ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 620:千手柱間 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ12号) その1

NARUTO 620:千手柱間 その1

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『扉間・・・』  (ギン!)

千手柱間、か、貫禄ハンパねェ~~~!!(水月風)

前回は《ガハハ笑い》でイメージを覆され、今週は“本当の強さとは何なのか”を教えて貰った気がします。包み込むような人柄は、誰の心も受け入れてしまうような器の大きさを感じるし、おおらかそうでいて鋭く本質をとらえている・・・
 
やっぱり、ハッシ-は凄い!!
 
それだけに、問題は『柱間亡き後』・・・あの大黒柱・柱間が亡くなった後、木ノ葉は急に求心力を失ってしまったハズ・・・扉間も、兄者が残した里を守るために相当な苦労をしたと思うんです。
577話で、マダラがこんな事を言ってましたよね・・・
 
「柱間・・お前が何を残したかは知らんが・・・この程度・・お前には遠く及ばん」 
「どうせ下っ端に引き継がせるなら オレの様に復活のやり方でも教えておくべきだったな」、と。
 
・・・この言葉、マダラの「受け継いでくれる者が無いことを嘆き悲しんでいる」彼の本心を伝える言葉だと思ってるんですが、マダラが何よりも悲観していたのは柱間「亡き後」の忍世界とうちは一族の行く末だったと思うんです。 自分や柱間が居なくなったら、世界はどうなってしまうのか・・・
案の定柱間亡き後、扉間はひたすら守りを固めようとして、あれこれと「クサいものに蓋」政策を施していったわけで・・・仕方ないとはいえ、今になってツケが溜まってきてるんじゃないだろうか。

さて・・・柱間に《里とは何か》 《忍とは何か》という質問をぶつけたサスケですが。
 

・サスケが言う「こんな状況」とは。
 

「同胞を殺してまで 己が死んでまで 守ろうとする里とは いったい何だ?」
「こんな状況を作り上げた忍・・・それをよしとする忍とは何だ?」
 
サスケが言う「こんな状況」・・・つまり、里の為なら何でもアリの状況、それをよしとする状況・・・サスケはそれに疑問を感じてるんですよね。 巡り巡ってサスケが最終的に辿り着いた疑問、それは奇しくも忍者になって最初に感じた疑問と同じ―-再不斬と白の生き様・死に様に思った疑問と同じ、「忍の在り方」(第4巻)・・・ 

再不斬が言っていた《オレ達忍はただの道具だ》・・・そしてカカシが言っていた《忍ってのは自分の存在理由を求めちゃあいけない ただ国の道具として存在する事が大切》。サクラ、ナルト、サスケ3人ともこれに疑問を持ったんですよね、
 
「忍者の在り方ってやっぱこの2人が言ってた通りなのかなぁ・・」 (サクラ)、 
「本物の忍者になるって本当にそういうことなのかなぁ・・ オレってばそれ やだ!」 (ナルト)、
「アンタもそう思うのか?」 (サスケ)・・・
 
で、カカシがその時答えたのは、「んー 忍者って奴は皆知らず知らずそのことに悩んで生きてんのさ」。

カカシが言っていた《知らず知らず》ってのが厄介でして、ようするに気付きながら気づかないフリをして放置してきたって事ですよね、これが正しい忍の在り方なんだと己に言い聞かせながら・・・ 
前に56巻の「ゲンマとライドウの会話」で取り上げた話なのですが、ライドウみたいに「定められた基準(掟や勲章)」に疑問を持つ忍もあれば・・・ゲンマみたいに割り切って考えてる忍もいる。 誰もが、忍の在り方には疑問を持ちながら、あえて向き合う事はタブーのように避けてきたわけで、「知らず知らず」溜まったわだかまりは、既に飽和状態になってたと思うんです。
かつて波の国でサスケ達が感じた、ひよっこ忍者ならではの素朴な、だけど どストレートな疑問。 ナルトもサスケも今になって原点に戻り、違う場所で同じ問題に向き合ってるのかもしれません。
サスケは、千手一族に教えてもらいながら・・・ そしてナルトは、うちは一族に教えてもらいながら・・・
 
忍の在り方って、何なんだろう?・・・・「正しい忍」ってのは、何なんだろう?と
 
 
・サスケの「それとも・・・」
 
「アンタの言葉を聞いて・・ 本当の事を知ってから 自分で答えを出したい」
「・・・・・」
「木ノ葉に復讐するのか・・・ ・・・・・・ それとも・・・」

《それとも・・・》? 
 
