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NARUTO-ナルト- 625:本当の夢 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ18号) その1 (火影と木ノ葉隠れの里)

NARUTO 625:本当の夢 その1

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「もういい…… お前の腑(はらわた)は… 見えた」
 

マダラさん・・チラチラッと柱間を見る目がイヤラしかったですが・・やはり様子を窺ってましたか。
 
まずは先週の続き「弟を殺すか、自害するか・・それともマダラを殺すか」という無理難題をふっかけられた柱間。 ここは扉間は言うように「バカバカしい 耳を貸すな」というのが「ごく普通の」反応だと思うんですが、イヤ・・柱間の「反応」には、とにかく驚きました。

「ありがとうマダラ お前はやっぱり情の深い奴だ」

あ・・・ありがとう!? この状況で・・しかも笑顔。

この種のビックリはアレ以来・・・ナルトがサスケに言った「お前のやってる事は・・分かるってばよ(※)レベルの驚きでして、いや・・もしかしたら、それ以上かもしれません(※闇落ちしまくった『ように見えた』サスケに言った言葉・・52巻)。 
 
やはり、柱間やナルトは発想が凡人(私みたいな人間)とは根本から異なっておりまして、まさに「枠」をぶっ壊してくれる超人ならではの発想と言いましょうか。 そして何が凄いって、柱間はこの言葉を「本気で」言ってるってところなんですが、それも次の柱間の言葉で納得した次第です。
 
《マダラはちゃんと選択肢をくれたのだ… 弟を殺さなくてもいい選択肢を…》
《奴も分かっていた 弟を持つ兄としての心の内を…》

なるほど、そういうことか… だから、「ありがとう」。 
 
あり得ない選択肢に、ふざけんじゃねェぞ・・と受け取るのか。それとも、弟を守る選択肢をくれてありがとうと受け取るのか。 これも『受け取る側次第』なのですが、柱間が「ありがとう」なんて言えたのはマダラの本質が「情が深い奴」だと理解してるからだと思うんです。 それは、ナルトが「分かるってばよ」と言えたのが「サスケは情が深けーヤツだから」と分かってたのと同じこと・・。 やはり柱間は唯一と言っていいぐらいの、マダラの理解者なんですね・・だからこんな事が笑顔で言えてしまう。 
 
柱間は、マダラの事をよーく分かってる。 そして、マダラも柱間の事をよーく分かってる。 
今週はとにかくもう、この2人の「真の友情」が痛いほど伝わってくるんです・・・前半は《柱間の「マダラを理解してるからこそ」の行動》で・・ そして後半は《マダラの「柱間を理解してるからこそ」の行動》で。

マダラは和平の条件として「相子になること」を言ったわけですが、“条件的に相子”になる為には、本来『扉間を死なせる選択しかない』ハズなんです(ふたりとも兄弟がいなくなる)。 もしくは、マダラを殺して和平を諦めるか・・・ですよね。 だけど「なぜか」マダラは、柱間自身が死を選ぶという選択肢も設けてる。 
それを、柱間は「マダラの情」と言ったわけですが、マダラは「本当の意味で」柱間と相子になれるかどうか賭けたんじゃないかと思うんです。 扉間を殺させて“条件上”で相子になるのではなく…“本当の意味での相子”になれるかどうかを。 つまり、《弟への愛情》を柱間が示すことで、マダラと“本当の意味での相子”になれるかどうかを・・・。だからもし、柱間が「扉間を殺す」を選択したら、マダラは承諾しなかったんじゃないだろうか。
 
(そして勿論、柱間は「自害」を迷わず選ぶわけですが・・)
 
「オレの死後 決してマダラを殺すな 今後うちはと千手は争うことを許さぬ」
「皆の父とまだ見ぬ孫達に賭けて誓え」

「さらばだ」 (ニコっ)
 
