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NARUTO-ナルト- 674 サスケの輪廻眼…!! 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ22/23合併号) その2

NARUTO:674 サスケの輪廻眼…!! その2

・マダラと「つながり」
 
そして今週のマダラのセリフから、ちらりと見えた「本音」っぽいセリフを2つほど。
 
(オビトより早く生まれていれば…こいつを…)
 
イヤ…今さらそんな事はどうでもいい
 
サスケのことを高く評価したあと、ボソッと呟いた一言(心の中で、ですが)。
コイツを…の後に続く言葉は《本当は》何なんだろう。あえてマダラに言わせてないところに、作者の「思惑」がありそう…。 
 
 過去をあまり振り返らない(ように見える)マダラにしては、珍しく《~れば(~だったのに)》という仮定法まで使って“後悔”とも取れるコトバを呟いてますね、ボソッと。  だけど、すぐに“雑念”を振り払おうと強く否定する… いつもの《まぁいい…》という曖昧に流す否定ではなく、ご丁寧に《イヤ》+《今さら》+《そんな事》+《どうでもいい》の否定的な言葉の四重奏。そのぐらい重たい蓋でギューっと抑え込まないと、ぶわぁ~っと出てきそうなほど《オビトじゃなくてサスケを○○にすればよかったなぁ…》の想いは強いみたいですね。 つまり「オビトが自分の思う通りになってくれなかった」事は爺ちゃんとしては相当残念だったんだな…。
 
 どうやらオビトは「マダラの直系子孫」で間違いないようだし(※下記)、マダラは長い時間をかけて「もっとも自分に近い適任者」としてオビトを選んだのだと思いますが(血統、眼や能力、性格から判断して)、それだけ「選りすぐる必要があった」役割なんですから…「言う事を聞く便利な使い捨てのコマ」の役割とは思えないんですよね。
 そして「まさかのオビト以上の眼」を持つサスケの出現で、「サスケのほうが向いていたかも」なんて思ったという事は、やはり「特別な役」をオビトに与えるつもりだったんじゃないだろうか?「本当は」使い捨ての下っ端役ではない、何か特別な役割を… 
 結局、なんだかんだ言ってマダラは子孫に「かなりの期待」をしてたって事だと思います。つまり本当は大切にしていた…って事じゃないのかな…《繋がり》(オビトに対しては「血の繋がり」かな)。
 
 
そしてもう1つ、
 
(…あのうちはサスケ…奴は唯一オレと同じ直巴の写輪眼を開眼していた…)
(サスケとオレには何か血とは違う繋がりがあるのかもしれんな)…
 
 
…マダラの口から《繋がり》という言葉が出るとは!
 
 
 マダラとサスケの「繋がり」といえば、まずひとつは「インドラの転生者」という共通点。 
 
 六道仙人の話によれば「転生とはチャクラ(あるいは目かな)」が受け継がれていく」事の様だから、マダラとサスケは同じ「インドラ系のチャクラを持つ眼」なのではないかと思います(「眼」はチャクラの“質”を最も敏感に反映する部分)。 ナルトと柱間、アシュラには共通して「◎印と鳥居」があるように…サスケとマダラ、インドラにも共通するものがあるはず。
 
そして「直巴」については具体的に何を指すのか未だ説明がありませんが、それは「インドラ系チャクラ」に因るモノなのか、それとも兄弟に眼を託されたことで「永遠の万華鏡」を得たという共通項に因るモノなのか…(不明)。 
 いずれにせよ「遺伝」のような「直接の血の繋がり」とは関係ないところで、マダラとサスケには運命的な特別な《繋がり=結ぶモノがある》事にマダラも気づいたということでしょうか(※)
 
「何か」血とは違う「繋がり」…その「何か」が何であるのかをマダラも知りたいと思ってるのかもしれない。
 
(※)うちは一族は「同じ血族」ではあるけど、それなりに人数もいただろうし、全てが血の繋がった「親戚、子孫」とは限らないのでは。 といいますのは、652話ジャンプ掲載時は、ナルトがオビトの事を「サスケの親戚」と言ってたんですが、コミックスでは「同じうちは」に訂正されてるんです。 一方で、オビトの「オレのご先祖のうちはマダラか?」は訂正されていないので、マダラとオビトの間には「血の繋がり」があるんだろうと解釈。
 同じ一族だからといっても「親戚とは限らない」…「マダラとオビトは先祖と子孫で“血の繋がり”がある」、「マダラとサスケ、オビトとサスケに直接の“血の繋がりは無い”」…そこはちゃんと「分ける」必要が作者的にはあったのかなと推測。

