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NARUTO ナルト547:価値あるもの!! 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ32号)

NARUTO547:価値あるもの!!

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10年前、夜叉丸に「アナタは愛されてなどいなかった・・・」と告げられ、孤独の絶望に落ちた夜、我愛羅は守鶴化していたんですね。 
 
「ウォオオオ・・・・・」と砂漠の谷に響く守鶴の叫びは、なんて・・ 
 
孤独な悲しい声なんだろう。
 
・・・・
 
・父さまに 今はもう人柱力ではない事を告げた我愛羅・・・。 
 
『今アンタ達を操ってる輩共に守鶴を抜き取られ オレは一度死んだ だがチヨ様と友の力でオレはこうして蘇った』
 
『今はもう アナタを恨んではいない・・・アナタのやろうとした事も理解できる・・・
オレも風影となった今 里を守るために里への脅威を排除するのも・・・ 長の役目だ』
 
・…父さまとか、アンタとかアナタとか。 
今週号で テマリ姉さんのほうは『オヤジ』と呼んでいるんですが、その「近さ」にくらべると 我愛羅と父親の距離の、なんと遠いことか・・
 
自分を殺そうとしたことを「理解できる」といったのも、けして許したわけじゃあないですよね。 逆に、「風影」としての「心の器の狭さ」に同情するかのような言い方。
 
そして現風影として《自分は風影として里を守ってみせる》と宣言するような言葉・・・これも父の「失敗」(大蛇丸に利用され、制作した人柱力は暁に尾獣を抜かれる結果になり、今はその暁に操られていること)への皮肉にも取れてしまうのだけど・・・ それはかつて自分の存在を否定した父への、我愛羅がぶつけた「思い」なんだろうか。
 
で、父・四代目風影も・・・頑なに心を閉ざしたまま。
 
我愛羅が風影になったと聞いても友が出来たと知っても半信半疑な父さまの言葉・・・とても「親」の言葉には聞こえないんですよね。 
二代目水影の『おいおいどんだけ寂しいガキだったんだよ アイツは? 友達ぐらいいて当然の歳だろ』 のツッコミは、ごくフツーの反応だと思うんですけど・・・でもこれを言ったのが「水影」だってところが、またまた気になるところですw
 
なにせ霧隠れは、四代目水影時代には 子供達に感情を無くす訓練として『忌まわしい風習』・・・例の友達との殺し合いをさせていた里ですからねぇ。 
 
先週に引き続き「二代目水影時代」が血霧時代とは真逆だったという事実が出てきたわけで、やっぱりこうも強調されると気になっちゃいます。次の三代目水影時代に「霧隠れが暁発祥の地」と言われるような、何か変化が起きたんじゃなかろうかと邪推してしまう・・・ (この水影様 我愛羅も自分も「眉なし」だからカリスマ顔みたいなこと言ってますけどw 霧隠れの眉無しっていえば再不斬ですね、同じ一族なんてw)
 
・16年前の事情
 
『三人目にしてやっと適合できると分かったのじゃ』 (チヨ)
 
未熟児として生まれた我愛羅・・・って、いくらなんでも小さすぎでしょ~!
 
三人目にしてやっと《適合》って事は、テマリとカンクロウの時も「適合テスト」はやったんでしょーね、きっと。 茶釜に封印していた守鶴のチャクラを少し胎児に与えてアレルギーが出たらダメ、みたいな?
 
テマリと我愛羅では3歳差・・・ん~・・少なくとも3年間は砂に人柱力は「不在」だったわけですね。 
 
テマリ誕生~我愛羅が生まれた頃というと、時期的には第3次忍界大戦終わりごろ。 最強と謳われた三代目風影が行方不明になって数年、砂は深刻な国力低下と人柱力の不在・・・かなり深刻な状況にあったはずです。
 
我愛羅父さまは「四代目」として就任した直後からの3,4年の間に 「次の人柱力」を用意するためにせっせと子作り→適合テストを繰り返した計算になる・・・。影ってのは、尾獣を従えられてこそ認められるような部分がありますから・・・父さまへのプレッシャーは相当なものだったとお察しします。
 
