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NARUTO-ナルト- 第562話:己を拾う場所 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ48号) ・・・その1

NARUTO №562:己を拾う場所 (雑考その1)

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『やはり 長生きはしてみるもんじゃぜ・・・』
『まさか 五影揃って・・・ 共に戦う日が来るとはな!!』
 
ついに五影集結! 最後の見開きページにドーン!と構えた五人。 
いやぁ~圧倒的なド迫力ですね。さすがに五影は存在感が大きいです。 
「己を拾う場所」・・・今週のタイトル通り、オオノキだけでは無く五影全員がかつて捨ててしまった「希望」を取り戻すための戦い。 この戦争は今までの戦争とは違うことを全員が感じている・・・・
しかし、マダラと五影が対峙するとは・・・・
 
もうコレ、なんだか「最終決戦」の様相を呈してきましたね。
 
さて、「かつて捨てた己を拾う覚悟」を決めたオオノキですが・・・・
 
あの立派な里長マントも脱げちゃってるし、髷も解けちゃってるしで その姿はかなり、痛々しい。 
テマリいわく『ボロボロじゃねーかよ、もう!!』って・・・・お嬢様、お言葉が(でもオオノキの孫の黒ツチもテマリ以上に言葉遣い悪いんですよね)・・。ま、言葉遣いはともかく サッパリとした男勝りな優しさがテマリのいいところ、かな。
 
オオノキが着ていたトランプの王様みたいな派手な「土影マント」に「殿様風のちょんマゲ」・・・あれって土影としての威厳を保つための殿様衣装ですよね。 昔、オオノキは「小僧」って呼ばれていたみたいだから、悔しくて《立派な土影に見えるように》あんな立派なマントで着飾るようになったんだろうか・・・? 
だけど今はすっかりボロボロで、ここに残っているのは『一人の忍・オオノキ』の姿。今こそオオノキは「嘘のない、本当の己」を拾うのに ふさわしい姿になっている・・・と言えるのかもしれません。
 
1.マダラの「腕組み」
 
一方、オオノキ達のところまで近寄ってきたマダラと無(カブト)ですが 「一介の忍姿」でうずくまるオオノキとは対照的に、仁王立ちして見下ろすマダラ・・・・・・まさに「支配者」の姿ですね。 マダラって、いつも高いところから他人を見下ろしてるんですよね・・・・しかも足を大きく開いて、背筋を反って、腕を組んで。
 
42巻でイタチが語ったマダラの話にも《一番高い岩にマダラ、2番目の岩にイズナ、そして一族が兄弟にひれ伏している絵》が出てきます(42巻122頁で)。 今回、オオノキの回想に登場した若き日のマダラもそうですよね、段上で偉そうに腕組みして無サマとオオノキを見下ろしている・・・。 
マダラって人は、絶対に「人には従いたくないタイプ」ですよね。これじゃあ「火影の座」を柱間に取られたマダラの悔しさが『憎しみ』に変わっていったとしても・・・・不思議はないのかも。
 
だいたい『腕組み』っていうのは、「威厳の象徴」であると同時に「他者に対する距離」を置く姿勢だと思うんですよね(前に我愛羅の雑考でも触れましたが)。他者を容易には近寄らせず、握手を拒むかのような姿勢なんです。(腕組みというと、我愛羅父さまやフガクのイメージでもあります)
 仁王立ち+腕組み+見下ろしの三点セットで「他者を拒絶&支配願望」がこれほど強烈に出ているキャラって、今までNARUTOの中にいただろうか・・・?
 
