NARUTO532:ミフネVS半蔵、決着!!
『人に信念があるかどうかは 外見からは判断できぬと言ったな 戦って分かる事もある』
『お前のような奴は久しぶりだ』
半蔵・・・三忍を救った時はカッコいい長だと思い、弥彦を騙して瞬身で逃げた時は最低なオッサンと思いましたがw
彼の過去に「何」があって変わってしまったのかはわかりませんが、信念を持っていた頃の半蔵はかなりカッコイイ忍だったんですね。
だいたい、どんなに悪そうな人たちでもヒトカケラの良心を持っているモノです。 信念を曲げた彼らは「負け組」ではありますが、心の奥に秘めた〝優しさ〟は純粋なまま 残っていたりするんじゃないだろうか。
『外見からは判断がつかぬ』・・・・それゆえ、うわべだけの善人に裏切られ人間不信に陥ってしまうこともあるだろうし、その「逆」・・悪そうに見える人が実は、ってこともある。
私がNARUTOに感じる魅力の1つは、どんなに憎たらしい悪役や敵にも 人間らしい一面・優しさがあるってことです(たとえあのカブトや大蛇丸ですらです)。 敵は悪という単純な「思い込み」「決めつけ」は人間の目を曇らせる・・・
敵にすら愛情を向け、理解しようとするナルトの広い心が世界を変えていく・・・再不斬達の事を《オレ、あいつら好きだった》と、はにかみながら言ったナルトに象徴される〝偏見を超えた愛〟が NARUTOの大切なテーマなのではないかという気がしてます。
まぁ、半蔵が弥彦達にやらかしたことは腹が立つの一言に尽きちゃうんですけどねw
でも半蔵をそう仕向けてしまった世界に蔓延る「憎しみ」「誤解」こそ本当に憎むべきものの正体なんでしょう、きっと。
前置きが長くなりましたが、今週の雑考を書く前に・・・・被災地の一日も早い復興と、不安が少しでも軽減されていくことを祈ります。
※今週号は届かない地域も多いかと思われます・・・なので今週は『ざっと筋を追いながら』書いていきたいと思います。
(別記事にて今週に限り「あらすじ」を載せています←「そのほか書庫」にあります) 読めなかった方で、知りたい方のみどうぞ
・《ミフネVS半蔵》
さて、先週ミフネに斬られ 『鈍(なまくら)』と言われちゃった半蔵。
【 《貴殿はワシを忘れていたが・・・拙者を斬った時 去り際に何と言ったかも 覚えてはいないのだろうな・・・》とミフネに言われ、ようやく過去の対戦、そして過去の自分を思い出します。 ミフネは半蔵の毒を塗られた鎌に倒れ、半蔵は「山椒魚の半蔵」の名前の由来を語り始める・・】
幼い半蔵に山椒魚の猛毒が埋め込まれたという過去・・・・ま、雨隠れというのは大国に囲まれた小国なわけで、「里に棲んでいた猛毒の黒山椒魚」が死んだ時 里の大人達はこの毒を利用しようと思いついたんですね。半蔵をイザというときには〝毒爆弾〟のように使うつもりだったんでしょうか。 里の大人の都合で「武器」にされた半蔵は、一方で猛毒の息を吐くとして恐怖の的にもされてきた・・・で、口呼吸しかできない状態にされるのですが、半蔵がマスクを外さないのは、戦いで毒袋を斬られた場合に自分自身もその猛毒にやられ動けなくなるからだった。 半蔵って、ナルトやビー人柱力達や白ら血継限界の忍達と似た辛い生い立ちを持った人でもあったんですね。 それだけに平和を願う気持ちは強く、それを成し遂げようという信念も強くなっていったのかもしれない・・
・『鈍』と『鋭』
ミフネと最初に戦った時の半蔵は《この世に平和をもたらす》という揺るがない信念を持っていたんですね、時代的には第二次忍界大戦の初めころかそれより前(顔に傷がまだないので自来也達と出会う前)。
負けて、自分のことを「鈍(なまくら)だった」と言うミフネに 半蔵が言った言葉――
「一つ言っておく・・・人が終る時は死ぬときではない 信念をなくした時だ だからこそ厄介でもある・・・見た目では判断がつかぬ」
