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NARUTO-ナルト- 626:柱間とマダラ 其ノ弐 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ19号) (その1、終末の谷の戦いで、マダラが生き延びた理由とは・・・)

NARUTO 626:柱間とマダラ 其ノ弐 (その1)

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たとえ それが・・・
友であろうと 兄弟であろうと 我が子であろうと・・・
里に仇なす者は許さぬ
 
今週はワケあって1つ目は少々早めのアップです(出かけるのが早いもので・・) 
・・・いや、終わりましたね(回想が)。 読み終えて、思わず「ハァ―--っ・・」と大きなため息を 一つ。 
 
「オレは確実に友を殺した」と語る柱間の言葉の重たさ、重み。 「影を背負う」という言葉の意味。
柱間が守った「里」。 そして、マダラが見据えた「先」。 
「終末の谷の壮絶なる戦い」・・・あれは柱間とマダラという忍世界の頂点を極めた男たちの「頂上決戦」のようなものを今まではイメージしてたんです、互いに譲れないものを賭けての、命懸けの戦いだと。
だからオビトが言っていた、あれは「柱間の細胞を採るための先を見据えた戦いだった」という説明は、ありゃあ戦に負けたマダラの「言い訳」かと思ってたところもあったんです。
 
だけど先週今週と読んで見えてきたのは、マダラが柱間に「里を抜ける事」を告げたあの時から、柱間に止めを刺されて「死ぬ」まで・・・全てはマダラの緻密な「シナリオ通り」に運ばれていたという事でした。そうとは知らずに本気でぶつかった柱間が少々気の毒になったのも事実ですが、マダラには柱間にも語れない「本当の想い」はあるのだろう・・と思っています。 そしてマダラは・・かなり前から、シナリオを考えていたんじゃないか、と。
 
さて・・・
 
柱間の必死な引き留めにも拘らず、マダラは「フッ・・・ つながりなどない」と、笑みさえ浮かべて言い放つんですけど、余程『見つけた道』に自信があるのか・・・すごく挑発したような言い方なんです。だけど、この挑発的な物言いもおそらく「計算」のうち・・・最後にマダラが言った言葉がコレすごく気になります。

《オレの後を追いかけても無駄だ・・・ お前なら知ってるだろ・・・ 
オレの後ろに立てる奴など居ないと》。

よーするに「後ろに立つな」ってやつ・・小○が出なくなっちゃうから・・いや「止まっちゃうから」という理由の、アレですが・・・柱間だけが知る「マダラの弱点」ですよね。  これがもし、マダラが里抜け前に「最後に伝えた」言葉だったのなら、《オレの後ろに立って、オレを後ろからやれ》と柱間に“依頼した”言葉に思えちゃうんですよね。 こりゃ怪しい・・・何かありますね「理由」が、きっと。 
 
しかし・・・「残されたほうの」柱間の、この言葉が切ないんですよ・・・。
 
《2人で届いた場所・・・マダラとオレが望んだ里に マダラは居なくなった》
 
「出て行った」じゃなくって、「居なくなった」という言葉が・・・悲しいんです。「ここに居てくれなくちゃいけない存在」が突然消えてしまった悲しみ、心に大きな穴がぽっかりと開いたような、深い深い悲しみが「居なくなった」の言葉から、じわ~っと伝わってくるんです。
 
《だが世界では かつての対立したライバル うちはと千手が手を組みつくり上げた 忍族連合体である里システムを 皆 高く評価し真似ていった》 《マダラとオレの夢が叶ったのだ》
《忍の子供たちも戦うことではなく学ぶ事を知り・・・ 酒の味を知るまで生きていけるようになる・・・》
 
「マダラとオレの夢が叶ったのだ」という柱間の言葉に、まだこの時はマダラの事を「同じ夢を共有している友」と信じていたのが分かります。いや、マダラが里を抜けたからこそ一層、「同じ夢を共有している」と信じる事、そして世界からの「評価、評判」が、どこにいるか知れぬマダラの耳にも届く事を願っていたと思うんです。 そして「これで正しいんだ」と自分に言い聞かせ、いつしか「里を守ること」が、柱間にとって「マダラとの友情を守ること」になりかわっていったんじゃないだろうか。 
 
