ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 685:ありったけの…!! 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ34 号) その 4

NARUTO 685:ありったけの…!! (4)

 
・そして黒とカグヤ…
 
(カグヤの袖から顔を出し、あれこれとカグヤに指図する黒…)
 
「うかつに入口を作らない方がいいよ 母さん 奴がサスケに近づく」なんて言ってるけど、つまり黒は、まだカグヤの空間に入れるのは「ナルトだけ」って思ってる… 黒が『オビトの神威』を全く考慮していない事が、逆に不自然にさえ思えるんですよね(結果として黒の“勘違い?”のおかげでオビト達の作戦が上手くいったわけですから)。
 そもそも、今の「黒」は、あの「黒ゼツ」とは全く違う雰囲気だし、もはや完全に「別の存在」といいのではないかと思っています。なんだかさらに怪しい…。
 
 それに、黒は本気でカグヤを「母」とは考えていないようにみえるんですよね。
 
何かにつけて「母さん母さん」と、安っぽく母連呼だし…それは「母を慕って呼んでいる」様子には見えず、もっと打算的計画的と言いましょうか…
《母さん》という言葉がカグヤにとって「弱い言葉」であり、いわば彼女の「穴」であることを利用したテクニックと言いますか…彼女の不安定な心にさらに揺さぶりをかける為に最適な言葉が「母さん」なんじゃないかと思います。
 
 カグヤは本当は「女神」や「鬼」なんかではなく、「あの子たちの母さん」でありたかったんじゃないのかな。「母さん」と呼ばれたい願望は、今も強くあるんじゃないだろうか…?  神のような力を得、全てを手にしたカグヤがかつて唯一手に入れられなかったもの…それはごく普通に《母さん》と子供達に慕われる母親としての喜びだったんじゃないだろうか…と思います。 
 
 ナルトとサスケの「排除」を優先とする黒と、まだ「あの子たちのチャクラ」にこだわっている(ように思える)カグヤ… サスケをナルトから引き離し、別世界に投げ込んだ時も、なぜか「一番リスクの少なそうな砂漠世界」に投げ込んだカグヤ…いきなり「酸の海」なんかに投入しなかったのも、まだ「あの子達」にこだわっているように思えるんですよね。
  カグヤとハゴロモ…この二人も「運命」に踊らされ、ストレートに愛情を伝えられなかった親子。 どうにか二人の想いを繋いでやってほしいものですが、傍から見てると彼ら二人の想い、愛情はじれったくて、もどかしいです…ホントに。
 
 
・神威の目が見る「先」
 
酸を浴びても冷静にベストと右そでを破り、己の治療もせずに大切なチャクラは神威に回す…「ナルトがくれたチャンスを潰す訳にはいかないもの!」と傷を負った右手をスッとあげたサクラの姿は、中忍試験の時に右手をスッと折って「アンタのその叶いそうもない夢…つぶさせたくないみたい!!」と言っていた時の彼女を思い出させます。 
 この《叶いそうもないナルトの夢を潰させたくない》という想い…この前ナルトが死にかけた時も、サクラは必死にナルトの夢を守ろうとしてましたよね。
 
 そしてオビトはカカシが言っていた「つまずきそうなら助けたくなる」の言葉をサクラに重ねる…
 
 「痛てーのがまんして先を歩く」のも、前を歩いている人が「つまずきそうなら助ける」のも…どっちも必要で大切なこと。それも補い合うという「協力」なんですね。
 オビトは嬉しそうな表情で神威の目で「先」を見つめますが、それはただ「とんでもなく遠い先の空間」を見つめているだけじゃなく、ナルト達の姿に「これから先」を見ていたんじゃないだろうか…「両目の神威の目で」。
 
 第一部最後にカカシが言ったのは「この目があってもちっとも先なんて見えやしない」だったけど、今、左右の神威の目は「しっかりと先を見ている」。そして「神威の目」が見つめる「これから先」…それは「オビト」が見ているというよりも、神無毘でオビトにその目を与えた「何者か」が見ているんじゃないだろうか…なんて思います。 「神威の目」を通して、何者かが忍世界の「これから先」を見ているんじゃないだろうか…?
 
