ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 671:ナルトと六道仙人・・・!! 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ19号) その2

NARUTO 671:ナルトと六道仙人・・・!! その2

(その1の続きです)
 
さて、ハゴロモの母・かぐやの眼は「白眼」でした。 先週の絵を見て「白眼」と思われた方、御名答!です。 これでやっと「写輪眼は白眼から派生」というカカシ説明の裏も取れましたが、むむ…ちょっとだけ強引に突っ込んだ感もあるかな(ゴらっ); …ともかく、かぐやが行ったという「写輪眼瞳術」、 額がパカッと割れて「神樹の眼」を出して使ったんでしょうけど(やや不気味)、ハゴロモはこれを《凄惨な術であった》とバッサリですね。
 
 その《凄惨な術》とは「無限月読」だったのか、あるいは別天神のような術だったのか(ここんとこがハッキリ分からなかったんですが)、いずれにせよカグヤは「平和を作るために」力を使ったのだろうとは思います。
それに、過去に「無限月読」は実際にあったようで、ハゴロモは詳しく知っていましたね。千年に一度実る「神樹の実」は手を触れてはいけないという伝承があったようですが(以前のマダラの話によれば)、それは「天」が千年に一度、人間どもに無限月読という強引な方法を用いて世界をリセットしていたのでしょうか。かぐやは、本当は「人の手で」平和を作ろうとしただけなのかもしれませんが… ただし、ハゴロモは母が行ったような「強引な力による平和」は悉く完全否定する…《生きたまま奴隷とする幻術》とか《凄惨な術》とか言ってますもんね。
 
そして、今のマダラの事を「十尾の力を得てワシに近づき 母カグヤの力にさえ近づこうとしている」と言っているから、力的には「マダラ<ハゴロモ<かぐや」という事でしょうか。かぐや母ちゃん最強。
 
そういえば、ナルトは「マダラが輪廻眼を入手した経緯」を聞くのは、たしかこれが初めてですよね。 ナルトのレベルに合わせて(?)ハゴロモの説明は至って「簡略化」されたものでした(「力を奪った」という言い方)。 
「柱間細胞」がどうとか「DNA」がどうとか正直そういったメンドクサイ話は、ナルトにとっちゃ「分からない」だけじゃなく「どうでもいい事項」に分類されそうです。いや、実際に本当はどうでもいいのかもしれない。
 
「じゃあ仙人の大じいちゃんは ずっと自分の子供の兄弟ゲンカを見てきたってことか?」
 
ズバリですね(笑) 
忍世界のゴタゴタと六道仙人の関わりの「真実」は、まさにナルトが言う通りです(細胞とかどうでもいい)。 おバカな分、ナルトは余計な情報や知識に惑わされず、事の本質だけをしっかりと捉えている。
 
「……」
「まあ… そうなるな」
 
「……」
「…そうか…」 (ナルト、極めて真剣な表情)
 
たかが「兄弟ゲンカ」でも、それが如何に面倒な事なのかナルトは「分かってる」。
 
「ワシはお前にマダラを止めてほしいと思っている 今までの転生者と違い 少々バカっぽいその意外性…そこに可能性があるかもしれん」
 
「バカっぽい」って(笑) …真顔で真面目に…もはや「バカっぽい」という言葉は柱間やナルトに於いては称賛用語ですが、ん~…それでも柱間(前の転生者)は「バカ」になりきれなかったのかもしれないですね。
おバカだからこそ見抜くことが出来、見失わない「物事の本質」。そこにハゴロモは可能性を見出したのでしょうか。賢いインテリ共には「無い」もの、忘れているものをナルトは持っている。そしてハゴロモは、次のナルトのセリフの中にもさらなる「意外性の発想」を見る事になる…
 
