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NARUTO-ナルト- 620:千手柱間 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ12号) その2

NARUTO 620:千手柱間 その2

(その1の続きです)
 
千手の凸凹兄弟、この2人のもっとも大きな違い・・・それが「理解力」の種類の違いじゃないかと思うんです(どっちがいいって言う訳ではないと思うんですがね)。
 
まずは・・・扉間の「理解力」ですが・・・
 
・扉間の「理解力

優秀な頭脳と優れた分析力、加えて鋭い「感知能力」・・・
これら扉間の能力は、指揮官として大切な能力だと思うんです。だけど、これら扉間最大の長所が、扉間の短所にもなっているような気がする・・。

たとえば、620話で扉間は「貴様ごときの穢土転生に縛られるワシではないわ そもそもこの術を考案したのはこのワシよ・・・」なんて自信満々に言ってますけど、結局は柱間細胞(白ゼツ)を摂り込んだ大蛇丸によって、縛られる結果になっちゃってる。 扉間は穢土転生の危険性は重々承知してたのかもしれませんが、自分以上に扱える忍が出てくるとは思わなかったのかもしれない。《開発者のワシを超えられない》という過信、驕りが誤算を生むことになっているんですよね。そして、うちはの万華鏡開眼者=悪に憑かれているという「思い込み」も、己の知識・認識に頼った結果だと思うんです。

それに、扉間の優秀な「感知能力」・・・遠くの方向にマダラのチャクラも感知し、大蛇丸の殆どが柱間細胞で出来てるってことも感知してますが(2時の方向にマダラのチャクラを感じると言ってるから、十尾戦場は木ノ葉から見て だいたい北東あたりかな)・・・優れた感知が出来るからこそ、扉間は相手をチャクラ性質やら細胞で判断してしまう傾向があると思うんです。 コイツは~で出来てるとか、チャクラ性質は~だとか・・・そういう観点で人を判断しちゃうんじゃないだろうか。 要するに、人を見かけとか思い込みで判断しちゃうってこと・・・「頭で理解する理解力」があるだけに、「心で理解する理解力」を蔑ろにしてしまう・・・扉間は、カカシと同じタイプですな。
 
コミックス60巻をお持ちの方は567話を読んでいただいて、そこで繰り返されている《カカシの理解力》という言葉を見て頂きたい・・とお願いしちゃいます。 そして、カカシや扉間が得意としている「理解力」と、カカシが不得意としている「理解力」の違いについては、「ガイとナルトは、なぜカカシの理解力と言ったのか?」にて説明しておりますので、出来ましたらご一読いただけると有難い・・・かな。 
 
扉間にはちょっと気の毒な話だけど、扉間という分かりやすい『頭で理解する例』が出てきた事で、いよいよ話が《本当の理解力とは?》という本丸お題に入っていくのでは・・・と私としてはかなりの期待をしております。 

カカシは扉間と同じような「理解力」を発揮するタイプだし(性格はかなり違うけど)、ペインの木ノ葉襲撃での『ペインの能力分析』も見事だったし、トビの仮面割れに至るまでの『トビの術の分析』は見事の一言だった・・・。 カカシの「理解力」のおかげで、ついにトビの戦闘用仮面をひっぺがすに至ったわけですが・・・しかし、肝心な『オビトが心に被ってる仮面』は、未だにひっぺがせていない・・・それは、なぜなのか。
 
前に《チャクラを掴めるのはチャクラだけ》なんて話がありましたが、「心の仮面」を引っぺがせるのは、「心の理解力」だけ・・・だからですよね。 
 
扉間の「頭での理解力」に対して・・・「心で理解する」のが、兄者・柱間。
 

・柱間の「理解力」

その点『本当の意味での理解力』を兼ね備えているのが「柱間」なんですねぇ・・・柱間も勿論、扉間以上の感知能力やら分析力を持っていると思うんですが、それでも彼が「感知」するモノは違う・・・柱間が感知するモノは、相手のチャクラ、体質、能力よりも《心》なんです。
 
この人・・・本当に『全て』を持っているんだなぁ。

サスケの万華鏡を見て「感じた」ものが、柱間と扉間では違っているのが面白い・・・というのは619話雑考で述べたとおりですが、柱間は《サスケが何を考えているのか・・・なぜそう考えるのか》を思っているんです。サスケの事を知ろうとして、「心」で「心」を読むことで相手を理解する。 そして、その理解が根本的な解決と和解につながるわけでして・・・ だけど、それが今の忍達に最も欠けちゃってるモノなのです。
カカシだけじゃなくて、ほとんどの忍が扉間タイプの「頭理解」に属すると思うんですよね。 長い間、心を無くさせられてきた忍は、知らず知らずのうちに「心」で相手を理解することを忘れちゃってるんじゃないだろうか・・・・?

