ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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アシュラとインドラ (六道仙人の息子たちの「名前」)

アシュラとインドラ (六道仙人の息子たちの名前)

 
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《兄インドラは、生まれし時より強い瞳力とセンスを合わせ持ち 天才と呼ばれた 何でも一人の力でやりぬき己の力が他人とは違う特別なものだと知った
そして力こそが全てを可能にすると悟った》
 
《一方弟のアシュラは、小さい頃から何をやってもうまくいかず 一人では何もできなかった 兄と同じ力を得る為には 己の努力と他人の努力を必要とせざるをえなかった》

(670話の六道仙人の言葉より)
 
 
 インドラは父・六道仙人の「眼」を受け継ぎ、アシュラは「肉体(能力)」を受け継いだ・・天才肌の長男インドラと、最初は落ちこぼれだった弟アシュラ。サスケとナルトにそっくりでした。 しかし、六道仙人は「後継者」に落ちこぼれのアシュラを指名します。 一人では力不足の為「仲間と協力する」アシュラこそ後継者にふさわしいと判断した六道仙人。 当然、兄インドラはそれが面白くなくて、弟に戦いを挑むようになる・・・・
 
画を見ると、それは「眼と獣の闘い」・・・アシュラはどうやら尾獣チャクラを使えていたようですね。
 
インドラの子孫は「うちは」となり、アシュラの子孫は「千手」となり、2人のチャクラはそれぞれの子孫の「後継者=転生者」に宿りながら、永遠の対立が続くことになる。 「マダラ」もインドラの転生者の一人であり「柱間」はアシュラの転生者の一人。そしてナルトとサスケが次の転生者に選ばれた・・・ ナルトにはアシュラのチャクラが、サスケにはインドラのチャクラが宿っている。
 
49巻で、ナルトのところにトビがふらっとやって来て「お前達(ナルトとサスケ)は次に運命に選ばれた二人になる」と伝えていましたが、それは「アシュラとインドラの転生者になる」という意味だったんですね(トビは知っていた)。
 
そこで今回はちょっと参考までに「アシュラとインドラ」という名前について、作者が参考にしたと思われる「阿修羅と帝釈天(インドラ)の話」を書いてみます(ウィキ知識ですが)… 六道仙人の子供「アシュラとインドラ」の話ではなく、あくまで「我々世界の伝説に登場するアシュラとインドラ」の話です。
 
 《阿修羅(アシュラ)とは仏教の守護神で、そのルーツは古く、古代ペルシアでは大地に恵みを与える最高神、インドでも太陽神であり戦闘神でした。
しかし戦闘的な性格から、六道の1つである「阿修羅道修羅道)」の主とされています。そして 《正義を司る神》。一方インドラは、ヒンズーの雷霆神で、漢訳では帝釈天」。髪は赤く、豪放磊落な性格。そして《力を司る神》だった》。
 
 《2人の「戦い」の原因はインドラが阿修羅の娘を強引に奪ってしまったことらしく、娘を奪われた事に激怒した阿修羅が、インドラに戦いを挑んだのが二人の戦いの始まり。ま…原因を作ったのは「インドラ」だったんですね。だけどその後、阿修羅の娘はインドラの妻として幸せに暮らしたという(結果としては問題なし)。
だけど、それでも阿修羅は「正義」のためにインドラに戦いを挑み続けたものだから、二人の戦いは終わらなかった。 そして、戦いはいつも「阿修羅の負け」…インドラには勝てなかった。 それでも何度も阿修羅はインドラに戦いを挑み続けた…二人の終わらない戦い…それがいわゆる「修羅場」と呼ばれるものになったのです》
 
(以上、アシュラとインドラの伝説)
 
 
「正義の阿修羅」「力のインドラ」という意味では、たしかに六道仙人の息子達「アシュラとインドラ」も同じですね。そして「アシュラはインドラに勝てなかった」というのも「落ちこぼれアシュラと天才インドラ」のイメージに合ってます。 ただし、六道仙人の息子達の話では「戦いを挑んだのは兄インドラのほう」でした。
 