胎児に尾獣を憑依させるという事は、胎盤を通じて胎児と母胎は尾獣チャクラを共有することになるわけで、母・加瑠羅(データブックでは加流羅)も守鶴チャクラを共有し一時的に人柱力状態になったわけですよね。 だから出産と同時に尾獣チャクラと一緒に加瑠羅のチャクラまでが体外に引き出され死に至ったと考えているのですが・・・
 
にしても「大丈夫か加瑠羅!?」とか医療班に「何とかしろ!」と言ってる父さまを見てると、彼はこの憑依術を使ったら母胎は命を落とすという説明を 予め聞かされていなかったんじゃないか?という気もします。 
ん~・・・チヨは知っていたけど我愛羅父さまには黙っていたのかもしれませんね。 父さまの「あのチヨバア」なんて言い方・・・ちょっと恨みも有りそうだなぁ。
 
「尾獣に適合した子供」は手にしたものの 最愛の妻の死という代償。 
それは、彼には受け入れがたい苦しみだったのかも・・・。 
 
我愛羅「人柱力として成功させる」ことだけが 妻の死に価値をつけることになる・・・父さまはそう思っていたのでしょうけど、一向に期待に応えない我愛羅に父さまは焦りと苛立ちを募らせていったような気がします。
 
 
・10年前の事情
 
我愛羅が、最初に父さまに殺されかけたあの夜・・・あれは我愛羅6歳の時なので今からおよそ10年前。
 
10年前といえば、霧隠れでは鬼鮫や再不斬が里抜けし血霧時代が終わったと思われ、木ノ葉ではうちはシスイの「自殺」が起きた頃・・何かと忍世界で「動き」があった頃なんですよね。 
砂では人柱力が戦力にならなくなって既に10年近くたち、我愛羅父さまへのプレッシャーも頂点に達していたんじゃないだろうか。 上役達も「風影に新術でも開発してもらって」とか「砂金で取引」とか、ちょっと若い風影に頼り過ぎなんじゃないの?・・おぃ
 
我愛羅にとって一番辛い『母への敬愛を取り上げる』という状況を作り、尾獣化し易い「満月の夜」を選び・・・心の穴を広げてそれに耐えられるかどうか我愛羅の器を計る。 夜叉丸は風影の命令に疑問を持ちながら逆らえなかったようですが・・・
 
加瑠羅が亡くなった日から、夜叉丸(加瑠羅の弟)と我愛羅父さまには 「加瑠羅を失った」同じ苦しみを持つ者同士という関係が生じたわけですが この2人はその苦しみを共有することは無かったのではないか・・・と思うんですよね。
 
夜叉丸が我愛羅の叔父として《姉・加瑠羅の愛を我愛羅に伝える事》で我愛羅の心の穴を埋め、姉の死を昇華させようとしていたのに対し・・・我愛羅父さまは風影として《我愛羅を人柱力として成功させる事》で妻の死に報いようとした・・・
父さまにとって、夜叉丸が我愛羅に愛情を教える事は「精神的に強い人柱力に育てる」うえで「よけいなもの」だったのかもしれない。
 
 夜叉丸に「実はアナタは愛されていなかった」と言わせること・・・それは風影の意地悪い仕打ちにも思えるのですが、でも本当は・・・・「夜叉丸と同じような気持ちでいる本当の自分」を 風影として否定したかったのかも。
夜叉丸も風影の苦しみや本当の「想い」は分かっていたと思うので、風影を恨んだりはしなかっただろうな・・と思います。
 
 
『この穢土転生の術・・・少しは価値のある術だったかもな・・ もう一度お前の価値をオレ自身で確かめてやる・・・ ・・・さあオレを越えてみろ』
 
我愛羅は砂霰で攻撃し、父は砂金の盾でそれを防ぐが・・・その隙に我愛羅は影達の足元から砂を仕掛け拘束する・・・術も使いどころ、ただの砂が、砂金を超えたって事でしょうか。
 
父さまはその作戦に驚いていた様子なんですが・・・でも、「頭上からの攻撃・砂霰を囮にして足元から攻撃を仕掛ける」のは我愛羅の「基本戦術」(←闘の書の説明)。 実際に君麻呂戦でも使っていたし、おぃおぃ父さま、息子の基本戦術もご存じないのか。 
 
