにされようがオレは大蛇丸からサスケを奪い返してやるんだってばよ!》と言ってましたが、オビトも《たとえバラバラにされようが、ミナト班は奪い返し、守り通す》と決めてたんだろうか・・・
 
《十尾に全身を引きちぎられ、大切な「ミナト班の写真」まで引きちぎられていくけれど、最後にリンの顔が引きちぎられ己の右眼まで引きちぎられたところでオビトは眼に「カッ」と力を入れ、ウオオオオオオ・・・と叫んで己の体を十尾から取戻し、ミナト班の写真も「取り戻していく」・・・》
 
そしてかつて、ミナト先生に言われた「自制心を口にするなら、口だけじゃなく心も強くもたないと」という言葉も、今、十尾の力に抗いながらオビトは思い浮かべていたんだろうか・・・?
しかし、全身を容赦なく引きちぎっていく『圧倒的な十尾の力』を超えるほどの、オビトの『圧倒的な愛』・・・あの十尾さえ圧倒してしまうんだから、オビトの愛の量は、それこそ「量りしれない」・・・リンへの想い、カカシやミナト先生への想い・・その強すぎるほどの愛があったからこそ、十尾との「綱引き」に勝ったということなのでしょうか。 
 
そして今回明らかになった、オビトの心の中に在る「絶対守りたいモノ、そしてオビトを支えているモノ」・・・それは仲間とのつながり、仲間への想いでした。 そんな「本心」を抱くオビトが、カカシやミナトを「敵として闘う理由」はあるハズなのです。 本来、特別強靭な体を持っているわけじゃないと思えるオビトが、ここまでして成し遂げなければならない「譲れないこと」とは、すべてを「元の形に戻す」ことなのでしょうか・・・尾獣のことも、十尾を起源とするチャクラや術のことも。そして「十尾と人間の関係」についても・・・。
 
でも、カカシが「オビトへの後悔から立ち直れるように」仕向けたり、カカシに神威の特訓をしたり、ナルトにあれだけ「答え」を求めたオビトなので、「幻術で何でもできちゃうハズの」世界を“本気”で創ろうとしているとは、やはり思えないのです。 幻術世界を創るのが最終目的なら、今までの「各種寄り道」はすべて「不要」なのですから・・・
 
そして、あの「写真」の配置(立ち位置)・・・第2巻から既に描かれていたとは思えないぐらい、重要な意味を持っているのに驚かされます。 ミナト先生は2人に「仲良くしろ」というように頭に手を置き、リンは微笑んで2人をつないでる(カカシは、オビトの「大幅遅刻のせいで」不機嫌)。 さらにオビトは「右側」に、カカシは「左側」に・・・オビトは「右眼」として、カカシは「左眼」としてペアとして並んでいるんですね。 いつかきっと、この立ち位置でオビトとカカシは「右眼と左眼」として共闘してくれるんじゃないかと思ってます。
で、「第七班」の写真は、同じようにカカシが「仲良くしろ」とばかりに手を置いて、サクラが二人を繋いでいるんですよね。 そして「サスケは右側、ナルトは左側」に立っています(今週も、ミナトの後ろで2人はこの配置で立ってますが)。 この2人もいずれはこの立ち位置で共闘してくれるんじゃないかと、私としては思ってまして・・・というのも、「サスケが右側、ナルトが左側」で立てば、サスケが左手で千鳥を発動し、ナルトが右手で螺旋丸を作って「合わせて」共闘できるからです(サスケが利き手じゃない左手で千鳥を発動する設定は、いずれ「ナルトの右手螺旋丸」と合わせる為だろうと推測中)。
 
639話で『サスケが第七班の写真(というかナルト)を切って』いましたけど、「オレ一人で」の思いがあるサスケも次第に《ナルトの行動を通して》イタチの言葉を体感していくのかもしれません。 この戦争は、すべてが「元の形に戻るための戦争」ならば、ミナト班と第七班がそれぞれ「元の形に戻る」闘いでもあるのかも・・・そして、それはきっと叶う、オビトだってあれだけ強い想いで仲間を想っているのなら、いつかカカシとミナトにその想いは通じ、時空間スペシャリストミナト班「再結成」の時も来るのではないか・・と思うのです(思いたい)。
 
 
《そして、遂に十尾の力をコントロールし、やっと「十尾の人柱力」となり、六道仙人化したオビト》・・・
 
 
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「やっとだよ・・・」
「先生・・・」
 

オビト、つ、ついに六道仙人化・・・!!
 
 
角も生えてるし、錫杖も右手に持っているし(角は左がちょっと欠けてますけど)、勾玉も。 
遠くに立つ“ミナト先生”を見つけ、こんな世界は《どうでもいいんだよ》と己に言い聞かせて16年以上の月日をかけ・・・今、《やっとだよ》なのだろうか。 
 
※その3へ続けます(六道のことと、つけ加えと)。 
が、諸事情あり、遅くなりそうです・・
 
コメント欄は、最後の記事のところに・・と書きましたが、ここで開かせて頂きます;
しばらくお返事は出来ないかもしれませんがご意見いただければ有難いです・・