ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 686: 残せし者と継ぎし者 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ35号) その1

NARUTO 686:残せし者と継ぎし者 その1

リン… 今度はあの世で…
少しオレと… 2人きりの時間を過ごそう
 
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カカシ…お前はとうぶんこっちに居ろ
 
直ぐに来んじゃねーぞ
 
 
 って…オ、オビト… 
 
…っていきなりですが、これは今週の「ラスト」…なので、この雑考は後に致しますが……
 
さて…まずは今週は『表紙&巻頭カラー』だったNARUTO。 先週予告があった「重大発表」ってのは、やっぱり劇場版の発表でしたか。昨年12月のジャンフェスで「劇場版次回作」の話も出てたのに、どうなったのかなぁ…とは思っていたんです。
  
で、12月6日公開の劇場版、タイトルは“THE LAST NARUTO THE MOVIE”… おおっ「ラスト」…なんですかね、劇場版も。
今週は、本編のほうも《いよいよ終わりが近くなってきたかなぁ》と実感した内容でした。カカシの親友「オビト」が登場した以上は「いつか必ず戻るだろう」と思われた「あの第2巻第8話」…第七班にとって大切な「はじまり」のあの時にまで遂に話が「戻って」きましたから…ね。
 
で、劇場版のナルトのデザイン画…これって、大人ナルトなのかな…? 顔は確かに「ナルト」だけど輪郭はガッシリだし、トレードマークのツンツンヘアが「サッパリした短髪」になってるし…オビトっぽいナルトというのかな。 
 
そして扉絵のWESTERN調のナルト達第七班。 西部劇映画風というか「バックトゥザフューチャー3」を彷彿とさせるような絵で、なんだかサスケとサクラがいい感じ(一緒に馬に乗ってる)。  それにこの扉絵「第48話の扉絵」にもどこか似ている…第48話のほうで第七班が乗ってるのは「馬」じゃなくて「鷹(鷲?)」なんだけど、サクラは同じようにサスケにしがみついてるし、カカシは後方で《ぼわ~ん》とした表情だし(笑)  
 
 いや、カカシはけして《ぼわ~ん》とはしてないんだろうけど、あの眠たそうな目のせいでそう見えちゃうんですよね。 でもこうして扉絵でも「第七班の四人」が揃って描かれるのも「自然な感じ」になってきて、そういう意味でも「最初の頃に戻りつつある」のを感じます。 
 今迄ぎこちなかった「サクラとサスケ」の関係も、先週でなんとなく好転しそうな感じになってきたし(と思う)、第七班の「人間関係(チームワーク)」は心配ないだろう…と思っております。 というか、そうあってくれないと困る。チームワークの大切さ、仲間を想う気持ち…オビトが体張って第七班に見せてくれたんだから… ね?
 
そして、その《ぼわ~ん》とした感じのカカシ先生も、遂に《覚醒の時》が近づいているようでして(やっと!)、今週はその助走といったところでしょうか。 
 
 
さて、まずは「六道仙人とチーム火影」からですが…
 
 
ハゴロモが言うところの「今やっと揃い」とは何ぞ…
 
 
気になっていた「チーム火影」のほうですが、どうやらハゴロモは「何かの術」を行う計画を火影達に話したようですね。
 
扉間の「…助言を頂けるなら もっと早くにしてほしかったですね」…これもいかにも「扉間らしくて」自分的にはツボでした。「かの六道仙人」にそんな事言えちゃうのも扉間ぐらいですよね。 彼の「思ったことは遠慮なくハッキリ言うところ」…特に「相手によって態度を変えないところ」は清々しく気持ちいい! 
 
しかし、ハゴロモも「もっと早く」は出来なかった事情はあったらしい。
 
「この下半身は十尾の人柱力になった後のマダラの一部… つまり十尾とマダラと柱間…いや…九尾とインドラとアシュラ… そのチャクラが今やっと揃いワシが出て来られたのだ」   (ハゴロモ
 
ん…やっぱり、ハゴロモの話はちょっと分かり難いかな…。 下半身…いや半分分かるような、半分分からないような(笑) 
ともかく;チャクラ状態で永年漂っていたハゴロモが、この世界に具現化するためには《ある条件》が必要だった様で、その「条件」というのが《九尾とインドラとアシュラ、3つのチャクラが揃う事》らしいのですが、そこ「十尾」じゃなくて「九尾」なんですね。 
 
