ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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アスマとヒルゼン親子のことをちょっとだけ。

アスマとヒルゼン親子のことをちょっとだけ。

10月18日は猿飛アスマの誕生日だから、それに合わせてと思いつつ「遅かったか」…! 1日遅れになったけど、アスマとヒルゼン親子のことを、軽く雑談程度にちょっとだけ。
 
647話、「ナルトの溢れ出た記憶映像」により、息子アスマの死を知ってしまった時のヒルゼンの表情…あれが印象的でしてね。
 
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思いがけない形で知らされた、“息子の死”・・・
 
それでもさすがは『三代目火影』、息子の死も「覚悟していた」かのように、静かに受け止めているように見えたけど、心ン中はどんなだったのだろうな…。
 
NARUTOの中には、様々な「父と子」の形が登場するけれど、ヒルゼンとアスマ父子みたいに「生きている間は素直に想いを伝えることが出来なかった親子」というのもありますよね。 2人ともそれぞれ里では憧れの「かっけ―忍」、そして仲間や部下達には「愛情」をオープンに上手く伝えられた人なのに、当事者同士は「わだかまり」を抱えたまま…
 
“暁”討伐任務に出る前(314話)、アスマは父ヒルゼンの墓前で語りかけてましたっけ…

「今ならアンタの言ってた事も少し分かる気がするよ」
「木ノ葉を離れたり…好き勝手な事ばっかりして悪かったな・・・」
「後悔はしてねーけどな」
「・・・・・」
「今は猿飛一族に生まれたのも悪くねーと思えるぜ」
 
…ということは、アスマはかつて《オヤジさんの言ってる事は理解できなかった、したくなかった》…そして《猿飛一族の役割ってモノにも疑問も感じてた》ってことでしょうか。

《猿飛一族としての役割》というと、奈良一族、山中一族、秋道一族3つの一族をまとめる「承認役」をしていたというエピソードが56巻で出てきます。 
猿飛一族は「一族と一族をつなぐ役割」を果たしていたのか… だからこそ《里とは一族と一族の枠を取り払うもの》という柱間の理念に、当時の猿飛一族の長「猿飛サスケ(ヒルゼンの父)」は共感し、真っ先に柱間とマダラが創設した“里システム”に賛同したのでしょうなぁ。猿飛サスケは、もっとも柱間の夢を理解した一人と言える(と思う)。
 
それを考えると…話がちょっと逸れますが、うちはフガクが息子に《サスケ》の名を授けた“本当の想い”ってもんが、やはり気になりませんか…? 私には、フガクが単純に「里への反発」だけでクーデターを企てたとはどーしても思えないのです。 
 一族と一族を繋ぐ役割を果たした「猿飛サスケ」の名を息子に授けたフガクの想いを考えると、サスケに「一族と一族、里と一族をつなぐ役割」を果たしてほしいと願っていたとしか思えない…やっぱり「名前」にこめる想いってのは、何よりも真実を物語るんじゃないだろうか…とね(もっとも「うちは一族の真実」が明らかになるのは、まだまだ先の話なんだろうとは思っていますが)。
 
一族と一族を「つなぐ」猿飛一族…そして猿飛一族の役割はもう1つ。57巻の《猿飛家といのしかちょう一族のエピソード》によれば、猿飛一族が見守っていたのは「一族どうしの絆」だけではなく「親子の絆」でもあります。 次の世代(子)へと受け継がれる想い、意志…そしてそれを「見守り」、ピアスを子供達に授けるのが「猿飛一族」。次世代(子供達=玉)を見守る…それが猿飛一族が大切にしてきたものなのでしょう。

柱間とマダラが「里」を興したのは、一族の枠を越えたつながりを築く以前に《子供達を守る》というのがまず一番にあった…。猿飛一族が「木ノ葉隠れ」に参加したのは、「一族の枠を越えた横の繋がり」だけではなく「子供達(次世代)を守る縦の繋がり」を大切にする理念があったからだろうか。
 
