ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 662:本当の終わり 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ9号) その1

NARUTO 662:本当の終わり その1

 
 
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サスケの胸を貫いた、マダラの《非情の刃》。
 
 これはやっぱり急所を一突きに見えますねぇ…明らかにサスケは「ピンチ」でしょコレ。思い起こすのは柱間に貫かれた時のマダラ、そして香燐を貫いた時のサスケ…
これは、サスケの眼の「完成」の為にマダラが意図的にやったんじゃないかという気はするのですが、マダラは、サスケを見ながら「何処か遠く」先を見ているようにも感じる…
 
そして、貫かれたサスケの背中の《うちはの家紋》。
 
この画を見て連想したのは、かつて(シスイの死の直後)イタチがクナイを突き立てた《うちはの家紋》の画でして… 取り調べに来たうちはの警務隊の前でイタチが語った言葉は…
 
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「オレの“器”はこの一族に絶望している」…(25巻より)。
 
この言葉にしてもですが、あの時の一連のイタチの言葉は(いくら早熟だったとはいえ)イタチ自身の言葉とは思えなくって、イタチがどこかで知った《誰かの言葉》なんじゃないかという疑いを払拭できずにいます。25巻のあの時、イタチは“器”という言葉を何度も使っていますが、その“器”に対応するワードは先週661話に出てきた(白ゼツが言っていた)“中身”なんではないだろうか…?
 
今まで謎だった部分の周囲から、少ーしずつ紐解けてきそうな…ちょっとドキドキした気分でいます。
 
今週号はNARUTOが表紙&巻頭カラーでしたが、扉絵が…とにかく面白くて美しい!!「美しい」としか表現できないのが情けないですが、色も綺麗だしこれ…原画で見てみたいなぁ…。どうやら映画「エリジウム(ELYSIUM)」のオマージュ的な画のようですが、未来的なスーツと忍装束のコラボが面白いし、特にいいのが「背景」…木という《生きたもの》に取り付けられた《無機質な》管たちが面白い。
 
私はNARUTOに登場する「パイプ」やら「電柱」が大好きなんです。ゴチャゴチャとひしめきながら上へ上へと伸びたり、横に絡み「つながっていく」姿は、まるで《生きている》ように見える。生きてはいないハズなのに、人間以上に逞しい生命力を見せつけてくれるような…そんなNARUTOのパイプたちが魅力的でたまらんのです。 そして改めて考えさせられるのは…
 
 
「生きている」って、何なのか
 
 
…ということ…
 
 
 
 さて、先週の続きですが。
 
(扉間) 「マダラ…貴様という奴は!」
 
扉間の言葉には「うちはの子孫(未来)」サスケを貫いたマダラへの怒りと無念に満ちていますが、しかしマダラの表情…なんだか無機質というのかな…何の感情も無いような…だからって「冷酷」でもない。腹の底から湧き出てくる痛みを抑えつけているような、感情の噴出を押し殺しているような表情にも見えるんです。
まるで最愛の弟・イズナを刺しているような痛みを感じているんじゃないだろうか…かつて自分がイズナの眼を“奪ってしまった”こと、イズナを“守れなかった”こと、それらの傷口を再びグィ~っとこじ開けているような…どこか生気のない、悲しい表情でもあります。《何かを守る為には何かを犠牲にしてしまう》…この世界の不条理を実感しつつ、その縛りから世界を解き放つ為には《為さねばならない》。マダラは己にそう言い聞かせているのでしょうか。
 
 
一方で「向こうの戦闘」のほう、マダラが黒ゼツに任せていたハズの戦闘の方なんですが… 
 
「こんな輩に足止めされるとは…」 (土影)
「こんな…わけの分からない奴が…」 (サクラ)
「木遁を使う… いったい何者?」 綱手
 
「こんな輩」・「わけの分からない奴」・「いったい何者」が使うのは、かつて柱間が仙人モードで使っていた「仙法、木遁・真数千手」のような術(そこまでの規模ではなく柱間のものとは多少違うんだけど)。 木遁はオビトも使ったけど、六道仙人も使っただろうし、元はと言えば十尾(神樹)の能力。
 
 
「ここから先へは簡単には行かせやしないって言っただろ」
 
「…それに…ボクの質問にマジメに答える奴は一人もいないって事?」
 
 
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便意ってどんな感じか聞いてんだろ」
 
きた――――――っ、グルグルぅ!! 
(叫んでしまった…)
 
いや待ってました、いつ『中身が外に出てくるか』と便意の話じゃない)…そろそろ登場してもいい頃合いとは思っておりましたが、いきなり「あの姿」で、でしたか…
 
そもそもこっちの戦闘は「黒ゼツがオビトを乗っ取っていた」はずなんですが、少し(読者が)目を離している間に「こうなっていた」…(ミナトとカカシはどこ行った??)。可能性として考えているのは「グルグルが黒ゼツを抑え込んでいる」のか、あるいは「そもそも黒ゼツと白ゼツの精神体を合わせた存在がグルグル」なのか…ということ。 
 
