ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 663:絶対に 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ11号) その1

NARUTO 663:絶対に  その1

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「この私が看るかぎり 簡単には死なせやしないわ!!」
 
休載明け、やっと次のNARUTO・・・待たされた分、今回は思った以上に感想が多くなりそうで、今夜そして明日と分けてアップさせてくださいm(__)m よろしくお願いいたします。さて早速ですが・・
 
《九喇嘛の封印が消えているナルト》と《うちはの家紋を穿たれたサスケ》と…
 
どうやら本当に「うちはでもなく九尾の人柱力でもなくなってよ」の時が迫っているのかな。
 
あの時ナルトが言っていた《お前とオレが戦えば二人とも死ぬ》というのは、「ナルトVSサスケの場合」だと思っていましたが、これも「2人で一緒に戦えば」の意味だったのかもしれないですねぇ…。そして、ナルトのその言葉を聞いての「トビ」「……」反応も、やはり意味ありげに思え更に更に気になっています。そして… 
 
我愛羅が向かう先は、やはり四代目(陰チャクラ九喇嘛)のところでしたか…》
 
九喇嘛によれば「陽(チャクラ)九喇嘛」の代用として「陰(チャクラ)九喇嘛」を入れればナルトは助かるらしい。つまり、抜けたものと「同質のチャクラ」を入れれば助かるという事でしょうか。それなら「十尾」が抜けた後に「黒ゼツ」が入って命を繋いだオビトの例も何となく分かる。
ミナトが九尾事件の時に「九喇嘛チャクラを半分にしておいた」こと、残りの九喇嘛チャクラを己と共に「屍鬼封尽」しておいたこと、さらに「穢土転生」でこの世に戻された事…それらの「偶然の積み重ね」が絶妙に上手く作用して、ナルトを助ける事になる。だけど…
 
「マダラにやられた… だが助かる手はある」
 
「今のところ それ以外にナルトが助かる方法はない!」
我愛羅
 
我愛羅のこの2つの言葉からは「ナルトを助けたいと願う想い」と同時に「人柱力システムへの複雑な想い」を感じてしまうのです。
 
ナルトを助けられる方法がまだ「ある」ことに望みをつなぐ我愛羅の切実な願いも伝わってくるけど、「またナルトを人柱力に戻してしまう」ことへの複雑な想いも伝わってくる。 《今のところ》とか《~以外に~はない》という消去法的な、あまり肯定的とは言えない表現…やはり我愛羅は《九尾の陰チャクラをナルトに入れる方法》を最善とは思っていないらしい(私もそれは最善とは思わないんですけどね…)。
 
少し前の660話は「我愛羅と守鶴の感動物語」でしたが、あの中で我愛羅「オレは人柱力でなくなった やっと…お前(守鶴)と対等で夜更かしできる!」と言ったばかりですよね。そして人柱力ではない形で「尾獣と対等な共存の道」を手にしたばかり。だからこそ「ナルトをまた人柱力状態に戻しちゃう」ことには、我愛羅はきっと戸惑いを感じているだろうと思うんです。サクラに事情を説明しながら、我愛羅は自分に言い聞かせていたのかな…今はとにかく迷うな!と。
でも、いつも冷静な我愛羅の心の中にも「複雑な戸惑い」があるのを感じてしまいます。
 
《でも、それを聞いたサクラは実に冷静だった》…
 
「そこまで後どのくらい?」我愛羅に訊ね(残り少ないチャクラでできる事…)と考え、迷いなくナルトの体に手を入れ(チャクラメス)、直に心臓を手で動かすという大胆な手法に出る。医療忍者としてのサクラは本当に優秀で心強いですねぇ…! そしてイザって言う時は、案外と女子は胆が据わる(笑)
 
「この私が看るかぎり簡単には死なせやしないわ!!」
 
うん、心強い。
 
我愛羅はサクラの大胆な手法に「!?」とビックリしてたけど、それでもサクラの《つべこべ言わない!》的な強さには、励まされ吹っ切れたんじゃないだろうか…今、自分がやれることを最大にやればいい、そしてその後に「つなげば」いいのだと…。我愛羅は「その通りだ」と言わんばかりにサクラを砂で《グッ》としっかり掴み「とばすぞ!」と前を向く。…いいですねぇ、我愛羅のこういう「想いの伝え方」。なんだか我愛羅とサクラの「友への想い」もしっかりとつながった感じがして…
安っぽい装飾過剰な言葉は一切使わないけれど、さり気ない行動や超簡潔な言葉でしっかり気持ち(想い)を示す…これが我愛羅の「魅力」かな。
 
でも、それでも《うちはでも九尾の人柱力でもなくなって》の言葉が気になっちゃうんです。それに我愛羅方式の「尾獣との共存」例もある… 
ナルトは「尾獣と一緒に居る事は不幸じゃねぇ」とは言ったけど、これからは「人柱力システム」ではなく、新しい形での「尾獣との共存方法」を模索してほしい。特定の誰かとだけじゃなく、全ての人間と尾獣が共存できる世界になってほしい。
 
