NARUTO 664:父親だから その1
「青春パワーマックスで皆の所へ行くぞ!!
リー!!テンテン!!」
いやぁ…ガイ先生が“熱血宣言”をすると、とたんにギャグテイストになるというか、一気に場が和むといいますか。だけど「ギャグ回に限って重いテーマが忍ばせてあったり、伏線が多い」ってのも、いつものパターン(※というのは私が勝手にそう思っているだけです)。 でも603話「リハビリ」なんてその典型でしたから…。
しかし、これでガイが「カカシとナルトのいる戦場」に戻ってくる事になれば、今度こそ闘いは本格的に《眼と獣の闘い》の様相を呈してくるのではないかと思います。
566話「眼と獣」のラストのやり取り……“仮面男”の「オレの持つ瞳力と尾獣の力の前ではな」の言葉に、カカシとガイが返した「こっちにも写輪眼がある」「そして木ノ葉の気高き碧い猛獣もな!」。あれは、「一人で眼と獣の力を持つ圧倒的な力を持つ者」に対して、「眼」と「獣」の力を分けて持つ「ごくフツーの忍(人間)達」が挑戦する宣言でもありました。それは、この戦争の本質でもあるような気がする… 566話のタイトル《眼と獣》は、ここにきて“効いて”きそうです。
さて、今週も内容がてんこ盛りで「場面があっちこっちに飛ぶ展開」ではありましたが(戦場の「位置把握」が難しい;)そのバラバラ感も、岸本先生お得意の「繋ぎ手法」で見事に紡がれておりました(例えば、大蛇丸のセリフ「香燐、~バテるわよ」から、リーの「バッテバテですガイ先生!」のセリフで場面が繋げられたり)。
セリフや絵で場面を「つなぐ」手法は「短い一話内」でよく使われる手法ですが、「以前の忘れかけていた話」と「今の話」をうまく繋げていくのも岸本先生の得意技。 今週は久々に「金銀兄弟が封印された宝具」が出てきたり、これも今後の話に面白く関わってきそう。
さて、サスケの元に急ぐ“鷹”達ですが…
(…大蛇丸はサスケの状態によっては体を奪いにかかるかもしれない…)
(重吾)
今の大蛇丸には「私が世界を変えるのよ!」なんてほどの野心は無さそうですが、そのかわり「私の大切なこの大きな実験場(この世界)」を守る為なら、どんな手を使ってでも行動を起こしそうな気はするんですよね…その為なら、仕方なくサスケの体を「使う」事も考えているのかもしれません(そうあっては欲しくないんですけどね)。
(それが君麻呂の想いでもあるが… 香燐はそれを許しはしないだろう…)
(同じく重吾)
この重吾の「心の声」ですが、「香燐が“君麻呂の願望成就”の邪魔をしてくる心配」をしているというよりも「香燐の気持ちを考え、香燐を心配している」ように感じるんです。少し前までの重吾だったら、何が何でも「君麻呂の想いを守ること」が全てだったかもしれません、重吾にとって「君麻呂との繋がりだけが全て」でしたからね…。だけど、今の重吾は「もっと広い繋がり」の中に自分を置くようになってきたんじゃないのかな…。
君麻呂の想いも大切だけど、でも「香燐」の想いも大切。重吾はちょっと揺れているようにも見えるんですよね、どうやったら君麻呂の想いと仲間達の想いを両立できるかということに。そして、その想いを両立させたところに「サスケを救う答え」もあるのかもしれない…とも思います。
そして、重吾が言う「君麻呂の想い」…
君麻呂の一族名「かぐや」から判断すれば、彼の一族は「六道仙人母・大筒木かぐやの血を濃く継ぐ一族」の可能性が考えられますが、カブトは“かぐや一族の歴史”について「血生臭い歴史だけ」だと言っていたし(24巻で)、大蛇丸は「能無しの戦い好きな一族、唯一戦場が彼等の安らげる場所」とも言っていた。
つまり、かぐや一族とは「戦わずには生きられない、戦うことだけを運命づけられた一族」…
かぐや姫が「神樹の実を食べてしまった」ことで負った原罪、呪いのを背負った一族だからでしょうか。原罪…「力を得たことによる驕り」。そして、君麻呂の死で「呪われた」かぐや一族は滅亡してしまった…呪いから解かれる事がないままに。
君麻呂の想いとは何だったのだろう? 全ての忍を「呪い、背負い続けた原罪」から解放させる事だったんじゃないだろうか…?
