ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 659:輪墓・辺獄(りんぼ・へんごく) 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ04/05合併号) その1

NARUTO 659:輪墓・辺獄(りんぼ・へんごく) その1

先週はお休みいただいて失礼しました。この1週間、心にぽっかりと穴が空いたような辛い日々だったのですが、ようやく日常に戻りつつある…というか「戻らなければならなくて」(「生きていく」ためには)、でもNARUTOの感想をいつものようにダラダラ書く作業も、私にとっては心の穴を埋めてくれるものの1つなんだと感じています。NARUTOに出会えていて、本当に良かったと思ったり…そしてNARUTOに描かれている「愛」とか「つなぐ」想い、そのの有難さをかみしめながら、改めてNARUTOを読んでいけたら…と思っています。
 
前置きが長くなりましたが・・
 
イメージ 1
 
上のマダラは、今週のジャンプ66頁「ハハ…」と笑いながら1コマずつ表情が変化していく「真ん中」を模写させていただいたモノです。 嬉しそうな恍惚の表情から一転、「ハハハハ…」の声も次第に小さくなって消えていき、現実を見据える表情に戻って表情も暗くなっていく。マダラが本当は「根っからの戦闘狂ではない」って事が、この「すぐに戻ってしまう」ところに感じられてしまう気がしたのですが、はて、皆様はいかが思われたでしょうか。
 
今週のタイトル《輪墓・辺獄(りんぼ・へんごく)》ですが、これまたキリスト教関連用語でして、なかなか面白い使い方だと思ってしまいました。キッシー、どうやって調べておられるんだろう・・(輪墓・辺獄については後述します)。
 
 
・「生きている」実感
 
傷を負い、血を流したマダラは《ズキン》とした痛みと、《ポタタ…》と滴る血を舐め…
 
(この血の味… この痛み…)
 
「オレの体だ…」
 
久しぶりに取り戻した“生の実感”。
 
602話(63巻)では、傷の痛みを感じた少年オビトにマダラ爺は「痛みを感じるということは…まだ生きているということだ」と言ってましたっけ。確かに体の痛みを感じるのは「生きている」証拠でもありますが、当時のマダラは「体の痛み」でしか「まだ生きていること」を実感できなかったのではないだろうか…? 最愛の弟イズナを失って後、マダラは「心に痛みすら感じない」状態となっていたのかもしれません。
 
561話(59巻)で「ワシら忍は戦いに明け暮れてきた」と語ったオオノキに、「それが生きていくということだ」と言っていたマダラ… 
「生きていく」という表現には積極的な「生」への渇望やら「生」への肯定的な響きをあまり感じられなかったのですが、イズナを失って抜け殻のようになったマダラに「生きている」実感を与えてくれたのは唯一、体の痛みだけだったのでしょうか。
 
長年の夢だったハズの「千手とうちはで一緒に里を作る事」が叶った時、嬉しそうだった柱間とは対照的に、マダラの表情はどこか曇り、目に生気は感じられなかった(65巻625話139~142頁あたり)…。マダラにとって、この世界は所詮「地獄」であり、どんな喜びであろうと「生」を感じさせてくれるモノは無かったのかもしれません。 
体の痛みに震えを覚え、血を舐めゾクゾクとしたり…でもその悦びはすぐに消えて長続きせず「地獄の現実」に戻ってしまう。 それは、そんな手段でしか生きている事を確認できない「空しさ」を、本当はマダラ自身が一番感じているからじゃないのかな…。
 
・「おぞましい血」
 
(マダラが口寄せのためにペチャっと血を拭い、九喇嘛がゾクッとする)
 
「あいつの血…」
「嫌な感覚を思い出しちまった かつてワシを口寄せした…おぞましい血だ」
(九喇嘛)
 
「おぞましい」とか「禍々しい」とか。
 
九喇嘛はやたらと「マダラのチャクラ」を警戒する… 34巻でサスケの中にマダラと同じ「禍々しいチャクラ」を感じた時をはじめとして、今まで九喇嘛が「マダラのチャクラ」にゾクッとしたり強い警戒・嫌悪感を示す場面は幾たびも描かれてきましたっけ。 ちょっとやそっとの事じゃ動じない九喇嘛が、アレだけには過度に反応する… 「あのチャクラ」、やはりタダモノではないと思うんです。
 
