ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 576:再会の道標 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ14号) ・・・その3

NARUTO 576:再会の道標 (その3)

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『火の意志をなめるなよ!!』
 
(その2の続きです)
 
4.道標
 
タイトルの『道標』、道案内…それって先を行く人が、後から来る人が迷わないように立てる札ですよね。
なんでも「道標」って、「ハンミョウ」って虫の別名でもあるらしいですね。人が近づくと先に進んで道を案内すると言われている虫・・・漢字で書くと「斑猫」、マダラ猫・・・w なんてどうでもいい話は置いといて;
 
『オレは死ぬ以前より…お前が違う道に行かぬよう…分かれ道の無い一本道に誘い込むようにした』
『道案内の立て札を嘘と瞳力で書き変えてな』
 
《お前が正しい道を歩いていくことを願っていたのに…》
 
確かにイタチはサスケを「一本道に誘い込もうとした」のは事実だと思うんです。
今までイタチが立ててきた「道標」・・・それは自分を憎ませ、里抜けに向かわせ、万華鏡の開眼方法を教え、大蛇丸を引き出して封印し、自分の真実を知らないまま終わらせる等々・・・サスケの「イタチに言われたとおりのことはしたくない」性格を利用していろいろと道標を立ててきたんですよね。
 
『道案内は何も立札ばかりじゃなかったんだな・・・』 (ナルトを思い浮かべるイタチ)
 
道標を立てるために、イタチはいつも先回りしてサスケを「嘘と瞳力(幻)」で導いていたわけですが、それらは「失敗」してしまった・・。
イタチはナルトに後を託すと同時に、今度は自分も失敗しない・・・「嘘と瞳力による立札の上塗り」ではなく、『自分の行動』でサスケを導こうとしているのではないだろうか?
 
・・・ナルトのように、行動で示す・・・それこそ「道案内」なのではないか、と。
 
「再会の道標」・・・このタイトルが示すモノ、それは再会そのものが「道標」になるという意味じゃないだろうか・・という気もします。 
 
・・・イタチが「あえて」サスケを構わず、追いかけさせて導いているのは《サスケを今度こそ正しい方向へ導くため》・・・それが再会の道標、なんじゃないだろうか。
穢土転生を止めること・・・それをサスケに行動で示すことで、今度こそイタチはサスケの正しい道標となろうとしているのではないかと・・・
 
たとえ「語らなくても」行動で。
 
《結局オレはお前に憎しみを与え 里を抜けさせ・・・罪人にしてしまった》と後悔したイタチ。
今度こそは・・
《サスケに愛情を与え 里に戻らせ・・・英雄にするための》道標になろうとしてるのではないだろうか・・・。
 
5.マダラと「奴」
 
《さて再びマダラ五影戦場ですが。》
 
相変わらず高いところに立って見下ろしてるマダラさん・・・絶対にこのポジションに立ちますよね。いいですねぇ~徹底してますよねこの人は。
 
『そこの医療忍術の女… お前こいつの血をひいてるな?』
『まずはお前からたたく』
『その女が千手柱間の子孫だからだ』・・・・
 
ったく、マダラはホントに柱間に対する嫉妬ばっかりなの?・・・・と思いきや、どうもそうでもないらしい。
マダラが綱手を貶すような事を言ったのは、綱手の能力が柱間の能力の足元にも及ばない事・・・《弱い千手など見たくもない》という発想だったんですね。
 
『そして何よりか弱い女・・・』
『弱い者は醜い 弱い千手などなおさらだ』
 
ハァ―そこまでおっしゃるか!w
 
いや~、いいです・・・実にいい。マダラみたいにここまで「力こそすべて」「強者こそ美しい」という美学を徹底してるのは、それはそれで美しいです。流石はカリスマ性抜群のお方です。
 
女性に対する偏見発言にもみえるんですが、不思議とイヤな気持ちにならないんですよ;受け取り方によりますけど《か弱い女性は戦うものではない、後ろに居るべき(男が守る)》という発想なんじゃないの?とかえって頼もしく思えるのです。なにせ・・・イマドキ珍しい肉食種の男性らしい発言で、かえって魅力的にすら感じてしまうんです。
 