君麻呂は最期に「あの方(大蛇丸)は僕の理解者だ」 「お前等に何が分かる!!」と言っていましたが、今思えば、あれは悲痛な魂の叫びだったのかもしれませんねぇ…確かに他の忍達は「何も分かっていなかった」のかもしれない。
君麻呂は、「忍達が忍術に溺れ己を見失っている現実」や「呪いから一生解き放てない忍の生き様」に危機感を持っていたのかもしれません。
「サスケの居た場所に誰かいる!」 (香燐)
「チャクラに覚えは?」 (大蛇丸)
「…ない!けど…」 「このチャクラ…」
「すごくイヤな感じがする!」
うーん、サスケが「居た」場所ねぇ…つまり、今はもうサスケのチャクラは感知出来ないということ…「居た」という過去形がちょっと切ない。
そして香燐が感知している《イヤなチャクラ》のモヤモヤっとした感じなんですが、コレ、65巻で柱間が「扉間の動きを拘束するために発したゾクッとするチャクラ」の雰囲気に似ています(620話と624話。あの人影が柱間だと言ってる訳じゃあないです。「チャクラの質」が似ているかもしれないという話)。
柱間が、あんな《ゾクッとするチャクラ》を発することが出来る理由(及びそういう描写が二度も為されている理由)も前から気になっておるのですが、それについては後述すると致しまして…
「ならもっと急がないとねェ どこの馬の骨かも知れない輩にサスケくんが何されるか分からないものね」 (大蛇丸)
《馬の骨》ねぇ(笑)、いかにも「美しい種の保存」にこだわる大蛇丸らしい表現とも言えます。でもその輩は「香燐を戦慄させるほどのチャクラの持ち主」であって、タダモノではない…あっちにいた「グルグル」のような、人間とは言い難い、そして本来人間より「上」の存在の可能性も有り得る。しかし、大蛇丸はあくまで《人間》にこだわり続ける人…だから、その人間離れしたチャクラを持つ存在が仮に「崇高な力を持つ存在」であったとしても、大蛇丸にとっては「馬の骨」でしかないのかもしれません。
大蛇丸は、あれだけ研究を極め真理を追求しながらも、《神》になろうとはせず《忍》を極めようとした人。人であることにこだわり、生にこだわり続けた人でもあります(たとえ他人からは「人間とは思えない」なんて言われたとしても)。
(…彼の風はここまでかしらね)
どうやら大蛇丸は冷静に「胸騒ぎ」も感じているみたいですね。
世界を覆い始めた暗雲の「後ろにある存在」を感じ取った、自来也の「胸騒ぎ」…「だが…何か嫌な予感が…胸騒ぎがしてならんのよ」(ペインとの戦いの直前、370話)、あの時と同じ胸騒ぎを、大蛇丸も感じているのかもしれません。
サスケの吹かせる風に身を委ねて見たものの、「相手」がとんでもなく面倒な相手であることに気付き、大蛇丸も「黙って見ているわけにいられなくなった」のでしょうか。大蛇丸が「三忍として」自分にも出来ると思う事とは、何なんだろう…? (「誰かさん」については、感知系の扉間も分からないみたいですね。その存在が誰なのかという話題は最後にまわすとして…)
先ほど「つなぎ」の例として出した「だからって そんなにとばすとすぐバテるわよ」と香燐に注意する大蛇丸のセリフ…
