ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 671:ナルトと六道仙人・・・!! 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ19号) その1

NARUTO 671:ナルトと六道仙人・・・!! その1

 
「オレとサスケは本当の兄弟じゃねーけど 仲直りは出来ると思うんだ」
 
イメージ 1
 
 
「オレ達かなりの友達だから」
 
 
六道仙人の手を通じて、繋がれるナルトの右手と、サスケの左手。
いやぁ…ついに、ここまで辿り着きましたか(サスケも六道仙人と会ってたのか!)
 
この「かなり」ってのが、いいですね。紆余曲折あって絆が深まり、「友達」という言葉の意味も知る事が出来た・・それだからこその「かなり」。
 
 ナルトは、サスケの事が分からなくなりかけた事もあったけど、「あの時」以降、サスケとの友情を確信しているんじゃないかと思います。「あの時」ってのは鉄の国での一連の出来事(49~52巻)」… 
少し前の雑考記事で《「友達」という言葉の意味 (ナルトとサスケ)》というのを書いたんで詳細はそこでという事で略しますが、ナルトにとってサスケが「友達だってこと」を最終的に確認したのはあの時で(我愛羅のおかげでもあるかな)、あれ以来ナルトの気持ちは揺らいでいないと思っています。 そしてその他の意味でも「鉄の国での出来事」はナルトにとって重要な分岐点だったのだと今週改めて思わされたのでした。 
 
さて、今週NARUTOは表紙&巻頭カラーでしたが、やっぱり岸本先生の絵は美しい! 岸本先生の絵の「線」…きちっとした美しさに惹かれます。
六道仙人はどんな「色」してるのかと思ってたんですが、肌色は石像色で髪色は赤褐色っぽい…赤い髪は六道仙人の肉体エネルギー、赤い目は六道仙人の精神エネルギーの証なのかな? 
 
そして…  
「色」といえば「アシュラオレンジ」「インドラブルー」。
 
ナルトのイメージカラー《オレンジ》は九喇嘛カラーの印象が強かったんですが、アシュラカラーでもありましたね。 そしてサスケの須佐能乎が《ブルー》なのはインドラカラーでもあった… 
 
オレンジは暖色系という事もあって「温かいチャクラ」をイメージさせるし、ブルーは寒色系だから「冷たいチャクラ」をイメージさせるけど、オレンジ系は太陽、昼、陽であったり、ブルーは月、夜、陰であったり…それは「良し悪し」じゃあないんだと思います。
 それに「うちは一族」だからといって、必ずしも「ブルー(インドラ)」とは限らないとも思うんですよね。 たとえばオビトが手にした錫杖が「太陽の形」(でしたね!)だったり、子供時代の服装やゴーグルにオレンジ色が使われている事もオビトが本来「アシュラ系」なのを意味していると思うんです(オビトが本能的に「木遁」を使いこなした事も、関係してるのかな)。
 
そして、サスケの須佐能乎はブルー系(51巻表紙参照)ですが、イタチの須佐能乎はオレンジ系の色(58巻表紙参照)。イタチの考え方、意志もどちらかというと「アシュラ系」ですもんね。 そういう意味でも、イタチよりもサスケのほうが「インドラの転生者としての“器”」にふさわしかったのではないかと思います。
 25巻の回想中(シスイの死の頃)、イタチがサスケに「オレがうとましいか?」と尋ね、サスケが「そ、そんなふうには…」と口籠ってしまう場面があります。兄弟を慕いつつも「疎ましいと思う心」…それが「インドラ」なのではないだろうか。 
 
 あの頃イタチは「己とサスケの“器”をはかっていた」ような事を言っていましたが、それは「インドラの転生者の器」として、どちらがふさわしいのかを量っていたのでしょうか。そして、サスケこそインドラの転生の“器”であると判断し、イタチはサスケの中の「インドラ傾向」を利用し(一族の仇を討たせ)、その一方でサスケが「極インドラ化」しないようにと導いていったのではないだろうか…? 「木ノ葉の英雄」にすることで。
 
イタチ同様に、サスケが「インドラの転生の器」なのか量っていたのがオビトです。もっともイタチと違い、彼はサスケがインドラの“器”と判断すると、サスケが「極インドラ化」するように導いていった… 
イタチが「サスケとオビトの接触」を避けさせようとしたり(転写封印天照)、穢土転後にサスケがオビトから「イタチの真実」を聞かされたらしい事を知った時(58巻)「マダラが…」と反応してたのは、サスケを「インドラ化させたくない、させたい」のかけ引きがイタチとオビトの間であったから…でもあるんじゃないだろうか。 
 