《だがマダラは かつての夢を潰すがごとく 木ノ葉の里を襲って来た》
 
そして、話はいよいよ621話「柱間とマダラ」の続き、終末の谷の戦いの続きへと進みますが・・・
そもそもなぜ、マダラは里を襲って来たんだろう・・・ということなんですが。
 
あの戦いは「柱間細胞ゲットの為だった」とオビトは語っていましたが、それだけじゃあ無いような気がするし、今までのマダラを見ていると「恨みで」行動する人にも思えないんです(先週述べた通り、扉間に対してさえ元々恨みを持ってるようには見えなかった)。 マダラは「柱間の前で死ぬ必要があった」のか、柱間に「マダラの死」を確認させたかったのか・・・
あるいは「うちはマダラ」の名を、世界が震撼するような恐怖(トラウマ)にしておく「必要」があったのではないかとも思えるんです。 
 
のちに「マダラ」を名乗るように命じられたオビトによる宣戦布告では、実際に世界は恐怖に陥り、団結を余儀なくされたわけでして・・綱手《マダラ、その名が“力”なんだ》と言ってましたっけ。 マダラの「真意」までは分かりませんが、「マダラ」の名を「恐怖」として後世に残す必要が、マダラの計画にはあったのではないか・・とも思うんですよね。
 
そして何の目的があったにせよ、マダラは柱間との「闘いを愉しむ」こと・・・コレも大切だったのかとも思えるんです。それは別に「戦闘狂だから」ってことではなく、柱間だけが「マダラと互角に闘う事ができた相手」・・・共にあまりにも強すぎ「ライバル」と成り得る存在が他になく、「世界の頂点」を極めてしまった者だけが知る「孤独」を癒せるのも、お互いだけ・・・。穢土転マダラが語る、柱間との「本気の闘い」を語る時の嬉しそうな顔・・・マダラにとってこの世界に居る実感を得られるのは、柱間と闘っている時だけだったんじゃないかと思えてきます。 マダラにとって「終末の谷の戦い」は、かつて子供時代に本気の組手勝負をした時を思い出す、大切な大切な時間でもあったのかもしれません。
 
《そして、あの巨大な千手観音から繰り出される、『頂上化仏』 (千手が一斉に拳で攻撃する)で須佐能乎を剥がされた九喇嘛は、今度は『廓庵入鄽垂手(かくあんにってんすいしゅ)』で九喇嘛を抑え込む・・(これ、ヤマトが手に「座」の字を浮かばせ、十本の柱で九尾化したナルトを抑え込んでいた術)・・・あの完全体の九喇嘛が、一瞬でおとなしくなってしまう(これを使えたヤマトも凄すぎかも・・》。 
 
この後九喇嘛の姿が見えなくなってますが、柱間が背負っている大きな巻物に封印されたのではないかと想像しております。 同じようにして柱間は、尾獣達を次々と封印して「集めていた」んじゃないだろうか・・・とね。
イタチが言っていた「マダラと柱間の里の方針を巡る対立」には、尾獣の扱いに対する「対立」もあったんじゃないかと書いたことがあるのですが、マダラは自ら九尾を操って尾獣の力の恐ろしさを柱間に警告する事も、この終末の谷の戦いの目的の1つだったのではないか・・とも考えています。 
もしマダラが初めから「終末の谷で柱間に倒される事」を目的としていたのなら、当然「九尾を柱間に渡す」事も承知だったわけでして、マダラには「うちは一族に九尾を渡さず、柱間に管理してもらう」必要が何かあったのかもしれません。
 
《・・・そして、いよいよ「一対一」の、直接対決になるのですが・・》。
 
一瞬、マダラの「左の万華鏡写輪眼」がやたら大きくアップになってるコマがありますね・・・・この時、マダラは『特別な瞳術』を発動したのではないかとも思われるんですが、それが未だに明かされない「マダラ固有の万華鏡写輪眼の能力」なのか、あるいは「永遠の万華鏡特有の力」なのか・・・マダラが「死ななかった」理由も、この時に仕込まれた何かだったのか等々、気になる描写です。 そして2人が「最後の舞台」として立った場所・・・これが今の終末の谷、2人の彫像が立ってる場所みたいですね。 
 
(そして、2人は刀と鎌で相打ちになり、今度は柱間が倒れ、マダラは立ち踏みとどまる・・・)
 