「お前が死んだとしても鈍(なまくら)では無い」
「それはオレの名前に怖気づき始めから勝負を投げ捨てたお前の仲間たちの事を言う
お前はその身を盾に皆を守ろうとした」
「お前はオレが英雄として語り継ぐ!」
「死の代わりとして名を名乗れ!」
当時の半蔵の鎌は「鋭」・・・「鈍」(なまくら:切れ味の悪い刃物)とは対照的な 信念の強さを表す「鋭」(切れ味のいい刃物)だったのでしょうね。。
そして『代償としての名乗り』・・・・
半蔵が「敵」に名乗りを求める時っていうのは、敵を『人間として認めた時』なのだと思います。
自来也達三人と戦った時(第二次忍界大戦末期)にも、半蔵は同じようなことを言ってます(以下40巻から)、
『この戦い・・・おそらく木ノ葉隠れの勝利だ お前達は生かしておいてやろう 』
『お前達三人は強い・・・ そしてここでさえも生き残った…』
『この半蔵・・・ これよりお前たちを〝木ノ葉の三忍〟と呼び称えよう』
『命の代償にそれぞれ名を名乗れ』 と。
小国の長でありながら忍世界での存在感は大きかったんだろうな・・・半蔵。
敵のことを認め 敵を称えるなんてことは、自分自身に余程の自信(余裕)と誇りが無ければできない難しい事だと思います。
【ミフネは死の代償として、自分の名を残す事より「仲間に手を出さない」ことを求める・・・裏切られてもなお、仲間を守ろうとしたミフネの「信念の強さ」に、半蔵は心を動かされ《お前のような奴は久しぶりだ》と解毒薬を与え「生かす」のだった。】
「お前で確かめてやる この先・・信念を抱いたまま死ぬか それとも生きながらえて 信念を捨てる事になるのか」
こいつには〝信念〟がある、と思った半蔵は 敵であるミフネを助け、さらに「憎い大国の忍」であるはずの自来也達3人すらも認め、敵を『生かした』・・・・
「里」というちっぽけな枠に拘らない、半蔵の「器」の大きさ。 普通なら 強い敵ほど自里の脅威になりかねないわけで、己や一族、自里の安寧を思えば真っ先に『抹殺』すべきですよね。 でも、半蔵には「敵」とか「味方」とかは一切こだわらずに「信念を貫く人物」を 世界の平和のために《生かす》べきだと判断した・・・・これは相当カッコいい事じゃないだろうか。
そして、あの日半蔵に「生かされた」信念を貫き通しているミフネも。
《外見からでは判断つかぬ》 《戦って分かる事もある》・・・
「たたかう」が「闘う」ではなく、珍しく「戦う」になってますね。
再不斬やナルト、この前のカカシは「闘う」(互いに向き合うという意味の文字)を使っているのに対して、半蔵は「戦う」と言ってる。 「戦う」・・・つまり、武器を使った〝いくさ〟という文字を使ってるところに半蔵の「こだわり」を感じます。
人間てのは、外見や名前(名声)で判断してしまいがちです。 実際、ミフネの仲間は「半蔵」と言う名前を恐れ逃げてしまいましたしね。 刀を交わして「戦う」ことで、「外見からでは判断つかぬ」相手の信念が「鈍」なのか「鋭」か・・・それで見極めるのが半蔵のやり方なんでしょうか。
ただし半蔵にとっての「戦い」とは敵を倒して殺すことではなく、未来を託せる人物を国境に関係なく探しだし、「生かす」ための戦いだった・・・そこに半蔵の「器の大きさ」があるんじゃないだろうか。
う~ん、やはりイタチの『あの名言』がここでも浮かびます。
《その現実は幻かもしれない 人は皆 思い込みの中で生きている そうは考えられないか》(42巻)、
《見た目や思い込みだけで人を判断しない方がいい》(25巻)・・・・
・・・イタチのこの言葉、いつか大きな意味を持ってくると確信しております。
