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全てが本来の形に戻るための戦争(第563話雑考に加えて・・)

全てが本来の形に戻るための戦争(第563話雑考に加えて・・)

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『グルルル・・・!!ワシを呼ぶこのチャクラ・・・・マダラか!!』
 
(なんか最近の九尾、可愛い狐に見えちゃうんですよね)・・・これは561話でマダラが口寄せの術を使った時の九尾の反応です。九尾はかつて自分を(最低)2回口寄せし、憎しみに利用した『マダラ』を相当嫌ってますよね。
 
九尾は別に感知系じゃないだろから「うちはマダラ」という個人のチャクラを識別できるわけじゃないと思うんです。 だから「マダラか!」と言ってるのは「たぶんマダラに間違いない」という位の認識ですよね・・。
 
厳密には、過去に九尾を口寄せしたマダラ達・・・つまり「終末の谷の時の本マダラ」と 「九尾事件の時の仮面マダラ」は別人だと思うんです(本マダラは「ナルト」に全く心当たりがない様子だったし、うずまき姓を聞いてもミトしか思いつかずクシナを知らない様子だったので)。 それでもたぶん、九尾は「同じマダラ」だと思ってる・・・つまり同じように憎しみで自分を利用した奴は全てマダラという認識なんだろうと思います。 
だから34巻でサスケに出会った九尾は、サスケの中にある「冷たい憎しみのチャクラ」をマダラと同じチャクラだと言ってるんですよね。 
 
『その瞳力とワシ以上に禍々しいチャクラ・・・ かつてのうちはマダラと同じだな・・・』
 
九尾にとって「禍々しいチャクラ=マダラ」なのかもしれません。
 
「禍々しいチャクラ」は敏感に識別する能力・・・これは九尾チャクラモードのナルトや九尾の人柱力だったミトが『敵意』を感知する能力と同じですよね。 九尾というのは敵意(禍々しいチャクラ)を敏感に感じ取る能力がある分、それだけ憎しみに利用されやすいのかもしれない。・・・
 
そして九尾が憎しみのチャクラを敏感に感知しそれを「嫌う」ということは 尾獣というものが本来は憎しみの正反対である「愛情」だって事だと思うんです。だけど・・・その莫大なチャクラが忍の憎しみによる戦いに利用され、次第に純粋な彼らのチャクラは憎しみにコテコテに染められてしまったんじゃないだろうか。
 
イタチが44巻でこんなこと言ってましたよね、『サスケはまだ純粋だ・・・簡単に何色にも染まる』って。
そしてトビが長門についてもこんなことを言っていた・・・・長門はたまたま人に感化されやすい子だったがな』と。
 
純粋な者ほど、簡単に何色にも染まる・・・・尾獣も純粋なんだと思うんですよね~・・純粋だった尾獣(って元は十尾だけど)は人間の憎しみ、そして憎しみを利用する「忍システム」によって次第に愛情から憎しみの塊に変えられてしまったんじゃないだろうか。・・・
 
そういえば、第563話でオオノキが『こっちのマダラとあっちのマダラ』という言い方をしてましたよね。
もはや「憎しみ」と書いて「マダラ」とフリガナを振ってもいいんじゃないか?と思えてきます・・;
彼ら五影は今や自分たちの敵は「マダラという個人」ではなく、マダラを憎しみに変えてしまった忍システムそのものだとわかってますよね。 だから、「あっちのマダラ(トビ)の正体」なんて問題は五影にとっては大した問題じゃあないんですね(読者としてはトビの正体は大いに気になっちゃうんですが;) ・・・ただそこにあるのは 向き合わなくちゃいけない「憎しみ(マダラ)」だってことです。
 
だから九尾にとっても、自分の憎しみを利用する奴が「うちはマダラ」であろうと「偽マダラ」であろうと・・・・そんなことはさほど問題ではない・・・自分を利用する奴は全て「マダラ(憎しみ)」なんだろうと思います。
 
「こっちのマダラ」と向き合う五影が《忍達の憎しみを利用する忍システムの問題》と向き合うのなら・・・
「あっちのマダラ」つまり二~七尾までの人柱力を連れたトビと向き合うナルトとビーは《尾獣達の憎しみを利用する忍システムの問題》と向き合うってことでしょうか。
 
そしてこの戦争は、忍達が捨ててきた己を取り戻す為の戦争でもあるし、2つに分かれてしまった六道仙人の力を1つに戻すための戦いでもあるし・・・・尾獣達が『本来の形に戻る』、つまり純粋な愛情に戻るための戦いでもあるんじゃないだろうか。
 
なんだか気になるんですよね、トビの言葉・・・
《そうなれば全てが本来の形に戻るのだ・・・・》 (40巻で長門、小南に言った言葉)
 
先ほどコメントにもチラッと書いたのですが、かつて六道仙人が十尾の人柱力になって平和を創ったというのは「無限月読」による平和だったのではないかと想像しています。でも所詮、そんな平和は長続きはしない・・・・六道仙人がこの世を去ったら、再び世の中は争いと憎しみが満ちてしまう。
 
仙人はあえて『次男』を後継者に指名し、長男と次男の間での争いを生じさせ・・・子孫を「試した」のではないか、という気もするんですよね~・・。
創られたり与えられた平和ではなくって、忍達が自らの手で憎しみを解決しないと意味がない。
・・・・仙人はそう考えたんじゃないだろうか?と。 
 
「偽マダラ」によって仕掛けられたこの戦争・・・・忍達は今度こそ、自分たちの手で《忍や尾獣の憎しみを利用してきた忍システム》を変えることが出来るのか。
そして《全てを本来の形に戻せるのか》。
 
なんだかなぁ・・・・今も仙人は、何処からか忍達を見ている・・・そんな気がするんですよね。
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。