いやぁ、今日は台風で電車が止まるわ、ずぶ濡れになるわで、久々に参りました… って話はさておき、今発売中のジャンプGIGAの「岸本斉史先生、冨樫義博先生の対談」を読んで思ったことを少々。
「岸本先生、冨樫先生の対談」は、2009年末に発売されたファンブック「皆の書」に収録された対談以来。 前の対談で例の「岸本先生の三択法演出」が明らかにされたのですが、その頃連載ではちょうど「ダンゾウ・サスケ戦」をやっていて・・ 私は知ったばかりの「三択法」にこだわって「カッコつけたつもりの」感想を書いたりしていました。 懐かしいなぁ、あれからもう7年近い。
今回のお題は漫画家志望者向けの「クリエイティブの秘訣・創作」についてだったのですが、びっくりするぐらい小さな字でぎっしり。長い、熱の入った対談だったんだとよく分かる・・・
で、対談読んでまず思ったことは、岸本先生が伝えたいこと、創作にあたって考えていることは《先生が思っている以上に読者に伝わってるよ!!》ってことでした。
たとえば、先生のお得意な《カメラワーク》について、先生は…
「望遠とかワイドとか、被写界深度とか、そういうのもある程度描いていきたいなっていうこだわりがありますね。でも読者はそこまで気づかないんで、週刊連載の漫画家としてはほとんど無駄な努力ですね(苦笑)」
いやいや、んーなことはないってばよ! 気づいてる読者もいっぱいいると思うし、それに全然《無駄な》努力なんかじゃない!
確かに、私みたいなのだと「先生のこのカメラワーク、カッコよくてすごいなぁ~!」程度の反応しかできないし、それが「何レンズなのか」とか被写界深度云々とか全然分かってない。 それでも、毎週の感想で「岸本先生のカメラワークが語るモノ」について度々書いてきた・・・
例えば、ガイとカカシ両先生の背中を見上げるナルトの視線(カメラ位置)とか、カカシの雷伝と一緒に走るカメラとか。
私のような絵の分からない読者にさえ「何か」は確実に伝わっている。 まして自分でも絵を描くようなファンなら、岸本先生の「手の込んだカメラワーク」は 、毎回楽しみだったに違いない。
それに、岸本先生が「読者はそこまで気づかな
い」とおっしゃるようなエッセンスは、カメラワークのみならず・・・他にもたくさんある。
随所に散りばめられた「まったく目立たない伏線」もそうだし、それに・・・たとえばですが、このブログで取り上げた《大蛇丸が、サイに対して“サイ”という呼び方と“サイとやら”という呼び方をら絶妙なタイミングで使い分けている事》とか、《岩が崩れ落ちる「ドドド」と岩が持ち上がる「ゴゴゴ」の音の違い、その2つが「重なる」ことで過去と現在の出会いを表現している事》とか……《カブトのエピソードで「ポチャン」と「ピチャン」の音が対称的な逆の役割を表現している事》とか、そういう「さーっと読んだだけでは確かに気づかないような」手の込んだ先生の努力ってのが、NARUTOには沢山ある。 びっくりするぐらいある・・・
それらは、たとえ読者に気づかれないにしても、けして無駄なんかじゃない・・・ 読者の心の中に、無意識に何かを確実に伝えていて、それが複雑な味わい深さになっているハズなんです。 何が入ってるか分からない「隠し味」として活きている。 そういう「読者はそこまで気づかない」ようなモノが沢山ごろごろとあるから、NARUTOはものすごく面白いんだと思う。私はそう思ってる・・・
岸本先生は、気に入った作品を何度も読み返す事も勧められていたけれど、何度も読み返すに価する作品ってのは、そうそうあるもんじゃないかもしれない。 NARUTOが何度も読み返しても「その都度何らかの新たな発見がある」のは、先生がおっしゃるところの「無駄に見える努力」あっての事。 あれほど考え抜かれた構成、演出を週刊連載で・・とビックリさせられるけど、だからこそ、世代を超えて国境を越えて支持されるNARUTOになったのではないかと思ったりする。
それと、先生は対談でこんな事も・・・
「データを持たない人は、セオリーに反する方向に行くんですよ。だいたい失敗するんだけど、でももしかしたらそこに新しさの突破口があるかもしれない」
これ、漫画家志望の新人さんについての発言なんだけど、ナルトのことを言ってるみたいな感じですよね。
