ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 651:埋めたもの 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ47号)その1

NARUTO 651:埋めたもの その1

 
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 ついに…ナルトVSオビト、決着!? 
 
ナルトもオビトも、一番の「真剣勝負」顔… とにかく、いい顔してる!
 
ナルトたちの「心の剣」と、オビトの「心の剣」がぶつかって、とにかく長かったこの闘いも「仮面」を粉砕して決着でしょうか。来週は久々の巻頭みたいだし、ようやくここで大展開が来るんじゃないかと、今から落ち着かない!
…と、これは後にしまして、まずははじめから、この前の続きから
 
 
《須佐能乎の鎧を着た九喇嘛》ですが。
 
「かつてマダラがやったのも…こんな感じか」 (サスケ)
 
サスケはやっぱりマダラを意識してやってたんですね。
ナルトが「!」と驚いてる横で、「このタイミングを待っていた」かのように、口元にはほんの僅かな笑みを浮かべてる。
 
今までこの戦場は「ナルト主導」で進められてきたもんだから、サスケは後れを取ってるようにも見えたけど、それでも随所に「余裕」っぽいものも感じられたんです。その余裕には何か理由があるはずで、それは「自分のほうが知識では上」と思っているせいなのか、あるいはこの闘いの《本質》をサスケは見極めているからじゃないか・・とも思えて。
 
前から気になっているのは、ナルト達忍連合は所詮、マダラやオビト(あるいは十尾)の掌の上で踊らされてきたのかもしれない…ということ。 けして悪い意味とは限らないのですが、マダラが仕掛けて、そしてオビトが演出してきた舞台の上で、連合は今まで真っ正直に踊ってきたのではないだろうか…?と。
 
マダラは時間を超えてまで用意周到に計画を進めてきたし、オビトはやたらとナルト(達)に無理難題を押し付け問答を繰り返してきたし、それらにナルト達はずっと「答え続けてきた」わけでして、なんだか、うちは側に「仕掛け」られてる感が無くもない…(マダラとオビトの行動の理由はまだ「謎」だと私は思ってるのですが)。そしてサスケは、同じうちはとして(今では)それをある程度見抜いているのではないかとも思えるのです。
 
少し前のサスケの「過去を切るのはオレ」発言についても「そんな感じ」がしたのですが、今回の「九喇嘛への須佐能乎着せ」にしても、かつてマダラが同じことをした「理由(目的)」もサスケは分かった上で やったんじゃないかと思うんです。
 
大蛇丸と一緒に「うちはの集会所」に赴いて、サスケは当然《うちはの石碑》を真っ先に読んでいると思うんです…歴代火影たちが穢土転生される前に、今の万華鏡で。 そして、石碑の内容を踏まえた上で「歴代火影たちの話」を聞いていたのではないでしょうか…だから、サスケにはマダラの行動の意図、マダラが終末の谷でやろうとした事なども「分かった」のかもしれない。 
サスケは「うちは側」の情報も石碑から得ているし、「千手あるいは里側」の事情も柱間から聞いている。 だからこの戦争の「本当の意味」、この闘いの本質を見極めているかもしれないし、そして自分の為すべきことも、自分の行動の「意味」も分かってここに立っているのではないか。
 
それに対して、どちら側の事情も事実もよく知らないナルトは、『己の忍道』だけを頼りに真っ正直に闘っている… 悪く言えば踊らされているとも言える(のではないか)。
 
ナルトのほうがこの闘いで目立っているように見えるけど、静観しつつ行動しているサスケのほうが、連合で唯一《真実を見ている》ような気がしてなりません。サスケも皆と一緒に踊っているようでいて、演出側の意図も「分かったうえで」サスケは行動しているような…そんな感じがするんです。
 
だから、サスケが「かつてマダラがやったのも…こんな感じか」なんて独り言をわざわざナルトの横で「声に出して」言ったのも、”オレはお前の知らない事を知ってるんだ”と、ほんのチラッとだけ見せつけたかったのかなぁとも思うし(そのくせ、ナルトには何も語るつもりは(今は)ないのだろうけど)。サスケには、「自分だけが」この戦場で惑わされず「本質を捉えつつ」対処し行動しているという余裕や自信のようなものを感じるのです。
 
須佐能乎という形(器)に九喇嘛という生命力を吹き込んだ陰陽遁で完成された姿とも言えそうな、大天狗姿の九喇嘛は、まさに「白狐に乗った戦勝の神」飯縄(イズナ)権現… 手に持つのは草薙の剣の一振り、天叢雲剣なんだろうか。
この少しあと《満月を背景に天から降臨する須佐能乎九喇嘛》が描かれていますが、その姿はまさに「本当の神」にも見えるんです。
 
