ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 575:石の意志 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ13号) ・・・その1

NARUTO 575:石の意志 (その1)

 
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さて、今週は久しぶりに五影VSマダラ戦場に場面が戻ってきましたね~。
 
サスケとイタチの「眼」のクローズアップから今度はマダラの写輪眼へ・・・本格的に「眼」の話に移行してきそうで、写輪眼話好きにはたまらないワクワク展開になってきました。 
 
今週最後は「ああ``っ」と思える展開だったですけどw  とりあえず最初から・・・
 
1.花樹界降臨!
 
五影達がかなり疲労してるのに、あのマダラの余裕顔!オオノキの岩のゴーレムをジッと見上げるマダラの表情、めちゃくちゃ「冷静」なんですよね「全く動じてない」。
本部の感知部隊の報告では「五影がマダラを押さえられてる」って話でしたが、あくまでも「チャクラ感知」の結果であって表情までは見えてないですからね~・・ 今のところはマダラの余裕の表情と較べて五影達の苦しそうな表情を見れば「かなり圧されてる」感じがあります; 
 
そしてマダラが出した術は《木遁・花樹界降臨》。
 
「樹界降誕」に花を加えたバージョンですが、綱手の「樹界降誕ではなく花樹界まで・・」という言葉からこの術は「さらに上位の術」の位置づけかもしれないですよね。 メテオ2連打岩を囲むようにして一面に広がる、絡みながら延びた幹の先に咲くのは「蓮華(れんげ)」。その景色はまるでラーメン・・・いや「極楽浄土」。 
 
我々の世界での「蓮の花」は仏の智慧や慈悲の象徴でもあるようですが「智慧や慈悲」は柱間のイメージにもぴったりですよね。そしてご存知の通り、暁アジトで培養中の柱間細胞も見事な蓮華を咲かせている(その上に外道魔像が仏像の如く鎮座してましたよね)。
 
「降誕」が神聖なものが生まれることならば、「降臨」は神聖なものが降り立つこと・・・
「樹界降誕」が“神聖なる樹々(神の子)の誕生の術”ならば、「花樹界降臨」は“神聖なる花(母なる神)が降り立つ術”とでも言いましょうか… 規模・レベル的に、樹「海」降誕(ヤマト)<樹「界」降誕<花樹界降臨の順になるのかな?
 
そもそも「花」というのは種を生みだす母であり、生命を創造する源、再生の象徴でもあります。そして「蓮の種」は長い時間生き延び千年の眠りを経て発芽することが出来るという…まさに「生命力」そのもの。 長い長い眠りを経て生まれ変わる六道仙人の意志のようにも思えてくる…。
 
「花樹界降臨」…柱間の母性的な「包容力」を感じてしまう圧巻な術、とでもいうのかな・・。
 
水影メイが「なんて・・規模なの・・一瞬で森を作るなんて!」とこの世のものと思われぬ景色に見惚れてましたけど、この術を初めて目にした者は一様に圧倒されたんじゃないでしょうか、「神」のような創造的な力だと…
これこそ柱間の本当の強さであって、人々を圧倒したのは柱間の「力の強さ」ではなく「包容力」だったんじゃないだろうか(やはり柱間とマダラの戦いも見てみたくなる・・)。マダラが柱間には勝てなかった本当の理由もここにありそうな気もします。 
 
NARUTOでは《本当の闘い、本当の勝敗とは何なのか》という問いが度々提示されていますが、その都度作者が語りかけてくるメッセージは力(矛)で相手を屈服させることが本当の勝ちではなく、相手の「心」を掴む事、受け入れる包容(盾)こそが勝ちなのだということ・・・。
 
この前573話で、ナルトがトビに対して向けた表情も《お前のことだって、いつでも受け入れてやるからな!》とでも言いそうな包容力に溢れたものでした(何ていうのかな・・・どんな球でも受け取ってやるぞ!というキャッチャーの表情とでも言いましょうか;)。かつての柱間もマダラに「受け入れるかのような表情」で対峙したのかもしれませんが、マダラにとってはそれは「憐れみを向けられた屈辱」にしか思えなかったかも…。
 
思えば代々の火影は「火の意志(愛情)」を体現してきた人達ばかりですよね。五代目の綱手も、他の五影達を癒し回復させている姿は柱間譲りの生命力と包容力を感じさせてくれます。59巻表紙の綱手なんて、聖母的な表情すら感じます(あの106㌢乳も母性そのもの・・?)
 