それに「データ」とか「セオリー」とか「突破口」とか(その他にも「蓄積」とか)・・いずれもNARUTOの中で何度も出てきた単語(その都度あれこれ雑考した言葉でもある)。
セオリー派の二代目火影やカカシは、ナルトの「セオリー通りじゃない」考え方に希望を見出したり・・・ナルトは失敗するんだけど、それでもそこに突破口を見つけたりして。
それに、こんな事も・・・NARUTOみたいな非現実の世界に読者を引き込むポイントについて岸本先生は、
「共感なんですよね、ほんと」と。
・・・まさにNARUTOの魅力は「共感」。
インタビュアーの方は、NARUTOのようなファンタジー世界にリアリティを持たせるのは、我々世界にもある「電柱」だったりするのでは…と発言されていたんですが、私もNARUTOに出てくる電柱は好きで度々記事ネタにしてきたのですが、私はなんというか…NARUTOにさりげなく描かれている電柱は「忍達のように」感じていました。 孤独に忍耐強く寡黙に仕事をこなしてて、それでも線でちゃんと繋がれている…みたいな。 そして、そういう電柱みたいな忍達の姿に「共感」する。
先生がおっしゃるように、NARUTOのような非現実的な世界に これだけ感情移入できるのは、登場人物たちへの「共感」あっての事だと 改めて思う。
さらに、先生はキャラの設定に関して、
「内面でいうと僕はよく、弱点を決めますね。ダメな部分があるほうが人間味が出るというか・・完璧な人間って好きじゃないんですよ、僕自身が。 出木杉くんよりも、のび太のほうが好き。そこが、伸びしろの面白さだと思うんです」
うん、先生が「完璧な人間」が好きじゃないってのは、NARUTOを読んでいれば何となく分かる。 イタチの「オレを完璧だったなんて言ってくれるな」のセリフからも、先生の想いは伝わってきたってばよ・・・
ダメで弱点だらけ伸びしろと言えば「元落ちこぼれ」のナルトがそうだけど、ナルトだけじゃない・・・全部のキャラが欠点をしっかり持ってますよね。 特に、物語終盤は「物凄く強い忍の弱点、ダメな部分」がひたすら描かれ続けた…
「あの伝説の」柱間も弟に叱られてばかりだったり、マダラも神経質で案外気が弱かったり、ナルトに「父ちゃんは失敗なんかしねえ!」と言われてた四代目でさえ、実際には結構失敗していたり涙もろかったり。 強い忍ほど派手な弱点持ってたりしてね。
でも、だからこそ「共感」できる。 夢のような力を駆使する人間離れした忍にも、敵キャラにも共感できるのは「我々みたいな弱点、ダメなところ」かあればこそ。 歴代火影や六道仙人といった伝説の忍でさえ、それでぐーんと距離が近くなる。
岸本先生が創作に際して大切にされてる事。
それらは「NARUTOを読めば」なんとなく伝わってくる気がする・・・もう伝わってる気がする。 岸本先生に伝えたいなぁ、《先生が思っている以上に》伝わってるよ!ってことを・・・・・
☆発表も近い?岸本先生の次回作、心待ちにしております!!
☆キャラの名前付けについて、ダルイとかオモイとか形容詞を付けてた時、読者からやる気あるんですか?と言われたらしいけど、「一応真剣に考えて、そんな名前にしたとこもあるんですけどね」と岸本先生。
うん、きっと「思うことあって」の形容詞なんですね・・ダルイの話は「言葉の誠」の話でしたから。岸本先生は無駄なことはされないってばよ・・
☆その一方で、君麻呂の背骨を抜く術はFUJIWARA原西さんのネタが元だったとは。私はそのネタ知らないから、知らなかったんだけど・・
☆ネットとか全く無関心そうな岸本先生に対して、冨樫先生って、ネットの考察とかチェックされてるのね……ちょっと驚いた。
☆冨樫先生は「少女漫画で男性の手が好きと異常にこだわって…」という話を出されてたんだけども、岸本先生も「手フェチ」だとか。
前にこのブログで男性の「手」についての雑考もしたことがあるんだけど、なんでも女性が男性の手をチェックするには色々生物学的に意味があるらしいのですよ。NARUTOキャラの手は華奢で美しい。
☆この前、思わず見惚れて撮った電柱の写真があるのですが、なぜかアップに失敗したので後日リトライします…
☆長駄文、お付き合いくださって感謝・・
(ナルト好きブログ!2016/08/22)