 
・価値というもの
 
終始険しい顔しか見せなかった父さまが、情けないほど表情を崩しちゃったのは 自分たちを拘束する「砂」が加瑠羅と成り、加瑠羅の「手」が我愛羅を守った時・・・ 
 
《加瑠羅お前が・・・まだこの子の中に・・・》
 
なんだかなぁ・・・ 今までずーっと「風影として」あろうとして、父親としての感情を無くそうと意地を張っていた父さまが、愛する加瑠羅に抱きしめられた途端にその意地がサーッと崩れ落ちたというか・・。
寂しかったのは、父さまも同じなんじゃないだろうか。 
父さまを無言でギューっと抱きしめた加瑠羅の砂・・・それは父さまへの愛情でもあったと思うんです、そんなに肩に力を入れなくても、ただ父親として我愛羅を愛する気持ちを信じればいいのよ、と伝えたかったのかな。
 
『成長したな・・・ 我愛羅
 
『親ってのはただ・・・ 子供を信じてやればいい たったそれだけ・・・ そこに価値がある・・・』
 
 四代目風影・・・やっと「オヤジ」の顔を見せましたね。
 
この前のナルトと雷影のやり取りの中で、「不確定な可能性で物事を語るのはバカ」 「保証があるのか」という話が出ていましたよね。
雷影エーも我愛羅父さまも・・・影として「見きわめる」作業をする上で、「目に見える形で現実に在るもの」しか信じないという価値判断基準があったんですね。 「ただ信じる」なんて漠然とした希望ではなく、現実にあるものしか信じられなかった。
 
トビも、54巻で小南にこんなことを言っていましたっけ・・・
 
うずまきナルト・・・ 奴にそれ程の“価値”があるとでもいうのか?》と。
 
何か目で見える形で価値を証明できるものがないと、信じられない・・・ それって自分自身の見きわめ(自分自身の基準)に自信がないってことですよね。 でも、自分の基準に自信を持てなくなってしまうほどの「悲しみや喪失」を体験していると、「ただ信じる」ってことは出来なくなってしまうのかもしれません。
 
ミナトみたいに「どこまでいっても子供を信じてるのが親ってもんだからね」とサラッと言えてしまうのは、それだけ自分を信じてる、ってことだと思うんですよね。 
 
今現実にあるものだけが、確かなモノじゃない・・・信じる心が「本当の価値や先を見据える目」を生む。イタチが言っていた「その現実は幻かもしれない」という言葉も、「今見えているもの」だけを信じるなといいたかったのだろうか。 
 
風影が見せる初めての「父としての優しい顔」に、我愛羅も戸惑いを隠せない・・・
 
『砂がいつ何時でもお前を守る・・・ それは守鶴の力ではなく・・・ お前の母・加瑠羅の力だ』
 
『お前は母に愛されていた』
 
砂に加瑠羅のチャクラが在るのは、父さまが加瑠羅の最期の願いを聞いてチャクラを砂に封印したのでしょうか・・・? 
   
《どんな事があっても私が守っていくからね・・・ 我愛羅
 
小さな小さな壊れそうな我愛羅を、最後の力で抱きしめる加瑠羅。
 
 母親が子供を愛していたこと・・・そんな本当に当たり前のようなことにすら、我愛羅は愕然と驚いているんですよね・・・今までずーっと一人で寂しさを抱えてきたんですね、我愛羅・・・
 
たとえ風影として、皆に慕われるようになっても・・・両親に愛されていなかったという「心の傷」は、けして癒されないままだったんですよね。
 
15巻の夜叉丸の言葉が、今我愛羅の心に蘇ってきてるだろうか・・・?
 
「ただ一つだけ 心の傷を癒せるものがあります」
 
「ただそれは厄介な薬で 他人からしかもらうことが出来ません」
 
それは・・・
 
「愛情です」
 
 
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我愛羅、生まれた時から隈があったから寝不足のせいじゃなくて一尾チャクラの影響ですよね。
ん~それなら父さまにも同じ隈があるのは・・一尾チャクラを少し自分に封印したのではないのかなぁw
 
☆土影のことは・・来週かな; 
 
☆因みにカルラと夜叉は仏法を守護する八神・・・
 
☆字数制限で書ききれなかったものなど、今日のお題にて追加していきます、次のジャンプまで長いので。
 
☆長駄文、読んでくださって有難うございます。感謝。