「死んでさえずっと長げーこと見守ろうとしてきた世界が…こんなになってんのに…」
 
「まだオレ達のことを信じてくれて ありがとう」
 
「……」
 
《ありがとう》…ここで自然に「ありがとう」が言えてしまう…これも「ナルトならでは」ですね。 
 
ハゴロモは「……」になってますけど(顔は相変わらずの仏頂面)、めちゃくちゃ嬉しかったんじゃないかな。 ナルトは、ハゴロモがたった一人で「子供たちの兄弟ゲンカが心配で見てきた」ことや、ハゴロモの親としての想いを慮り、「ありがとう」と感謝の言葉を言ってあげた。 普通「親の気持ち」なんてのは、親の立場になってみないと実感できないと思うけど、この年齢でナルトは「親の気持ち」も察することが出来てしまう…。ナルトは、この年齢になって初めて両親の愛情を知ったからこそ、親の愛情の「有難さ」を感じることが出来たのかもしれないですね。
 
47巻、ナルトが八本目まで九尾化した時に、ナルトの中に出現した「ミナトのチャクラ」… あの時のミナトが言っていたのが、
 
「オレはお前を信じてる」
「どこまで行っても子供を信じてるのが 親ってもんだからね」。
 
子供の行く末が心配でず―っと見守りながらも「どこまで行っても子供を信じてる」。それが親ってモンなのだと…ナルトはミナトと六道仙人を「重ねて」るのかもしれません。六道仙人だって人の子であり、人の親なんだって(ヒトなのか…微妙な感じだけど)。
 
ハゴロモは、自分のせいで世界がこうなってしまったと責任を感じているのに「逆にありがとう」と言ってくれたナルトの言葉は、本当に『思いがけない』ものだったと思います。 相手を責めるのではなく、相手の心を想う…これもナルトならではの「意外性」の発想。相手の心を想うなんて、本来忍には「要らない余計なモノ」なんですよね(オビトの心を見て涙したナルトに、九喇嘛は注意してましたよね。スキが生まれてしまうから)…でもナルトは自然とできてしまう。
 
長い間一人だった老人の心を温めた「ありがとう」の言葉…これも602話「生きている」でマダラ爺ちゃんがオビトにもらった《ありがとう》の言葉、あの時と同じですね。《ありがとう》の言葉ほど、傷つき凝り固まった心を「溶かす」モノはないと思う。 
 
「礼を言うな」と言い己を責めるハゴロモに、「大じいちゃんは間違ってない」と言うナルト… そして「その通りだぜじじい!」と現れた守鶴…
 
「あ!我愛羅ンとこの守鶴!? 何でオレの中に!?」
 
「オビトの奴がな… 守鶴とオレのチャクラの一部をマダラから引き抜いたんだ」
「お前に足りてねー尾獣の力をちゃんと分かってやがったぜ ……あいつ」
(八つっあん=牛鬼)
 
「オビトがァ!?」
 
「…色々あってな ワシもお前の中へ入れた これで全ての尾獣のチャクラがお前の中へ入ったぞ ナルト!」
(陰チャクラ九喇嘛)
 
「あ!九喇嘛のもう片方の奴まで!?」
 
我愛羅ンとこ》って言い方が、なんだか微笑ましくって。我愛羅のおうちに「一緒に居る」的な…主従関係なく対等な「友達か家族」みたいな…こういうのが、理想的な尾獣との在り方なのかもしれない。
 
そして牛鬼が言うところの「ちゃんと分かってやがったぜ ……あいつ」。
 
ナルトに守鶴(一尾)と牛鬼(八尾)が入ってない事は、60巻の戦闘(二尾~七尾までの尾獣と人柱力戦)でナルトが「尾獣達からチャクラを貰ったっぽい」事からもオビトは察してはいたんでしょう(…とは思います)。
でも《分かってやがったぜ》の肝心なところはソコじゃなくって、なぜかオビトは「ナルトの中に全尾獣を揃える必要性」を分かってやがったぜ…なところだと思うんです。
 それはナルトがアシュラの転生者であり「運命に選ばれた子」であると分かったうえでの行動だという事… 尾獣たちにとってもオビトが「何だか分かってやがる」のは意外だったのかもしれませんが、これで…少しずつオビトの「真実」も見えてくるんじゃないのかな…
 
