ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 695:ナルトとサスケ ② 今週のジャンプ・ナルト感想(WJ46号) その1

NARUTO 695:ナルトとサスケ ② その1

 
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また一人になろうとしてるお前を… 
 
ほっとけねーだろ!!
 
 
 
さ――――て。
 
“衝撃のカウントダウン”…
 
表紙にでかでかと出てしまいましたねぇ~… 
ついにこの日が来ちゃったのかぁあああ。
 
 
容赦なく点灯してしまった《ラスト5週》の文字。やっぱりホントだったのね…。せめてカウントダウンは「10」にして欲しかったとも思うけど(心の準備がね)、でも感傷に浸るのはまだ早い。 今週もただ「今週の感想(雑考)」を書くのみ…とは思うけど、「あと五回」と聞いて「何事も無かったかのように」冷静に感想を書くなんてのは、ちょっと無理かな・・
 
 
・さて・・いよいよサスケとぶつかり合ったナルト。
 
 
4年前の闘いと舞台は同じ(終末の谷)とはいえ、あの時とは戦いのスケールが全然違いますねぇ。 4年前だって、ナルトは九尾チャクラを解放して、サスケも呪印(つまり仙人の力)を解放していたのだから、既に今の「原型」はあったとも言える。だけど 、当然の事とはいえ…スピードも迫力も桁違い。
 
《火遁・豪火球の術を九喇嘛のチャクラの手で躱し、輪廻眼の能力でナルトの後ろをすかさず取って千鳥を向けたり須佐能乎の矢を放ち、ナルトはそれを求道玉で防ぎ…さらに完成体須佐能乎を出したサスケにナルトも尾獣化、2人は拳を合わせる…(是非、絵でご確認を)》。
 
それでもサスケは基本の「火遁・豪火球の術」で始めるんですね。 カカシとオビトの「時空間の闘い」でもオビトが使ってましたが、「豪火球の術」ってのは「うちは」のプライドの証明であり、相手への「挨拶」みたいなものなんでしょうか。 しかし、あっという間にサスケは《完成体須佐能乎》を出し、輪廻眼の能力を使い…ナルトはメラメラと尾獣化してそれに対応する。 以前、六道仙人が回想していた《アシュラとインドラの闘い》でも、同じように尾獣化と須佐能乎で戦ってましたけど、その画にちょっと似てます。
 
 でも闘いのスケールこそ派手だけど、お互いの手の内が分かっているせいか淡々ともしていて、「倒す」為に闘っている感じではなく「組手」のように…共に《成長した》事を感じながら、お互いの“感触”を確かめ合っているように見えるんです。 
 サスケは攻撃を仕掛けながらも、ナルトを煽ってナルトの出方を試しているような感じだし… 《過去を断ち切る》と言っているけど、ナルトとの闘いの時間を愛おしんでいるように感じるんです。
 
かつてマダラは「本当の夢」に行くまでの間、柱間との闘いを「愉しむ」と言っていっけ。それと似ているというか… オビトが時空間でカカシと闘った時も、最後に友と戦えるのが「嬉しそう」な表情も浮かべていた… それと似た感傷的な想いを、サスケもナルトとの闘いに抱いているんじゃないだろうか。 サスケの目(表情)は、溢れそうになる感情を「抑えて」いるように見えるんです。 
 
 
 
・ナルトとサスケの心に在る風景

拳を合わせ、見えてきた「互いの心の内」…
 
サスケが見たナルトの過去…
 
あのブランコ…アカデミーの外で、友達が家族と楽しそうに会話しているのを一人で見つめていた、あのブランコでしょうか。

 ナルトに声を掛けてくれる人は無く… いつのまにかブランコからナルトは「いなくなっている」。 側に居ても気付かれず、いなくなっても気付かれない。 「風に揺れる誰もいないブランコ」が、ナルトの空しい存在感、誰にも「見えていなかった」って事なのかな。
 
外に出て「幸せそうなが家族」を見るのは辛いハズなのに…あの頃のナルトは、家に籠っていないで「外にいる画」が多いんですよね。 外に出れば、幸せな家族を見たり、冷たい視線を受けたりするのに…それでもナルトは「外に出る」。
 
辛い思いをすると分かっていても、ナルトは「人々の輪」から離れたくなかったんじゃないだろうか。 繋がりのキッカケを求めていたんじゃないだろうか。
叱られてもいいから…自分に目を向けて欲しかったんですよね。どんな状況でも、自分から繋がりを探していこうとするのがナルト…それは今も変わってない。
 「孤独」だからこそ「孤独」を実感したくなくて、めげずに関わっていく…それがナルトなんだと思います。
 
 
そして、ナルトが見たサスケの過去…  
 
積み上がって蜘蛛の巣が張った食器が、「あの時」からかなりの時間が経過している事を虚しく語っている・・。だけど、いくら時間が経ってもサスケの「時」は止まったままなのかな…四人分のお箸がそのままになっているし、サスケは触っても無いんですね…「あの日」のまま時を止めている。
 
