ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 640:やっとだよ 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ35号) その3

NARUTO 640:やっとだよ ③

(その2の続きです)
 
今週の雑考、中途半端になっててすみません。 「その3」という大袈裟なモノでもありませんが、補足も兼ねて、もう少しだけ、つけ加えさせて下さい。
 
・・・とまずは、その前に。
 
(ご心配おかけし、申し訳ありません。 温かいコメントを下さった皆様・・・先週の雑考のコメント欄、そして今週の雑考(その2)、ゲストブックへコメントくださった皆様、全部読ませて頂いてます。ありがとうございました。 諸事情アリ、まだお一人ずつにお返事を書く時間が取れそうになく、もう少しの間、記事アップと頂戴したコメントを読ませていただくことに専念させて頂こうと思いますが・・・申し訳無く思っています。) 
 
さて、ちょっと「追加」したい部分なんですが・・例のオビトの精神世界、体とミナト班の写真が引きちぎられていく場面の「順番」についてなんですが。 
 
オビトはまず、最初に『自分』をちぎられてましたよね。 実際に、神無毘橋でオビトはカカシとリンを守る為にまずは「自分」を犠牲にしていましたよね。 オビトにとって「自分」とは、けして「どうでもいい」訳じゃないだろうけど、自己犠牲は厭わない・・・だから、まず自分が引きちぎられても、「はぁはぁ」と息を荒くする程度・・・だけど、仲間を引き離されるのは、耐えがたい痛みなんだと思うんです。
 
オビトの「次」にカカシ(左腕)が引きちぎられていましたが、これはオビトにとってカカシは「対」の存在だからだと思うんです。自分が「右腕」なら、カカシは「左腕」。 
オビトの中では、カカシは常に「対等なライバル」であり、「対となる大切な存在」・・・・自分と同じような立場の、似たような・・身近な存在という意味だと思うんです。
 
それから《ミナト先生とリン》へと続いていきますが・・・最後に「リン」が引き離されそうになった時、オビトの右の写輪眼に《カッ》と「新しい力」が生まれ、それがオビトを“真の十尾人柱力状態(六道仙人化)”まで引き上げましたが、この時・・・オビトの強い愛情が、オビトの写輪眼にさらなる「力」を解放させたんじゃないでしょうか。 
扉間は「写輪眼は心の力と同調し個人を急速に強くさせる・・・心の憎しみの力と共に」と言っていたけれど、オビトの例を見ていると、写輪眼を開眼したのも、六道仙人の力を得たのも、仲間を想う気持ち・・・「心の愛の力と共に」なんですよね。 これが、うちはの瞳術の「本当の秘密」なんじゃないだろうか。
 
ミナトとリン・・・この2人はもう「この世界には居ない存在」。 それだけに、オビトにとって「さらに」大切な存在なんじゃないでしょうか。 《カカシとオビト自身》は、まだこの世界に居る(生きている)。 だけど《ミナト先生とリン》は、もうこの世界には居ない・・・それだけに絶対に《心の中から失いたくない》という想いは、さらにさらに強いんじゃないかと思うんです。
 
615話で、ヒナタが「ネジ兄さんの言葉と想いを諦め棄ててしまったらネジ兄さんのしたことも無駄になる」 「それこそ本当に仲間を殺すことになる」と言った時、オビトは「・・・」と真剣に聞き入ってるんですよね。 
オビトがミナトの言葉を思い出し、諦めるもんか!の想いでマダラのチャクラに抗ったり、ミナトやリンを失いたくなくて十尾に抗ったり・・ オビトって、あの時のヒナタの言葉とか、カカシやナルトが言っていた「想いを消さない」という言葉通りに実際に動いているんです。 
 
ナルトはオビトに「おまえと違ってオレは繋がってたもんを切りたかねェーし・・切られたくもねェんだよ」と言ってましたが、まさかオビトが心の中で、あんなに壮絶に《つながってたもんを切りたかねェーし、切られたくもねェ!》と闘っているとは・・ナルトもミナトも・・・誰も気づいてないですよね。 
オビトの「本当の心」と、オビトの「表面的な言動」はほとんど「逆」と言っていいんじゃないだろうか。まだまだ、誰もオビトの「本心」には気づいていない・・(という事かと)。
 
六道仙人化したオビトの姿・・・シルエット画に登場する六道仙人とほぼ同じですよね(左角は不完全だけど)。   それと、背後に黒丸(黒チャクラ玉?)を浮かべたオビトの絵・・・これ、545話でナルトが使った6つの螺旋丸を使った「螺旋乱丸」の絵や、515話扉絵の「6つの螺旋丸を浮かべたナルト」にちょっと似ています。 ミナトの「螺旋閃光超輪舞吼参式とやら」も、飛雷神クナイを6本投げつけていたことだし、あのナルトの「螺旋乱丸」に似たようなモノなんじゃないだろうか・・と想像してます。 
 
 
「やっとだよ・・・先生」  (オビト)
 
