ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 665:今のオレは 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ13号) その 3

NARUTO 665:今のオレは その 3

(その2の続きです)
 
(マダラはスッ…とナルトを見やり、オビトもスッとナルトを見る)
 
「……」
「六道仙人が示したこの世界は―――」
 
「失敗した」 (マダラ)
 
なぜ、マダラはナルトを見たんだろう…? ナルトに視線をやることで、オビトに《ほら見てみろ、“この世界”は現に失敗ではないか》と言いたかったんだろうか。
この世界を肯定する象徴でもあるナルトが「死にかけている」状況は、六道が示したこの世界そのものが「死にかけている」のと同じ…だから《この現実を見ろ》とオビトに視線で示したんじゃないだろうか…と思います。
 
 
「……」 (オビト、険しい表情)
 
でも…オビトが険しい表情をしたのは、マダラに言われた通り《確かにこの世界は失敗した》と思ったからではなくて、実は《ナルトの状況が極めて厳しい》事を見ての険しい表情だったんじゃないだろうか。 
ナルトにはあまり「時間がない」事を察し、陰九喇嘛をナルトに与える方法、あるいは何らかの策を既に考え始めているのではないだろうか…オビトのあの「……」の表情は、“何か策を考えている”表情に思えるんですよね…。
 
そして、また驚きの新事実が…
 
「いいか 六道の広めたチャクラとは 本来“繋ぐ”力の事だ」
 
ええっ、そうなのか…!!
 
「人と人の精神エネルギーを繋ぐものだった」
「言葉無くとも互いの心を理解し合い 人々の安定を願うもの その力を忍宗として説き 人々に伝え導こうとしたのが六道仙人だ」
 
「だが人々はいつしか互いの心を繋げる為ではなく 己の中の精神エネルギーと身体エネルギーを繋ぐ為にチャクラを使った… 己のチャクラを大きく練り上げ増幅する方法だ 武力となる忍術へとチャクラを変換する為にな」
 
「皮肉にも 六道の母カグヤが武力としてチャクラを使用した道に戻った訳だ」
 
 なるほど…六道仙人が世界を強引に平和に導いた方法とは…「チャクラを繋げて言葉が無くても理解し合えるようにする」方法だったんですね。
 これ、山中一族の「心伝身の術」やミナト&ナルトの「チャクラ型を変換して繋げるトランス能力」に似てますよね…そうか、彼らの術は六道仙人が教えた「忍宗オリジナルスタイル」に近いモノだったんですね。 
《チャクラを繋げて相手の心の中に入り込む》方法は、ごく一部の「一流の忍」とやらしか使えないらしいし、今ではすっかり廃れて 限られたごく一部の忍しか使えなくなってしまってる…ってことでしょうか。
 
25巻終末の谷でサスケが言っていた、「一流の忍なら拳を合せただけで相手の心が読める」とは、《本来チャクラは繋ぐ力》という忍宗の教えに基づくものだったんですね。 だけど、いったいサスケはどこでコレを知ったんでしょうか…うちはの石碑ソースだとしても、あの当時サスケはまだ「二つ勾玉写輪眼」だったし、そんな内容まで読めたかどうか… イタチから聞いたんだろうか。
 
 しかし、六道仙人のこのやり方…かなり「強引」なやり方だなぁと思いますね…。
 
そりゃカグヤ母ちゃんのやり方(武力で世界征服)よりは、ずっとマシな「チャクラの平和利用方法」だったのかもしれません。が、チャクラを繋げて相手の心を「覗き見」して分かったつもりになる…って怖くないですか? 
 プライバシーもあったもんじゃない… そうなったら、人間は何とかして《絶対見られたくない本心》を隠す手段を考え始めるでしょう(春画を持っている事を母上に知られたくなくて隠すように)、だからこそ「裏の心」なんてモノがしっかり生まれてくるのでしょうし…。 
 いくらチャクラのくっつけ合いによる「覗き」で他人のプライベートスペースに入り込んだところで、全てを理解できるものではない…と思います。
 
精神エネルギーを繋げあって「繋がったつもりになる」、言葉なんか無しでも「分かったつもりになる」って、これはちょっと前に「忍連合がやってた事」ですよね。心伝身の術で互いの想いや情報を伝えあい、ナルトはオビトとチャクラを繋げて心の中を覗き見て入り込む。そうやって「分かったつもりになる」現象には大いなるモヤモヤを感じておりました。 自来也が望んだ《本当の意味で理解し合うこと(解りあう)》ってのは、そういう事じゃあないでしょ?と…。
 