25巻の回想で、サスケが事件の後、一人で家に戻った時…ガラーンとした家の中に台所の水がピチャン…と滴り落ちる音が響く描写があるのですが、それが「恐ろしいほどの静寂」を感じさせ、サスケの「空洞になった心」が見事に描いているんです。
あの後、サスケは外に出て友達と遊ぶ事もせず、一人で家に籠っている事が多かったんじゃないだろうか。 外に出るといっても、誰にも会わないような…川辺で一人で過ごすとか… ナルトが外に出て「繋がり」を探していたのとは対照的に、サスケは外との「繋がり」を極力、遮断していたんじゃないかと思います。
 
 一人で住むには広すぎる家に、一人寝そべって… 眼は閉じているのか天井を見つめていたのか分からないけど、サスケの目は「何も見ていなかった」んじゃないだろうか。 サスケが見ていたのはいつも「過去」…「オレの夢は過去にしかない」と言っていたけど、あの頃のサスケは「過去」の中で生きていたんだと思います。
 あの頃ナルトと「組手」をした時も、サスケの目はナルトを見ているようで見ていませんでしたよね。 あの時もサスケの目は「過去」にしか向いていなかったんだと思います。サスケはずっと過去に居た…
 
誰もいない孤独の「今(現実)」を受け入れ難く、「今」を実感させる外との繋がりは極力断ち、サスケは一人家の中で…「過去」に籠っている事が多かったんじゃないだろうか。 孤独だからこそ「孤独」を実感しないために、さらに孤独に自分を追い込む…それがサスケなんだと思います。
 
  
ナルトとサスケ、それぞれの「孤独」… 
最初から独りだった孤独と、失った孤独。
孤独だからこそ、外に繋がりを求めたナルトと…
孤独だからこそ、内に籠り繋がりを求めようとしなかったサスケ。

 
それぞれの孤独を歩んだ2人だけど、その先に2人は「同じ記憶」を見る(記憶が「重なった」と解釈)。
 
《川辺に一人で座っているサスケと、寂しく一人で歩くナルトが、「お互いに一人」だって知って…ちょっと気まずくなって「プィ」っと顔を背けるんだけど、だけどお互いに「チラっ」と見て…2人共相手がちょっと嬉しそうな顔をしていたのを見た》記憶(26巻)。 
 
 お互いに「自分も微笑んでいた事を相手に見られていた」とは今まで知らなかったんじゃないだろうか。自分だけが知ってたんじゃなく、向こうも知っていた…あの時から2人は「孤独」を共有し、互いの想いを分っていたんですね。辿り着いたのは《同じ記憶》…共有する大切な思い出だったんですね。
 
でも、その時…サスケの須佐能乎の刀とナルトの九喇嘛の腕がぶつかり合って、2人は拳を離し「相手の心を見る」のも中断してしまいます。 これ、この後のサスケの台詞「どうした受け身だけか?」から考えると、これもサスケの方から刀を振って強引に「拳を離した」んじゃないかと思います。 
 
 サスケは…二人の記憶が「一致してしまった」ところで意識的に「断ち切った」んじゃないだろうか。
 
《共有する思い出》…それが離れ離れになっていた2人を「くっつけてしまう」事を、サスケはよーく分かっています。 イタチと共有する「猪狩り任務」の思い出が、兄弟の間を繋いだように…ナルトとの共有する「あいつも一人なんだ」と嬉しくなった思い出が、2人を繋いでしまう。だから、サスケはすぐにそれも「断つ」必要があったんじゃないかと思います。
 
でもサスケがいくら「斬った」ところで、ナルトはすぐに「繋げようとする」。
ナルトは、サスケが手を離したあとも「かつてサスケが言っていた言葉」を思い出していく… 
 
《初めっから独りっきりだったてめーに!!オレの何が分かるんだってんだ!!!》 そして《繋がりがあるからこそ苦しいんだ!! それを失う事がどんなもんかお前なんかに…!!》。
 
ナルトは『自来也を失った悲しみ』を思い起こし、サスケの心を想い…懸命に心を繋げようとする。
サスケはサスケで「断つ」ために、ナルトの意識を逸らせようとするんですよね。でも、それが逆効果と言いますか…さらなる「共有する想いの確認」に至っていってしまうのです(その点は「その2」で後述します)。
サスケが断とうとすればするほど、共有する思い出や共有する想いに辿り着いてしまって自ずと「繋がってしまう」… 強く離れようとすれば、さらに強く引き寄せあう…
 
もうすでにサスケも「分かってる」んですよね・・2人の間には、どこからどう斬っても「友情」が出てきてしまうって事は。だから、ナルトは繋がりに「確信」を持っているように見えるけど、サスケの方は…ずいぶん心が揺れているようにも見えます…
 
 
(その2へ続けます…)