「花粉」に気を取られる五影を須佐能乎で叩き落とすマダラですが、この須佐能乎は2体合体6本手ではなく1体3本手ですね、用途によって使い分け自在・・? にしてもサスケの須佐能乎は『天照』を付加して使ってますが、未だにマダラは自身の「万華鏡瞳術」を披露してくれませんね~。 
マダラの万華鏡瞳術は「天照・月読系」なのか「神威・別天神系」なのか、また別のものなのか。これもかなり気になっています。
マダラ兄弟の血統がサスケ兄弟につながっているのか、あるいはシスイ(兄弟?)につながっているのか(どちらでもないのか)・・。マダラの万華鏡瞳術が「別天神系」だった場合、弟イズナも「別天神」を使えた可能性が出てくる・・・そうすれば、あの四代目水影やぐらを操っていたロン毛仮面がイズナという可能性も出てくるかな、なんて思っているのですけどね~・・。
 
そして・・・これまたお久しぶりのカブト、相変わらず自惚れまくってますが今週は4年ぶりの彼の誕生日があるので(2/29)大目に見てやろうかな・・(なんて)。
 
《初代火影千手柱間ほどの忍はもういない…人は皆そう言う その強さを聞いた者は六道仙人と同じくおとぎ話だとね…》
 
《今こそ…そのおとぎ話を現実に…!!》
 
《おとぎ話》つまり非現実的な夢物語を現実にすること・・。
 
1コマ目のカブトはいつもの「陰湿な薄笑い」を浮かべたイヤったらしい表情なんですが、2コマ目の無サマの陰になってるカブトの表情には それほど毒気が無いんですよね・・目元が気持ち程度優しい(「陰になってないから」というだけではなくて)。「おとぎ話を現実にしたい」なんてのが意外とカブチョの「夢」だったりするのかな・・なんて思ってしまった次第です。
 
思えば彼のスパイ人生「諦めの連続」だったはずで、仲間も無ければ安住の地も名誉や地位も諦めなくちゃいけない…気の毒なんですよね; そんな彼が憎しみを向けたのが『夢を諦めない人達』。
特にナルトが「諦めない」姿はカブトにとって目障りだったんでしょうか、「ガキはバカげた夢を平気で口にする だからあきらめない そして死ぬんだ」 「死んだら夢も何もないんだから・・」とか言ってましたっけ(三竦みの戦いの時)。だけど、こんなこと言ってたって事は カブトも秘かに「夢」を持っていて その実現のために必死に「生き延びて」きたんじゃないでしょうか…「死んだら夢も何もないんだから」って。
 
スパイそして裏切り行為なんてしていた仕事柄、生き延びる事さえ大変だったはずですが「おとぎ話(夢)を現実にする」なんて希望が今まで彼を動かしてきた・・なんてこともあるの「かも」しれない。 彼も本当は「諦めない」人だったりするんじゃないのかな・・・
 
《そしてマダラは「火遁・豪火滅失」で花樹界を焼き払い極楽浄土を地獄絵図に変えてしまう・・・ 》
 
これまた規模が大きいですね~マダラの火遁は。その火力は地獄の業火の如く、ですね。
 
柱間の術で森を造り、それを己の術で一瞬で燃やし「破壊」する・・・マダラはこれがしたかったんじゃないの?とも思っちゃいましたがw ちょっとした優越感に浸りたかったのかな・・・なんてね。
どこまで深いんだろう、柱間コンプレックス・・・
 
 
《花粉を吸って意識が遠のく五影達、昔を思い出すオオノキ…》
 
 
2.オオノキと初代土影?
 