「ビビって尾を丸めてんなよバカ狐! たかだか人間一人によ!」 (守鶴)
「アレをただの人間と思って甘くみない方がいいぜ」 (九喇嘛)
 
九喇嘛と守鶴の会話って、どこかナルトとサスケみたいで微笑ましい…ってのは置いといて、《アレはただの人間と思わない方がいい》という点が、この会話では重要なんじゃないだろうか。
「うちはマダラ」とは、かつての木ノ葉の忍で、柱間の友達で、オビトのご先祖で(中略)…なんだけど、あの「おぞましい血、禍々しいチャクラ」ってのは、はたしてマダラ自身のモノなのかどうかは疑わしい…本来「人ではない何かのモノ」なのでは?と思えてしまうのです。
 
その血に宿るチャクラは「九喇嘛を強引に口寄せしてしまう力」があるわけですが、そもそも「口寄せの術」というのは血による契約で成り立つ術・・・術者の血と契約書の血判に在るチャクラが引き寄せあい、時空間経由で被契約者を呼び出す術・・・ようするに、術者のマーキング(チャクラかな)で引き寄せあう「飛雷神の術」の仕組みとかなり似ていると思うんです。 マダラの血(チャクラ)が九喇嘛を強制的に口寄せ(引き寄せ)るという事は、マダラの血中に在るチャクラと九喇嘛のチャクラが適合する…つまり元は「同種のもの」なんじゃないだろうか(かつては九喇嘛のチャクラもかなり禍々しかったわけですから)。しかし、これほどまでに九喇嘛を警戒させるチャクラ…このチャクラの「本来の主」こそ、忍達が最終的に相手すべき存在の可能性もあると思います。
 
そしていまだに気になっているのは、その「禍々しいチャクラ」を以前、九喇嘛は「サスケの中」にも感じ取っていたという事でして・・・あの「禍々しいチャクラ」はサスケに限らずうちは一族(或いは一部のうちは一族)の血に宿っているものなのでしょうか。イタチがうちは一族の事を「汚れた一族」とか「血塗られた運命(にある)」とも言っていたのは、そういう「血(チャクラ)」を受け継いでしまった一族という意味もあったのだろうか…と思ったりもします。イタチやフガクは『サスケの眼』こそ、うちは一族を「汚れた血、血塗られた運命」から解放できると考えていたんじゃないだろうか…?
 
 
・またもや「右腕」
 
(マダラの「口寄せ」に、オビトの中の外道魔像が体外にズオオオ…と出てくる)
 
 
「コレで戦おうというのか!? カカシいけるかい!?」 (ミナト)
「ええ!何とか!」  (カカシ)
 
《神威!!》  (《ズズズ…》の神威音に続き、《ボフッ》の口寄せ音)
 
「やったかい!?」 (ミナト)
「…どうやら…」 「失敗の様です」 (カカシ)
 
(マダラ、外道魔像を手元に口寄せ完了)
 
ミナトの喋り方って「ほっこり」してて、やっぱり天然っぽさと天性の穏やかさが醸し出されてますなぁ…。
 
といいますか、ミナトの一連の台詞を見る限り、ミナトはカカシ(オビト)の神威の能力(消し飛ばせる能力)も把握しているように見える… ミナトは神威の「時空間に消し飛ばせる能力」のほうはまだ見ていないと思うんだけど、オビトの瞳術《神威》と己の時空間忍術《飛雷神の術》がかなり「近い術」であることを感じ取っているのでしょうか。 ミナトも手とクナイで結界を作ってその中に入った対象物を「時空間経由で飛ばす」ことが出来ますから、オビトの瞳術神威も同じように「結界内に入った対象物も消し飛ばすことが可能」と考えたの「かも」しれません(推測にすぎませんが)。
 
(しかし、外道魔像の「右腕」は神威で飛ばされたようで、もぎ取られている…)
 
「右腕をもがれたか… 向こうにもまだいい眼を持ってる奴がいるようだな」
「…まぁ特に支障はない これであいつらの小屋は出来た 後はぶち込んでいくだけだ」 (マダラ)
 