そういえば十尾を復活させる直前、オビトは「もうずいぶんと遅い…約束の時間だと言ってましたが、あの「約束」とは何だったのだろう。大遅刻魔のオビトが遅刻しないように気を遣うほどの「約束」…
 
「これでやっと約束の時がきたぜ 六道のじじいよ」
(陰チャクラ九喇嘛)
 
こちらも「約束の時」。
 
「…そうだな九喇嘛よ… ガマ丸の予言通り… 九匹のケモノの名を呼びたわむれる碧眼の少年…」
 
「?」
 
「お前はやはり皆の協力を得る魅力があるようだ ワシの魂をこうして呼べ アシュラが転生したのもうなずける」
 
ところで「ガマ丸」って、誰じゃったかいの…?(笑) 
あの大蝦蟇仙人の事ですよね、たぶん(意外と可愛い名前だったんだな…あの爺ちゃん。けっこう貫禄ない…ゴラっ)。そんなに長生きだったのかと驚きますが、それにしても「本名」あったんですね(あるに決まってる)。 
《大じじ様…デカじいちゃん仙人…大蝦蟇仙人…大ボケじじい…色々と名がある》けれど、もはや本名を忘れられてしまうぐらい「ガマ丸」は長く生き世界を見守ってきたのでしょう。それは本名を忘れられていた尾獣たちと同じ…そして「十尾」とも同じですね。
天目一箇神…ダタラ…デイダラボッチ…色々と名がある》けれど、本当の名前は知られていない十尾。いずれは十尾にも本当の名前を思い出させてあげる時が来るんでしょうけど、これはまだ、先の話かな…
 
しかし、六道仙人まで「夢のお告げ(予言)」をガマ丸から受けていたのなら、六道仙人でさえも「受ける立場」だったという事…つまり仙人よりも「もっと上の存在」、まさに神と言える存在が「別に在る」という事なのかもしれません。
 
「守鶴・又旅・磯撫・孫悟空・穆王・犀犬・重明・牛鬼・九喇嘛」
 
「予言の子が世界を変える時が来たようだ」
 
(ナルトとじじいの周りに、ぐるっと勢ぞろいした尾獣たち)・・・
 
いやぁ…感無量。
 
大きくなった尾獣たちが、やっとジジイのところに「帰ってきた」。
可愛かったあの時の絵と違って、いや…それでもじゅうぶん、愛らしい。でも今まで彼らは大変な思いをしてきたんですよね。でもこうして皆揃って、本当に良かった…。
 
そして、九喇嘛達が言っていた「ナルトはじじいの…」の続きは「じじいの言っていた予言の子」が正解だったのでしょうか。尾獣たちに囲まれて、ナルトも夢を見ているような気持ちじゃないのかな… あの時じじいが言っていた、《離れていてもお前達はいつも一緒だ いずれ一つになる時が来よう・・・》《それぞれの名を持ち・・今までとは違う形でな》。その《正しく導かれる》時がやっと来たんですね。
 
そして、ナルトが出した答えは…実に「シンプル」なものでした。
 
「確かにオレってばそのアシュラって奴に似てっかもな…」
「ただそいつと違ってバカでガキで色ンな事よく分かんね―かもしんね―けど」
 
 
「“仲間”がどういうもんかは知ってんよ」
 
「オレはただそれを守りてェ… そんだけだ」
 
 
ナルトが思い浮かべる里の皆、忍連合の皆…そこにはサスケもちゃんと居る。
 
「アシュラの転生」とか「似てる」とか言われて、ナルトは「確かに似てっかも」と言いつつも「ただそいつと違って…」と自分とアシュラの「違い」をハッキリと言いましたね。
 何かと「アシュラ」と言ってくるハゴロモの「親として」の気持ち…「ナルトの中に息子アシュラの面影、意志を見たいと願う親の気持ち」をナルトは否定したりせず、ちゃんと汲み取ってあげる…そんな優しさを示したうえでの「オレはオレ」宣言。 
 けして「成り変わり」でも「生まれ変わり」でもなく、受け継ぐものと「自分ならではのモノ」をきちんと分けて持っている。 たくさんのモノを託されても、ナルトは誰かの「代理」ではない「己」をちゃんと持っている。
 