オオノキが思い出してる「若い頃の自分」。 あの先代土影は無サマじゃなさそうだから「初代土影」でしょうか。
なんだか愛すべき人柄の「ダジャレ爺ちゃん」ですが、だいたい初代とか創業者ってのは魅力的な人って事が多いですよねw 
 
里の象徴である「石」を磨かされてるオオノキ、なんだか第1話の「いたずら書きした顔岩を掃除させられてるナルト」を思い出しちゃいます。(フワフワ空を飛ぶ術、オオノキはこの爺ちゃんから教わったのかな)。
 
《この石はな…われら忍里の堅い意志の象徴!》
 
岩隠れの象徴「堅い石の意志」・・これ木ノ葉の「火の意志」みたいなもんなんですね。いい意味では「揺るがない貫く意志」だけど、うっかりすれば「頑固」ってことになる・・・
 
しかし「里の象徴の石」をポンと投げ捨てて替わりの石を置いてしまった初代様。あっけにとられるオオノキですが(土影様にクソじじいなんて言ってますけどw口の悪さも岩隠れの伝統なのかなw)、このあとの初代様の言葉がいいんですよね~・・これが。
 
『ホレ…こんなものはこうして新しいのを乗っけても分かりはせん』
『肝心なのは己の中の意志じゃ』
 
大事な石を「こんなもの」なんて投げ棄てて「大事なのは意志」と言い切った初代様。・・これ、シスイの眼を焼き捨ててしまったイタチの「あっ」と言わせた潔さと超重なります。
《お前(ナルト)はシスイの眼以上のものを持ってる・・それはシスイと同じ心だ シスイが渡したかった本当のものはそれだ もう眼はいらない》・・・・
 
形あるものはいつかは朽ちる・・だけど朽ちないものは想いだったり、心、意志…目には見えないものだったりします。ナルトが尾獣達から貰ったのは(チャクラもだけど)それよりさらに大事なのは「意志」…それは今までの人柱力達が拒否してきたモノです。過去の忍達は尾獣から「チャクラ(力)」だけを引き出そうとして 意志を否定してきましたが、それって「石」を大事にして「意志」を捨ててきた・・ってことなんですね;
 
同じことが「眼」にも言えますよね・・うちは一族は『役に立つ道具としての眼』にこだわり奪い合いをしてきたのかもしれませんが、大事なのは眼に宿る「意志」…。先代土影様もイタチも同じ答えに辿り着いていたんですね…ただし分かっていても、なかなか実行するのって難しいのかもしれない。
 
『じゃが気をつけなくてはせっかくのその意志も無くなることがある…』
『壁じゃ!壁に当たるうちそれを捨て・・言い訳し かわりに憎しみを拾うことになりかねん』
 
オオノキが「己を捨てた場所」・・それはマダラに力の差という「壁」を見せつけられた場所だった・・・
 
562話のオオノキの「回想」の続き・・・当時、同盟を無視したマダラに「話が違う」と抗議したオオノキは、他里と同盟を結び何とか平和を構築しようという堅い意志があったんでしょうか。屈伏するまいと抵抗はしたけれど『…まだ踊りたいようだが…お前のは踏み込みがなってない』とマダラに見抜かれ、結局「力」という壁の前に石(意志)を捨ててしまった・・。「踏み込み」思い切りよく 深く強く立ち入る事、つまり強い意志の表現。力の差を前にオオノキの「意志」に揺らぎがあったのをマダラは見逃さなかった…ということなのだろうか。 
 
『いいか お前の意志 捨てずにステキにステップじゃ!!』という先代の言葉を思い出すオオノキ…捨てずにステキにステップってw 
 
「ステップ」とは足取りとか踊りのステップもありますけど、三段跳びのいわゆる《ホップ、ステップ、ジャンプ》の2番目の跳躍、しっかり地に足つけて踏み込むことでもありますよね。人間ってのは逆境でこそ真価が問われる・・というのはよく聞きます。 その人にとっての「壁」にあたってしまった時、逃げるのか、憎むのか、諦めないのか… 土影様が伝えたかったのは《逆境をバネにして、意志を捨てずにステキにステップで飛躍して、壁を超えろ》ということだったのかな。
 
 
 
《目覚めたオオノキは塵遁・原界剥離の術で燃える森を分解する・・》
 
  
(その2へ続けます・・・すみません)
 
 
 
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