もぎ取られた右肩あたりから「ベチャ」っと白ゼツ素材…いや柱間素材のようなモノが溶け落ちてますね、樹脂っぽい…。たしかに、外道魔像を尾獣たちの入れ物(小屋)として使うだけなら、右腕が壊れてても支障はないのかもしれません。
でも、なぜ魔像の右腕は神威で飛ばされたのか(神威は有効だったのか)という点は少々気になります。特に「またまた右腕」がもがれた事…これって偶然なのかなぁ? オビトは柱間細胞製の右腕をもがれたり自分でちぎったりはしてますけど、オビト以外でも「右腕ばかり」もぎ取られる描写が続いているのが気になるんです。
 
54巻で自爆しようとした小南を起爆札ごと時空間に吸い込んでオビトの右腕がもがれたり…この前はミナトが飛雷神で飛んだ際に右腕がもがれたり…今回の外道魔像も右腕だし、時空間忍術を使った時に右腕を落としてるという共通点が「匂う」んです(匂う、ってだけだけど)。
そういえば、この前マダラが白ゼツの右腕をもらっていたから、マダラの側にいる白ゼツも「右腕」が千切れてますよね…
 
そしてその白ゼツですが、白ゼツの「オリジナル」は既にサスケにやられちゃってますよね(サスケにやられたのが「ボク達のオリジナル」だと白ゼツ達が言ってましたので…574話で)。「オリジナル」がやられているという事が、今後どういう形で影響が出てくるのかも気になるところです。
 
そしてマダラの「…まぁ特に支障はない」なんですが、コレ…例の口癖の「まぁいい…」みたいなものですよね、同じ発想からくる言葉。これに関しては後述いたしますが、この発想のしかたがマダラの「穴」でもあるんじゃないかと密かに思っております。
 
 
・そして「ナルトの反応」なんですが・・
 
 
「(マダラは)どうやって生き返った!?」 (重明)
 
「!!」 (輪廻天生の術、そしてマダラの台詞を思い出すナルト…)
 
「…まさか… …オビトで」
(ならオビトは!!) (ナルト)
 
ナルト・・オビトのことを「あいつ」とか「奴」ではなく完全に「オビト」と名前で呼ぶようになりましたね。そして、焦ったような衝撃を受けたような表情…この表情は「それじゃオビトは死んでしまう」と心配してる顔なんですよね…ナルトの中ではオビトはもうとっくに「木ノ葉のうちはオビト」になっているんだと思います。
 
ナルトの「他とは違うところ」は、相手が「何をしでかして、自分にどういった影響を与えたか」という既成事実に拘らないところ…これが並の人間にはできない芸当。 そのかわりナルトがこだわるのは、相手がどういう過去を持ち、どういう思いで「なぜ」こういう行動をしたのかという「理由」・・・そしてその背景にある「想い」、そこから見出せるその人物の「本質」。それが出来るからこそ、ナルトは「誰とでも友達になってしまえる」のだろうし、「敵の事を友と言い、敵のために涙を流せる」んですよね。ナルトが「オビトが戦争を起こし仲間のネジを殺した」という事実にこだわり「オビトを許すべきではない」とか「オビトには罰を与えるべき」なんて考えるような輩だったら、今までのナルトの「轍(わだち)」は無かったのだろうと思います。でもこの発想、なかなか出来るモンじゃない・・・少なくともこの戦場内でおおっぴらに敵・オビトのことを心配する「バカ」は、ナルトぐらいじゃないかと思います。
 
 
・ペット連れ戻し任務
 
(黒ゼツが輪廻眼を取ろうとするのに必死に抗うオビト)
 
『シツコイナ… 死ニカケノクセニ』
『(輪廻眼は)オ前ノ様ナ者ガ持ッテイイ代物デハナイ』
『死二ゾコナイノ用済ミガ イチイチ抵抗スルナヨ』
(黒ゼツ)
 
う~ん、けっこう酷い事言いますな、黒ゼツ。657話でもオビトのことを「用済ミ」とか『役立タズ』とか散々な言い方してましたが(道具扱い)、ナルトがこれを聞いてたら激怒してたんじゃないかなぁ。カカシは何故怒らないのかとも思ったけど、カカシは慎重に「オビトと黒ゼツの会話」を聞いてるんですね・・そしてオビトの言葉から黒ゼツ攻略のタイミングや方法を探ろうとしている。少しずつカカシとオビトは昔の「連係」を取り戻しつつあるのかな…。
 