 
 どうやらマダラは「自分とサスケは共にインドラの転生者」とは「まだ」気づいていない様子だし、“何があったにしろ”今のこいつらはただのガキではない》なんて考えてるから、相変わらずナルトとサスケに《何があったのか》も分かってはいない(「何だか分からない繋がり」と、「何だかわからない出来事」)。 マダラは、「サスケが自分の次に運命に選ばれた者」であることは、まだハッキリとは掴んでいないらしいけど、それでも「感じる」ものはあるんですね…そして「血の繋がり」だけが全てではない事を実感しつつある。
 
(そして、なぜオビトはナルトとサスケが「選ばれた二人」と知っていたのか…この謎はますます気になる)。
 
 カブトとイタチの間にも互いに分かり合う「繋ぐもの、似ているモノ」があったし、オビトとナルトの間にも分かり合える「繋ぐもの、似ているモノ」がある。そして、マダラとサスケの間にも「繋ぐもの、似ているモノ」がある。
 
マダラとサスケを「つなぐもの」…それは「インドラのチャクラ」とか「直巴」とかあるけれど、それ以上に二人を繋ぐ大切な共通項は「兄弟への想い」だと思うんですよね。やはり、マダラと心を繋ぐ役割はサスケが適任者なんだろうな…。
 
《うちはの兄弟は互いのスペア》…光と影。マダラもサスケも、兄弟によって生かされた者達…マダラもサスケも“影”の意味を知り、“影”を背負って生きている。
 
 
・“影”というモノ
 
 マダラの輪墓(リンボ)は、「影」のように「光の世界」に一緒に在る…
マダラが「影」という言葉にこだわりを見せていたのも、そういう事情があったのか…と納得(マダラは「光と闇」ではなく「光と影」と言う…602話で触れた話)。 
 「光と闇」は別々に存在できるが「光と影」…これは断ち切れない関係にあり、光の無いところに影は生じないし、影は必ず光の中に一緒に有る。
 
 
《この世の全てにおいて 光が当たるところには必ず影がある》
…(602話「生きている」 マダラのセリフ)
 
 
 忍達にとって「目に見え感じることが出来る」光の世界だけが「この世界=現実」。 そして通常は「目に見えなくて感じることが出来ない」影の世界は認識されることさえない。 だけど、輪墓(リンボ)のように確実に「影の世界」は存在する。ただ、認識されないだけ…。
 やっぱりイタチの例のあの言葉が気になってきちゃうんですよね、このブログ内でいったい何十回取り上げてきたか分からないあの言葉…(そろそろ暗記しちゃってるかな)
 
 《人は誰もが己の知識や認識に頼り縛られ生きている それを現実という名で呼んでな》 《その現実は幻かもしれない》
 
 そしてサスケが「オレの眼は幻術を見抜く!」と叫ぶ度に「強気な物言いだな…」と言っていたイタチ。 イタチが「サスケに望んだ眼」…サスケはついにその眼を得たんじゃないかと思います。「輪墓(影)の世界」が見えるようになった今のサスケの眼には、今度こそ本当に「本物と幻」が分かるのではないだろうか…?
 