 62巻50頁をみると、木ノ葉の里のある建物の外には「阿修羅像とインドラ(帝釈天)像があります。 そこで、イタチは「里(アシュラ)か、うちは(インドラ)か、どちらを選ぶのか」選択を迫られるのですが、イタチは「アシュラ像」のほうに歩いていきます(うちは一族抹殺任務の直前)。
 
…ところで、ちょっと話が逸れますが、向田邦子の作品に「阿修羅のごとく」というのがありますが、それは《ごく平凡で平和な家族が、実は一皮むけば結構いろいろあって、各々ドロドロした汚いモノを隠し持っていて…表面上は平和な家族を繕っている》というお話でもあります。それが「阿修羅のごとく」… 
 阿修羅とは一般に「己の正義」にこだわる人という意味があり、悪く言えば表面上の「正義」にこだわって本末転倒になっちゃってる人という意味もあります。 
 阿修羅の娘(インドラの妻)も、父・阿修羅に「今の私はもう幸せになったのだから、もう戦わないで」と頼んだのに、阿修羅は己を変えず「正義」にこだわって戦い続けたのだという…。 さらにインドラ軍が敗走する時に、インドラはアリの行列を見つけ、アリを踏まないようにする為に、わざわざ逃げてきた道を引き返す・・というエピソードがあります。 インドラは蟻を犠牲にする事は出来なかった・・・しかし、阿修羅には「インドラが引き返してきた理由」が理解できなかったらしい。だから「インドラは何か企んでいるに違いない」と疑い、逆に不安になって撤退したという。 
 
 正義にこだわる「阿修羅」は、正義を守る為に大切な「娘」を犠牲にする事もある。一方のインドラは実は優しい人なのだが、そのために理解しがたい行動にも出る。 なんとなく、里の平和を守る為なら「友や子供も切り捨てる」とまで決意した柱間(アシュラの転生者)と、無限月読の為の企みの為に訳の分からない行動に出るマダラ(インドラの転生者)とちょっと重なります。
 
あくまで神話の「阿修羅とインドラ」は参考程度の話でNARUTO-ナルト-のアシュラとインドラの話とは関係ありませんが、岸本先生があの二人に「アシュラとインドラ」の名前を授けたのは・・・けして終わらない戦い「修羅場」の闘いを続けた二人だからなのでしょうか。 「考えの違い」のために、いつまでも互いの本当の想いがなかなか相手には伝わらない・・・
 
六道仙人の話を聞いていると、アシュラには「希望」を見て忍世界の将来を託したいと思ったようですが、インドラの気持ちにはあまり踏み込んでいない。 仙人は、兄インドラには「弟を支えて協力してやってほしい」と思ったようですが、「選ばれなかった」者のショック、心の傷は大きかったんじゃないだろうか。
 
 そのあたり、なんとなく「うちはフガク」を連想してしまった・・・
フガクは優秀な長男イタチを《さすがオレの子》と自慢する一方で、妻ミコトの前では 《サスケの話ばっかりしていた》というし・・ イタチは父や周囲の期待を一身に背負ったけれど、過度な期待がイタチに重圧となりイタチは孤独だった…と思う。それに、イタチが「父の思い通りに行動しない」ようになると、フガクはサスケに「兄さんの後を追うな」と注意するようになる。 そしてイタチの事を「何を考えてるのか読めない」と言うようになってしまった。そして父と息子の間は一時、険悪になる・・・ それでもフガクは最期に、息子イタチにちゃんと愛情を伝えたんですよね。六道仙人は、ちゃんとインドラにも愛情を伝えてやったんだろうか?
 
 インドラも天才と呼ばれ「期待」に応えようと彼なりに努力していたんじゃないかと思うんですが、「天才の努力」って目立たちませんから(天才だからという言葉で片付けられてしまう)・・・だから弟アシュラに較べて、兄インドラは寂しく孤独だったのではないかな・・・ 
 
 
 
 
 
 
☆長駄文読んでくださって感謝。
 
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2014/04/03)