この前も(635話)ケンカする香燐と水月に「ケンカはよしなさい」なんて注意していたし、大蛇丸って、やっぱり子供達を心配する「母親」みたいだなぁ…愛情の掛け方が「母親」っぽいんです。自来也は弟子に「父親」的な愛情表現をするし、大蛇丸は「母親」的…いいコンビだと思うんだけどなぁ。
そして…ガイ班。
「青春パワーマックスで皆の所へ行くぞ!!リー!!テンテン!!」
「ハイ!!ですがバッテバテですガイ先生!!」
「心に体がまったく付いていってないじゃん!」
いいわぁ~「心に体がついていかなくても青春にこだわるガイ先生」(笑)
ガイ班が「皆よりかなり遅れ気味」なのは、ガイ先生が相当バテ気味だからでしょうか(仕方ないですよね、皆が来る前から彼は大奮闘してましたから)…でも、どうやら今回はそれが幸いしたようです。
(頭上を我愛羅たちの砂が通り過ぎ「戻っていく」のを見るガイ達)
「カカシはまだオレ達を追い抜いてはいないな」
「うん…」
「ナルトにもらったチャクラが消え…医療班であるサクラが移動しているとなると… どうもカカシの方で何か起こりかけている気がする…」
「?」
「・・・・・・」
「引き返すぞリー!!テンテン!!オレの熱い血が騒ぐのだ!!」
「スーパー胸騒ぎですね!!」 (リー)
「え~~~~~~~!!」 (テンテン)
(この熱血ド天然ヤロー共と一緒にいてもろくなことないよ!!ネジよ!なぜ私を一人にしたのォ!!) …(ウィンクするネジの絵)
テンテンお気の毒(笑)…というか、テンテンの心の中のセリフと、ネジの「ナイス」ポーズ…なんだか「ネジ復活フラグ」に感じます。きっと、テンテンの為にもネジは「戻って」来てくれますって…(根拠はないがほぼ確信)。
ガイは、テンテンが言う通り「熱血ド天然ヤロー」であって、一般からはかなり「ズレて」ます。そして時々頓珍漢な事も言う…。
だけど、ガイの「野性の勘」は時に抜群の冴えを見せることがあります(熱い血が騒ぐ=スーパー胸騒ぎ)。彼は「感知系」とは違ったタイプの鋭いセンサーを持っている…
例えばペイン襲撃の時、任務で里外に出ていたガイは《鳥達がやけに里側から逃げるように飛んで来ている》ことにも「スーパー胸騒ぎ」を感じていましたっけ。 あの時も、テンテンの「お茶していこうよ~」の願いは却下されているんですが、結局その胸騒ぎは「当たっていた」んですね。そして今回も“ガイの胸騒ぎ”は当たっている。
それに、ガイの野性の勘(胸騒ぎ)は、けして当てずっぽうな勘ではないんですね。
ペインの時も《鳥達が…》という根拠があったし、今回も《ナルトのチャクラが、サクラが…》と根拠がある。実に冷静な頭脳的な分析による判断なのです。
ただ、ガイのセンサーは「自分にとって大切なもの」にしか向けられない…例えば今回は「カカシ」が絡んでいるから敏感に反応したわけだし、ペインの時は「自分の里」が絡んでいたから反応した。
“大切な者のピンチ”には熱い血が騒ぎ、ガイは鋭い分析派“仕様”に変わる…
そしてガイの滾る熱血の源泉は、言うまでもなく「大切な者を守りたい」愛情なのでしょう。
愛するモノへのセンサーは、きわめて鋭く働く… 特に《胸騒ぎ》は当たってしまうもの。 それは愛するモノの事は「誰よりもよく分かってしまう」からだろうし、いつも心配(心を配ること)をしていればこそ…それはガイに限らずなのかもしれません(今回のサブタイトルは「胸騒ぎ2」でもよかったかな…)。
(その2へ続けます…)