マダラが復活してると聞いて、慌てて戦場に赴こうとする三代目と扉間に、サスケに話をするのが先だと説き、
 
「私はこの子に付きます」ときっぱり言った大蛇丸・・・・もう、カッコ良すぎ(笑)
 
最近のオロちゃんは後光が見えちゃうぐらいに、私には眩しく美しく見えます過去にやらかした事を許せないと仰る方もありそうですが)。大蛇丸も、目先の問題(マダラ)よりも、遠く先を見据えている・・・・そしてそれは、柱間も同じ。 この2人だけが、明らかに問題の表面ではなく「本質」まで見ていると思えるんです(ミナトは今のところ不明)。
 
だけど気になるのが、三代目なんですよね・・三代目は、ど~もお分かりでない・・・弟子の大蛇丸の本心も理解していないように見えるし、なぜ大蛇丸がそんな事を言うのかも分かろうとしてない様子なのが残念すぎます。 大蛇丸の師として責任を強く感じ過ぎているせいなのか・・今後ヒルゼンが大蛇丸を理解する時が必ず来ると・・・強く強く願っちゃいます。 
 
しかし柱間は、警戒する大蛇丸の心さえも読み・・・そして語った言葉に、またまた圧倒されてしまう・・・。

大蛇丸とやら 心配するな その子を縛っておるわだかまりを解いてやる方を先としようぞ」
 
「うちはの子がオレの話を聞き どう選択するかは分からぬが」

「その子を今無視すれば後 必ず次のマダラとなろうぞ」
「それでは戦争が終わり 勝ったとしても 意味が無いの」

「・・・・・・」 (サスケ)

なんと、慈愛に満ちた言葉だろうか・・!そして、『先を見据えた者』ってのは、こういう人の事を言うんだろうなぁ・・・とも思わされます。 ホント、柱間が言う通りです・・・サスケという未来を放置したら、目先の勝利を得ても何の意味も無い。
 
柱間の言葉を「・・・・・」と聞いているサスケですが、最近サスケに関しては、ずーっと「・・・・」ばっかり!作者はサスケの『心の中の声』は、徹底して書いてくれないんですよね(苦笑)、読者に《サスケの心の声を読んでみろ》とでもいうように・・・(笑) これ、599話のサイレント描写並みの想像力が必要かもしれません。
 
この時のサスケの「・・・・」ですが、柱間の言葉がサスケの心にズシン!と響いてるんじゃないか・・いや、もっとかな? サスケの心に光が射したような、何かが見えてきたんじゃないかと思うんです。
柱間の「目先にとらわれず、先を見据えた判断」・・・これこそサスケが探していた、もう一つの選択肢の「答え」なんじゃないだろうか? 復讐とか報復という目先の対処ではなく、柱間のように「先を見据えた、根本的な対策を考える事」・・・それがサスケが探し求めていた「もう一つの選択肢」になり得るんじゃないだろうか。
 
目先の問題である「マダラ」を最優先にして火影達が戦場に出向けば、マダラは止められるかもしれない。だけど、それではサスケが次のマダラになってしまう・・・とりあえず「今」は解決しても、本当の解決は無い。
こういった「先を見据えた答え」を出す事・・・これが今までの木ノ葉が出来ていなかった事だと思うんです。でも、初代はちゃんと先を見据えている・・・・サスケは柱間を通して、相手の心を見て理解し、先を見据えた答えを出す必要があることを、感じ取っているのではないだろうか。
 