ナルト好きブログ!に於きましては「グルグルとは十尾の意志ではないか」、グルグルは白黒に分けられた十尾の意志の「統合意志」とも言えるような存在なんだろうかと考えてきました。以前はオビトの体を覆っていたグルグルですが、そのうちオビトを“器”として中に居たんじゃないかと…そして今までの「オビトとしては不自然だった発言」はグルグルの発言だったのではないかとも考えています「トビ」時代)。
 
私の目下の関心事は「見張られていた」オビトがグルグルのことをどう考え、どう計画を立てて行動していたのかという点です。オビトは「グルグルモード(いわゆる「すり抜け」)」を自在にシフトして使っていたし(と私は考えてます)、オビトとグルグルは「分かり合えていた」のではないかとも思う一方で、まだよく分かんないところもある(正直)。 そしてオビトのいう「約束」とはグルグルとの約束だったのか、そして何を約束していたのか…オビトの謎は深まるばかり(オビトも「肝心な記憶」だけはナルトに踏み込ませていないんじゃないだろうか)。
 
そして、グルグル(仮称グルグル)のこの言葉…
 
「ボクの質問にマジメに答える奴は一人もいないって事?」
便意ってどんな感じか聞いてんだろ」。
 
コレ…この戦争の中でも、最も大切な言葉の1つではないかと私は考えます(真面目に)。
 
いくらグルグルが声を「大」にして質問したところで、こんな質問にクソまじめに答える忍はいない。だけど、グルグルはふざけてこんな事を言ってるのではなく、真剣に問うているのです…「便意」についての答えを。 そして便意とは何か」…これがこの戦争で忍達が「神」に示すべき重要な答えなんだと思うし、そもそもこの戦争の究極の「問い」であるとも思います(大真面目)。
 
とはいってもグルグルの言う「便意」とは「う○こ」そのものの話ではなく「人間として生きている事を実感する気持ち」、「生きる意味」ということだと私は解釈しています。
なんのこっちゃ?と思う方は、説明は過去記事で見ていただきたく略しますが(「オレ達は植物じゃない人間だ」603話追加雑考 )、人間は(生物として)生きているから便意を催す、便意「生きている」証でもあります。だけど今までの忍達は「生きている」ことをまともに実感できずにいたんじゃないだろうか…。
 
グルグルが生きている事の実感を「便意」にたとえているのは、それはグルグルが人間を「ガキ扱い」しているからであって…“人間のレベルに話を合せているから”だと思うんです。
 
昔、マダラが「因果を断ち切る」とか難しい話を少年オビトに語った事を、白ゼツは「ガキに合わせて話すほど人間できてないからマダラ」なんて言ってましたよね。だけど「人間が出来てるグルグル(人間じゃないけど)」は、ガキ(人間)にレベルを合わせて話をしているのです…「生きている実感」のことを、分かりやすく「便意」と(うん…分かりにくいけど)。
 
つまりグルグルは生きているってどんな感じなのか?」と真面目に忍に問うているのです(と私は思う)。お前ら…“生きる”って事の意味を分かっているのか?感じているのか?答えられるのか?と。
 
問題は、グルグルの大真面目な質問に誰もが「真面目に答えようとしないところ」…その「問いの意味」に気付いていないところにあります。おそらくグルグルはこの問題をずーっと人間に投げかけ、問い続けていたのだと思いますが、だけど誰も真剣に考えてこなかった。だから《この事態》になってるのです、きっと。
 
そもそも、忍達はなぜ戦うのか?なぜ傷つけあうのか。
 
マダラは「人は平和を望む…その一方で争いを望んでもいる」と語っていましたが、人が戦いを望むのは憎しみの為だけでなく「生きている」事を実感するためでもあります(以前、マダラは闘いを繰り返すことを「生きていくということだ」と言ってましたよね)。そして傷つき血を流す事で「生を実感する」(復活したマダラもそうだったように)…
 
人を傷つけ殺すことで「己の価値を高め、生を実感する」…それが今までの忍でもありました。だから…
 
「まぁ…人を殺した時の…スッキリ感に似てるって思うんだけどね…」
 
このグルグルのセリフは、おそらく人間達への強烈な「皮肉」です。
 
《人を殺す事でしか、生きている意味(便意)を実感できない忍達》への強烈な皮肉。 そこには「神から与えられた」チャクラを愚かな殺し合いの道具としてしか使えない、愚かな人間達への静かで激しい怒りを感じられるのです。
 
忍達は、そろそろ神による最後の審判の「時」を迎えようとしているのかもしれません(それがオビトの言っていた「約束の時間」なのかもしれない)。おそらくもう、それほど「時間」は無いと思われますが…それまでに忍達はグルグルの「問い」に真剣に答えることが出来るのだろうか…?
 
「リン」の事件に象徴されるような…尾獣の力、チャクラ、命という「尊い天からの恵み」を愚弄するにもほどがある「悲しい人間達の愚行」への、グルグルの怒り…それは限界に達しているのではないでしょうか。
 
 
 
☆その2へ続けます…
 
 
 
☆《グルグル》やら時空間関係は自分にとって大好きネタでもあります。興味のある方は、参考までに関連記事のマーキングを下段に載せておきますので、そこから飛雷神で飛んでみてくださいな…(かなり古い内容のモノもありますが)