 「九喇嘛」は尾獣の中でも「別格」らしい事は、今までの尾獣間の会話でも時折感じられましたが、これはどういう事なんでしょうね…ハゴロモのチャクラが九喇嘛のチャクラに封じられていたとか…ともかく(汗)…この『三種のチャクラ』が一堂に揃う事が「ハゴロモ爺の出現条件」であり、その「三種」が揃った事は永らく無かったのだと思います。 それでハゴロモ『今やっと揃い』出て来られた…という言い方をしたのでしょうか。
 
 “今やっと揃い…”この『やっと』という時間の長さ、それはたぶん、人間が普通に想像する『やっと』とは較べものにならない「長さ」いや「永さ」なんだろうな…とは思います。
 そのあたり、悠久の時を超えて漂い続けたハゴロモと、いくら「火影」とはいえ普通の人生スパンで時を過ごした影達では「時に対する感覚」も違うと思われまして「あまり時間もない」と言いながらもまったりとした「ハゴロモの語り口調」(扉間は少々これにも苛々したかもしれませんが)…それは長~い時間を「待った」ハゴロモならではの感覚なのかもしれませんねぇ。
 
 それに“今やっと揃い…”という言葉は、この前に語っていた“とにかく今は色々と条件が整ったのだ”と同じぐらいに《気になる言葉》でもあります。
 
 というのも、今回の“今やっと揃い…”の条件達成にしても、前回の“とにかく今は色々と条件が整ったのだ”の条件達成にしても、あまりにも「タイミングが良すぎ」なんですよね。 そしてこれらの出来過ぎな条件達成は、「マダラの画策」によるところが大きいのも事実です。 こういう事態を引き起こす「原因」を作り、さらにこの舞台で最終的に「条件」を整えたのは、マダラ… 
特に「三種のチャクラ」を揃えたうえで、それらを置き土産のように置いていったのはマダラです。
 
《こうなっては やらねばならないことがある》…オビトが十尾の人柱力になった時、マダラはこんな事を言ってましたよね。 そして「…もう少しお前をいただく」と言って柱間の仙人の力を取っていきましたが、これだって実は「三種のチャクラ」調達が目的だった可能性も考えられます。
 それに「こうなっては」とか「やらねばならない」とか…これらのセリフの響きには、マダラの個人的な野心や願望とは違った《仕方なしの最終手段》的なモノを感じるのです。
 う~む・・・「サスケに下半身を斬らせて、ここに放置していった」のも、実はマダラの「計算の内」だったのではないかと私は推測しています。 「下半身放置」ってのも、かなり大胆ですがね… ある意味、腑も何もかも「曝け出し」ですもんね。
 
(それにしても「マダラの下半身にも十尾のチャクラが在る」という事は、「カグヤに取り込まれたマダラ」が持っていた十尾チャクラは「残り半分ぐらいの量」という事になるのかな… 思ったより「少ない」のかもしれない。黒とカグヤは、これに気付いているんだろうか…?)
 
 そもそも「マダラ」という人物…初登場(59巻)の時には、それこそ「今までに無かったほどの本物の存在感」を感じたもので、棺桶のフタをぶっ飛ばし腕組みして髪靡かせる姿に、こりゃあ「ラスボス級の迫力」と圧倒されました(あの時はテンション上がった読者が多かったですよね)。 だけど、その「圧倒的なラスボス感」も案外と脆く…数話も経たないうちに私の中では薄れてしまいました。 
意外な「人間臭さ」とか(“あいつ”に戸惑ったり、柱間柱間言い出したり)、「本来の優しさ」が見えちゃったりで(女がしゃべってる間は女の話をちゃんと聞くところとか)、当初の「貫録十分なラスボス疑惑」はアッサリと消えたものの、そのかわりに「人間臭い魅力」が頭をもたげてきました。
 
 マダラという人物の「魅力」は、イカツイ顔に似合わぬ「繊細さ」、そして「大根役者的な下手くそな演技力」相子劇場とか、この前のオビトに対する悪態とか)にあると私は感じておりますが(あくまでこれは私の「個人的な感じ方」です)、それらは当初感じた「威圧的なラスボス風の貫禄」との「ギャップ」が激しくて、それがまた面白くって…。もっとも当初のイメージとの「ギャップ」に惹かれるのは「マダラ」だけじゃない…「大蛇丸」もその一人ですが、「ハゴロモ」っていう爺さん(コラ)もその一人でして、さぞかし「ご立派な神様的な仙人」かと思ったら、相手に合わせて「夜露死苦」なんて言ったり「息子や母ちゃんとの関係」に悩む人間臭い宇宙人(??)だったりして…。
 