そして、サスケを今まで縛ってきた「わだかまり」から、サスケが遂に解かれる時が来るんだろうか。
 
そして、あっちの十尾戦場でも、ナルトが同じ問題と向き合ってる最中・・・
 
「忍連合の術」で、とりあえずマダラとオビトを止めて見せるというナルトの答えに、オビトは
「違う」、「お前らがここでオレ達を止めようが 無意味なことになぜ気付かない その術とてこの戦争の後には脆く崩れ そちら側の誰かがまたオレ達と同じようなことをするようになる」
・・・と言っていたわけですが(612話で)、これって・・・柱間が言ってる事と同じだと思うんです。 
 
オビトがナルト達にしつこく迫っている「答え」は、とりあえずの答えではなく根本的な解決・・・・それを解決できなければ、歴史はまた繰り返すとオビトは忠告している訳でして・・・オビトが見据えているモノは、柱間と同じ「これから先」です。

仲間の死に際しても「ここは戦場、仲間が死ぬ」と己に言い聞かせ、模範的忍であろうと頑張ってる間は、まだ忍達は「心」を取り戻せてないんじゃないかと思うんです。 ・・でももちろん、忍達は「心が無い」訳じゃあない・・・ただ長い間忘れるように訓練されてきたから、それを取り戻すのは並大抵にはいかない・・・リハビリなんて甘っちょろいもんではなく、荒療治が必要だと思うんです。で、オビトは忍達に心を取り戻させようと、必死に荒療治してる(んじゃないかと私は考えています)。
 
だって、無限月読を本気でやろうとする人物が、『この戦争の後』について熱く語り、こんなにしつこく「これから先を見据えての特訓」を忍達にするワケがないんでして・・・そこんとこ、せめてカカシは気付いてもいいんじゃないのか?と思ってしまうのです。 なぜ、オビトがカカシに神威の特訓をして時空間に出し入れできるようにしたのか(オビトに不利になるのに)・・・十尾玉がブッ放たれている時に、なぜカカシの左眼にクッ!と強い衝撃が来たのか等・・・その理由をカカシは「知ろうとしない」・・・だから、オビトの本心も理解できない。 もう焦れったいを過ぎて、拳喰らわせたいぐらい苛立ってます(ちょっと大げさ)。
 
 

「さて・・・ではどこから 話すべきかの・・・」
「そうよの・・・・・・」

「うちはと千手についてからだの」
 
さて・・・いよいよ「マダラと柱間の、終末の谷の戦い」が語られますか!
 
須佐能乎×九尾、そして木人×木龍の戦い、今の戦場を遥かに超える闘いのスケール・・・地図を描き直す範囲がどうのこうのって言ってたマダラの言葉にも納得です。マダラの万華鏡瞳術が何だったのか(神威なのか、違うのか)も分かるだろうか・・・そして九喇嘛もこの時は、今と違ってフルパワーだし、頂点を極めた男どうしの、本気の「闘い」ってやつを・・・やっと見せてもらえそうです。
 
2人は、なぜ闘うことになったのか・・・お互いに譲れないモノとは何だったのか。
あの柱間でさえ、止められなかったマダラの想いとは・・何だったんだろう。
 
 
 
・「いつの世も戦いか・・・」 柱間の口癖なんですね・・
 
・「人を見た目や思いこみで判断しない方がいい」 「人は己の認識や知識に頼っている・・・」
扉間に言いたくなる事って、かつてイタチが警務隊やサスケに話していた内容とソックリなんですが、結局これは千手一族、うちは一族双方に言える『教訓』なのかもしれない・・。
 
・九喇嘛の眼、万華鏡ではなく写輪眼模様になってますね。
 
・マダラと柱間の2人が 里から一番遠く離れた国境の地(現在の終末の谷)で行ったのは、里や人々に危害を加えないためだったんだろうか・・
 
・サスケの眼、今週もイタチが抜けてましたが、意図的なのかミスなのか判定できない・・
 
・ミナト、ナルトと九尾が「共闘している」のを感じてますね。感無量だっただろうなぁ・・・
 
 
・長駄文、読んでくださって感謝
 
 
 
 
 
 
※コメント欄は「今週のコメント欄」として1ヵ所に設けさせて頂きました(実験的に・・・)。
ご指摘等頂ければ有難いです。コメントへのお返事が遅れがちになりますが申し訳ありません。
 
 
 
(ナルト好きブログ! ジャンプ・ナルト感想・・2013/02/08)