そこでまた、笑うか・・・なんだかヒルゼンが最後に微笑んだのを思い出してしまいます。 
「賭けて」誓えと「賭け」の字を使ってるところが、いかにもギャンブラー柱間なんですが、「まだ見ぬ孫」つまり目に見えない未来も信じて「賭けられちゃう」性格こそが柱間らしいといいますか。 ヒルゼンもそうでしたが、柱間も「自分の後を継ぐ者達、そしてまだ見ぬ孫」でさえ心から信じてしまえる・・・だから笑って死ねる。 このあたりは「子孫を信じられず」復活までして全部一人でやろうとするマダラとは大違いでして・・・ようするに柱間はおおらかで、マダラは心配性なのかもしれない。

頬を伝わって落ちる涙は、自分の命と引き換えについに『本当の夢』が実現するという喜びと、家族やまだ見ぬ孫への想い、そしてマダラへの感謝なんだろうか・・・。
 
そして柱間の腑を貫こうとするクナイより先に、今度は意志(石)が先に届いた・・(この部分の絵、いいですね。また何とも映画的・・)。 

「もういい…… お前の腑(はらわた)は… 見えた」 (マダラ)
 
そして自害しようとした柱間の手をガッ!と止め、「今度こそ柱間の手を取った」マダラ・・・

しかし立派すぎますな、柱間・・・このあっぱれな態度は、おそらく武勇伝として語り継がれ、他の一族達にも伝わって、柱間を慕う人々が木ノ葉に集ったんじゃないだろうか。 そしてこの決断が、のちに火影を選ぶ時にも、里の民たちに大きな影響を与えたと思われるんですが・・・その一方で『汚ったね~選択肢をふっかけたマダラ』はサイテーだと・・千手は勿論、うちは一族の間でも評判を落とす結果になってしまったんじゃないだろうか。
 
しかし実際には、マダラはもう少しで扉間にトドメを刺されそうだったし・・・仰向けになることは「命賭け」ですよね(犬が、服従の印で急所であるお腹を飼い主に見せるのと似てるというか・・)コレ結構、勇気がいると思うんですよ・・・。 だいたい「あのうちはマダラ」が、敵前で『まな板の真鱈(まだら)』如くみっともない姿を晒すとは、やはり考え難い・・・でも、マダラは一族のリーダーとして重要な決断を前に、どうしてもお互いに「腑を見せ合う」必要があったのでしょうか。そしてマダラは柱間の手をギリギリのタイミングで《ガッ!》と力強く止めているし、無抵抗状態で寝てたのは「命賭けの演技」だったハズなんです。 
(ったく、いつも損な役割を引き受けてるな・・マダラは)。
 
(そして、うちはと千手は遂に手を結ぶ・・)
 
マダラと柱間の周りをぐるっと囲んだ、黒っぽい衣装のうちはと白っぽい衣装の千手の図は「まるで陰陽太極図」・・・だけどこうして見ると、この時代はまだ、うちはも千手もそれなりの数が残ってたんですね。
今では千手の数が減ってしまった(と思われるのは)、うずまき一族とか霧隠れの血継限界一族のように追われてしまったのか・・・それとも他の一族と交配して混ざっちゃったのか(仙人モードになれた自来也や、扉間そっくりの能力を持つミナトは、どこかで千手系の血が混ざってるような気がするし)。

そして、うちは一族も当時これだけの数が居たわけだから、中でも「家系」も色々あるはずでして・・・なので、オビトが言っていた「オレのご先祖のうちはマダラか?」という台詞は、そのままオビトがマダラの「ド直系」の子孫(年齢的に孫か曾孫)と考えていいんじゃないだろうか・・つまり能力的には似ているんじゃないかと。 マダラに妻子がいたってのは、ちょっち想像しづらいんですが、マダラ里抜けの際に「置いていった」のなら、分からないではない・・(なんて、想像の範疇ですが)。 

《夢のようだった… うちはと千手が手を組んだのだ 
もう多くの犠牲が出る事もない…多くの子供の死も必要なくなる…》

《オレ達は里づくりを始めた・・ その後火の国と手を組み 
国と里が同等の立場で組織する平安の国づくりも始まった》
 
《とにかく夢のようだった…》
 
 
柱間が繰り返す「夢のようだった・・」の言葉。  
 
猿飛一族、志村一族と次々増える里の仲間・・・そして里の名前考案や「火影選出」、崖に顔岩を彫るアイディア等々・・・柱間の頭ン中は「夢いっぱい」で楽しくて仕方ない様子なんだけど、一方のマダラは寂しそうな顔をしてるんですよね。 柱間の話に付き合ってはいるけれど、心ここに在らずというか・・昔ここで2人で「ニカッ」と笑ったような、あんな笑顔をマダラはもう見せない。