《そして、我愛羅がこの前九喇嘛としていた会話の内容なんですが…》
 
「奴(ミナト)には瞬身の術がある どうにか連絡して向こうから…」と言った我愛羅に、九喇嘛は『それは無理だ!!奴の瞬身の術はワシの封印式に書き込まれたモノ…ワシが抜かれた時点でそれは消え…くっ!』と答えているんですね。
魔像の鎖に引っ張られ「くっ!」と会話が途切れちゃってますが、この九喇嘛のセリフは何気に重要と言いますか、「以前のモヤモヤ」を解くヒントじゃないかと考えてます。
 
その「モヤモヤ」っていうのは、640話(67巻)ミナトの「!!?」(オビトのマーキングが消えている…!?)でして…
 
十尾の人柱力になったオビトから「一生消えないハズの飛雷神のマーキング」が消えていた事に、あのミナトが珍しく《!!?》と最大級に驚いているんです。そして、その「理由」はまだ明かされていない。
 
ミナトは九尾事件で「仮面男」に飛雷神のマーキングをつけているから、それで637話では「仮面男」オビトのところに飛べていたんです。だけどその直後、オビトが十尾の人柱力になった後はそのマーキングが消えていた… これ、ミナトからしてみれば「ありえない」事だったらしい。
 
でも、九尾事件の描写(53巻)を見ると、あの時ミナトがマーキングをしたのは直接オビトにではなく、当時オビトの身体部分を覆っていた「グルグル(?)」の表皮なんです(おそらく)。だからミナトが「637話」で飛んだ先は、実は「オビトに施したマーキング」ではなく「グルグルに施したマーキング」だった可能性があるんです(637話の時オビトは「十尾の上」にいましたから十尾=グルグルなのか、あるいはオビトの中にグルグルが居たのか)。 
つまり、それは九尾事件には「オビトではない黒幕」が存在する可能性を示します。
 
こうやって、今後少~しずつ「グルグルとオビトの謎」そして「九尾事件の真相」のヒントが示されていくんじゃないだろうか。
 
 
《そして、サスケの側で黒棒を刺されて動けないままの扉間…》
 
「くっ……」「せめて…ワシの禁術で魂だけでも…」
(もう…… チャクラが感知できぬ…)
 
「瞬身どころか…体が動かぬ マダラめ!」
 
扉間は点穴をつかれ術の発動も出来ないみたいですが、んっ…《ワシの禁術》ですと? 何かまだあるんですかいの、まだ我々の知らぬ「禁術」が。どれだけ禁術メーカーなんだ…扉間。
 
だいたい、扉間開発の術は一般人が使うにはやや危険過ぎだし、あまりの強さに卑劣扱いされ、結局「禁術指定」で火影室の巻物保管庫行きになったものが結構ありそう…。それに時空間忍術使いである扉間は「穢土転生」という「魂」をあの世から口寄せする究極の時空間忍術を開発したぐらいですから、なにやら「魂」の取り扱いにも長けていそうですが、今回も一体どんな術を使おうとしたのやら…。
 
で、ここで気になるのは「せめて魂だけでも」の言葉と「チャクラが感知できぬ」の言葉でして… どうやら今のサスケは《チャクラは感知出来ない》状態だが《魂はまだここに在る》ということかもしれない。つまり、それは《チャクラは既に感知できない状態でも、魂だけでこの世界に在り続けることは可能》ということだろうか… 
 
ん~もしそれなら“魂だけ”でも現世に繋ぎ留めておけば、チャクラを復活させ、そして魂を“器”に戻せば「元の自分に戻る」事は可能なのかもしれません。
《チャクラは感知出来ないが、この世に留まっている魂》…それって、65巻144頁で柱間が気づいた「チャクラは感知出来ない何者かの気配」、そして164頁で気付いた「気配」、アレもそうだったんじゃないだろうか? 
 
そして、その《チャクラ無しの魂だけ状態》ってのは「トビ」が自分自身の状態について語ったものと似ています。 「本当の自分に戻るため」とか「目的は完全体になること」とか「本来の形に戻る」とか「今の自分は形骸化した存在、力はない」とか。そして前回同様、気になるのはかつてイタチが語っていた(他の誰かのセリフのような)言葉、「オレの“器”はこの下らぬ一族に絶望している」という言葉…これも何者かの「魂」の言葉だったんじゃないだろうか…
 
扉間のひとことは、サスケという「うちはの未来」を必死で守ろうとする扉間の「分け隔てない愛情」を示す言葉、普段は『うちは嫌い』と思われていた彼の「裏の心」本心も感じられる言葉でもある。さらに『チャクラが無くても魂だけでこの世界に居ることも可能』という事を示す言葉でもある。 
扉間のこの言葉は「ヒント」なのかも…今に至るまでの忍世界のシナリオを裏で動かしてきた「黒幕」は、実は「チャクラは無い魂だけ」の存在なの“かも”しれないということのね…。そしてその存在こそ、この戦争で忍達が最終的に向き合う相手なの「かも」しれません。
 
 
 
大蛇丸や“鷹”、マダラ、サクラと香燐のこと、「絶対」についてなどに続けます…)。