そして今はチャクラが途切れてバラバラになってしまったわけで、六道仙人が示したやり方はあっという間に崩れてしまう事を、皮肉にも忍連合は証明してしまったことになります。 このまま本当に崩れて終われば、マダラが言う通り「この世界は失敗」となるんだろうし、もしここから(チャクラを繋げなくても)本当の意味で理解し合えたなら、この世界は「失敗じゃない」といえるのかもしれません…。
 
 
(以下、マダラのスイッチ入っちゃった長台詞)
 
「六道仙人の行いは人の矛盾を助長したにすぎん」
「そしてたとえ心と心を繋げたところで 解り合えないのが分かるだけだった」
 
「どちらにしろチャクラは争いを生み まやかしの希望を生むだけだった
オレもお前達も平和を追い求めると同時に 争いを求めてきた現実がある」
「この現実は“チャクラという力”によって無限の苦しみを強いられている」
 
「力があるから争いを望み 力がないから全てを失う」
「オレはそれを乗り越えた新たな世界を造る! 無限月読によりいまわしきチャクラ無き夢の世界を造るのだ」
「最後にして最強のチャクラを持つこのオレが導く!」
 
(マダラの話に、「いったい何の話をしてるのコイツ!?」というサクラ)
 
忍連合が、柱間経由でどこまで「六道仙人とかぐや、神樹の話」を伝え聞いているか不明なんですが(647話ではその「経過」は省略されてる)、ある程度簡単な説明は受けているにしても、「理解力がある」あのサクラでも何が何やらになっちゃうんですよね…忍連合は歴史を「知らな過ぎ」です。しかし、マダラの言ってる事も確かにゴモットモと思う部分もあるし、忍達はもっとマダラの考えを知るべきだと思うんですよね( とはいえ無限月読は六道仙人の行った手段と大差ないし、「原因となったチャクラを無くせばいい」という発想は、柱間がマダラを殺した事と大差ない…)。
 
 52巻鉄の国国境で、ナルトはサスケと拳を合せて(チャクラを合せて)「互いに本当の心の内が読めた」と言っていましたが、あの時、本当に《サスケの全て》を理解できたんだろうか。そしてオビトとチャクラを合わせた時にも本当に《オビトの全て》が理解できたんだろうか…まだ…ナルトはサスケのことも、オビトのことも、「あのやり方では」本当に理解できてないんじゃないだろうか。
 
だって、「チャクラ」なんかに頼らなくても、ナルトには本来「相手の事を本当に理解する」力がちゃんとありますから… 
 
(以下、29巻262話カカシのセリフからの抜粋)
 
「ナルトには不思議な力があるんですよ…」
「あいつは交わす言葉は少なくても 誰とでもすぐ友達になってしまう…」
 
交わす言葉は少なくても誰とでも友達になる(=心を解り合う)ナルトの能力を、なぜカカシは《不思議な力》と称したのか… それは、カカシにとって「術やチャクラ、情報収集に頼らず相手の心を知る、解かる」事は説明がつかない事、「不思議な事」だったからじゃないだろうか。
 
 感想その1でも触れましたが、カカシが「相手を知る方法、解かる方法」として使ったのは「プライベートスペースの覗き」だったり「徹底した情報収集」。例えば、サイがカカシ班に配属されて初めてカカシに会った時、《はたけカカシ…ボクの事も調べ上げているに違いない》なんて考えてましたよね。ようするに、カカシは相手を知ろうと思ったら「徹底して調べ上げる」。だから、そういう手段を取らずに「誰とでも友達になってしまう」ナルトの能力は、カカシにとって「不思議」としか言いようがなかったんじゃないかと思います。
 
ですが…カカシの言うところの《ナルトの不思議な力》、けしてナルトだけの特別な力じゃないと思うんです。
 ナルトがやっているのは、純粋に相手の立場に立って相手を想い、相手のありのままを受け入れ、気持ちを合わせる事…それって本来、誰でも出来る事だと思うんですよね。 ただ、忍達はそれを「忘れてしまっている」だけじゃないんだろうか。
  
 
「…我愛羅  (カカシ)
「…分かっている…」  (我愛羅
 
カカシはオビトの様子を「見ていた」んだと思いますが、マダラの長い話をじっと聞いているオビトの様子から「マダラに口説かれて、落されるかもしれない」と考えて、オビトが動いた瞬間に捕える事を考えたんでしょうか。そこは我愛羅も同じ判断だったっぽいですね…うーん、カカシはまだ完全にオビトの気持ちを読みかねているみたいですね(無理もないかな)…。
 
(さらに「お前はオビトではない!」「ここは地獄だ!」とマダラの演説はヒートアップする…)
 
「うちはオビトは うちはのチャクラがあるが故に はたけカカシに挑戦し
火影を望み のはらリンを望んだ」
「だがその力がまやかしだったがために その全てを失ったのだ!!」
 