もっとも黒ゼツがオビトを切り捨てるような言い方をするのは当然で、黒ゼツ側から見ればオビトは元々「使いっぱしり」だし、マダラ様の計画(シナリオ)を上手く進めることが出来なかった「役立たず」でしかない。 目的達成に17年以上もかかった「大遅刻」の上、「マダラの足を引っ張るような結果」に終わったのだから・・・特に黒ゼツはオビトに対して何の情も感じちゃいないし、結果だけを見て冷酷に「突き放す」。
 
(ちなみに…オビトにベッタリついてる黒ゼツですが、丸い目にハロウィーンカボチャみたいな口… 49巻でシーが感知してたサスケの中のゾッとするチャクラ(須佐能乎かな)にも似てるかな)
 
黒ゼツはやたらとオビトが生きていられるのは「自分がくっついているおかげ」だと言ってますが、本当にそうなんだろうか。もしかしたら「それだけ」じゃないのかもしれない…その他にも理由はあるかもしれないし、それに気になるんですよね…やっぱり《グルグル》の存在が。
 
そして黒ゼツはミナトとカカシの事を『コイツラ2人ノチカラモ分析済ミ』だから、オビトから離れたら「命を取られる」とも分かってる…って、黒ゼツは人じゃないけど白ゼツ同様「命を取られる」んですねぇ。
うーむ、長十郎達との戦いでは余裕を見せていた黒ゼツだったけど、「ミナトとカカシの能力」の前では、地中に逃げられる黒ゼツの特殊能力も「効かない」ということなのでしょうか。
 
そしてマダラですが…
 
「左目はもう少しかかりそうだな」 (マダラ)
「みたいですね こっちも少し時間がかかりそうだけど」 (白ゼツ)
 
「ペットを連れ戻すのに何年もかかったガキと一緒にするな」 (マダラ)
 
マダラも(オビトのことを)つれない言い方してますが、マダラがオビトに対して黒ゼツ並みに薄情なのかと言えば、それは無いだろうなぁ…というのが私の印象です。
 
実際にオビトのことは「使えない奴」とは思っているのだろうし、「どいつもこいつも」の一人にすぎないとは思っていそうですが、それでもマダラの心の奥底にはオビトが《じいちゃんが助けてくれたのか…ありがとう》と言ってくれた時の喜びが、シッカリ大切に残っていると思うのです(「実感」として認められないだけで)。 黒ゼツが徹底して冷酷な言葉を吐いているのに較べたら、マダラの《ガキ》という表現にも、どこかしら愛情の欠片があるのを感じてしまうのです、なぜか。
 
ここで話をちょっと逸らしますが、マダラの「ペットを連れ戻すのに…」の発言に、思わず思い出しちゃいました…ナルト達の最初の任務が『ペットを連れ戻す任務』だったことを(作中で描かれている最初の任務という意味ですが)。
 
第9話(2巻)、鈴取り合戦を終えてカカシ先生から例のオビトの言葉(仲間を大切にしない奴は…)を教えてもらったすぐ後、ナルト達が「マダムしじみのペット(猫)を連れ戻す任務」の場面に移るのです。
あの時は「忍がこんな仕事をするのかぃ」と思ったものですが、いやいや…オビトが17年もかけた仕事も、マダラが最後の大舞台でやろうとしてる事も「ペットを連れ戻す作業」なのだから、大差ない(あるか)…あの猫探し任務も侮れないものだったのですね(笑)  こんなところにも「原点立ち返り」があったとは…
 
しかし…「右目(輪廻眼)は隠した」と言ってたオビトですが、布団圧縮袋みたいなのに入れちゃって、一体どこに隠していたんだろう? 時空間に隠せば良かったのに…とも思ったけど、でもは白ゼツにさえ見付からないように「隠してた」って事は、オビトは黒ゼツはもちろん白ゼツも信頼してなかったって事になる。
そう考えると、ますますオビトは「オビト自身のシナリオ」をゼツ達にも内緒でこっそり進めていた可能性は高いと思えてくるのです。だからこそ「17年もかかった」のであって、けして「ペットの連れ戻し任務」に17年もかかったわけでは無いと思うのです(オビトの神威能力とすり抜け能力を考えれば、人柱力を捕獲するのは簡単だったと思えるし)。
 
「なぜ」オビトはペットの連れ戻しに何年もかかったのだろうか。
 
そういった「理由」を考えずに「まぁいい」的な発想で終わらせてしまうところが、マダラの「穴」じゃないかと思うのであります…
 
 
 
(その2、マダラと「輪墓・辺獄」に続けます・・長文すみません)。