柱間も、これに「アレは!」と気づいてますが「あの時のマダラのやったこと」にも意味があったんだと感じているでしょうか(終末の谷の時は”マダラめ、やりよる!”ぐらいに考えていたみたいですが)。
 
そして、その様子を見つめるオビトなんですが…
 
相変わらず、この人が何を考えてるのかは謎ですが、今までの中でも最も「真剣なまなざし」で、須佐能乎九喇嘛の様子(そしてナルトとサスケ)を見ている…相当真剣な目ですよねぇ。なんだか、これを待っていたんじゃないかとも思える。
 
何しろ、ナルトとサスケを「次に運命に選ばれた二人」なんて言ったり「オレがお前達をぶつける」なんて言ってたぐらいなんだから、オビトにとってナルトとサスケがたかが「余興」であるハズもなく、今までこの二人を「余興」と言ってたのは「オビト」じゃなくて「(オビトと同居してたかもしれない)十尾」のほうだったんじゃないか…と自分には思えるんです。
「最初に運命に選ばれた二人」のマダラがこのコラボをやったのも、「次に運命に選ばれた二人」であるサスケ達がこのコラボをやったのも、何らかの重要な意味があるんじゃないだろうか・・そしてオビトも、それを「見てる」のではないか。 
 
オビトの右の写輪眼を通して、時空間にいるカカシの左の写輪眼にズキン!と《オビトが見る映像とオビトの声が飛び込んでくる》…
 
「これは…ナルトとサスケ…?」
(…オビトの…見るもの…声が入ってくる)
(共鳴か…) 
(カカシ)
 
ズズッ…と入って来る「オビトの視界」。これはオビトがかつて「リンが雷切に突かれる瞬間」をカカシの左目を通して見た時と同じ現象ですが、オビトがその後もカカシの視野を共有したことがあるのかどうかは「不明」です。そしてカカシは当然「初めて」。
 
カカシは《共鳴か…》の一言で納得してましたから、理論的にも原理はなんとなく推測できたのかもしれません。だけど理解力のない読者(自分のこと)としては「どーなってるんだってばよ?」と思ってしまうわけでして…
 
この現象、おそらくはオビトの眼を《眼軸ごと移植した》ことが要因の1つなのでしょうが、2人の心がなんらかの理由で共鳴したときに起こるの「かも」しれません。リンの時は、オビトが《カカシ!リンを守ってくれ!》とカカシに心の中でずっと語り続けていたし、今はカカシが《オビト…》と心の中でオビトにずっと語り続けている…だから共鳴し「見えた」のかもしれないし…
 
あるいは2人をつなぐ空間《時空間》が影響してるとも考えられるのです。今、カカシは時空間内にいますし、オビトが初めてカカシの視野を共有したのも「グルグルの着ぐるみを着た時」でして、そのグルグルの「中」がまるで時空間のような場所であることは、603話最終ページの絵からも判明済み。
 
この前、ナルトと柱間の記憶映像と声が皆に「見えて聞こえてきた」ことがありましたが、あれはいのの術のせいではなかったみたいだし、あの現象はもしかしたら「ゼツの録画再生システム」みたいなものが作用したんじゃないか・・と推測しておりました。 柱間やナルトは十尾由来と思えるゼツに近い能力も持っていますし、その能力のせいだったんだろうかと。だけど、もしかしたらあれも「神の見えざる手」による仕業だったんじゃないだろうか?とも思えてきました(可能性の1つとしてですが)。
 
リンの時の映像をオビトに見せたのも、今の映像を時空間内のカカシに見せたのも、ナルトの心を皆に見せたのも、柱間の記憶を皆に伝えたのも・・・神の「仕業」だったんじゃないだろうか、と。
 
神威=神居の時空間内じゃなくっても、既にこのフィールドは神樹の力(あるいは月の力)が満ちていると思われますから、皆が「ゼツのような録画再生システム」で映像を見ることができたの「かも」しれない… 
もし「神」にそんな力があるとしたら、すべての人達に映像(幻)を見せたり、その世界に引き込んだりする力があるということになり、月による大投影システム完成を待たずとも「不完全ながらも」既に夢(幻)で人々を染めることも可能なんじゃないだろうか。
 
この前、マダラが言っていた《この神樹のつぼみが開花した時 花の中の眼が天上の月に写り》《無限月読は〝完全〟となる》という表現も気になっていて、ならば今はすでに〝不完全〟な無限月読状態なんかい?と突っ込みたくもなった…。
まだ曖昧模糊としてはおりますが、どうもこのあたりに『カラクリ』が仕込んであるんじゃないかと気になっております。 《その現実は幻かもしれない》…
 
  
「……」
「上を見てみろ…この天井の穴から何が見える?」
 
「月だ」
「月夜の夢の世界へ向かう時は近づいている」
 
「大きく開いた地獄の穴を月の夢が埋めてくれる やっとその時が来たのだ!」
(オビト)
 