サスケに「復讐」以外の「それとも」という新たな選択肢が出来てますね・・・いや、既にサスケの心は復讐より「それとも」に傾いてるんじゃないかという気がします。今の忍の在り方に疑問を感じているけれど、それは「復讐」という手段では解決出来ないってことを、サスケは少しずつ感じてると思うんです。
だけど自分でも何故そう思うのか、そしてどうしたらいいのかは まだ分からないんじゃないのかな・・?だから話を聞いて知りたいと思ってる・・・・歴代火影に訊ねたり、大蛇丸に質問したりして・・・

大蛇丸の「気まぐれ」

「アンタは木ノ葉を一度潰そうとした・・・ 初めは気まぐれだと言ったアンタの言葉を信じたが・・・ 今は違うと分かる・・・ 本当は何だったんだ?」 (サスケが道中、大蛇丸にした質問)

サスケってのは元から大人によく質問する「知りたい願望」の強い子だったと思うんですが、今のサスケはまさに「知りたい願望の塊」。 このサスケの質問に、大蛇丸が何て答えたのか・・・コレめちゃくちゃ気になります。大蛇丸にとっての「木ノ葉崩し」とは何だったのか・・そして、サスケに何を語ったんだろうか。大蛇丸の言葉と、最終的にサスケが出す答えは重なりそうな気もします。
 
(しかしオロちゃんは、今までサスケにも「気まぐれ」なんて説明していたんですね。 34巻で、大蛇丸のアジトまで来たナルトに、サスケが「オレの気まぐれ」を連発してたのは、大蛇丸の影響だったのかな・・・)。
 
大蛇丸が「木ノ葉崩しの目的」を語った事は未だにない・・・三代目に「お前には目的も動機も何もない」と言われれば、「んー・・そうですねぇ目的ならなんとなくありますよ」なんてごまかしていたし、本当の目的を誰にも明かすつもりが無かったと思うんです。でも、なぜ大蛇丸は、木ノ葉崩しの目的を誰にも語らなかったのだろう?・・・
 
大蛇丸は「私が風車を回したかった」とか言ってましたが、里に変化を与えるキッカケを大蛇丸は作りたかったんじゃないかとも思うんです(先日の「大蛇丸の涙」でもちょっと触れましたが)。 だけど『強制的に変えさせる』のでは意味が無く、火影や里の忍達が『自分で里の現状に気づき、自分で答えを出して変えようとしない限り、本当の変化は手に入れることは出来ない』と・・・・大蛇丸は研究者らしい考えを持っていたんじゃないだろうか。

九尾事件の時の仮面(オビト?)も、目的について「言うなら気まぐれであり・・計画でもあり・・・戦争のためでもあり・・平和のためでもある」なんて曖昧な事を言ってましたが、やはり目的をハッキリと言わなかった事は共通しています。 彼も師に「気づいてほしかった」んだろうか・・・?
 
大蛇丸の心を読めるようになった、サスケの「眼」。
今のサスケの眼には・・・ようやく「本当のもの」が見えてきているのかな・・・。
 
 
・扉間と柱間

「・・・・木ノ葉への復讐だと! うちはの悪に憑かれた小僧が・・・」
「ここでワシが・・・・・・」

(扉間はが指をちょっとだけ動かしただけで、ゾクッとするようなチャクラがドッと湧き出る)
 
(柱間が扉間を上回るチャクラで牽制し、建物にもヒビが入ってしまうのですが・・・)

「指をおろせ・・・」

「・・・・・・」
「分かった・・・ そうチャクラを荒立てるな ・・・・・兄者」
 
す、スゴイですね・・・千手兄弟のパワー・・・(貫禄ありすぎ!)