 
「先生」の言葉は、オビトが「自我を取り戻した」つまり「十尾を完全にコントロールした」証でもありますが、この「やっとだよ・・」の言葉。 どっちかというと「オビトらしい」というよりは、「ミナトっぽい」言葉に聞こえるんです。 ミナトの言葉遣いって、「いくよ!」とか「ナイスだよ」 「チームワークだよ」 「二の段だよ」等々、優しい感じの「~~だよ」口調が多いんですよね。 
もしかしたら、「やっとだよ・・・」という言葉も、ミナトがオビトによく言っていた言葉なんじゃないだろうか。 
 
607話の回想でも、ミナト班「最初の顔合わせ」時から遅刻してきたオビトに、ミナトは「やっと来たね・・」と言ってるんですね。 いつも遅刻してくるオビトに、ミナトは毎回のように「やっとだよ・・・」と言っていたの「かも」しれません。 
何か特別な想いを持って相手と「対する」時、2人にしか分からない言葉を伝えるのは「サスケの常套手段」ですが(香燐への「じゃあな」とか、サクラへの「お前うざいよ」とか、ナルトへの「ウスラトンカチ」とか)・・・オビトの「やっとだよ…先生」という言葉は、ミナトへの「対立の印」がわりの言葉だったのかもしれません。
 
今でもあれだけ慕っているミナト先生に、「挑戦するような」セリフを言うなんて・・オビトは何をミナトに「期待」しているんだろう?
 
自分としては、九尾事件の時も、オビトはミナトに「救世主」としての役割を期待していたんじゃないかと考えておるのですが、今だって、あえて「敵側」にまわって闘うことで、ミナトに何かを託したいのではないか・・・と思えてしまうんです。 カカシにも「神威の特訓」をしたり、雷切で己を貫かせたうえで「時空間に放置」したのもオビトには「何らかの意図」があったんじゃないかと思っていますが、今回も、ミナトに何かの役割を託し『期待している』ように思えてしまうんです。 
 
 
(オビトが右手に持っている「錫杖」も黒チャクラ製のようで、ちょっと触れたモノはジュツと「消えて」しまってる・・)
 
「父ちゃん!!」 (ナルト)
「ナルト構えろ!!」 (サスケ)
 
ミナトの腕が切られた時、思わず「父ちゃん!!」と叫んでしまったナルトに、冷静に「構えろ」と注意するサスケ・・・咄嗟にナルトの事を心配して「構えろ」と注意するぐらいなんだから、やっぱりサスケはナルトを「守ろうとしている」事は確かだと思うんです。
それにナルトは、やはり「仲間が心配」・・「仲間を守る事」を最優先にして闘っている。 サスケは「攻め(矛)」に徹しようとするし、ナルトは「守り(盾)」に徹しようとしてる・・
 
(でも、サスケだって穢土転イタチが切られた時は、すごいショックな顔をしてましたよね。人の事は言えないぞ、っと)・・・
 
「やられはしたけど大丈夫!飛雷神で飛んだから」 (ミナト)
 
ナルトの前でミナトが「飛雷神」という言葉を使うのは、コレが初めてじゃないでしょうか(この前まで、ナルトは術名が分からなくて「父ちゃんの術」と言っていたし)。 
 
ミナトはひたすら「飛雷神連発」ですが、もはや圧倒的な「六道仙人の力とスピード」の前では、飛雷神は「必須」といいましょうか・・・ナルト達も、いつまでも「穢土転ミナト頼り」ではなく、自分達でも『飛雷神』を使えるようにするべき!と・・・飛雷神贔屓の自分としては思ってしまうのです。
といいますか、自力で「時空間」に飛べないと、十尾(あるいは六道仙人化オビト)とは向き合えないような気もいたしております・・・特に、共に『神』の名を冠する『飛雷神の時空間と神威の時空間』の関連性は大いに気になりますので、とりあえず、時空間に詳しい(と思われる)口寄せ動物のガマ吉もこの場にいることだし、そろそろ「時空間」関係に話が飛んでもいいような(とまた、言ってみる)。
(カカシはまだ神威の時空間にいるはずですが、カカシの神威なら、あの黒チャクラ玉も瞬時に「消せる」だろうか・・・?) 
 
サスケは穢土転イタチと「まさかの」共闘で、「仙人モードカブト」と闘って、イタチから大切なことを教えられ(イザナミという術も)・・
ナルトも穢土転父ちゃんと「まさかの」共闘で、「十尾の人柱力オビト」と闘いながら、ミナトから大切なことを教わるのでしょう・・・「飛雷神」という術も(かな?) 
 
最終的にナルトとサスケが「向き合うべき存在」は、(今のところ)忍術の「祖(神)」ではないかと思ってるんですが、そこに至る前に、まずはサスケはイタチから・・そしてナルトはミナトから、大切なことを託された(託される)ということなのかもしれません。
 
 
 
 
 
☆乱文すみません。 長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
(ナルト好きブログ!2013/07/30)