もっとも「子供達を守る」為のものだった“里”は、時代とともに「本末転倒」になっていき、里を守るために子供まで犠牲になる時代になっていくわけで、ヒルゼンの時代(特に第三次忍界大戦の頃)には、それが悪い意味でピークともいえるような状況になっていく…(ダンゾウは里の為なら子供の犠牲もやむなしと割り切っていたし)。

本来、子供達(次世代)を「玉」と考える猿飛ヒルゼンとしては、その現状をよしとしていたハズも無く…その流れに「区切り」をつけるかのような“ヒルゼンの決意”が見て取れるのが「九尾事件」。 ヒルゼンは子供達を「結界内」に閉じ込めてまでして、守ろうとしていた…(53巻から)。

子供達と言っても、当時14~5歳ぐらいだったアスマ達(カカシやガイ、紅)は既に中忍、上忍だったわけで「一人前の忍」。 この時、納得できない紅は反発してましたが、アスマは「落ち着け…紅!」と諌めてる。アスマは《いかにもオヤジらしい判断》だとは思いつつ、静かに疑問も感じていたのかもしれない…。
 
ヒルゼンの「子供隔離作戦」は、これ以上子供達(玉)が里の犠牲になることを許さない《里の本来の理念》に戻ろうとする決意のようなモノを感じるのですが、一方で既に一人前の忍として活躍していたアスマには「今さら」の思いもあったかもしれないし、「子供世代を守る」名目で息子の自分まで守ろうとした親父さんの愛情を余計なおせっかい、「過保護」のように思えたかも。 
 
アスマは“暁”討伐任務前、「“玉”は誰だか分かるか?」「オレもこの前まではそう(火影だと)思ってた けどそうじゃなかった…」とシカマルに語っていたから(35巻)、昔のアスマにとって「玉」とは「里」であり「火影」であって、結局四代目火影が犠牲となった九尾事件の結果は、アスマにとってそれこそ「本末転倒」の結果だったのかもしれない。
いつアスマが里を出たのかは分からないけれど、オヤジさんのやり方に反発し、直接「火の国の大名を守る」守護忍になったのも、「玉とは火影、あるいは大名」というアスマの考えを貫くためだったのだろうか。
 
でも第十班という「子供達」を授かり、そして自分自身も父親になったことで「玉」とは子供達であると知ったアスマは…
 
「アンタはちゃんと里長としての役目を果たした」
「かっこいい親父だったよ・・・」
 
ヒルゼンに墓前で語りかけていましたっけ。火影や大名を守る「かっこよさ」よりも「子供達を守り、次世代に託す」事が本当のカッコよさだと今ならわかると…

その言葉はあの世のヒルゼンには聞こえちゃいなかったけど、でも穢土転されたヒルゼンは、息子の「死に様」を知らされて… ナルトの記憶の中で優しくナルトに「微笑みかけている」アスマと、アスマの死を悲しんでいるナルトの思いを通して「アスマが“玉”たちのために散っていった」ことを感じ取ったのかな…

ナルトの記憶の中に在った「アスマ」…
ヒルゼンと同じように「玉」達に優しく微笑み、そして守って散っていった生き様、死に様…それを知ったことで、アスマが「こっそりと」オヤジを認め、オヤジの意志を受け継いでいたことを感じていたでしょうか…
 
あのヒルゼンの表情…
息子の死をただ「悲しむ」というよりも、猿飛一族であることに誇りを感じて逝った息子の「想い」に、今さらのように父と子の見えない絆を感じているようにも見える。
 
里の者達には「大切な家族じゃ」と語り愛情をストレートに伝えたヒルゼン、
第十班の部下達には任務の度に焼肉をごちそうしたり、シカマルとは将棋をしたりして「時間外」のつながりを大切にし愛情を惜しみなく与えたアスマ…
それでいて本当の家族である「親子」の間は意外とベタベタとしていない…
傍からみれば生前にもっと思いを素直に伝えあえていたら…とも思うけど、でもヒルゼンもアスマも、お互いに《好き勝手したが、後悔はしてねー》と納得しているのかもしれない。 これもお互いを尊重し信じ合ってるからこその、かっけー親子の形なのかな…と思う。
 
 
 
 

☆駄文読んでくださって感謝。。

(ナルト好きブログ!2013/10/19)