そして綱手を「柱間の子孫のわりには劣化してる」的な事を散々言いますが、それに対してエーが怒ってますね、あれ・・・エーって綱手とお似合い?wなんて一瞬思ってしまったのですが・・・いやいや、エーってああいう「ぐちぐち言う」のが嫌いな性格なんですよねw短気ですから(エーには男性がお似合い・・かも;)
 
しかし、マダラがそこまで綱手に「不愉快」的な表情を浮かべるのは、それだけ「千手柱間」がスゴイ忍だったとマダラは認めてるんですね。
柱間の名を穢すな・・・そんな発想に感じるんです。
 
『ヤツは印を結ぶことすらなく傷を治すことができた・・・ 全ての術がケタ違い・・・』
『人は奴を最強の忍と呼んだ』
 
って、柱間って自動回復能力まで装備だったんですね~。
綱手が「私は戦闘では死なない」と言ってましたが、柱間の場合はそれが自動で出来たってことなんですね;これ強すぎでしょ・・。
という事は、ますます彼の最期がどういうものだったのか・・・不思議に思えてきます。
 
しかし「柱間」の名前も聞くのが嫌だったはずのマダラ、「奴」なんて言い方もしてますが「千手柱間」とちゃんとフルネームで呼んでもいますね。フルネームってのは『尊敬の証』でもありますし、それにマダラは柱間の事をべた褒めしてるし・・・マダラは本当に柱間を尊敬し認めていたんですね。
 
マダラは「弱くなって戦いを避けるようになった我が一族」を嫌ったのも事実っぽいですが、「弱くなった千手」も嫌い・・・
つまりマダラが向けた「愛情と心配」は、実はうちは一族だけじゃなくて《忍全体》だったのではないか・・とも思えるのです。 うちはに限らず、全ての忍達が戦いを忘れ弱くなっていくことをマダラは危惧していたのだろうか。
 
《奴とは命懸けの戦いをしたものだ・・・ こんな遊びではなくてな・・・》
 
・・・なんて言ってるマダラ、なんだか嬉しそうな顔してますよね。懐かしそうな・・・それこそ「良き思い出」に浸るかのように・・。マダラってホントに根っからの戦闘好きで、強い者と戦うことが生きがいだったんですね。
マダラって悪い人ではないし、ただの暴君じゃない・・・忍達の行く末が心配だっただけなんじゃないだろうか。 自分を超えて行こうとしない、次の世代達を見て嘆いていたのかもしれない。・・・二代目水影の嘆きと似ています。
 
それに・・マダラが柱間を「奴」という時、けして見下したり嫌悪しての「奴」ではなく、「親友、あるいは戦友」に対しての「奴」という意味で使ってるような気すらします・・・「オレが認めたヤツ」という意味での「奴」なのかな・・。
 
 
6.綱手の火の意志
 
『単純な力などではない・・・ 初代から引き継がれ流れ続けるものが私の本当の力だ』
『?』
 
『火の意志をなめるなよ!!』
 
マダラを見上げる綱手の表情、いいですね~。 普通「上から見下ろす表情」のほうが恐怖による支配効果で威圧的ですが、下から見上げる表情だってこんなにも力強く圧倒できるもんなんですね。
 
この自信・・・この前のナルトがトビを冷や汗だらけにさせたwあの迫力の表情に似ています。やっぱり意志が宿った眼は、本当の意味での力がある。
 
先週がオオノキの「石の意志」だったので、そろそろ・・とは思いましたが次回は綱手の「火の意志」の番のようですね。
 
 
 
 
☆3記事になりすみません・・・
 
☆イタチの「うちは一族の愚考」っていいかた・・・うちはのクーデターを認めたいい方ですよね。
だけどなぁ、どうも「サスケの名前(猿飛家の忍の名前)」やフガクの「火影様発言」のほうに真実があるような気もするんですよね・・・イタチはまだ「あの事件」については、サスケに黙っているのでは・・・。
 
☆それに「なぜサスケだけを残したか」・・・この本当の理由もまだ話してない気がします。サスケこそ「鷹の眼」まで到達できる眼を持ち「器」として最適だから・・だろうと思うのですが・・。
 
☆長駄文、読んでくださってありがとうございます(感謝
 
☆コメント欄は「今週のコメント欄」という場所に設けさせていただきました。ご意見、お待ちしております