指一本浮かすだけで、あれだけの殺気を生み出しちゃう扉間も凄いですが、それを上回るチャクラでさりげなく牽制しちゃう柱間は さらに凄い。殆ど二人とも動いてないのに、これだけのパワー・・・さすがは「力の千手一族」だけはありますな。

・扉間の指

うちはへの警戒心と憎しみで、チャクラを爆発的に増幅させちゃう扉間を見ていると、千手一族ってのは感情の高まりと共に増幅する「力」をコントロールするのが困難な一族なんじゃないかと思っちゃいます。うちはが愛情の高まりをコントロールするのが難しかったように、千手は力の高まりをコントロールするのは難しかったんじゃないだろうか綱手の破壊力もハンパないですが)。 綱手を医療忍者に育てたのは、もちろん圧倒的な回復力があるからなんでしょうが、彼女の莫大な力を繊細にコントロールする能力を身につけさせる目的もあったのかな・・。扉間の場合は、いつも兄者が牽制してくれていたのかもしれませんが、千手系の一族って、力を持て余したりしていたのでは・・・? うずまき一族が『ちょっと荒っぽい』と言われていたのも、感情でパワーを暴走させる事があったんじゃないだろうか(クシナもありそう・・・)。う~ん千手も、うちは一族の事を あんまり言えない気がする・・・結局はイーブンってとこかな(笑)

指一本をちょっと動かすだけで、周囲の空気をゾッとさせるほどの『扉間の圧倒的なパワー』なんですが、これ・・・例のダンゾウ回想に登場した扉間の「感知方法」、つまり地面に指を突いて離れた場所にいる敵の数を関知する能力と、同じ力じゃないかとも思うんです。 おそらく、電磁的な能力(難しいことはさておき・・・と、ごまかして;)ようするに、白ゼツが『ビリビリ』と根を通じて情報交換してる電気信号みたいな、アレと同じ種類の能力じゃないかと推測しております(白ゼツのビリビリ伝達描写は、57巻536話にて)。 白ゼツは劣化版柱間だし、もともと《ビリビリ能力》は千手の能力じゃないかと思えるし。
柱間が扉間を拘束したのも、扉間以上のビリビリ能力で(電圧・・なの?w)抑え込んだからなんだろうか。

で、なぜかミナトも似たようなビリビリ能力・・・チャクラの「型」をトランスのように変換できちゃう体質を持っていて、その応用で飛雷神の術が使えるのだろうという推測は以前も申し上げましたが(飛雷神のクナイもビリビリと言っている・・・これは57巻542話)、これもトロイの磁遁のような仕組みだろうと思ってます。 磁力を帯びさせたところに、自分を引き寄せるようにして口寄せする・・・ 
 
すっかり「穢土転開発者」なんて悪いイメージ付いちゃってる扉間ですが、(おそらく)飛雷神の術を開発した人物でもあるんですよね。 
穢土転生はのちの世界に問題を多く残した術だけど、飛雷神の術はのちの世界を救う術になるんじゃないだろうかとも思っています。だから今は散々な扉間ですが、そのうち飛雷神の話になれば「扉間アゲ」も来ると思うし、その時には「時空間忍術好き」な私としては、扉間を褒めちぎらせて頂きますので(笑)今週は欠点を突っこみますことを、どうか許しておくんなさいってばよ(といっておいて、すぐ扉間へのツッコミ再開)。
 
扉間の「うちはの悪に憑かれた小僧」って言い方・・・これもまた過激ですねぇ。
 
扉間にとって「万華鏡写輪眼を開眼した輩」は悪に憑かれた奴でしかないらしい・・・・この短絡的な発想は、大蛇丸が指摘したように うちはに対して何かトラウマでもあるのだろうか。 あるいは扉間自らが研究・分析によって出した答え「うちは一族は特殊な体質による欠陥がある」説に絶対の自信を持っていて、己の知識や認識から抜け出せないのだろうか。
 
そして「ここでワシが(サスケを始末する)という、危険な雑草の芽は出てくる前に摘んでおく扉間式政策・・・・
 
この方法だと表面的には綺麗な芝生は保たれるわけですが、どうして芽が出てくるのかという問題には対処しない『問題を先送りにした対策』なんですよね。 で、いつか取り返しのつかない問題が表に出てきてしまう・・・。だから穢土転生のような「今はとりあえず都合のいい術」を開発して、先になって問題が起こったりする・・・それを大蛇丸は自ら立証してみせたんじゃないかと思うんです。
 
二代目時代に木ノ葉は安定し・・・だけど問題を地中に隠したってことじゃないだろうか?
 
(すみません、その2に続けさせて頂きます・・・)