そしてナルト自身の答え《オレはただ仲間を守りてェ…》。これって「もう一人の予言の子」長門がかつて出した答えと同じですよね。でも、これは長門だけじゃなく、忍達全員に共通する想い(だと思います)。 一族、里、敵味方関係なく「共通する一番大切なもの」…この共通項1つさえあれば、これを取っ掛かりに「繋がる」事は出来るんじゃないだろうか。 
 
 これって例の“鷹の理想的なチームワーク”に見出せると以前の雑考で書いたもの…目的や性格はバラバラでも「仲間が大切」という想いで『一致している』…だから離れ離れになっても「戻って来る」。しっかり繋がっていられる。 
 このシンプルにして「そんだけ」な大切な答えを ナルトが「自然に」出せたのは、これも面倒な事は抜きにして「物事の本質だけをしっかり捉える」おバカならではの能力のおかげかもしれない…と思います。でも(おバカではない)こちら側でも、同じ答えが…
 
「それがお前の答えか…」
 
(まっすぐハゴロモを見つめる「ナルト」と「サスケ」)
 
「ああ…」 (サスケ)
 
って、サスケ側全省略(涙)… 
 
でも、おそらく全く同じやり取りを六道仙人としてたんでしょうね(そこは想像で補完するしかないか…)。ようやく六道仙人を介して左右に並んだナルトとサスケ、太陽と月、陽と陰…
 
「利き腕を出せ」
「此度は兄インドラの転生者であるお前にもワシの力を…」
 
さて…六道仙人から託された力で、ナルトの尾獣モードも変わるのだろうし、サスケの須佐能乎も変わるのでしょうか。さらに「サスケの眼」はイタチが言っていたような、マダラでさえ到達できなかったという「うちはの本当の高み」に達するのではないか…と想像しています(仮称「鷹の眼」というやつ)。 イタチも、オビトも、そしてうちは一族も…サスケが最終的には「ここ」に至り、「うちは一族の誇り」を取り戻し「うちはの存在証明」をしてくれる事を願い期待していたのではないでしょうか…そしてマダラも。
 
六道仙人は、石碑を遺した理由を「インドラ…そしてインドラの転生者側にそういう輩がいずれは出現すると思っていた」「だからワシは石碑を残し 考えを改める導きを書き残した」と言っていたけれど… 
 
「インドラ側の転生者にそういう“輩(やから)”が」という言い方をしたり、どうも六道仙人は「インドラ」を信じてない感じがあって、気になったんですよね。何だかなぁ…ちょっとインドラやインドラの転生者、うちは側が気の毒になってしまった。「インドラ」がどういう人だったか分からないけれど、うちはの始祖なら「愛情深い」人だったのではないかと思うのに。 
 
 ハゴロモは自分で「兄インドラに目を向けてやる事ができなかった」と言ってますが、母・かぐやの失敗や己の失敗を「許せない」気持ちが強すぎて、同じタイプの息子インドラも無意識に「否定」してしまったのではないだろうか。 
 インドラが可愛くなかったわけではなく、インドラが優秀だったからこそ「優秀ならば分かるはずだ」と突き放してしまったのかもしれない。「インドラ側」うちは側への疑心暗鬼、無意識な否定は、ずっと前から続いていたのかもしれません。
 
 そして仙人は、マダラのやってきた事を思い「(石碑は)意味をなさなかった様だが…」と無念そうに言っていましたが、でも…本当に「意味をなさなかった」のだろうか。
 
 改めて「マダラがやってきた事、やっている事」を考え直してみますと、彼は「踏み台」になろうとしてるんじゃないかと(やっぱり)思えてくるんですよね。マダラに関しては本当に「腑」が分かりづらく、私もしょっちゅう考えが変わるんですが、う~ん…今週は特にそう思います(笑)
 
