ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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サスケ、兄さんの言葉を耳の穴かっぽじってよーく聞いて、兄さんの闘う姿をよーく目に焼き付けておくんだぞ!

サスケ、兄さんの言葉を耳の穴かっぽじってよーく聞いて、兄さんの闘う姿をよーく目に焼き付けておくんだぞ!

イタチ、サスケ、カブト・・・この戦場見てると、なんだかなぁ。イタチが「カブトとサスケ」のお守りをしているように見えてしまうんです、道に迷った大きな子供達の・・・。イタチと較べてしまうと、誰もが年下に見えてしまうから不思議です。
久しぶりの再会で、《サスケの眼が幻を見抜けていない=本質を見抜けていない》って事に気づいたイタチは「やっぱりか・・・」とはいえ内心ショックだったんじゃないかな。 《本質を見抜く眼》を託したはずなのに、サスケってば全然その眼を使いこなせていないのだから・・・。
「サスケの道標役」としては失敗したイタチ、今度こそ幻や嘘では無い《真実の己の姿》を見せる事で正しい道標となろうとしているような気がします。
 
そしてこの兄弟共闘・・・イタチは嘘の無い“本来のイタチらしい闘い”を存分に見せてくれてると思うんです。
本来のイタチらしい闘い・・・多彩な技と強力な瞳術を駆使しての力押しではなくって、イタチの生き様を見せてくれるような闘い・・・これが実にカッコいい。 イタチの「優しさ」を感じさせてくれるというのかな・・・。
この闘いを通して、イタチは弟に「本当に伝えたかったこと」を教えてるんだ・・と思うと、見てて何だかキキュンとなってしまう(兄弟っていいなぁ・・・)。
 
イタチが闘いを通してサスケに教えていること・・・まずは、徹底して仲間を守るってことでしょうか。 己の力を「仲間を守るために使う」ってこと。
 
共闘中のイタチ、何度もサスケを守ってますよね・・・白激の術の中でサスケを守り、無機転生からサスケを守り。 ひたすら守ってくれるイタチの姿を見ているうちに、サスケも自然と天照を「盾」としてイタチを守ってましたよね。 「最大の攻撃瞳術は最大の防御にもなるってことだね・・・」とカブトに言わせてましたっけ。
それまでのサスケってば強力な天照で白ゼツを焼き払ったり、「力」を攻撃にしか使ってませんでしたからね~・・イタチに何度も手荒いぞ!とか注意されてたのに、短時間でずいぶんと「進歩」したもんです。
 
そして、その眼で「本質(本心)を見極める」ということ・・・
 
カブトという敵と真剣に向き合って、彼の本心を見極め引き出す・・・それが本当の「闘い」だってことをイタチは教えているような気もします。 
 
「戦い」・・・つまり力でねじ伏せて「力の差を見せつける」ってことじゃなくって、
「闘い」・・・つまり人間同士が向き合って真剣に、がっぷり四つに組むこと(※)。
イタチは今、カブトの心の奥深くまで入って真剣に向き合っている。 
 
仙人モードのカブトですが、イタチの幻術にはかかってますよね(580話で「幻術のイタチ」を斬っている)・・イタチも確認している。 なのにイタチは肝心の「月読」をまだ使ってない。 
さっさと「月読」を使えば、カブトを操って穢土転生を止めさせるのは簡単なのかもしれません。でも嘘や幻なんかじゃなくて、まずは本当に相手を変えるってこと・・・それが本当の闘いだとイタチは教えてるんじゃないかと思うんです。 だからイタチはイザナミという「運命を決める(決めさせる?)術」を選択したんじゃないだろうか。
たとえ手間や時間がかかっても、《カブトの本心を引き出させ、自分で運命を決めさせる事》を選択したんじゃないかと・・・(イタチはイザナミをカブト自身にかけていると判断してます、今のところ)。 でもこれ、時間もかかるし忍耐力が要りますよね。
 
カブチョをころしたらダメなのか?と相変わらず短気なサスケに
『それはダメだと言ったハズだ!今は奴が戦場を仕切ってる・・・ 耐えろ』と言ったイタチ(今週、585話で)。
《耐えろ》・・・これもイタチが教えたいことなんじゃないだろうか。
 
忍というのは「耐え忍ぶ者のことなんだよ」自来也大蛇丸に言ってたことがありましたっけ。 本当に強い忍者ってのは相手を受け入れる忍耐力と、相手と向き合う事を「諦めない」者ってことなんじゃないか・・とも思うんです。イタチはこの闘いでサスケに(一番苦手な)耐える事も教えてるんじゃないかなぁ・・。
 
相手と向きあって本質を引き出すことと言えば、今までナルトがやってきたことですが・・・イタチも同じような答えに行き着いていたんですね。 「暁」に潜入し、その危険な組織を内部から見張っていたイタチ・・・彼が「暁」に入って感じ取ったものは何だったのだろう?
 
イタチは鬼鮫と出会った時、一瞬にして鬼鮫の「本質」を見抜いてましたよね。 
人間ってのは、誰もが同じようなことで苦しみ、迷い、悩んでいる。立場とか敵味方関係なく、同じように「己」を探している・・ってことにイタチは気付いていたのでしょうか。
 
『 …… オレに取ってお前は対立と共感二つの感情を抱かせる』  (582話「何も無い」でイタチがカブトに言った言葉)
 
イタチがカブトに感じた《対立と共感》・・・暁の中でもイタチはそれを感じていたんじゃないのかな・・。
だから時間はかかるし、手間もかかるし忍耐も必要だけれど、相手の本心を引き出す「闘い」は可能だとイタチは信じているような気がします。 
相手の真実を見抜き本心を引き出す「真実を見る眼」・・・それが《本当の意味での瞳力(うちはの本当の力)》だとサスケに教えたいんじゃないだろうか・・・
 
 
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「許せサスケ・・・また今度だ」
 
・・・・と言いながら、いつも「また今度」。
 
だから、『アンタは生前オレにかまってくれず いつも許せと額をこづき逃げるだけだった』なんてサスケに言われちゃった穢土転イタチ(567話「再会の道標」で)。
 
このカブト戦は、サスケへの「実戦レクチャー」・・・10年ぶりぐらいで、やっと実現した「今度こそ」。
 
生前、ずっと「また今度」で逃げて嘘をついてきたイタチですが、今度こそサスケと真剣に向き合い 己の「嘘つき人生」を終わらせようと決意したのでしょうか(って・・・もう死んでるんですけど)。
 
「また今度」という嘘でのごまかし、「現実からの逃避」ではなく・・・「今度こそ」真剣に向き合って現実に変える選択。 これも、ある意味イザナミみたいなもの・・・なのかもしれないですね (って違うかなw)
 
 
にしても・・・サスケ、今度こそこれが最後なのだ、たぶん。
 
 
兄さんの言葉を耳の穴かっぽじってよーく聞いて、
兄さんの闘う姿を目によーく焼き付けておくんだぞ!!
たのむから・・・
 
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
 
※参考までに・・戦と闘についての記事「なぜ「戦」ではなくて「闘」なのか?という話」 (少々古い内容ですが)
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