さて、半蔵はかつてミフネに言った言葉 『外見から判断がつかぬものだ』・・・と言い、ミフネに《今も信念を忘れていない》ことを「さりげなく」伝えるんです。 そしてミフネも「!」と気づきます、半蔵は信念を忘れたわけでは無かったと。 忍と侍、心が通い合った一瞬・・・・こういうさりげない描写がいい。
【半蔵は「切腹」して体内の毒袋を引き裂き、体を麻痺させてワザとスキを作り 己を封印させる・・・】
『ミフネ・・・貴様に―― ワシの信念を託す!!』
『貴殿は拙者が英雄として語り継ぐ! その信念しかと見届けた!』
『お見事・・・半蔵殿!』
ギュルルル…と砂隠れの忍に巻かれた半蔵(再不斬達にマキが使ってた封印術ですね、いつの間に砂隠れの忍がいたんだというのは突っ込まない事にしょうw)。
先週号では、侍の切腹を理解できないようなことを言っていた半蔵が 『切腹』という形で信念を見せたのは皮肉です。 でもあの時半蔵が「切腹」に触れたのも、既に不死身の自分を封印させる手段として切腹(毒出し)を考えていたのかもしれませんね。。
半蔵の切腹を「・・・・」と目を背けずジッと見届けるミフネの真摯な態度にも心打たれます。 これって「必死に生きた男の最期だ 目を背けるな」とカカシがナルトに一番最初に教えたことでもありますね・・。
鬼鮫も最期は「共食い」させて自分の幕を閉じましたが、半蔵の第2の最期は「己の毒」での幕引き・・・
半蔵が「去った」戦場に、残された半蔵の「マスク」がせつない。 自ら毒を放った半蔵は、今度こそ己を「忌まわしいマスク」から放つことが出来たのだろうか。
・《カブトの札》
半蔵が札に反発したことに焦ったカブトは 半蔵を〝自我の無いモード〟にするのですが、既に「半蔵は体がマヒして動けない=カブト命令を聞けない状態」になっていた。
半蔵の「カブトへの勝利」ですね。
魂の「信念」が強ければ強いほど、術者の命令に抗うこともできる・・・白や再不斬もかなり抵抗していましたよね。これはカブトにとって「計算外」なのでは。
これではカブトがイタチや長門のことをカブトが操るのは難しそうですね。
イタチはカカシに会って、うちはの「本当の真実」を語ってもらいたいと思ってるんですけどね~・・はて。
・《そして・・・アスマVSアスマ班》
アスマと協力して、アスマを追い込んで『チョウジの部分倍化の術』パンチで抑え込もうとした第十班ですが・・・チョウジは すんでの所でパンチを止めてしまう・・・
『やっぱボクには無理だ! 先生を殴り倒すなんて事 できっこないよ!!』
〝何してるチョウジ〟〝覚悟を決めたんじゃねーのか〟と言われるチョウジだが・・・
確かにチョウジって気が弱くて、どんな局面でも「感情」を優先させてしまうし 戦闘ではいまひとつ使えないことが多いんですよね。 ペイン天道戦でもチョウザが死んだと思ってずっと泣いていて、忍として何をすべきか考えられず、カカシに急き立てられるようにしてやっと重い腰を上げてたし・・・困った子であるのは確か。
でもなぁ~チョウジのこんな顔を見せられたら、やっぱり彼を責められない・・・と思ってしまう。
っていうか、これでいいんじゃないか?これが「正解」なんじゃないか、とすら思えてくるのだ。
チョウジも、今のありのままのチョウジでいいんだと思います。変わる必要はない!(なんて言っていいのかな;)
優しさこそが彼の良さであり彼の信念であり、その信念を曲げないからこそ「強い」のだと・・・優しいからこそ強くなれる、とアスマが言っていた あの言葉の真実もそこに在るような気がします。
敵に拳をひっこめてしまう優しさこそが、本当の答え・・・なのかも、しれない。
☆来週号(3/28予定)は、発売延期・・・4月4日になりました。
☆長駄文読んでくださって感謝。
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