 しかし、周囲から思われているイメージとの「ギャップ」に悩むキャラも存在します…「カカシ」はそのいい例ですよね。 彼の場合、周囲からは「ほぼ完璧」と思われているのに、本人は自分を「ダメな口先男」と思ってる…(カカシについては、後述します)。 
 もはやNARUTOに登場するキャラに「完璧キャラ」なんて存在しないと思っていますが、でも…それがいいんですよね。 それぞれ欠点やら意外な弱点を持っているからこそ、どのキャラも余計に愛おしく思えてくる。 
 
 ヒルゼンは「そうですか…別空間にナルトとサスケ それにサクラとカカシも」なんて言ってますけど、つまりハゴロモにはナルト達の状況が「見えている」んですね。 
 それはサスケの輪廻眼と視野を共有しているのか、それとも「九喇嘛」の見聞きするものがハゴロモに入ってくるとか…カグヤ(神樹)の目と視野共有してるのか… それと、ハゴロモがオビトの名前を出さないのは何故なんだろうな…。 
 
そして、ハゴロモがやろうとしている「術」とは何だろう… まずは「無限月読・解」から始めるのかもしれませんが…これだけ大きな術を「解」するにはそれ相応のチャクラも要るハズで、とにかく全てに「莫大なチャクラ」が要る…「全て」において。 「神威」にしても「とんでもなく遠い空間」に穴を開けるには莫大なチャクラが要るし、サスケの「輪廻眼の能力」にしても今のままでは「距離が決まっている」し、ナルトの求道玉操作にしても「距離が決まっている」…何をするにしても、対カグヤ(というより対神樹かな?)には「莫大なチャクラ」が要るってことですね。
 
 
・そして「戻ってきたサスケ達」と「本体ナルトの作戦」に対する黒の反応ですが…
 
(バカな!サスケだと!?)だとか… (分身に求道玉を持たせてやがったのか こんな…カンタンな事に…!)だとか。 
「黒」は、オビトの神威のことも完全に無視していたし、ナルトの「意外と賢いところ」も考慮せずあっさり作戦にはめられたり、かなり「杜撰」といいますか…ナルト達をナメ過ぎてます。 
 それに、あまりにも「ナルト達の実力を知らな過ぎ」… もし「黒」があの黒ゼツなら「ミナトやカカシの能力」でさえ正確に把握済みだったし、十数年も側に居たオビトの実力も能力もよく分かっているハズ。 だから、あの「情報屋の黒ゼツ」と同一の存在とは思い難い…あまりにも不自然なんですよね。
 
 で…今の「黒」は喋り方がグルグルに少し似ていると思ったこともあったんですが、でもグルグルなら「もっと賢い」し、それにもっと「貫禄がある」ので、これまた違う感じもする。 それと「母さん」という甘い言葉に乗せられて、黒の言いなりになっているだけの「カグヤ」もどうしたモノなのか…何だか歯切れが悪い。
黒も、カグヤも、いったいどうなっているのか…そして何をしたいのか。
 
超重力世界で這いつくばって、背中から骨を何本も突き出しているかぐやの姿は…なんだか「十尾(神樹)」っぽく見えるんですよね。
 
“共殺しの灰骨”で投げつける骨も“木遁・挿し木の術”に似ているし、段々とカグヤの姿が「十尾」と重なってきて、このままだとカグヤは「十尾の本来の姿」に変わっていったりするんじゃないだろうか…とも思えてくる。そしてそれが「黒」の目論見のような気はしているのですが…どうなんだろう。
 
 
・「ありがとう」…ナルトの場合。
 
さて…「ありがとうが世界を変える」の話なんですが…
 
ナルトのごく自然なひとこと「ありがとな サクラちゃん オビト!!」…これ、気分がいいですねぇ。 今回の「ありがとな」は、どっちかというと「サンキュー」の軽いノリに近いものではありますが、それでも「感謝」が口先だけではない事がちゃんと伝わるのは 「ありがとう」の言葉の意味の大切さをナルトが分かっているからなのかな…。ナルトの「ありがとう」は、ごく自然で“サラッ”としてるんだけど、それでも心がこもってて感謝の気持ちがちゃんと伝わる。
 