 心も水鏡のように「表」と「裏」があり、実は「裏の心」のほうが本心(本物)だったりするように(660話「裏の心」)…この世界だって「表(光)の世界」と「裏(影)の世界」、どっちが「本物か」なんて簡単には決められないのかもしれません。 
 目に見えて直接感じて確かめられる「表=光(あるいは陽)」はホンモノだとするのが「我々の認識、常識」。 ですが、そういう「型にはまった考え方」から脱却する必要があるのかもしれません…本当に大切なモノを「見て」、そして「感じる」為には。
 「二代目水影戦」でチョビ影が叫んでいた「本物は目に見えない、隠れてる」という話も、ここで伏線として活きてきた気がする…
 
「ナルトとサスケ」もいわば「光と影、太陽と月(陽と陰)」。
どちらか一方がメインで正しいという事は無いんだと思います。「光と影」という本来断ち切れない因果関係にあるもの同士。 
「補うモノが引き寄せられるように生まれ…側で対を成して初めて少しでも良い方向へ近づけるのだと思う イザナギと…イザナミの術のように」… (例の穢土転イタチの言葉)。 サスケも、ナルトに寄り添い「影として」協力していくつもりなのではないかと思います…光の世界と、影の世界の様に…
 
そして《オレを見てオレになかったものをお前には探してほしい》とイタチは言っていたけど、今週のサスケを見ているとちゃんと《ナルトを見てナルトにないものを探して》補ってますね。そして、ナルトもちゃんと《サスケを感じてサスケにないものを探して》補ってる。
 
「サスケそっちへ行ったぞ! 何か目に見えねーのがうろちょろしてる!!」
「そうか?オレにはハッキリ見えてるぞ!」
 
サスケは「感知できるわけじゃないが」目で見ることが出来る。
ナルトはマダラの輪墓を「目には見えないけど」感知することが出来る。
お互いが独走することなく、ちゃんと「伝え合う」。
 
「目で見る」…つまり「情報を得て分析し理解する」ことでもあり、
「感じる」…つまり「心で感じて理解する」こと…でもある。
二人の「理解」のしかたも違うかもしれないけど、どちらも両方大切なもの。
 
「どうやらもう一人のマダラにはこちら側からの物理攻撃は効果がない様だ」「ナルト また奴の影が出現したらそっちはお前がやれ」とサスケはナルトに足りない「分析力」をちゃんと補ってる。かつてナルト達を「足手まといだと決めつけ個人プレイ」だったサスケが「ナルトにも分かる解説」までして…。 そして、かつて「一人で独走するだけ」だったナルトも、ちゃんとサスケの言う事を聞いている。
 
「ヘッ!」
「お前に命令されっとイラッとくんの…… 今でも変わんねーみてーだわオレ!」
 
とは言ってるけど、聞いてますもんね(笑)
 
ちなみに、サスケの「足手まといだと決めつけ個人プレイ」、ナルトの「一人で独走するだけ」というのは第2巻「鈴取り合戦」でカカシに指摘された点なのですが(サクラは「お前は目の前のナルトじゃなく どこに居るのかも分からないサスケのことばかり」とカカシに注意されてる)…カカシの「先読み」も、この時ばかりは見事に当たってるんですが、やっと彼らもそれらを克服して「本当のチームワーク」に辿り着いたようで… 前の「三竦み」の時にも感じた事ですが、コミックスにして70巻近く…長い道のりだったけど、やっと彼らは「第七班の忍」として合格できたのかもしれない。
 
 そして、ナルトも「イラッとくる」「今でも変わんねー」…と素直に言ってますけど、やっぱりどこか「嬉しそう」なんですよね…昔みたいに「戻れた」喜びが、言葉と表情に出てるしナルトも活き活きしてる。
 ごく自然に遠慮なく「イラッとくる」なんて言えちゃうのは、心を開き心を許してるからじゃないのかな。サスケも「話を最後まで聞け!」なんて注意してるし…。だけど全然険悪にならないのは、お互いに言いたいことはちゃんとその場で言っちゃって「腑」を曝け出し、お互いの「欠点」も受け入れてるからなのでしょうか(相手の欠点こそ「自分が補ってあげられる点=自分が活かせる部分」として)。補い合うことで自分が活きる…それを二人共、実感してるんじゃないかと思います。
 
 
さらに、二人が「本当に信頼し合っている」ということは、いよいよこの後TEAMオレら最初の「合わせ技」として炸裂し証明されます。
 
 
 
ついに「螺旋丸×千鳥」(PART1)という形で…!!
 
 
 
 
その3まで続けます。コメント欄開くのが遅くなりますが、次号までかなり時間があるし…って事で、どうかご容赦)。