 
・そして最後に…
 
「じれったくてもどかしい」といえば、サスケの感情の伝え方もそうなんですよね。サスケってのは、ホントに言葉で想いを伝えるのが苦手ですもんね…それがいいところでもあり(安っぽく言葉を口にしないという点で)、それが誤解の元になったりもする。
 
 だけど、倒れかけたサクラを《ガッ》と後ろから支えたこと…それはサスケにとって精一杯の「想いの伝え方」だったんじゃないだろうか(と思う)。
サクラが倒れそうなら、後ろからしっかり支える…サスケはそう伝えたかったんじゃないだろうか。 そして《サクラの後ろ姿をしっかりと見ている》ということを、チラっと見た横目で伝えたかったのかな…なんて思います。“いつもちゃんと見てる”って事を伝えたかったんじゃないだろうか… そして《ありがとう》ということも。それがサスケにとっては精一杯の想いの伝え方だったんじゃないかとも思います。 
 
 里抜けの時も、サクラに「ありがとう」と言う為に「後ろに回って顔を見せず」に伝えてたサスケですが…でも、もう一度サクラには「ありがとう」と言葉で言ってあげてほしいですね。出来ればちゃんと顔を見て。
 
 そしてサクラは、サスケの《ガッ》に何を感じているだろう…?
 
今までは、「二人の背中を見ている事」がサクラにとって「守られているだけ」という苦痛でしかなかったんだと思う。 だけど、倒れそうになったサクラを、サスケが「後ろから支えて守ってくれた」…前に立つ者が倒れそうになっても、後ろを守ってくれる仲間がいるって事を、サクラはサスケの腕に感じているだろうか…?
ナルトとサスケだって背中を預けられる仲間がいるからこそ、いつも前を向いていられる… 今までだってサクラは「守られているだけ」じゃなく、彼らの背中を守ってきたとも言えるんですよね、きっと。
 そして、サクラが前に出た時は、サスケとナルトが後ろを守ってくれる…そしてサクラがつまずきそうになったら、彼らが支えてくれる。
 お互いに守り守り合い、補い合う。それが本当のチームワークなんだってことをサクラも「サスケの《ガッ》」に、実感できたんじゃないだろうか。
 
そしてサクラもナルトも… 今までのサスケの「前だけを見てるような態度」が、実は「他の仲間を信じているから」だったということに、すこ~し気付けたんじゃないかな…とも思います。ちょっとずつ、分かり辛いサスケの「本当はチームワークを大切にしている心」が、ナルトとサクラにも伝わってきてるんじゃないだろうか。
 
 少し前の雑考での話ですが、カカシとガイがお互いに「大丈夫か?」なんて心配し合っている姿が自然でいいなぁ…なんて書いたことがありましたけど、今回はサクラとオビトが互いに「大丈夫か」「大丈夫ですか」と自然にいたわり合っていた。 そうやって助け合い、いたわり合い、補い合う…それこそハゴロモが望んだ「協力」というものじゃないだろうか…。
  
 長い時間をかけてコツコツと溜めてきたチャクラをサスケを助ける為に《ありったけ》…それを「協力」という形で使ったサクラ…それは「敵をぶっ倒す為の怪力」に使うよりも、ずっとずっと「サクラらしかった」と思います。 だって…サクラがチャクラを溜めてきたのは、敵を倒す為じゃなく《ナルトと一緒にサスケを助け出す為》でしたもんね。 
髪の毛はボサボサになっちゃったし、服もボロボロだし、可愛い女の子風…とはいえない。 だけど、師匠譲りの力を《仲間を守る為の力》として見せてくれたサクラの姿は、なんだか「美しい」…サクラはサスケに「成長して美しくなった姿」を見せることが出来たんじゃないのかな?
 
…とはいっても、将来的に『サスケとサクラがどうなるか』とかは正直私は無関心なので、これから色々あってもいいし、どう変わっていってもいいんじゃないか?なんて思ってます《男女としては》。 だって…彼らはまだ若いんだから(笑)
 それよりも、「忍」として「仲間の一人」として、サスケはサクラを認めてるんだと思うし、そしてサクラも「忍として第七班の仲間として」ちゃんとサスケに認めてもらいたかったんじゃないかと思います。  第七班のチームの「心」は、少しずつだけど近づいてる… 考え方はそれぞれだけど、それでも3人とも「同じ方向を見てる」事を、実感しつつあるのではないか…と思います。
 
 サスケの左目の能力によって、サスケと入れ替えられて砂漠世界に行った「サクラの破けたベスト」…サスケを助けた背中が見せてくれた「ありったけの想い」は、ちゃんとサスケの心に「届いた」。 
 そして今まで不安そうだったサクラの心にも、サスケの心がきっと「届いた」…そう思っています。
 
 
 
 
 
☆長駄文読んでくださって感謝。
 
 
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2014/07/23)