 サスケが「イタチの真実」を知った後、イタチの意志を取るのか復讐を取るのか…オビトはそれを「賭けだった」と言ってましたよね。その結果、サスケは「復讐」を選択しましたが、オビトはそれを「本心は“こちら側”の人間だったという事さ」という表現で語っていましたっけ。 復讐、つまり“インドラ側”。
 あの時、オビトが「賭け」に出たのは、サスケの意志、チャクラが《アシュラ側なのかインドラ側なのか》判定するのが真の目的だったんじゃないかと思います。「オレンジ色」と出るのか、はたまた「青色」と出るのか…リトマス試験紙みたいだけど。 
そしてサスケが《こちら側=インドラ側(青)》だったと判明した事で、サスケこそ《次のインドラの転生者、次に運命に選ばれた二人の一人》だとオビトは確信したのではないかと思います。そう考えると、一連のオビトの「寄り道」の謎も見えてくる…
 
 オビトは、ナルトにも同じ事をして(イタチの真実を告げ)「賭け」に出ています(49巻)。そしてイタチの真実を知ったナルトはサスケの心を慮り、サスケのことを「分かるってばよ」「一緒に死んでやる」という全て受入れる姿勢(究極の愛情)を見せる。それはナルトが《アシュラ側》だからこそ… 
そしてオビトはナルトが「アシュラの転生者」であることを確認したのではないかとも思えます。
イタチが隠しておきたかった真実を「リトマス紙」として使うのはナンだけど、同じ試験紙(愛情の話)を聞かせて「オレンジ(受け入れる愛)」と出るか「ブルー(悲しみと憎しみ)」と出るか…そこが「アシュラかインドラか」なんじゃないかと思います。
 
 
前置きが長くなっちゃいましたが、今週は色々あって…とりあえず最初から順番に(寄り道しつつですが)。
 
 
・《さて、「お前はアシュラの転生者」と言われて、思い当たる節があったナルトですが… 》
 
ハゴロモとナルトの会話)
 
「あまり驚かないところをみると お前…実は弟アシュラの存在… 自分の中に感じた事があるんじゃないのか?」
 
「……」 
 
「やはりそうか… …ならもう分かっているハズだな 兄インドラの転生者が誰なのかも…」 
 
「……」 「…サスケ…」 
 
…それから、「鉄の国から帰ってきて同期達と話し合った時(52巻)」を思い出すナルト。同期から「なぜサスケを倒さなかった」と責められ、「そんなんで今のサスケは倒せねェんだ…それが分かった…」と答え、(あいつの中にも…)と何かを思い浮かべていたあの時… 
 
《あいつの中にも…》の後に続く言葉は当時から謎でしたが、今まで私は「大きな憎しみのチャクラ」じゃないかと思っていたんです。 当時、ナルトの中の九尾もまだ「憎しみのチャクラ」のままでしたし、サスケの中の須佐能乎も「冷たいチャクラ」だったから…。 だけどナルトは「もっと具体的なイメージ」を見ていたんですね。そして、それが「トビが語っていた六道仙人の息子2人のうちの一人」であることも、当時から分かっていた。 
 
ではナルトはいつ、自分の中に「六道仙人の次男」が居てサスケの中に「六道仙人の長男」が居る事を悟ったのだろうか。 ちょっと49~52巻周辺に遡ってみます。
 
鉄の国国境で、「螺旋丸と千鳥で」サスケと拳をぶつけ、チャクラを繋げ合ったナルトは「これでハッキリした…」と言っていた。この時、お互いの中に《兄弟が居る》のを二人は「見た」んですね、それでハッキリと「お互いが兄弟の片割れのチャクラを持っている」ことを“感じた”…“分かった”。 
 
それにナルトは「見えただろ? お前とオレが戦えば…二人共死ぬ」とも言っていて、それに対してサスケは全くの無表情で反応し(つまり「見えていた」)、後ろに居た人達のうちオビトは「……」と分かっていたような反応で、《ナルトとサスケが「運命に選ばれた二人」としての役目を認識したこと》を確認したような反応でした。
 あの時、二人には一体何が「見えた」のか…今週の扉絵のようなアシュラとインドラが見えたのか、その二人が戦えば「死」なのだと分かるような何かが見えたのか。 以前、九喇嘛がサスケに「ナルトは殺すな…後悔することに…」と言ってましたけど、それも同じ理由なのでしょうね(34巻)。 
 
それと鉄の国から帰った直後、ナルトは妙木山で大ジジ仙人の夢のお告げを聞きますが(これも52巻)、ナルトはこれから(一緒に)戦うことになるであろう「眼に力を宿した少年」がいったい《何者であるか分かった》と答えて大ジジ仙人を驚かせます。ナルトは「見えていた」だけじゃなくて、見えていた人物が「誰なのか」(六道仙人の息子)さえ分かっていた…
当時、ナルトは《転生者》という言葉は知らなかったけど、ナルトとサスケの中に居るのが「あの兄弟」だってことを知っていて「覚悟していた」…
 