うちは一族の愛情は、しばしばイザナミのような」形で発現する…ということは、忘れるべきではないと思うんです。 仲間に「己の力で気づかせるために」自分が犠牲になってでも仲間に「体験をさせる」… 
マダラが「アシュラとインドラを混ぜて六道仙人化しちゃった」のは、忍達に「六道仙人やかぐやの失敗」を実際に見せて体感させ、忍達自身で「六道仙人には出せなかった答え」に気づかせるのが目的ではなかったのか…? 人間ってのは、実際に目で見えるもの、実際に体験し実感できないと「分からない」ものですから。
 
もし(万が一そうだったとしたら)…マダラはちゃんと「六道仙人の想い」は分かっていたことになる。「石碑は意味をなしたのかもしれない」・・・まだまだ六道仙人も「インドラ」側の愛情を理解しきれていないのではないか…とも思います。仙人だって完璧じゃあないのだから(「かもしれない」と言う話ですが…現時点では)。
 
 でも「此度は兄インドラの転生者であるお前にもワシの力を…」と、ハゴロモはサスケにも己の力を託してくれた。ナルトだけじゃなくサスケも希望だと信じてくれた。そして…
 
 
《右手を差し出すナルト、左手を差し出すサスケ…》
 
 
つ、ついに、来たかぁ―――――…この時をずっと待っておりました(涙)
 
《螺旋丸の右手と、千鳥の左手》…やっと「同じ方向を向いて手が繋がれる」時が近づいてきたのかもしれません(まだ分からないけれど…)。
 
「利き腕」とは何をもって「利き腕」とするのか… 実はサスケは日常生活においては「右利き」です(お箸を持ったり鉛筆を持つのは右手)。刀も基本「右手扱い」です。 ですが、サスケは迷うことなくここでは「左手」を差し出している…つまり「千鳥専用の腕」を差し出したんです。
 
 今までは「復讐=仲間に向けるため」に使っていた千鳥、この戦争ではまだ使っていない千鳥… 
 
 サスケが左手を差し出したという事は、やっと「仲間を守るために」千鳥を使う決意をしたということ… サスケの中でやっと全てが完全に「吹っ切れた」んだと思います。だからこそ…余計に嬉しいのです。 《サスケが左手を差し出した》ってことには、特別な「サスケ自身の想い」があるって思うから…
 
「ナルトとサスケが(向き合って)戦えば死ぬ」…それが運命だったとしても、もし「ナルトとサスケが(同じ方向を見て)一緒に戦えば」その運命は「生きる」に変えられるのではないか…と思います。
 
そして…
 
ガイの「夕象」を受けてボロボロになりながらも嬉々として「ハハハ…いいぞォ!もっと踊れ…!!」なんてマダラさん喜びまくってますけど…マダラはしばらくはこのまま、己のやり方を貫くのでしょう… 
そしてガイは、次は「夜ガイしかない」と言ってますが、夜ガイ…? 今まで「獣」の名前がついてましたけど「ガイ」って動物いないですよね(?)…ってことは最後の最期は己の名前…「ガイ自身」なのでしょうか(一応、ガイは猛獣だし…)まさに木ノ葉の「紅き猛獣」となってしまうのかな…
 
 
(そして新たな光の中で目覚め、起き上がるナルトとサスケ…)
 
 
さて… 「約束の時」とやらは、そこまで近づいているのでしょうか。それこそ忍世界の本当の意味での“暁”となると思っているのですが…(また言ってますが…)
でも、それも…
 
 
 
「これから先…ナルトとサスケ お前達がどうするか…」
 
「どうなるかはお前達次第だ」 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
 

☆ちなみに「右手左手の話」は…過去記事:サスケは、なぜ左手で千鳥を発動するのか?・・という疑問について。 ←2010年3月の古い記事なので(「忍組手」や「和解の印」の話が出てくる前の記事)、かなりずれてる部分があることはご容赦…ということで
 
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2014/04/07)