マダラの自信満々の態度とオーラは圧倒的で、なんだかなぁ・・・今までのキャラにはない「肉食系の魅力」があるんですよね(「敵」をカッコイイというと、また怒られるかなぁw)
 
2.NGワードは「柱間」
 
オオノキが一瞬思い出す、かつて「オオノキが己を捨てた時の記憶」・・・ 
 
《なぜ!?話が違う!!柱間殿は・・》と問うオオノキに 《同盟などない・・ 木ノ葉の力の前にただ従え! それと・・・オレの前でその忍の名を口にするな!》と答えるマダラ・・・ 
 
オオノキが「己を捨てた」のは、まだ無サマに従っていた「小僧」の時代。 木ノ葉と同盟を結んでいたと思われる岩隠れが、木ノ葉に(というかマダラに)騙された時らしいですね。しかし相手がマダラだったとは。
 
43巻でトビが語った「うちはマダラ物語」によれば、マダラって過激ではあるけど熱くて真っ直ぐな人だと思ったんです。でも実際には力を求める為なら手段は選ばない、ダンゾウ風な強引さを持った人だったんですね(というかダンゾウがマダラ風というか)。 う~ん、トビはマダラを少し擁護しているような話し方をしていた、っていうことなのかなぁ・・;
 
『同盟などない』と言っているマダラですが、これって「他里との同盟」よりも「千手との同盟」のことを意識しての言葉のような気がします。 マダラの頭の中にはいつでも「柱間への憎しみ」が渦巻いていたのかもしれない・・・・それは「その忍(柱間)の名を口にするな」という《感情的な言葉》からもヒシヒシと伝わってきます。
 
でもなぁ・・・・マダラがそこまで柱間を恨むのは、ただ『火影の座』を取られたから「だけ」とは思えないんですよね。 なにか、他にも理由があるんじゃないだろうか。
《人は愛情を知った時・・・ 憎しみのリスクを背負う》・・・これは45巻のトビの言葉ですが、あの時トビは(客観的に)「うちはマダラの気持」をサスケに重ねていたのかな…と思えてきました。弟イズナの犠牲が、柱間の政策によって無駄になってしまう・・・・マダラはそんな恨みを持っていたの「かも」しれない。
 
《奪っては奪い返す、憎しみが膨れ上がり戦争を繰り返す》・・・・マダラは『それが生きていくということだ』と言いきった・・。
 
トビによる「マダラ物語」には、度々「オレは戦争の機を伺っていた」「戦いに明け暮れていた」という表現が出てきますが、それらは「真のマダラの姿」だったんですね。 マダラって人は、戦い無しには生きられない・・・・戦って「勝つ」ことでしか自分が歩んできた道を肯定することが出来ないのかもしれません。 
敗北を受け入れることは、今まで自分が歩んできた道や自分が犠牲にしてきたもの(弟の命も、かな)まで否定することになる・・・だから、マダラは絶対「負け」を受け入れられず戦い続けていたんじゃないだろうか。 
 
ここで、今まで戦争そのものの是非について口を挟まなかったモヤシ(カブト)が 珍しく意見っぽいことを言ってるんですよね、「で・・また四度目の戦争だ これが最善ですか?」と(無サマ経由で)。
 
おぃおぃ、お前さん自身も関わっているじゃないか・・と言いたくもなりますが、カブトのこの発言は実に他人事的な発言であって、暁と忍達の戦争を「くだらないもの」と思っている傍観者のような呟きに聞こえるんですよね。
しかも今回の戦争は「物の奪い合い」をしているわけじゃない。 マダラも忍連合も、お互いの考え方の違いで真剣にぶつかり合い、ガチンコ勝負をしているわけです。
それを嘲笑うかのように掻き回しては『利用しているだけ』のカブト、お前が一番汚いだろーがぁ!と言いたくもなるんですが、でも彼がそう思うに至った経緯には『今までの忍システム』の問題点も多々あるような気はします。
 
3.ゆっくりと成長する世界・・・
 
『この戦争は違う! かつて戦争で奪い合ってきたものとは別のものを皆が手に入れるための戦いじゃぜ!!』
『・・…?』
『こいつらを見ていて 時はただ刻むだけではないと分かった・・・・ 世界は過去を重ねてゆっくりとだが成長しておる  ・・・・平和へ向けてのう』
 
