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「水面に写る顔」が語るもの (NARUTO風景考察)

今週のサムライ8八丸伝(29話)に出てきた《水面に映る弁の顔》、なんとも不気味だった・・  「信頼できる部下」を演じていた弁形が、主人の義常の背後でニヤッと笑う・・それが足元の水面に、鏡のように写ってね。  

「水面」は真実を写し出す鏡のように、 誰にも見せない表情を写したり、本人も自覚しないような心の内を浮き彫りにしてくれる・・ 以前、インタビューで(某映画について)「ガラスに映った主人公の表情が印象的だった」というような岸本先生の言葉があったけど、ガラスも水面と同じような役割をしますよね。

 

  もちろん、NARUTOにも「水面に写る顔」のいい描写がいっぱい出てきます!  今回はその中からいいなぁと思うものを いくつか取りあげてみようと思うのですが、まず最初は・・

 

 

「水面に写った顔」と言えばコレと思う方も多いのでは?と思うコレ・・

 

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水面に写るサスケの顔がイタチに変わっていく・・

   第一部ラスト・終末の谷の闘いの中で サスケの長〜い回想がありますが コレはその最後、《サスケが一人で水面を見つめている場面》です。

 

 父さんに火遁・豪火球の術を見てもらった思い出の場所で、水面を見つめながら  父さんに「さすがオレの子だ」と言ってもらった事や、母さんが「アナタの事ばかり話してるのよ 父さん・・」と言ってた事を思い出しているんですよね。  寂しさを紛らわせるように・・    そしてサスケは「母さんとどんな話してたんだろ・・?」と呟く。

 

 出来るなら現実と認めたくない「残酷すぎる現実」から  なんとか目を逸らして、幸せだった《過去の日々》に思いを巡らせようとするんだけど・・何気なく小石を投げ入れて、波紋が広がって・・ すると写っていた自分の顔が「兄さん」に変わっていく。  サスケはハッとしたように《現実》に引き戻されるのです。  気持ちを紛らせようとしたところで、サスケの心は「兄さん」でいっぱいだったんですね。

 

   表情をキッと厳しく変え、サスケは「兄さん」が写る 暗い水の中に飛び込んで沈んでいく。 「この先がどんな闇だろうとオレは突き進んでやる!」と決意して・・・          

 

 そして「決意」といえば、今年の記事でも取り上げた《たらいの水面に写るチヨばァの顔》。   「水面に写る絵」の中で、私は一番コレが好きでして・・

 

(過去も現在も未来も諦め、もう自分の出番はないと思っていたチヨが、孫のサソリが“暁”の一員と知って 里の未来の為、そして愛する孫の為に動く決意をする)

 

年寄りが残したツケの為に、里の垣根を越えて必死になって動こうとする若い世代を見つめ、まずチヨの「・・・」という横顔が描かれ、その次に「たらいの水に写るチヨの顔」が描かれる。  

   

その絵が、コレ・・・

 

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たらいに写るチヨばぁの顔・・

 

実に地味で目立たない絵なのに、なぜか印象に残るんです。

 

  チヨばあの深〜く刻まれたシワ、黙って見つめている「だけ」のその表情、それらが・・  彼女が過ごしてきた長〜い「時」の重みや、彼女がやり残してきた事の重さを伝えてくれる。  そして、彼女が何かを静かに「決意」している(であろう)事も伝わってくる。  彼女は《ゆっくりじゃが時は確実に流れている》ことを感じているようだった・・

 

  ナルト世代のように「よっしゃ、やってやるってばよ!」的な決意ではないけれど、表情を変えることもなく、それでも深く覚悟するように決意する・・  それだけその覚悟が重いことを感じさせてくれるのです。  

 

  次の場面では《ワシが行く》と元気よく飛び降りて周囲を驚かせたりして、お茶目でパワフルなバァちゃんに見えちゃうんですよね。  もし 直前の《この一コマ》が無かったら、年寄りが 歳も考えずにしょーもない事を言いだしたよヤレヤレ・・と思ってしまいそう。  あの一コマが有ると無いでは、全く印象が違ってくるのです。

 

 

(詳細は過去記事にて・・↓↓)

konohanogenin.hatenablog.com

 

 そして「決意」といえばもう一つ、自来也最後の決意・・《歴代火影と同じように最後まで里を守り抜く》決意をした自来也が、深く水中に沈んでいき・・  

 

  里では、自来也の帰りを待つ綱手が 水面を見つめていて・・

 

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蛙が跳びこみ、水面が揺れて・・そこに三代目と四代目の顔岩が写る

  蛙(自来也)が、三代目や四代目の顔岩の中に飛び込んでいく事で、さりげなく 綱手自来也の最期が伝えられるんです。  歴代火影と同じように、一人で敵に立ち向かい、里を守り 深く沈んでいった自来也の最期、そしてその決意・・

 

   綱手は「・・・」とそれを横目で見ているのですが、虫の知らせならぬ「蛙の知らせ」を感じ、悟っていたのでしょうか。  

 

 小さなカエルが、小さな音でそっと飛び込んで・・そこに 静かな静かな水紋を描きます。    けして目立たず、そっと・・    揺れる水面に写る火影たちの間に、蛙はスッと消えていく。    里を守る意志の強さは、歴代火影と同じようにあっぱれなものだったというのに・・   なんとも自来也らしい謙虚な最期の描写と言えましょうか。

 

そして、その自来也綱手と同じ「三忍」の一人、大蛇丸の顔が水面に浮かび上がる場面が、コレ・・

 

(マザーに自分の名前と顔を忘れられてしまって、「自分」を見失ってしまったカブト。 水面に写る自分の顔を見て、「なぜこんなことに」と戸惑い、絶望しする・・)

 

そしてマザーからもらったメガネを外し、水面に写った自分を見て呟く・・

 

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これは・・誰だ?

 

そして・・水面に写るその顔は、しだいに「別人の顔」へと変わっていきます。

 

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そこに現れたのは、大蛇丸の顔・・

 

ヌオオオ・・・と;いったいどこから出てくるんじゃ! 

 

  何度もこの人の「登場の仕方」には驚かされてきましたが、ホントどこからでも出てきますよね。  カブトも驚いたでしょうね・・いきなり自分の顔が「大蛇丸」に変わって、しかも本人が出てくるんですから(ホラーとしか言いようがない)。

 

 この日から、カブトは「大蛇丸様」を目指し、他人の要素をどんどん取り入れて自分を変えていってしまうのです。

 

(ちなみにこのあと、イザナミの術の中でカブトは・・  イタチの水遁によって出来た水溜りに写る「自分自身の顔」を見ることになります)

 

水面に写る顔は《心の奥を写し出す鏡》であったり、《誰にも見せない意志》を伝えたり・・・  広がる波紋に揺れる水面が  時に不気味さを増長させたり、揺れる心のうちを描いたり。  光を反射する眩しさがあったり、底しれぬ深い闇を感じさせたり・・  間接的だからこそ、柔かでありながら 生々しく語ってくれるような気もするのです。

 

 

☆長駄文、読んでくださって感謝。

 

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samurai8hachimaru.hatenablog.com

 

☆「水面に写る顔」が語るもの (NARUTO風景考察)

ナルト好きブログ! 2019/12/06