そして52巻、帰里したナルトは同期達に「とにかく今のサスケとは誰も闘っちゃダメだ 闘えるのはオレしかいね―…そういう意味だ」「言うべき時が来たら言うってばよ」と言ってましたが、《言うべき時はいつか必ず来る》事さえもナルトは覚悟してたんですね。ナルトは十分、自分達が担う役割を承知していた。 
でももし、あのタイミング(49巻=サスケと国境で再会する直前)で、オビトから「イタチの真実と六道仙人と息子達の話」を聞いていなかったら、拳をぶつけ合っても「お互いの中に居る人物が誰なのか」ナルトは全く分からなかったハズです。いや、「聞いていたからこそ」お互いの中にイメージが出来ていて「見えた」とも言えるのかな(サスケは聞いていたのか不明ですが)。 
 
 サスケが「インドラの転生者」であることを確認した上で、サスケの須佐能乎を育て《インドラの「力」を高め》、ナルトにはイタチの真実を教えてサスケの心を理解させ《アシュラの「愛」を高め》、六道兄弟の話もして「役割」を認識させる… 
49~52巻、五影会談という一大イベントが進行する最中、その前後にコソコソと(あるいは堂々と)行われた「2つのサブイベント」…1つはサスケ関連イベント(サスケの瞳力=須佐能乎を上げるイベント)、もう1つはナルト関連イベント(オビトがナルトに会いに行って話をするイベント)。 
今思えば、このナルト・サスケ関連イベントは2つともオビトが企んだ《二人が転生者となる為のイベント》だったんですね。 
 
 そして「サブイベント」のほうこそオビトの「寄り道」部分、マダラに「今まで何をやっていた」と言われてしまった(けど言えなかった)部分じゃないかと思います。オビトが五影会談中に並行して行った「サブイベント=ナルトとサスケイベント」も、実に緻密にして計画的だったと言わざるを得ません。 
 
「お前と会うのはまだ二度目だが 千手の火の意志がお前の中に宿っているのが分かる」「今もお前の中に初代火影を見る事が出来る」「千手とうちは 火の意志と憎しみ ナルトとサスケ…」 「お前達二人は運命に選ばれた次の二人になるだろう」「ナルト…お前はいずれサスケと戦う事になるだろう イヤ…オレがお前にサスケをぶつける」…等とオビト(オビト…なのかな)は語っていましたっけ。そして「うちはの存在を証明させる」とも…(「うちはの存在証明」については後述)。
 
でもあの時、「ナルトとサスケの前の二人は柱間とマダラだった」とナルトは聞いていたと思うんだけど、今、それは思い出していないのかな…? 「オレやサスケの前にも…その何だ…テンセイシャってのがいたらしいけど…そいつら結局どうなったんだ?」なんて六道仙人に聞いていたから。 
 
 しかし、ここに至るまでどれほどのテンセ…転生者たちが居たのか分からないけれど、「柱間&マダラ」ほどハゴロモが期待した二人は居なかったんじゃないかと思います。手を取り合い「里」を作るなんて画期的だったし、あの二人無くして今は絶対ないわけで、彼らはやはり《特別》です。でも期待を寄せた分、柱間&マダラの「最後の最後での失敗」はハゴロモにとって残念過ぎるモノだったのでしょう…。 
 
「ただマダラは転生者を終える前にある問題を作ってしまった」
 
「力に取りつかれ過ぎたマダラは柱間の力を奪った」
 
「つまりそれは弟アシュラのチャクラの一部と兄インドラのチャクラを一つに融合してしまう事となり …ワシ自身のチャクラの力を導き出してしまう結果となった」
 
「そう…輪廻眼を開眼したのだ」
 
《~(して)しまった》とか《~しまう(結果)》の連呼にハゴロモの《残念無念感》がアリアリです。ハゴロモの口調からして《兄インドラのチャクラと弟アシュラのチャクラを一人の中で融合すること》は絶対に「ダメ」なのでしょう。
(もっともマダラには「考え」があったのかもしれない…とも思うのですが、これは後述)。
 
己の事も「失敗者」と認定するハゴロモだけど、十尾を自分「一人」の中に封印し抑え込んだ事も失敗だと思っていたんですよね。 う~ん…ハゴロモは彼自身の「兄弟」との間で一体どういう「やり取り」があったんでしょうね(外道魔像は兄弟か…なんて妄想が浮かび上がる)。ここ、ツッコンじゃいけない過去なんでしょうかね;
 
《輪廻眼》とは力に取りつかれた眼であり、六道仙人の母かぐやのように、インドラのように、一人で「力」で解決しようとする者の眼。「石碑」を残した目的も「輪廻眼」を開眼させるためではなく、逆に「阻止する為だった」らしい。六道仙人も、子供達には「親を真似する」のではなく、《親には無いものを子供たちには見つけてほしかった》んですね。
 
《ワシ自身のチャクラの力を導き出してしまった結果の眼》…
「輪廻眼」は残念な結果の眼なのではないかと思います。
 
 
 
 
(その2へ続けます、続きはたぶん、夜アップすると思います。遅くなったらごめんなさい)。
 
 
 
 
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