戦争開始時には、「勝つこと」「敵を倒す事」にこだわっていた五影達ですが、この戦争が「敵の悪党を倒す為」でもなく「敵を倒すため」でもなく・・・・「皆が かつて捨てたものを拾うための戦い」であり、平和を自分たちの手でに実現させるための戦いであると ようやく気づいたようですね。
かつて「捨てたもの」・・・それは希望でしょうか。数々の諦めが『希望など無い』と五影達を思わせてきた。
そして今、五影達は再びそれを拾おうとしている・・・・。
 
そしてオオノキが言っている「時はただ刻むだけでは無い」 「世界はゆっくりとだが成長している」・・・この言葉、マダラにはなかなか理解できない事だと思うし、オオノキ自身もこの戦争を通してやっと理解したんじゃないかと思うんですよね。
 
「希望」が実現するのには時間がかかる・・・・『即効』で、目に見える形で実現するのは難しい。
特に「平和」なんて難しい課題はそうですよね。何世代も時を重ね、経験を積むことで「少しずつ」変わっていく・・・だから「一人が」実現できるものでは無い。自分の時代に果たせなかったとしても、次の世代が「自分たちの経験」から学んでくれる・・そうやって託し託され、希望の実現は一歩ずつ近づいてくる。 
「何でもオレ様一人で」と思うマダラには そういう発想は出来なかったんでしょうね、きっと。 だから未来に復活までして、自分自身で成そうとする(「あいつ」という協力者はいたとしても)。
 
結局は、柱間の「次の世代に受け継ぐ 眼には見えない意志(火の意志)」と、マダラの「今、自分の手で実現する 眼に見える力」という 二人の考え方の相違が対立につながっていったような気もします。 
 
陰遁の力(無から『形』を作る力)を持つマダラは、目で見える「形(器)」にこだわり・・・・
陽遁の力(形に『命』を吹き込む力)を持つ柱間は、目で見えない「器を満たすもの」にこだわるのでしょうか。
 
ミトが、「九尾より先にその器を愛で満たしなさい」と言っていた・・・器よりも「中を満たすもの」、それは六道次男系の考え方なのかもしれません。それに対してイタチが25巻等で口にしていた「己の器をはかる」という言葉・・・・これは六道長男系の考え方なのかも。 
長男系が「器」で、次男系が「その器を満たすもの」・・・どちらが正しくて間違いかという問題ではなく、両方必要なものなのではないか・・という気はするんですけどね;
 
 
4.「オレ達の計画」
 
『世界はこれ以上成長する必要などない 無限の月読みの幻術の中で眠っていればいい』 (マダラ)
 
んん・・・・!?本マダラの口から初めて『無限月読』の言葉が出ましたね。
 
ってことは、本マダラが言っていた「オレ達の計画」とは、やはり《一~九尾まで集めたあと、長門にマダラを輪廻天生させて・・・マダラが十尾の人柱力になって無限月読をする》というもののようです。 
ようするにトビが言っていた『無限月読』とは、本当にマダラ本人の計画だった・・・ということになります。
トビは、マダラになりすまして「マダラの計画」を五影達に予告していた・・・ということです。
 
戦いに明け暮れていたという肉食マダラと、「幻術による平和」のイメージが 今までど~も重ならなくて。「オレ達の計画=無限月読」を意味するのかどうか、怪しいとも思っていたんですけどね~・・。
かつて人々を平和に導いたという六道仙人・・・実は彼が実現した平和も、十尾の力を借りた「無限月読」だったのではないか・・・という気もしています。
 
『勝者とは、先を見据えた者・・・』とトビは言っていましたが、これも「本物のマダラ」が言っていた言葉なのかもしれません。
柱間ですら手に出来なかった『六道仙人』の力を手にし「第2の六道仙人」になって無限月読をすることが、「柱間への勝利」であると・・・マダラはそう考えているのでしょうか。
 
 
☆・・・・後半へ続きます、今回も長文すみません。
 
 
☆コメント欄は、雑考その2のほうに設けさせていただきます。
 
 
 
 
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