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NARUTO考察・我愛羅は何故「砂瀑の我愛羅」なのか(砂漠じゃなく、砂瀑)

「砂瀑の我愛羅」・・・・なぜ「砂漠」じゃなくて「砂瀑」なのか、という話。 (第556話感想につけ加えて)

 
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これは『砂漠層大葬』・・・・556話で我愛羅が見せた、ピラミッドみたいな術です。
 
我愛羅の術名って、「砂ばく○○」という名前が多いんですが 砂ばくの「バク」の漢字は3種類ほど使い分けられているんですよね。「砂漠」・「砂瀑」・「砂縛」の3種類。(もっと、あったかなぁ・・・?)
 
で、今回の新術は「砂漠」が使われているんですが、なぜ今回の術は「砂瀑」じゃなくて「砂漠」なんだろう?という疑問から、なぜ我愛羅の通り名は「砂漠」の我愛羅ではなくて「砂瀑」の我愛羅なんだろう・・・というのが気になってきました(今さらなんですけどね)。
 
漢字の使い分けは岸本忍術の得意技ではありますが、我愛羅の術の「バク」の字の使い分け・・・これもまた納得させられるものばかりです。
 
まずは一番分かり易いのは、「」。
これは「砂縛柩」 「砂縛牢」などに使われています。
 
「縛」・・・・・つまり「しばる」。 
 
砂で拘束する術に使われていて、文字通り「縛る」ですよね。 
だいたいは砂縛柩で拘束してから砂瀑送葬で潰すという手順なわけですが、そのあたりはカンクロウが捕獲用「黒蟻」で拘束→攻撃用の「カラス」でトドメを刺し「終劇」・・・と進めるのと似ています。演劇のようなストーリーで術を進行させるところは兄弟揃って芸術的ですよね。
 
それと、いわゆる砂漠の「」。
これは「砂漠浮遊」や今回の「砂漠層大葬」に使われています。サハラ砂漠ゴビ砂漠の「漠」で・・・普通サバクといえば、この砂漠ですよね。 
 
「漠」・・・砂や小石の原を示す漢字。 意味としては虚しく寂しい様子で、水が無い乾いた広い空間を示す。 (「さんずい」は水を意味し「莫」は《否定》の意味なので、漠の字はつまり「水が無い」という意味もある。まさに広大な、乾いた空間を表します。)
 
「砂漠浮遊」は、砂を集めて雲形とし浮遊させる術・・・つまり砂を固形化して(造形して)扱う術とでもいいましょうか。 我愛羅や土影オオノキが乗っている雲みたいな砂ですね。
砂や小石を「材料」として扱う術なので、「小石や砂」を意味する「漠」が使われているのではないかと思います。
556話で登場した「砂漠層大葬」も砂をピラミッド型に造形する術なので やはり砂を表す「漠」を使った「砂漠」なのかもしれません。 556話雑考で「もしかして砂瀑の間違いなのでは?」と書いてしまいましたが、やはり計算された「漠」だったんですね。 どうもすみません・・・。
  
そして一番使われている、「」。
これは「砂瀑送葬」、「砂瀑大葬」、「流砂瀑流」に使われています。
 
「瀑」・・・・・滝を表す文字で どっと水が飛沫をあげる様子。
 
我愛羅の「砂瀑送葬」「砂瀑大葬」などは、砂を《水のように動かす術》なので「瀑」の文字が使われているんですね。 砂をまるで生きている水のように思うままにあやつる、実に豪快な術です。
で、我愛羅の術はほとんどが「瀑」・・・砂を大規模に動かす「瀑」を使う術こそが我愛羅の持ち味のような気がします。
 
このようにして、術の特性によって砂ばくの「バク」の字はシッカリと使い分けられている。・・・・ということは、サバクの我愛羅の「砂瀑」は・・・・
 
「砂隠れのサバクの我愛羅」と聞いたら、普通は「砂漠の我愛羅」という文字を思い浮かべますよね。だけど「砂瀑の我愛羅」であって砂漠じゃないんですよね。 なぜ我愛羅の通り名は「砂漠」ではなく「砂瀑」なのか・・・
 
上記の理由で考えれば、我愛羅の術は砂を固形化・造形化して操ること(=「」)よりも、砂を動かして生き物のように操る事(=「」)で真骨頂を発揮するわけで、「砂漠」ではなく「砂瀑」の方が よりふさわしいとも考えられるんです。だから「砂瀑の我愛羅」なのかな、とも思えるんですね。 
そして「漠」「瀑」の文字に秘められた、別の意味・・・それも「砂瀑の我愛羅」である理由を語っているような気もします。
 
」の文字は《虚しく寂しく 水が無い乾いた空間》を意味すると前述しましたが、それって夜叉丸を失った「あの日」以降の我愛羅のイメージでもあるんですよね。 あの日以降、我愛羅は他人の前では涙を流すことさえ無かったのではないかと・・・
《自分だけを愛し、他者は排除する》と言っていた頃の我愛羅は、他人から見たらどちらかというと「砂漠」、血も涙もなく孤独で・・・心の中もカラカラに乾ききったイメージだったのではないかとも思うんです。もしかしたら、そういう意味も含めて他人は「サバクの我愛羅」と呼んでいたんじゃないだろうか・・・「砂瀑」じゃなくて「砂漠」、乾いた《砂漠》の意味で。
 
でも、我愛羅本人は初登場時(第4巻)、自分では「砂瀑の我愛羅と名乗っているんですよね。 
「砂瀑」の我愛羅という名前は、我愛羅自身が《自分から名乗っていた通り名》でもあるんです。でも、砂漠じゃなくて、「砂瀑」。 我愛羅本人は自分を「砂瀑」と呼んだ・・。
 
で「瀑」の文字ですが、滝、水という意味の他に「通り雨」「突然降り出す雨」、転じて「」という意味もあるらしいんです。
 
つまり砂瀑とは、「砂の雨、砂の涙」という意味でもあるんですね。
 
我愛羅は好んで「砂時雨」という術を使いますが、時雨ってのは秋から冬にかけて降る冷たい雨、ちょうどこれからの季節に降る雨ですね。 なんとなく寂しく悲しい雨・・・まさに涙のような雨です。
 
「あの日」以降、おそらく他人の前では涙を流すことも無かった我愛羅。 
他人から見たら、昔の無表情だった頃の我愛羅って、心の中まで砂漠のように乾いているように見えたと思います。 でも閉ざされた心の中では、いつも一人で泣いていたのではないでしょうか。 両親を思い、友を求め、愛し愛されたいと願う涙を流して。
だから、我愛羅は自分のことを「砂漠」ではなく「砂瀑の我愛羅」と呼んでいたのかもしれない・・とも思うんです。
 
それだけに、「自分のために泣いてくれた」ナルトには大きな衝撃を受けていましたよね。
我愛羅にとって、涙とは 愛情の証しそのもの・・・。
 
長い間涙を封印してきた我愛羅ですが、サスケに再会した時には 闇に堕ちていくサスケのために(片目から)涙を流してましたよね。 そして穢土転生された父さまに再会し 両親の愛情を知り、今度は(両目から)大粒の涙を流していた・・・。やっと、愛情の証である涙を解放することが出来たのかな。・・・
 
両親を思い、そして友のために涙を流すことが出来る我愛羅は、愛情の証である「涙」・・・・つまり「瀑」を使った、「砂瀑の我愛羅」こそ ふさわしい通り名なのかもしれません。
  
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって有難うございます。感謝。