「立っているのはオレだ・・・ ・・・あの時とは逆だな」
 
マダラが言っている「あの時」とは、子供時代に組手勝負をしてマダラだけひっくり返って、あとから柱間の頭上に「石」が落ちてきて、柱間が倒れたという・・・あの時の事(623話)。 あの時は、あの組手勝負はまるで将来の「終末の谷の戦い」の結果に似ていると書いたのですが、終末の谷の戦いの中の「最後の戦い」が、あの時の再演となりましたね・・;
 
(しかし、倒れたハズの柱間は「木遁分身」で、本体柱間がマダラの「後ろをとって」、マダラを背後から刀でズカっと貫く・・・)
 
「・・・・」 (ツー・・・と口から血が流れる)
 
(スッ・・・)とマダラの左眼が前を向く (眼のアップ)
 
「・・・・木遁分身・・・」
 
「・・・オレが・・・後ろを・・・とられるとは・・・」 (マダラ)
 
う~ん、、ちょっと待った・・・! 柱間の「木遁分身」を見抜けないマダラではないですよね。
 
「柱間が使っていた木遁分身だ よくできていてな・・・ ・・・かつて敵として“これ”を見抜けたのはオレだけだった・・・ この瞳力でな・・・」 (61巻、577話) ・・なんて五影戦場で自慢してましたよね、マダラさん。 分かってたんじゃないの・・・?
 
それに、ちょいと・・・イヤ、かなり気になるのが・・上記の
「・・・・」 (ツー・・・と口から血が流れる)→(スッ・・・)とマダラの左眼が前を向く(眼のアップ)の一連の描写なんですね。 
スッ・・というのは正面を見た音にも思えますが、瞳術発動の音とも取れます(見た感じ「写輪眼じゃない普通の眼」ってのが、気にはなりますが・・・これは何かのトリックがあるのか、意外とあれは「永遠の万華鏡を極めた状態=鷹の眼」だったりするのかとか・・理由はあると思います)。 
そして、その次の「・・・オレが・・・後ろを・・・とられるとは・・・」の絵を見ますと、マダラの口から血が流れていないんです さらに次の絵も、はっきりはしないものの・・血は無いような。まるで、「元の体の状態に戻った」ような感じ・・・。ただし気をつけねばならないのは、最近よく発動される「キッシー描き忘れの術」の可能性もアリなんで(す、すみません)、まだ何とも申し上げられませんが(汗っ・・) 
しかし、あの「ツー・・」とか「スッ・・」が目立つように描かれたのも、無意味描写とも思えなくて。もし「スッ」の時に瞳術発動で、何らかの手段で「傷つく前の状態に体を戻した」のだとしたら、「正面の顔は柱間に見せられなかった」ことになります。そうやって、マダラは終末の谷を生き延びたんだろうか。 だから、マダラにはど~しても「柱間にバックから攻めてもらう必要があった」んじゃないか、と(ゴラっ)。
 
もっとも、単純に・・柱間が辛くないように「わざと(顔が見えない)後ろをとらせてあげた」だけかもしれない・・とも思っております。うん、そうかもしれない・・。本当は・・・誰も後ろに立たせはしない人なのに・・・。
 
マダラは、ここで「友である柱間」の手で、最期を迎える・・シナリオを考えていたのだとしたら。
 
そうすれば前述しました通り、マダラ里抜け直前に「オレの後ろに立てる奴など居ない」という誘導セリフとも思える言葉を発したのも理解できますし、ここに来ても「共有する思い出」を引っ張り出して、「マダラは後ろに立たれると止まってしまう=後が弱点」に柱間を誘導しまくりなのも、納得なんです。 だからマダラは《柱間に、わざと「後ろから」突かせた》・・・そう思っております(今の時点では・・と言い訳)
  
だから「オレが・・・後ろを・・・とられるとは・・・」なんて台詞は、とんでもなく「お芝居」・・・ ホントは「後ろをとらせてあげたんでしょーが」と言いたくなります。   
しばらくの間、ライバルとの闘いを愉しんで・・・この世界に思い残すことなく、そして《柱間に、後ろをとられて「死ぬ」こと》・・・どうやら、これがマダラの「終末の谷シナリオ総仕上げ」だったんじゃないだろうか。
 
 
(その2へ続きます・・・その2は少々時間を置いてから(おそらく午後)と思っております)