マダラさん…カカシとリンをフルネームで知ってたんですね;いつの間に…。
マダラが「はたけカカシ」「のはらリン」と“姓”を付けて言ったのは、姓は「血統、ルーツ」を示しますから“はたけ一族”と“のはら一族”が大まかな分類上「千手系列(六道仙人次男の子孫)」に含まれるからじゃないかと想像します(カカシが血統的に千手系の一族じゃないかという想像については以前説明しているので、ここでは略します)…
 
 つまり、オビトは「うちはのチャクラ」を持っているからこそ、(千手系の)カカシに挑戦し(=相反する者に戦いを挑み)、(千手系の)リンを望んだ(相反する者に平和を望んだ)… チャクラがある為に、相反する対となる存在に“争いと平和”という矛盾する両方を求めたのだ…そしてすべて失ったとマダラは言いたかったんじゃないかと思います。 
 そして「火影」という存在も「争いと平和」両方を望んでおり、結局は矛盾故に自滅するのだと言いたかったんじゃないだろうか。
 
 
「来い! そうマダラよ!」
 
「今でもお前は救世主のハズだ!」 (マダラ)
 
606話で、オビトがマダラの元に「ザッ」と歩き出す、斜め下から見上げた画は印象的でしたが、今度もそれと対を成す「ザッと歩き出す、斜め下から見上げた画」…その見事な「対比」。
 
 マダラ…オビトにも「来い!」と言ってますよね。
「自分の意志で」オビトに来させたい…そしてオビトが「来る」ことは、マダラにとって「自分の道が間違っていない」ことを確認する事になるんじゃないだろうか。
 
 オビトは、ナルトの中に「昔のオレ」を見て、「昔のオレ」が現実に絶望し「こっちに来る」ことで「今のオレは間違っていない」事を確かめようとした。
それは結局、オビトは「今のオレ」が「本当の自分」ではない事を本当は分かっていたからだと思うんですよね。
 
 そして、マダラはオビトを見て「昔のオレに似てきたな」なんて思って見てましたよね(十尾の上に二人で並んでいた時に)…マダラはオビトの中に「昔のオレ」を見ていたんじゃないかと思うんです。 だから、マダラも「オビト=昔のオレ」が現実(=ナルトに象徴されるこの世界)に絶望し「こっちに来る」ことで「今のオレは間違ってない」ことを確かめたいんじゃないだろうか… つまり、マダラも「今のオレ」が「本当の自分ではない」事を《本当は》分かってるんだと思うんです。 
 
(ザッと動き始めたオビトを見て、我愛羅は「砂漠波」で壁を作り、カカシは「神威」でオビトを飛ばそうとし、ミナトは「飛雷神のクナイを投げてマダラの元に飛び、仙術螺旋丸をぶつけようとする)
 
…って、ミナト「仙術」使えるんですかぃ!!
 
これ穢土転生だからできるとかじゃないですよね…今まで使わなかった理由が分かりませんが;イヤ…ミナトは仙術を使えるのか使えないのか、今まで迷ってたんですが、使えたんですねぇ…;
 
しかし、我愛羅、カカシ、ミナトの連係は実にお見事です。彼等は殆ど「言葉を交わすことなく」気持ちが伝わってますよね。なんだ…出来てるじゃないか。
 
彼らだけじゃなく、こういうシーンはよく見かけますよね…「○○○←名前!」「分かってる!」みたいな阿吽の呼吸。お仕事上では自然にやってるじゃないですか…いわゆる以心伝心、チャクラ等に頼らずとも、相手の気持ちを想ったり、相手を信じたりでちゃんと「伝わってるし、解かってる」。
忍達はどうやら「お仕事上のチームワーク限定」で「不思議な力」を自然に使ってきたみたいですが、お仕事以外でも出来るハズですよね…出来ないと思いこんでいるだけで。
 
(マダラは六道の「錫杖」でミナトの左手を切って蹴とばし、螺旋丸をカカシに当て、ミナトを我愛羅にぶつける…そしてオビトは神威で神威を無効化したのか、そのまま歩き続ける…オビト、この状態になってから初めて万華鏡にしましたね)
 
(そして、皆の予想に反して、オビトはマダラに差し出された手を取らず…マダラをズボッと右腕で突く)
 
マダラの「!!?」反応は珍しいですね。よほど「意外」だったのか…
 
「貴様…」  (マダラ)
『何ノマネダ!?』
 
「・・・」 
 
「人を導く者は…己の死体を跨がれる事があっても 仲間の死体を跨いだりはしないらしい…」 (オビト)
 
《ズズっと左腕の黒ゼツの黒チャクラ(仮称)がオビトの手から出て来る》
 
「オレはもうアンタに跨がれる事もない」
 
「己の名を騙らせ他人に全てを任せる事は―――」
「仲間に託す事とは違うと今なら分かる」
 
「オレはアンタじゃない」
 
(リンの「がんばれオビト!火影になってかっこよく世界を救うとこ見せてね!それも約束だよ!を思い出すオビト)
 
 
 
「今のオレは 火影を語りたかった」
 
「うちはオビトだ!」
 
 
 
(そして…黒チャクラがついに六道の「完全な黒い錫杖」になる)
 
オビト…遂に自分で《うちはオビトだ!》って言いましたか…!
 
