ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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忍と「額あて」について。 (本物の忍とは)

忍と「額あて」について。

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忍にとっての「額当て」。
 「兵の書」にもありますが これって頭部を守るだけではなく忍としての「誇り」の象徴でもあるらしいですね。
 
そういえば以前、まだアカデミーを卒業する前のナルトがイルカ先生に「額当て ちっとやらしてー」と頼むんですが、「これは一人前と認められた証だからダメ!」と言われちゃっている・・。そして、何度も卒業試験に失敗してもらえなくって、だけどイルカ先生がナルトを認めてくれて、自分のをくれた大切な額当て。それからカカシの最終試験(鈴取り合戦)を通過して下忍になれて・・やっと忍として一人前になって手にした「額当て」。周囲に認めてもらいたい一心のナルトにとって、額当ては認めてもらうための第一歩。憧れだったんですね~。
 
中忍試験が終わった時には「この額当て もうカンペキ 様になってるだろ!」と話すナルトは、めちゃくちゃ嬉しそう。
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その直後ですが サスケと勝負した時には 額当てをしていなかったサスケに『額当てをしろ!』としつこく要求したんですよね・・一人前の忍どうしとして、ナルトは闘いたかった・・・(認めてもらいたかった)「これは木ノ葉の忍として対等に戦う証だって言ってんだよ!」と言って(サスケは無視しましたが)。
 
額当てというのは『本物の忍者』である証明書みたいなものですよね。だからナルトのように"自分の存在を認めてほしい"と思ってる人ほど「額当て」にこだわりが強いかもしれない。
で、ナルトのように「自分の存在に不安を感じている忍者」っていうのも、意外と多いんじゃないだろうか?
今の忍システムというものが矛盾を孕んでいる以上、誰もが自分の生き様に(多少なりとも)疑問を持って生きているんですよね、カカシが言ってた 例の『忍ってやつは皆知らず知らず悩んで生きている』ってやつです・・・
 
「額あて」とは、「この人物は この里の本物の忍である」と証明してくれ、「この里」という居場所と「本物の忍者」という存在を「与えて」くれる。
・・・「居場所」と「存在」に不安を持つ彼らに この里で認められているという安心を与え、かつ「これを失いたくない」という束縛も与える。 だから額当てとは、彼らにとって「誇り」の象徴でもあり ときに「縛り」にもなる・・・悪く言えば、ですが。
額あてをしている以上、その里の「正しい本物の忍者」として立派に振る舞わなければならないわけだし、額当てという「保証」を失いたくなければ その里の模範的な忍でなければならないわけですから。
で、里によって「正しい本物の忍者」の在り方は当然違うんですよね。
 
たとえば血霧時代の霧隠れでは、『刃で心を殺し 感情を捨て 役に立つ道具になること』が本物の正しい忍とされてきたわけで・・。 一人前の忍として「額当て」を渡されるためには厳しい卒業試験を通り抜けなければならなかった。
「生徒同士の殺し合い」・・・・そしてこれは木ノ葉の"根"でも全く同じことが行われていたんですよね。(そして"砂"でもかつて行われていたっぽい)。 再不斬も鬼鮫も、この試練を越えることでやっと「本物の忍」と認められ、額当てを手にしている。 
 
そんな過酷な試練を通り抜けた再不斬にしてみれば、まだ下忍になったばかりのナルトが一丁前に額当てをしている姿は「忍者ごっこ」にしか見えなかったかもしれない。
「偉そーに額あてまでして忍者気どりか・・ だがな 本当の"忍者"ってのは いくつもの死線を越えた者のことをいうんだよ」と言う再不斬の気持ちも、ちょっとわかる気がする。白だって、『ボクは刃で心を殺し 忍になりきる』と言い切った・・ 里を抜けてなお「額当て」をしていた彼らは、ず~っとかつての霧隠れにおける「正しい」忍であろうとしたんですよね。(そしてそれに知らず知らず悩んでもいた。) 
悩みながらも額あてを手放さなかったのは、彼らにとって額あてという「安心と誇り」は心の支えだったのかもしれない。
 
・「本物の正しい忍」とは。
 
再不斬は『お前らみたいな平和ボケした里では本物の忍は育たない』とも言っていましたが、「本物の忍」って何なんだ?ということなんですよね・・・『本物の忍』の概念は里によって違うわけで「血霧の里」と「木ノ葉」では当然違ってくる。(昔の木ノ葉や"根"とは似ているかもしれませんが)
それぞれが各々の里における概念が正しいと主張すれば争いになるし、自分の里における「本物の忍の在り方」が正しいのか?という悩みも忍達は抱えることになる。。。
 
再不斬は木ノ葉では「本物の忍は育たない」と言ってその「甘さ」を指摘しましたが、けして簡単に額当てを貰えるわけじゃあないですよね。 別に殺し合いをさせるわけではないけれど、カカシなんてナルト達以前はだれも合格を出さなかったというし。 候補生達が「正しい火の意思」を持っているかを試す、厳しい選抜はあるんですよね。(選抜基準と試験内容は 各担当上忍に任せてるみたいですが)。
ナルト達第七班では、カカシが『チームワークを大切にし仲間を大切にする』ことを要求する・・・
 
『忍者の世界ではルールや掟を破る奴はクズ呼ばわりされる ・・・けどな!仲間を大切にしない奴は それ以上のクズだ』
 
カカシに言わせれば、正しい忍者ってのは、ルールや掟よりも仲間を大切に出来る者、ということになるのだ(っていうか、これはオビトの言葉なわけですが;)
 
血霧の里や根のように『感情を捨て道具に徹し 任務の遂行を第一とする』のが本物の忍なのか。
木ノ葉(第七班)のように『チームワークと仲間を大切にする事を第一とする』のが本物の忍なのか。
 
それぞれの里における「本物の忍」の生きざまを誓うのが、里のマークが刻まれた額当て・・・彼らは額当てを締めることで それぞれの里の「正しい忍の在り方」を貫くという宣言をすることになる。
 
長門が、弥彦を殺された時に刻んだ額当ての傷。 額あてを捨てるのではなく、雨隠れの印を否定するように引いた横一直線。 「忍」であることは捨てないが、(当時の)雨隠れの「本物の忍」の在り方は否定する・・・そんな思いだったのだろうか。
 
さて、忍連合が身に着けるミフネさんデザインの「忍」額当て。
5大国が連合軍に統一されたために作られた「団結」を示す額当てなわけですが・・ あの額当てをしめるからには、彼らが1つの同じ「忍の在りかた」を示さないといけないんですよね。
「忍」とは何なのか・・・・忍の「居場所」と「存在」を求め、"霧の中を迷っていた"忍達は、どんな答えを見つけていくのでしょう。
 
 
 
☆駄文読んでくださって感謝。