 だけどナルトだって、最初の頃は「心がこもった“ありがとう”」をうまく言えてなかったような気がする… 軽いノリで礼を言う事はあったけど「ありがとう」という言葉の意味を《本当に分かった上で》言えるようになったのは、案外と遅かったんじゃないか…と私は思っています。
 
 まずキッカケは440話で父ちゃんに「信じてる」と言われて、本当に嬉しくて《ありがとう》と心の中で思えた時… さらに504話で母ちゃんから「ありがとう」をいっぱい貰った時…あの時に「ありがとう」の本当の意味を実感できたのではないかと感じています(504話のタイトルは「ありがとう」)。
 
 そのあと、ナルトは穢土転イタチに向かって「ありがとう」と言っていますが、あの時の「ありがとう」は、ジーンと心に染み入るような「ありがとう」だったんですよねぇ… そして、ハゴロモに伝えた「ありがとう」も、さらにこの前オビトにペコリと頭を下げていった「ありがとう」も…これらの「ありがとう」は全て心のこもった「ありがとう」でした。 今まで、殆ど誰からも「ありがとう」と言ってもらう事のなかった「イタチ、ハゴロモ、オビト」三人の心に、この「ありがとう」はどれほど嬉しく「届いた」ことか…
 
 
 
・「ありがとう」…サスケの場合。 
 
「サスケ! ちゃんとサクラちゃんとオビトに礼言ったか!?」  (ナルト)
 
「……」 
「前に集中しろ」  (サスケ)
 
 こっちが思ってた事をナルトが言ってくれたもんだから、思わず笑ってしまった…。 
 
まるで口うるさい「母ちゃん」みたいなナルトの「おせっかいなひと言」… 
ナルトは分かってるんだろうな…サスケはホントは心の中では感謝してるくせに、それが「言えない」でいるってことを。 
 
 サスケの「……」からは何とも判断しづらいのですが、それは「気にしている事」を指摘されて「……」となったのか。あるいは、実は既に「ありがとう」と言ったけど、だからといって「言った」とは恥ずかしくて言えなくて「……」となったのか…その可能性も否定はできませんけど、どうなんだろうな…
いずれにせよ、サスケはサクラとオビトに「ありがとう」の気持ちをちゃんと持っている事は「…」からも伝わってきます。 そして、うまく「ありがとう」を言えない事を「気にしている」って事も伝わってくる。 
 
  サスケが簡単に「ありがとう」を言えない理由には、自分を助けてくれる周囲の優しさへの「戸惑い」もあり、それで今は「言葉で感謝を伝える」よりも「行動で報いる」のが先と考えてるんじゃないか…とも思うんです。 だから「ありがとう」を言いたいけど今は言えない、気持ちを伝えたいけど伝えられない…それで悶々としている(であろう)サスケの心を、ナルトは見抜いているような気がする。 
 母ちゃんっぽいナルトの一言は「かなりの友達だからこそ言える鋭い余計なひとこと」でもあり、一人で悶々としているサスケの悩みを引きずり出してやる「かなりの友達ならではの優しいひとこと」でもあるんじゃないだろうか。
かなりの友達(親友…とは言わないんだよね)は「誰にも言えない悩み」さえ何となく分かってくれる… 時には軽くウザく突っ込んでくるけれど、イザという時は助けてもくれる。
 
「前に集中しろ」…サスケのこのセリフはもはや、相方ナルトの「鋭すぎるツッコミ」をかわす時の「定番」になりつつありますが、ナルトのおせっかいなひと言に、サスケは実はちょっとだけ「嬉しかった」んじゃないか…と思ったりします。
 
 
 
 でも…やっぱり、サスケも(サスケに限らず感情を伝えるのが苦手な人達全て)「ありがとう」って言えるようになって欲しいと思います。 伝えたい人には、伝えられるときに言わなくっちゃ…と思うから。今伝えなくちゃ伝えられないこともある。

ありがとうも、愛してるも、伝えられる時に伝えておこう・・・





 
(その2へ続けます。その2はカカシとオビトのことメインに…)