子供時代に「同じ夢」を語り合った崖の上から、2人はどんな思いで里を眺めていたんだろう・・・?
柱間にとっては「どんどん現実化していく夢の世界」に見えただろうし、マダラにとっては「夢のように消えそうな空しい世界」に見えてたんじゃないだろうか? 同じ景色を眺めながら、この時の二人は「違う夢」を見ていたのかもしれません。 叶えるための夢と・・・目覚めるための夢と。

それは「弟を守ってみせた」柱間と、「弟を守れなかった」マダラの間には、どうしても埋められない「差」があったからだと思うんです。 マダラにとって、イズナが居ない風景は「空しい夢」でしかないだろうし、目覚めたい夢でしかなかったんじゃないだろうか。 柱間とマダラの考える「本当の夢への道」は、この時から既に違っていたような気がします・・。
 
「火の国を守る影の忍の長…名を火影 どうだ?」
「お前に長をやってほしいと思ってる… 火影を」
 
「もうお前に兄弟はいないが… この里の忍達は皆お前の兄弟だと思ってほしい」
「しっかりと皆を見守ってほしいんだ…」
 
マダラを火影にしようという柱間の気遣い、それはマダラに「たくさんの兄弟」を与えようという柱間の「優しさ」ですよね・・・そして、マダラも柱間の「優しさ」を感じたからこそ、気乗りしないなんて言えなかったんだろうし、落ち込んでる顔も見せられない・・(落ち込んでいる姿なんて、他人に見られたくないんだろうから・・)。だけど思わずつぶやいた「うちはの兄弟すら守れなかったこのオレに…」の言葉には、柱間でさえ癒すことができない「マダラの空しさ」を感じてしまいます。

「そろそろ里の名前も決めないとな 何か案あるか?」
 
ふわっ・・と飛んできた、穴の開いた木ノ葉を掴んだマダラは、何を思ったか・・葉の真ん中に空いた穴を左眼にあてて、穴から里を見つめ・・・
 
「木ノ葉… 隠れの里 …てのはどうだ?」

葉っぱから覗くマダラの「眼」・・・まるで「木ノ葉マーク」そのものです。
 
以前イルカが、昔の人が額に乗せた葉っぱにエネルギーを集中させ、チャクラを練り上げる修行をしていたのが木ノ葉マークの「由来」と言ってたことがありますが、ホントの由来はこの時のマダラの「葉っぱと眼」なんじゃないだろうか・・つまり葉(柱間)と眼(マダラ)。

そして次のコマでは『マダラが木ノ葉の穴を通して見た里の風景』が描かれてますが、のちに「マダラを名乗る仮面男(達)」が仮面の穴を通して見た世界は、こんな感じだったんですね(視界悪・・)。
「マダラ」とは、仮面の穴をとして世界を見続ける存在・・・既にこの時から、木ノ葉の「裏側」に居るマダラと「表側に居る柱間」に分かれてしまったような気がします。
 
マダラのもとに、ふわっと飛んできた「穴の開いた落ち葉」・・・
 
まるで兄を守る「イズナの意志」みたいにも感じます。 今もマダラの側で見守り続け…兄の「眼」となって「これから先」を見ているんじゃないだろうか。そして葉の穴から覗くマダラの(イズナの)眼の絵が、『1つ目の、天目一箇神(十尾)』にも重なって見えてしまう・・。
 
そして、「ついに2つが1つになれる時が来たのか」と・・もしかしたらこの時、「1つの神」が2人のところにふわ・・っと木ノ葉に乗って舞い降りたんじゃないだろうか・・とも思えてしまったのです。
 
 
 
(続きは、のちほどアップいたします・・・扉間、そして「うちはの石碑とマダラ」・・・)