 
ナルト達は一体どこにいるんだと思いましたが、この前のオビトの一撃でドーンと突き落とされ、地面深く穴掘って底のほうに落ちてたんですね。 見上げれば、心の穴みたいにぽっかり開いた穴から見える夜空の満月… (須佐能乎の中の九喇嘛の眼みたいにも見えるけど)
 
この景色、サスケが暁のアジトで月を見上げ「あの日のイタチ」を思っていた時の景色のようでもあり… そしてリンの事件の日、オビトが十尾と共鳴して見上げたあの満月の光景にも見える… 満月は時に尾獣を暴走させ、時に人々を癒す…
 
周囲を囲まれた中から天上の月を見上げるオビトの顔は(ちょっと逝ってる感じですが)まるで「神樹の花」のようにも見える。 神樹がやっと「月」に出会えたような、母である月に甘えるかのような…オビトの表情はもはや「神樹(十尾)」そのもの。オビトのこれらの言葉も「神樹」の言葉にも聞こえる。
 
「この剣は六道仙人の神剣 ぬのぼこの剣だ もう貴様らはオレには勝てん…」
「その想いの強さが剣に宿る… 心の剣だ」
 
「仙人はこの剣でこの世界を創造した」
 
「そしてオレがこの剣でこの世界を消す!」
(オビト)
 
DNA構造みたいな陰陽遁剣かまぼこ・・じゃない「ぬのぼこの剣」
 
例によって付け焼刃のウィキ知識によれば伊邪那岐イザナギ)・伊邪那美イザナミ)の二柱の神は、別天津神(ことあまつがみ)たちに漂っていた大地を完成させるよう命じられる。別天津神たちは天沼矛(あめのぬぼこ)を二神に与えた。伊邪那岐伊邪那美は天浮橋(あめのうきはし)に立ち、天沼矛で渾沌とした大地をかき混ぜ島をつくった(国造り)》…
あくまでこれは「参考」程度にとどめるべきとは思いますが、ただ…ちょいと《イザナギイザナミ》が気になりました。 あの2つの「うちはの究極瞳術」は、やたらと説明が詳しく為されたし、以前のカカシの言葉もなんとなく《イザナギイザナミ》を彷彿とさせるものがありまして…(後述しますが)、術そのものが直接関係してはいなくても、この術の「存在意義、意味」といったものがこれからの話に少なからず関わってくるようにも思えたのです。
 
《心の中でみんなに語り掛けるような表情のナルト》・・・
 
「おい…皆…今の」 (キバ)
「ああ…」 (シノ)
 
「テンテンこれって…!」
「うん!行くわよリー!」
 
「…あいつが呼んでる」 (シカマル)
 
「サスケ…オレ達は一撃に集中する ほんの小さなスキしかできねーだろう… 見のがすなよ」 
「フン……」
 
九喇嘛の9本の尾それぞれに螺旋丸を作り、同期(同世代)たち9人がその中に飛び込む…(キバ、シノ、ヒナタ、テンテン、リー、シカマル、チョウジ、いの、サイ。サクラは綱手と共に百豪に集中)…うまく「9人」揃ってんですね(ネ、ネジ・・)。 
しかも九喇嘛の中に飛び込んだ同期達も「九喇嘛チャクラモード」に…!えっ、出来るんかい!とも思いましたが、これもナルトの能力を使えば可能なんですね、それぞれのチャクラ型に九喇嘛チャクラを合わせればいいのだから(ミナトはナルトと同じ能力だから自前でできてましたが)。
 
サスケが九喇嘛に須佐能乎を着せる作戦を出して「ニマッ笑い」をしたならば、ナルトは仲間を呼んでサスケにちょっと「指示」なんかして、サスケは「フン…」の反応…やっぱりお互いライバル意識してる感がアリアリ。
そして相手が何であろうと、そんなことは気にせずナルトの呼びかけにすぐに飛び込んできた同期達…その同期達に『大丈夫!!』と声をかけるナルト…(やっぱり同期っていいな…!と素直に思う)。
 
ちょっと前までのナルトだったら「全部オレ一人でやる!」だっただろうけど、イタチの言葉《仲間を忘れるな》がナルトにいかに大きな影響を与えたか…大げさに言えばあの出会い、あの言葉が戦況を変えたともいえる。そしてナルトがいかにイタチに「託された」言葉を大切にしてるかが分かる…それは友サスケへのナルトの想いでもあるんだろうと思います。イタチの言葉や想いをサスケに伝えたいというね…。 そしてナルトはサスケにも感じてほしいんじゃないかと思うんです、「同期の熱いつながり」を。かつて…命を懸けて必死に「サスケ」を追った、あの時の同期達の想いも。

 
(その2へ続けます・・)