オビトの《うちはオビト宣言》…それは《月の眼計画を担う者の総称・マダラ》からの脱却を意味します。《救世主》という称号より、一人の普通の忍としての《うちはオビト》であることをオビトは選んだんじゃないだろうか。
オビトのこの宣言、マダラにとっては「裏切り」に聞こえるかもしれないけど、オビトは「うちはオビト」として「うちはマダラ」と向き合いたかったんじゃないかと思います。
 
オビトが腕をマダラのお腹(=腑)にツッコんだのは、ナルトの言葉を伝える為なのでしょうが、「人を導く者は…己の死体を跨がれる事があっても 仲間の死体を跨いだりはしないらしい…」この時のオビト、子供時代のオビトみたいに「揺るがない強い意志」が漲るいい表情してます。 そうですよね…オビトが一番大切にしていたのはカカシの父サクモの意志、《任務よりも仲間の命を大切にする》事…どんな任務の為であっても、けして仲間を犠牲にしたりしない。その意志ですよね。
やっと、あのオビトが「戻ってきた」んだなぁ・・と思います。
 
《仲間を大切にしない奴は それ以上のクズだ》…あの言葉は、NARUTOの中でも最も大切な言葉の一つ。 忍としてスタートを切ったナルト達にカカシが「最初に贈った言葉」…本当の英雄の言葉として、ナルトが憧れた言葉でもあります。その言葉を是非ともオビト自身に語ってもらい、その言葉を口先だけにしないで行動で示してほしい!と願います。
 
何だかなぁ…ナルト達にとって英雄だったオビトが「本当の英雄」に戻ってくれたら、何だかこの戦場の空気の流れも一転して、いい方向に変わるような気がするのです。
 
 そしてオビトとマダラの「錫杖」なんですが…
 
オビトの腕の「黒ゼツチャクラ」が錫杖に変化したという事は、黒ゼツの「元」は黒チャクラ(仮称)じゃないかと思うのですが、その黒チャクラとは、元は十尾の力…(九喇嘛を操るような禍々しいチャクラでもあり、使い方によっては真逆に温かいチャクラにもなり得るのではないかと考えています。
 今週のマダラの語り中に出てきた「六道仙人が忍達とチャクラを繋げている絵」を見ると、錫杖の下に六道仙人が居て、その下に忍達が繋がっていますよね。これ、この前のオビトと連合の「大綱引き大会」の絵に似ていますが、錫杖が「天」の象徴であり、六道仙人は「天」と「地(忍)」を繋ぐ存在にも見えます。
 
 もし「錫杖」が天の象徴であるのなら、マダラの錫杖が「不完全」なのに対して、オビトの錫杖が「完全」になったのは、「天はオビトについた」という事を意味してるんじゃないだろうか…?
 
(ますます気になる、「オビトとグルグル」の関係…)
 
さて、《今のオレは》の言葉… 
27巻第一部ラストのカカシの言葉、「もしお前が生きてたら…《今のオレに》なんて言うんだろうな…」を連想します。まだ、オビトは《今のカカシに》ちゃんと何かを言ってない…。
 そして《昔のオビト》ばかりを肯定し《今のオビト》を否定していたカカシですが、今度はカカシが《今のオビトに》何かを言えるようになるんじゃないだろうか。
 
この二人が今度こそ「本当に理解し合い」友達に戻れる時は近い、と思ってます…!
 
 
 
 ☆オビトにとって《カッコ良く世界を救う》とは、ナルトを救うということでもありそうですが・・陰九喇嘛をどうする。
 
☆何だか…カグヤさん、色々問題アリそうですね。今も彼女の意志とやらは、どこかに澱んでいたりしないだろうか…
 
☆カカシ、お腹に仙術螺旋丸を喰らって大丈夫なんだろうか?? 千手一派じゃないかとは想像したモノの、千手一族や渦巻じゃないのだから…
 
☆それにしても、忍宗のことやら、六道仙人の事を、あまりにも忍は知らないですよね。何故なんだろう… まるで人々の記憶から六道仙人の事が「消された」かのように… 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
遅くなってごめんなさい…ラストまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。